第151話 魅了魔法

 つまらなそうな顔で部屋に戻ってきたユリアーナをラーラは立ち上がって迎え入れた。


「ヒノハル様はどうされました?」

「もうおやすみになられるそうよ」


 ユリアーナが寝室に行ってから30分も経っていない。

どうやらヒノハルはユリアーナと交わることはなかったようだとラーラは理解した。


「なかなか真面目な方のようですね」

「……そうね。記憶が戻らないうちはベッドを共にするわけにはいかないそうよ。でも、私との関係を新たに構築してくれる気はあるみたい。少しずつ段階を踏んで結ばれるというのもいいものなのかもしれないわ」


 ユリアーナはせっかちである。

欲しいものはすぐ手に入れたい性分なのだ。

この欲望に対する純粋さは彼女の性格と若さに起因するものだろう。

恋愛の過程を楽しむよりは、激しく愛し、相手にもまた愛されたいと考えるのがユリアーナだった。

人と人との距離を縮めるのに誰もが苦悩するのだが、ユリアーナにそんなものは関係ない。

これまでなら望む相手には魅了魔法(チャーム)を使えばいいだけだったからだ。

今夜だってユリアーナはごく弱い魔法をコウタに使おうとした。

きっかけさえあればコウタは自分の意志でユリアーナを押し倒して欲望のままに私を抱くだろうと考えたのだ。

ところがここでちょっとした計算違いが起きた。

なんと調教の首輪がユリアーナの魅了魔法(チャーム)の効果をはじいてしまったのだ。

どうやら調教の首輪には、装着者に対する外部からの魔法による干渉を跳ねのけてしまう力があるようだった。


「凡人の恋愛ならば、まずは言葉を交わすことからですのに。それからパーティーでダンスのお相手として指名されることを心待ちにするところから始めるのですよ。手紙のやり取りやデートもなく、キスさえ飛ばしていきなりベッドを共にするなんて考えるのはお嬢様くらいのものです」


 ラーラの発言はこの世界における貴族の一般常識だ。


「デートにキスか……それも楽しそうではあるのだけど、私は早く愛されているという証が欲しいの」


 ユリアーナに恋愛の経験はなく、初恋の相手が日野春公太だった。

だからすべてを賭して奪ったのだ。


「お嬢様が欲しいのはヒノハル様の体ですか? それとも心ですか?」

「すべてよ」


 無邪気なままに貪欲で、周囲も自分も恋の炎に焼き尽くしてしまう女だった。


「でも、ラーラの言いたいことも分かったわ。時間をかけてゆっくりと恋愛というのを楽しんでみましょう。どうせしばらくは船旅でやることもないのですから」

「はい。焦ることはございません」


 ここでユリアーナは悪戯っぽく微笑んだ。


「でも、性交というのはとても気持ちがよさそうじゃない? ラーラだって声を上げて喜んでいたわよ」

「お嬢様!」


 ユリアーナは興味の赴くままにラーラをホイベルガーやカリーナと交わらせてそれを観察して楽しんだことがある。


「ホイベルガーの時はそうでもないけど、カリーナとしているときは本当にうっとりしていたわ」

「もうお許しくださいお嬢様……」


 このラーラという女もユリアーナに人生を翻弄された一人である。

騎士の次女として生を受け、同じ身分の男へと嫁いだのだが、夫は3年前に流行り病で他界してしまった。

後家になった時の年齢は28歳であり、美しく聡明で脂ののった体を求める男は多く再婚の口はいくらでもあった。

しかし、ラーラはもう結婚にはうんざりしていた。

生前の夫はラーラを常に束縛する人間だったからだろう。

少々親し気に他の男性と話をするだけで異様なヤキモチを焼き、そんな晩は狂ったように何度もラーラを求めるような男だった。

ラーラも夫との情事は嫌いではなかったが、少々辟易(へきえき)としていたのは事実だ。

身勝手な人間は相手のことを慮れないもので、執拗に快楽を与えようとする夫を持て余し気味だったのだ。

正直なところ、涙ながらに夫を見送ったと同時に、言いようもない解放感にラーラは包まれていた。

 貧乏騎士に蓄えなどあるはずもなく、夫の死後は糊口(ここう)をしのぐためにツェベライ家で家庭教師として働きだし、そこでユリアーナと出会った。

今では魅了魔法(チャーム)の影響でユリアーナに尽くすことに無上の喜びを感じるようになっている。他者が客観的に見れば疑問を感じるかもしれないが、ラーラはそれでもこれまでの人生の中で今が一番幸せであった。

ラーラは心の底からユリアーナを愛していたのだ。


「ねえ、教えて。ホイベルガーとカリーナだったら、どちらとしているときがより気持ちがよかったの?」

「……カリーナです」


 消え入りそうなラーラの声が厚めの唇から零れた。

げに恐ろしきは魅了魔法(チャーム)である。




 クララと吉岡はアミダ商会の居間でエルケの報告を聞いていた。

エルケは|影の騎士団(シャドウナイツ)の一員であり、吉岡や公太とも面識があったので連絡役を任されていた。


「それで、コウタの足取りはつかめたのでしょうか」


 クララの問いにエルケは悔しそうに首を横に振った。


「少々グローセルの聖女を舐めておりました。エマ・ペーテルゼンとヒノハル様を乗せた馬車が東地区へと向かったという目撃証言は多数得ております。ところがその後の足取りがぷっつりと途絶えているのですよ」

「神殿のことはホルガーからも報告がありました。イスカリア神殿に入っていくところまでは確認できたそうです」

「はい。ですが現在イスカリア神殿はもぬけの殻です。神官も下男も誰一人としていないのです」


 戦慄がクララと吉岡の背中を駆け抜けた。


「全員殺されたということでしょうか?」

「我々は違うとみております。神殿には戦闘の跡は見られず、血痕なども一切ありませんでした。イスカリア神殿のすべての人間がユリアーナ・ツェベライの協力者、もしくは部下であったのではないかと推測しています」


 クララには腑に落ちない。

ユリアーナはグローセルの聖女と呼ばれ、神殿とは結びつきの強い人物であったことは事実だ。

しかし一つの神殿がまるまるユリアーナの犯行に加担し、その後忽然と関係者が消えるなどということがあるものだろうか。

イスカリア神殿は規模こそ小さいが30人以上が住まう神殿であったと聞いている。

 さすがの|影の騎士団(シャドウナイツ)もユリアーナ・ツェベライが断罪盗賊団の首領であり、このイスカリア神殿こそが彼らの本拠地であったことは掴めていない。

既に証拠となるようなものは全て始末され、イスカリア神殿と断罪盗賊団を結びつけるようなものは何一つなかった。

神殿関係者の内、ある者はグローセルの聖女と行動を共にし、またある者は別の船で西大陸を目指し、またある者は外国に潜伏したりと、それぞれが分かれて行動している。


「調査の結果、判明したこともあります」


 |影の騎士団(シャドウナイツ)はユリアーナの財産についてかなり詳細なところまで調べてきていた。


「ちょっと額が大きすぎて我々も驚いています。伯爵家の次女がどうやって手に入れたのか不思議なほどですよ。聖女が来れば参拝者も増えるということで、ユリアーナは神殿から接待費を受け取っていたようですが、それだけでは説明がつきませんね」

「具体的には?」

「まず、各国の債券だけで3000万マルケス分以上を所有しているようです。不動産はザクセンスにクルミの採れる広い森林を所有していますし、外国にも三カ所ありました。フランセアの首都であるパラスに広いアパルトマンを一つ。それからブリタリアのロンダムにタウンハウスを1軒。最後に西大陸に広大な農地も所有しています」


 クララたちには知りようもなかったが、この他にも断罪盗賊団として手に入れた財貨が船には満載されているし、別人名義の隠れ家はいくらでもあった。


「アキト、どう見る?」

「おそらく国外へ逃亡したのでしょうね……」


 エルケも同じ意見だった。


「ザクセンス国内ではグローセルの聖女は有名すぎます。自由に出歩くこともままならないでしょう」

「予想逃亡ルートは」

「おそらく海路ですね。ヒノハル様を護送するなら陸路より都合がいいですから。大人数でも目立ちません。特に陸路はアンネリーゼ殿下のお輿入れに際して関所の監視が厳しくなっております」


 クララは地図を見ながら思案を巡らせた。


「ここからだと南のティムニー港か。さて、東と西のどちらに向かったか……」

「それは調べがついております。あの日ティムニー港を出港した船は全部で8隻ですが、そのどれもが西へと向かっております」


 灯台守の証言も得られている。

内海の出口に当たるジブタニア海峡へ行けばコウタの乗る船を捕まえられるかもしれない。

ヨシオカの風魔法を使い快速船を走らせれば先回りは可能だ。

ただし、広い海の真ん中でコウタの乗る船を本当に見つけられるかは甚だ疑わしいと言える。


「先日アミダ商会が発行したヒノハル様の肖像が載った新聞を、各地に送り込んだ団員に配布して行方を探させています。恐らくいずれかの航路上にある港で遠からず情報を得られるでしょう」


 すべての報告を聞き終わったクララはエルケに礼を言って立ち上がった。


「今後の連絡はゲイリー殿にいただいた魔信で行うことにしよう。アキト、船を走らせてくれないか? 無駄骨になってしまうがそれでもお願いしたい。私のできることならどんなことでも報いるつもりだ」

「クララ様、自分だって同じ気持ちです。一緒に先輩を探しに行きましょう!」

「ありがとう。何もしないでザクセンスに留まっていれば気が狂ってしまいそうなのだ。数千キロの旅路の果てにコウタに会えるとは限らないのだがな」


 クララは自嘲的に笑ったが、その瞳に諦めの色はなかった。


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