第152話 記憶の欠片

 西へ進路をとるこの船はこれまでに2回、水や食料を補給するために港へ寄った。

魔法が存在する世界であっても、水を得るのは難しいことのようだ。

魔法が使える者は貴族に叙せられるくらいなのだから、わざわざ船乗りになるはずもないか。

海水から真水を作り出せる地球の船の方が、この世界の住人にとってはよほどマジカルな存在だろう。


せっかく知らない土地にきているのだからいろいろと見物しようと思ったのだが、俺は追われる身なので船から降りることは禁じられてしまった。

ずっと船の中というのは息が詰まってしまうが、ユリアーナさん達は気を遣っていろいろしてくれるので我儘は言えない。

でも、次の次の寄港地であるジブタニアでは少しだけ街を歩いてもいいというお許しが出た。

ユリアーナさんも嬉しそうに「デートですわね」なんて言っている。

船内の書庫にはジブタニアの載った旅行記なんかもあり、二人で一緒に読みながらどこへ行こうかなどと考える時間は楽しかった。

そうやって二人で会話をしていると、この人が美しいだけでなく知性と教養を兼ね備えた人だとわかる。

こんな素敵な人が俺を愛してくれて、危険を顧みずに俺を助けてくれたのだ。

相変わらず記憶は戻らないんだけど、俺は少しずつユリアーナさんに惹かれていった。


 魔法といえば俺も騎士爵だったよな。

ということは魔法が使えるのかな? 

疑問に思った俺はさっそく昼食の席でユリアーナさんに聞いてみた。


「私は普通の騎士ではなく騎士爵なのですよね?」

「その通りですわ。身分的にも私たちの婚姻には何の支障もございません」


 もともと俺は国軍の下士官だったらしい。

奉仕活動をするユリアーナさんの警護をしていた際に二人は知り合い、恋に落ちたそうだ。

ぜんぜん記憶にないけど。

 本来は身分違いで許されない恋であったが、勇者と共にダンジョン探索の任務を受けた際に俺の魔法の才が開花したそうだ。


「それで、私はどのような魔法が使えたのでしょうか?」


 なぜか、一瞬だけユリアーナさんは口ごもった。


「……私が知る限り、コウタさんは麻痺魔法がお得意のようでした」


 麻痺魔法? 

対象の神経系に衝撃でも与えるようなものなのかな? 

なんとなくだけど自分の身体の中の魔力は感じることができる。

これは部屋に戻ったら特訓してみるしかないな。

魔法というものを使ってみたかったし、使えるようになったら記憶が蘇るかもしれないと思ったのだ。

カレイのムニエルを口に放り込むと俺はナプキンで口を拭った。


「ごちそうさまでした。これから部屋にこもって少し考え事をします」


 早く魔法の練習をしたくて腰を浮かせたのだが、ユリアーナさんは俺を引き留めた。


「お待ちになってください。まだデザートが残っています」

「はあ……」


 ものすごく食べたいわけでもないのだが、断るのも悪いような気がした。


「今日のデザートは私がカリーナに手伝ってもらって作ったのですよ」


 それじゃあ席を立つわけにはいかないな。

 出されたのは乾燥イチジクの入った焼き菓子だった。

プチプチとしたイチジクの食感と発酵バターの香りがとても美味しい。


「いかがですか?」


 心配そうな様子でユリアーナさんが聞いてくる。


「とても美味しいですよ。ユリアーナさんは料理も上手なのですね」

「よかった……。お菓子を作るのはこれで二度目なのです。前回もコウタさんに食べていただこうとクッキーを焼いたのですが、それは召し上がってはいただけなかったようでしたから……」


 そうなの? 

こんなに美味しくできているのにね。


「でも、今回は私の焼き菓子を食べていただくことができました」


 ユリアーナさんはクスクスと笑っている。

その横でカリーナさんが赤い顔をしていた。


「なにがそんなにおかしいのですか?」

「いえ、特別な材料で作ったお菓子ですから、喜んでいただけて嬉しいだけです……」


 特別な材料? 

イチジクやバター、小麦粉以外に何が入っているんだろうね? 

料理には詳しくないようでさっぱりわからないや。


「珍しいスパイスとかが入っているのですか?」

「レシピは内緒です。しいて言うなら愛情がいっぱい詰まっているのですよ」


 ユリアーナさんの愛情入りか……どうりで美味しいわけだ!


「ごちそうさまでした。また食べさせてくださいね」

「もちろんです! 次は何をいれようか今から楽しみですわ」


 ユリアーナさんは艶やかな笑みを返してくれた。



 部屋に戻るとベッドの上で胡坐をかいて、“なんちゃって瞑想”を開始した。

もっともそんなことをするまでもなく体内の魔力は感じている。

そして麻痺魔法は自分でも驚くほどあっけなく使用することができた。


スキル「麻痺魔法」復活


 なるほど、この手のひらの上にあるピンポン玉ほどの発光体をぶつければ対象を麻痺させることができるのだろう。

試してみたいけど人体実験はできないよな。

自分に撃つのも痛そうで怖いし……。

調理前の生きのいい魚なんかがあったら実験させてもらうとしよう。

 できたばかりのパラライズボールを霧散させ他の魔法を試してみることにした。

麻痺魔法だけじゃなくて地水火風の四大元素を使ったやつも使ってみたいもんね。

最初は風の魔法を試してみた。

 麻痺魔法の時はすんなりとどうすればいいのかが分かったのに、風の魔法となると何をどうしていいのかさっぱりわからない。

しばらくウンウンと唸ってみたが微風一つ起こらなかった。

どうやら俺に風の才能はないようだ。

 だったらお次は火の魔法だ。

これがあればキャンプの時とか便利そうだよね。

キャンプか……。

自分がどこかに行った記憶はないのだが、なんとなくワクワクするワードだ。

ひょっとしたら俺はアウトドアが好きだったのかもしれないな。

焚き火の炎を連想しながら魔法を試してみたけど、風の時と同じでライターほどの焔も上がらなかった。

 火魔法もだめか。

だったら次は水だ。

なんといっても生命活動の基本だからね。

たとえ食べ物が無くても、水さえあれば人は結構長い間生きられるものだ。

年齢や性別によってさまざまだけど、だいたい一カ月前後は生きていられるらしいぞ。

サバイバルの時は役に立つに違いない。

 目を閉じて魔力を巡回させる。

今度は麻痺魔法の時のようにすんなりと水を作り出すことができた。


スキル「水作成」復活


 おお! 

俺の両手の間に水球が作り出されてユラユラと揺れている。

1.5リットルくらいはありそうだぞ。

……だけどこれどうしよう! 

このままだと部屋中が水浸しになってしまうぞ。

 慌てた俺は衝立の向こう側にあるトイレに駆け込んだ。

脚で箱のふたを開けて中の甕に出来立ての水を流し込む。

う~ん、水洗トイレ! 

あとで海に捨てに行かないとな。

カリーナさんやラーラさんは自分たちがやりますと言ってくれるのだが恥ずかしくてそんなことはさせられなかった。

 今度は小さな水球を作ってみようとグラスを用意して試してみたが、なぜか作ることができない。

一日に作れる量が決まっているのだろうか?

 その後もいろいろと試してみたのだが、成功したのは「麻痺魔法」と「水作成」だけだった。

他にもできることはありそうなのだけど、如何せん記憶がないというのが辛い。

俺はもう一度ベッドの上に胡坐をかいて、先ほどよりもさらに真剣に記憶を手繰り寄せようとした。

何か……、何か記憶していることはないのだろうか?


スキル「暗記」復活


 あれ? 

何だこれは? 

どうしてそれを暗記していたのかは憶えていないが、なぜかノルド教の聖典がすらすらと頭の中に浮かんだ。

まるで本を読んでいるかのように思い出せるのだ。

それもかなりの情報量だ。

およそ10万字は記憶している。

これは何なのだろう? 

普通の記憶はないのにこんなものを暗記しているなんて変な話だ。

しかもデリートや上書き保存も自在にできそうな気がする。

どうやらこれは魔法とかスキルの一種のようだな。

あれ? 

最後の方は聖典ではなくメモのようなものになっているぞ……。


〇旅行前メモ

 ブリッツの相手となる雌を探してやる。

 倉庫のワインを収納に移し替えておく。

 フィーネにバイクのカギを預けておく。

 収納に入れた、婚約指輪を確認しておく。

 出発前に一度日本へ送ってもらって食料の確保。みんなのリクエストも聞いておく。


 これってどういうことだ? 

固有名詞が二つ出てきている。

ブリッツとフィーネだ。

相手となる雌と書いてあることからみて、雄のペットか何かなのだろう。

フィーネは女子の名前か。

バイクというのは自分が所有していたバイクなのかもしれない。

キーを預けるというくらいだから信用のおける近しい間柄なのだろう。

だけどこの船にはフィーネという人は乗っていないな……。

だめだ、ぜんぜん思い出せない!

 それから婚約指輪か。

これはユリアーナさんにあげるものだったのだろう。

どこにあるかわからないが、収納に入れたってくらいだから俺が住んでいた部屋とかなのかな? 

でも、おかしくないか? 

ワインを収納に入れるのはまだ理解できるけど、指輪を収納なんて場所にいれるかねぇ? 

鞄とか引き出しなら違和感はないんだけど……。

 最後に書いてある「日本へ送ってもらう」という言葉も気になる。

俺は誰かの力を借りて地球とこの世界とを行き来していたのかもしれない。

もしくは世界の壁を越える乗り物があるとか? 

悶々とした気持ちのまま窓から見える海を見て過ごした。

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