第155話 復活 勇気六倍

 突然のことに俺の頭も混乱していた。

だっていきなりエマさんがひれ伏すんだもん。

お、俺が悪いことしたんじゃないよね? 

……もしかしてエマさんが俺に何かした?


「とにかく立ってください。そんな恰好じゃお話もできません」


 立たせようとするのだが、エマさんは俺の足に縋り付いて泣きじゃくっている。

これは泣き止むまで待ってあげないとダメだな。

そんなことを考えていたら後ろからユリアーナさんとラーラさんが近づいてきた。


「どうしたというのです、エマさん?」


 ユリアーナさんは労わるようにエマさんの肩に手をかけた。

びくりと体が震えてエマさんが泣き止む……。


「さあ、ラーラと一緒に部屋にもどって。ラーラ、あとをお願いね」


 エマさんはラーラさんに手を引かれて立ち上がった。


「エマさん、罪を犯したってどういうことですか?」


 吐きださせてあげた方がいいのではないか? 

俺はそう考えてエマさんの背中に言葉を投げかけたのだけど、彼女は何も答えず、ラーラさんに連れられていってしまった。

追いかけようとする俺をユリアーナさんが遮る。


「そっとしておいてあげてください」

「しかし、エマさんは何かを告白したかったようです」


 ユリアーナさんは決心したように口を開いた。


「エマさんは氷の魔女、クララ・アンスバッハの手先だったのです」


 なんだって!?


「では、どうしてこの船に?」

「彼女は己の罪を悔い、コウタさんの救出に手を貸してくれました。しかし、コウタさんが呪いをかけられたり、記憶を失ったことに責任を感じていたようです」

「それはどういうことですか?」

「コウタさんが呪いをかけられるその場にエマさんもおられたそうです。そして、彼女もその儀式に手を貸したとか……」


 それでエマさんは俺の顔を見て苦しんでいたのか……。


「でも、エマさんは最終的に俺を助けてくれたんですよね?」

「……その通りですわ」


 だったら……。


「私はエマさんにもう気にしなくていいと言ってあげたいです。今はこうして解放されているのですから」


 ユリアーナさんはジッと俺を見つめてから微笑んだ。


「コウタさんは優しいのですね。エマさんも明日の朝には落ち着くでしょう。その時にその言葉をかけてやってください」

「……わかりました」




 部屋に戻ったユリアーナは項垂れたまま椅子に座らされたエマを傲然と見下ろし質問した。


「それが貴女の出した答えなの?」

「私は……怖いのです。ユリアーナ様を失うことも、自分が罪を犯したことも……」


 ユリアーナはつまらないモノを見るような顔でエマを見た。


「そういうことなら仕方がないわね。私の魔法で楽にしてあげましょう」


 こうなっては自分のついた嘘を真実にするためにエマを完全な操り人形にするしかないとユリアーナは考えた。


「でも、もう一度だけ貴女にチャンスをあげるわ。いいこと? 貴女は既にクララ・アンスバッハとコウタさんを裏切っているのよ。貴女にはもう私しかいないの。これ以上裏切りを続けるのなら、この世界のどこにも身の置き場はなくなってしまうわよ」


エマは力のない眼でぼんやりとユリアーナを見上げた。


「今夜は特別にお仕置きをしてあげるわ。それで今日の罪は帳消しということにしましょう。痛みをその身に受けてよく考えなさい。明日の朝にもう一度だけ貴女の考えを聞くわ」


 最終的な処遇は明朝に持ち越すことにして、ユリアーナはとりあえずホイベルガーにエマを預けた。


「お前の好きなようにしてごらんなさい。ただ、顔には傷をつけないように。コウタさんに知られれば事ですからね」

「はっ」


 短く答えたホイベルガーの目に黒い欲望が宿っていたが、もうエマは何をされてもいいような気になっている。

これは自分の犯した罪の報いなのだ。

だったらそれを受け容れればいい。

だが、ユリアーナの言う通りこれ以上自分の大切なものを裏切り続けることはできない。

明日の朝、ユリアーナ様の瞳に見つめられれば私は完全に私でなくなってしまうだろう。

そうなる前にヒノハル様に全てを告げて海に身を投げよう。

それで全てが終わらせてしまえる、とエマは考えた。

エマはもう、ただ楽になりたかった。




 「わかりました」とユリアーナさんには言ったが、実はそんな気は一つもなかった。

今夜中にエマさんに会って話をしたかったのだ。

エマさんは苦しんでいた。

もしも俺が「気に病むことはないですよ」と言うことでエマさんの苦しみが少しでも減るのなら、早い方がいいに決まっている。

暗い廊下をロウソクの灯りを頼りに進んだ。

 エマさんの部屋の前に着いて小さくノックをしたが返事はなかった。

ひょっとしてもう寝てしまったのだろうか?


「エマさん、ヒノハルです」


 やっぱり返事はない。

ドアに耳をつけて中の様子を探ってみたが物音一つしなかった。

無理に部屋に入るわけにはいかないし、明日の朝に伝えるしかないのだろうか? 

諦めかけたのだが、俺の敏感な鼻が部屋とは違う場所から漂ってくるエマさんの匂いをキャッチした。


「くんくん……まだ新しい」


 ついさっきここを通ったばかりのようだ。

しかもホイベルガーの匂いもしている。

二人は恋人同士で、ホイベルガーがエマさんを慰めているんじゃないよな? 

でも、エマさんは男嫌いだったはずだ……。

 うだうだと考えていても仕方がないので、とりあえず匂いの跡を追ってみることにした。

そっと行って二人が親密なようなら、気づかれないように戻ってくればいいのだ。

 俺は気配を消すためにロウソクの火を吹き消した。

真っ暗闇になって何も見えなくなるかと思ったのだが、目を凝らすと、なぜか辺りの様子がはっきりと見えるようになった。


スキル「夜目」復活。


 意外と俺は優秀な子なのかもしれない! 

もう少し自分に自信を持ってもいいのかな? 

記憶がないというのは自分の積み重ねてきたものがないのと同じことになってしまうから、これまでいろいろなことに尻込みしてしまっていた。

でも、ここは踏ん張ってもっと積極的に活動するべき時のような気がする。

自分が何者であるのかということに対して貪欲に動くべきだと俺の魂が囁いていた。

そして、エマさんは俺に関わる何かを知っている気がする。

躊躇わず勇気を奮って行動してみよう。


原初スキル「勇気六倍」復活!


 自分でも驚くほどにやる気が漲ってきたぞ。

過去は未だ闇に閉ざされたままだが、それでも俺は生きている。

考えてみれば、この船に乗ってからずっと何かが心に引っかかっている。

説明される俺の過去は実感が持てないばかりか、違和感だらけだ。

だけど俺は未来に対する不安感から、それを見て見えないふりをしていたのだ。

そんな臆病な生き方はもうやめにしよう。

呪いが本当にあるのなら、それを解く方法を見つけたい。

クララ・アンスバッハがどうしようもなく強大な敵なら、自分の目でそれを確認して、逃げるのならば主体的な意志を持って逃げたいのだ。

そのためにも今はエマさんの話を聞くべきだろう。

よし、エマさんを探しに行くぞ!


 エマさんとホイベルガーの匂いは階下にある船倉の方へと続いていた。

暗闇の中をソロソロと進み、やがて一つの扉の前に出た。

ここはこの階層で一番奥まった部屋だ。

これまで入ったことはない。

声をかけてみる前に俺は異常事態を感じ取っていた。


(血の匂いがする)


 ドアノブの下の小さな鍵穴からわずかな光が漏れていた。

物音をたてないように膝をつき、そっと鍵穴に目を近づける。

中の様子を覗いて俺は戦慄した。

 部屋の中はロウソクが一本だけともされた状態で薄暗かった。

だけど、暗闇でもよく見える俺の目には関係ない。

エマさんは上半身を裸に剝かれ、梁から吊るされたロープに両手首を結わえ付けられていた。

真っ白な背中には赤いみみずばれの痕が幾筋もつけられており、俺の目の前でホイベルガーの振るった鞭がまた新しい傷を描いた。

 どう見たってこれはプレーの一環じゃないと思う。

エマさんは苦痛に顔を歪めているが、その眼は死んでいるようだ。

耳を澄ますとくぐもったホイベルガーの声が聞こえてきた。


「お嬢様も酔狂なことだ。こんな女などさっさと木偶人形に変えてやればよいのにな……」

「……」

「おい、何とか言ったらどうなのだ? 少しは反応がないと俺もつまらんのだが?」


 エマさんは何も答えずに宙の一点を見つめたままだった。


「ふん……まあいいさ。どこまでそのような態度がとれるか、じっくりと見せてもらおう」


 ホイベルガーは荒々しくエマさんの下半身に残った衣服を脱がせ始めた。


(あのクソガキめ!)


 もはや静観はできない。

俺は部屋に突入することにして右手の平にパラライズボールを作り出した。

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