第159話 上陸、バムータ本島

 失った右腕を取り戻した船長は、喜んで俺たちをバムータ諸島の港まで運んでくれると請け負ってくれた。

しかも料金はタダでいいそうだ。

金がない俺にとっては願ってもない話だった。


「本当は同じ日本人としてキュバール国まで送ってあげたいんですけど、自分にも任務があるんで許してくださいね」

「いやいや、港までのっけてくれるだけでもありがたいですよ。あっ、でも、これから行く港に質屋のような店はありますかねぇ?」

「質屋ですか?」

「お恥ずかしい話なんですが、自分は現金の持ち合わせが全くなくて、これをお金に換えられたらと考えているんですよ」


 俺は腕にはめた時計をみせた。


「うわ! ロレックスじゃないですか。スゲー、本物を直に見るのは初めてかも。それ、売っちゃうんですか?」

「まあ、他に持ち物もないですし、働くとなると時間がかかりすぎるでしょうから……」

「だったら自分に売ってください!」


 いきなり買い手がついた!?


「北野さんにはお世話になったからもちろん構いませんが……」

「おいくらですか?」


 それはこっちが聞きたいくらいだ。

記憶がないからいくらで買ったかなんてわからないし、中古品の相場だって知りようもないのだ。


「う~ん、自分もいくらにしてよいやら……」

「だったら100万レウンでどうでしょう?」


 ザクセンスから西大陸までは30万レウンと言っていたから、それだけあればキュバールまでは余裕だろう。

むしろそんなに貰っていいのかな?


「100万でいいんですか?」

「はい。自分は結構金持ちなんですよ。それにロレックスなんて向こうの世界にいた時は雲の上の存在でしたから」


 普通の高校生だったらそうだよね。


「わかりました。ありがたく100万レウンでお譲りしますね」


 こうして俺は旅の資金を手に入れた。




 バチッ!


 不吉な音を立てて首の辺りから紫電が走った。

ここは俺たちの部屋としてあてがわれた小さな船室だ。

普段は物置として使っているそうだが、空き部屋はここしかなく、俺とエマさんは同じ部屋で休むことになった。

明日にはバムータ諸島の港に着くので一晩我慢すればいいだけだ。

俺じゃなくてエマさんがね。


「だめですか?」


 痺れる首筋をさする俺をエマさんが気遣ってくれた。


「うん。やっぱりこの首輪が邪魔をしているみたい」


 部屋に入って落ち着いた俺は|神の指先(ゴッドフィンガー)を使って記憶喪失を治療しようと試みているのだが、どうにもうまくいかない。

|神の指先(ゴッドフィンガー)は指先から治療のための魔力を放出するので、たとえ俺自身の魔力であっても外部からの魔法干渉となり、首輪がそれを遮断してしまうようだ。

「調教の首輪」というのは思った以上に厄介なアイテムなようだ。


 先ほどエマさんがまたもや発作に襲われ、死にたいと涙を流した。

どうやらユリアーナへの愛情と信仰の間で板挟みになって、精神に失調をきたしているようだった。

そこで|神の指先(ゴッドフィンガー)を使って治療を試みたところ、エマさんが軽度の洗脳状態にあるのが分かった。

ユリアーナに魅了魔法をかけられていたようだ。

完全な傀儡状態ではなくて、かなりの部分で自我が残っていたため、余計エマさんが苦しむ結果になったのだろう。

これで、ユリアーナが嘘をついているというのはほぼ確定だな。


「エマさんの魅了状態は解けたけど、俺の方はだめみたいだね。やっぱりラジープさんを頼るしかなさそうだ」

「私もそう思います。あるいはクララ様やヨシオカ様のお力をお借りしてユリアーナに首輪の開錠を迫るというのも手ですが」


 クララさんにヨシオカさんか……。

まったく思い出せないんだよね。


「でも、ユリアーナが逃げてしまえばそれまででしょう? ラジープさんを頼る方が確実だと思うんだよね」

「なるほど……」


 ラジープさんのいるキュバール国はここからならまだ近い。

とはいえ3000kmはあるんだけどね。

まだまだ道のりは遠いな。

 着の身着のまま逃げ出してきたのでパジャマなど持っているわけがない。

俺たちは服のまま固い寝台に潜り込んだ。


「今日のところはもう寝ましょう。自分と同じ部屋じゃ落ち着かないでしょうが」

「いえ、ローマン方面への補給部隊だった時はご一緒に野営をしたこともあるのですよ」


そういえば俺は国軍の下士官だったとユリアーナが言っていたな。

あれは嘘ではなかったわけだ……。


「俺はどんな兵士でしたか?」

「その……、兵士としては不真面目というか……」


やっぱりそうか。

自分が軍人なんて変な感じがしていたんだよね。

性格的に向いてないと思うもんなぁ……。


「だったらなんで兵士なんてやっていたんでしょうね?」


大きなあくびをしながら聞いてみた。


「それは、クララ様が軍務についていたからでしょう。ヒノハル様はクララ様の召喚獣でしたから」

「クララ様って、クララ・アンスバッハ……さんですよね」

「はい。お二人は本当に仲睦まじく……」


そんなに仲が良かったんだ……。


「おそらくヒノハル様はクララ様のためならどこへだって付き従っていったでしょうね」

「へぇ……」


エマさんがクスリと思い出し笑いをしていた。


「どうしたんですか?」

「いえ。ヒノハル様の軍隊時代のアダ名を思い出してしまいまして」


 通り名ってやつか?

もしかして黒豹とかホークアイとか?


「なんていうアダ名です?」

「クララ・アンスバッハの犬です」


うむ……ワンワン!

何故だろう、違和感を覚えるどころかしっくり馴染む感じすらする。

やっぱり俺はクララさんという人の婚約者だったのかな?

クララさんか……。

どんな人柄でどんな顔をしているのだろう?

残念なことだが俺の脳裏に蘇る記憶はない。

それでもバムータの港に着いたら手紙を出してみるか。

きっと心配しているだろう。

でも過度に期待させるのは良くないから、今の俺の状況を正直に書いてキュバールに行くことも伝えておかなきゃな。

この手紙で少しは彼女の心配を減らせてあげられるといいのだけど……。


「ランプを消しますよ」


 声をかけた時には、エマさんはもう静かな寝息を立てていた。

エマさんも心のつかえがとれて久しぶりに安眠できるのかもしれない。

両手を祈るように組んで眠る姿は子どものように無防備だった。


 小雨に煙る視界の向こうにバムータ本島が見えていた。

俺たちはここから海の上を歩いて上陸をはたす。

港まで送ってもらえば楽なのだが、ユリアーナの手下が俺たちを見張っている恐れもある。

奴らだってとっくに俺たちが逃げ出したことに気がついているだろう。

死んだと思ってくれれば一番楽なのだが、ユリアーナはあれでしつこい性格だから諦めてはいない気がするのだ。

キュバール行きの船を探したり、手紙を出したりしなければならないので、いずれにせよ街までは行かなくてはならないのだが、少しでも安全な方策をとりたかった。


「北野さん、ありがとうございました」

「お気をつけて。ザクセンスでまた会いましょう」


 日本人勇者の北野優一くんに見送られて俺とエマさんは海上に降り立った。

昨晩は気づかなかったが、足の下では色とりどりの魚が気持ちよさげに泳いでいるのが見える。


「いきましょう」

「はい!」


小さな魚群と何度もすれ違いながら、俺たちは手を繋いで岸まで走った。

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