第145話 捕獲された召喚獣

 居間に行くとエマさんはいつものように姿勢正しく紅茶の前に座っていた。


「クララ様、ヒノハル様、夜分にお訪ねして申し訳ございません!」


 俺たちが入っていくと直ぐに起立して礼をするところは軍隊時代と全然変わっていない。

あの頃はエマさんの方が上官だったけどね。

相変わらず生真面目が服を着て歩いているような人だ。


「構いませんよ。戻ってきたばかりでダラダラしていただけですから」


 互いの近況などを語っているうちに、ビアンカさんが俺たちの紅茶を並べ終えて静かに部屋を出ていった。

そろそろ来訪の目的を聞いてみようか。


「それで、どうされたのですか今晩は?」


 これがクララ様の所へ遊びにきたというならわかるが、エマさんが用もないのに俺を訪ねてくることはないはずだ。

今ではだいぶ俺にも慣れたが、エマさんは基本的に男が嫌いなのだと思う。

わざわざ俺を指名してきているのだからきっと大事な用事があるのだと推察できた。

 エマさんは一瞬だけ躊躇ってから口を開いた。


「実は、ヒノハル様にお会いしていただきたい方がいるのです。その……長老派の司祭様でして……」

「それは新聞のコラムに関することですか?」


 アミダ商会が発行する新聞はいまや週刊となり、その中で各宗派の聖典解釈のコラムが発表されるようになっている。

エマさんは長老派の敬虔な信徒だから、そのツテで自分の意見を掲載させてほしいという宗教家が現れたのだろう。


「わかりました。それではビアンカさんかホルガーさんに取材を頼みましょう」


 エマさんは目に見えて狼狽した。


「えっ!? いえ……その、……ぜひヒノハル騎士爵においでいただきたいと先方から申し付かっておりまして……」

「私がですか? 自分が出向くのはいいのですが10日後になってしまいますよ。明後日から少し王都を離れるのです」


 クララ様とお泊り旅行なのだ。

ザクセンスでのんびりできるなんて実は初めてなんだよね。

あ~~楽しみ! 

だけど有頂天の俺に反してエマさんは心底困った顔で俯いてしまう。


「それは困りました……」

「何か事情がおありですか?」


 しばらく言い淀んでいたエマさんが縋るような眼差しを向けてきた。


「実はどうしても近日中にヒノハル様にお会いしたいと頼まれておりまして……」


 随分とせっかちな司祭様のようだ。


「エマさんのご依頼ですから、なるべく都合はつけてあげたいのですが、実際のところ明日の午前中くらいしか時間は取れないのですよ」


 午後はクララ様と旅行の準備なのだ。

ブリッツにお似合いの雌馬も探してやらなくちゃいけない。

アイツは好みがうるさいので時間がかかる気がする。

お尻の形にやたらこだわるのだ。

あのフェチ馬め。


「明日の午前中にお時間をいただけるのならば丁度いいです! 無理をいって申し訳ございませんがよろしくお願いします」


 掲載して欲しい文章は既にできているそうなので、互いに質問を交わして疑問点を解消するだけになりそうだ。

それなら大して時間はかからないだろう。

 最近は記事を書きたいという宗教家が多くてちょっと困ってもいるんだよね。

記事を書いてくれたお礼に万年筆をプレゼントしていたのが悪かったのかな? 

日本で買えば一本2000円くらいの安価なものなんだけど、こちらの世界では超貴重な文房具になってしまうからね。

 明日のためにスキル「暗記」で話題となる部分の聖典を暗記しておくとしようか。

これをやっておくとわざわざ聖典を開いて確認しなくてもいいし、俺が敬虔な教徒であると勘違いしてくれて聖職者たちのウケが非常に良くなるのだ。

どの崇派にとっても聖典は大切な物のようだ。

 ついでに明日の買い物メモなどをまとめた備忘録も暗記しておこう。

メモを忘れたりなくしたりしたらいけないからね。


   ♢


 エマさんは翌朝9時ちょうどにアミダ商会のノッカーを叩いた。

本当に生真面目な人なのだ。


「おはようございますヒノハル様、お迎えに上がりました」

「おはようございます。あれ? ハンス君は?」


 普段なら従者のハンス君が馬車の御者台にいるはずなのだが、今日は見知らぬ男の人だ。


「ハンスは所用を言いつけておりまして本日は同行いたしません。それと、これはエマール神殿の馬車でして……、こちらの者は神殿の下男です」


 ペーテルゼン家の馬車じゃなくて、これから向かう神殿の馬車なのか。

久しぶりにハンス君にも会いたかったが用ならば仕方がない。

今度は旅のお土産でも持って遊びに行くとしよう。


 馬車は城門を抜け、東地区へと入っていった。


「この辺に来るのは初めてですね。兵舎は南地区だったし、あんまり用もないですしね。エマさんはよく来られるんですか?」

「いえ。それほどには……」


 今日のエマさんはいつもに増して緊張しているようだ。

ひょっとしてこれから会う神官さんは厳しくて怖い人なのかもしれない。

長老派の神官は文明の利器を嫌う傾向にあるから、印刷機のことで叱られたりしたら嫌だなぁ。

でも、コラムを掲載しようとしているのだからそんなことを怒ったりしないか。

車窓から見える街の景色を眺めながらぼんやりとそんなことを考えていた。


 俺たちがやってきたのはラインガ川沿いに建てられた小さな神殿だった。

門のところには寺男が二人も待機していて俺は丁寧に中へ通された。

案内された部屋はかなり狭い部屋だったけど紅茶やお菓子などを出してくれ、それなりに歓待されていることがわかってホッとする。

どうやら叱られることはなさそうだ。

司祭様はお勤めの最中だから、いらっしゃるまであと10分ほどかかるそうだ。

 ここは石造りの小さな部屋で広さは六畳もないだろう。

21インチのテレビくらいの小窓が一つだけあって、そこから太陽の光が差し込んでおり、外にはラインガ川の流れが見えた。


「エマさん、せっかくですから紅茶をいただきましょうよ。司祭様はまだ見えないようですし」

「はい……」


 エマさんは物憂げな表情のままティーカップを持ちあげる。

俺も同じようにカップに指をかけた。


「エマさん、ダメだ!」


 突然の大声にエマさんがビクリと体を震わせ、そのはずみで紅茶が少しだけ零れた。


「どうしたのですか?」

「カップを置いてください。これには痺れ薬が入っています」

「ええ!? そんな……」


 嘘ではない。

スキル「毒検知」が紅茶の中の薬物に反応していた。

どうやら俺は何らかの罠にかけられたようだ。

エマさんもオロオロとして自分のティーカップを見つめて震えている。

彼女も騙されたらしい。


 すぐに立ち上がり魔力を具現化して棒を作り出す。

クソッ! 

この狭い部屋も俺の棒を封じるためのものか!?


 脱出ルートを考えていた矢先に扉が開いた。


「さすがはヒノハルさんですわね。よく、紅茶の中の痺れ薬に気が付かれました。益々貴方が欲しくなってしまう」


 聞きたくもない聞きなれた声が響いてくる。

腹立たしいほどに美しい声……。


「ユリアーナ・ツェベライ。犯人はアンタか」


 護衛騎士ホイベルガーとその部下を従えたグローセルの聖女が廊下に立っていた。

ホイベルガーたちの装備は麻痺魔法が効きにくい皮鎧だ。

完全にこちらの手の内を読まれている。


「できれば傷つけたくはありません。抵抗しないでいただけるとありがたいのですが」

「それはできない相談だな。悪いがあがかせてもらうぜ」


 ユリアーナは軽く俯いて小さく笑った。

それはいかにも愉悦に満ちた笑いで腹が立つ。


「仕方がありませんね。押さえつけなさい」


 ホイベルガーたちが部屋に押し寄せてくると思って俺は身構えた。

ドアのところで応戦すれば囲まれることだけはないはずだ。

勝機はまだある。


 だけどそんな考えは甘かったのだ。

背中から誰かに抱き着かれたと思ったら、俺は膝を折られて床にうつぶせに倒されてしまう。


「エマさん……」

「ごめんなさい、ヒノハル様……私は……」


 そうしている間にホイベルガーたちが部屋になだれ込んできて俺は完全に拘束されてしまった。


「ようやくこの時が来ました」


 ユリアーナが頬を上気させて俺に近づいてくる。


「どうする気だ? 俺を……殺すのか?」

「殺すなんて滅相もありませんわ。私はヒノハル様を私のモノにしたいだけですもの」


 赤い舌が聖女の薄桃色の唇を舐め、そのまま俺の顔に迫ってくる。

キスをしてくるようなら噛みついてやろうかと思ったがいち早く俺の意図を察したホイベルガーに髪の毛を掴まれて固定されてしまった。

ユリアーナはゾクゾクと震えながら俺の頬を舐めた。


「まるで猛獣とキスしているみたい……。でも、それももうおしまいです。ヒノハル様には私だけの召喚獣になって頂くのですから」

「どういうことだ?」


 ユリアーナは懐から首輪のようなものを取り出した。


「ふふ……。クララ・アンスバッハよりも私の方がいいということをヒノハルさんの魂に上書きして差し上げますの……」


 ひやりとした感触がして首輪が巻かれたのが分かった。

そして……、


「カチッ」


 金具の閉まる音を最後に世界は闇に閉ざされた。

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