第144話 この匂いを忘れない

 フロアボスを撃破した俺たちは一度地上へ帰ることに決めた。

全員が心の中ではずっと帰還を待ち望んでいたのだ。

ポータルを使って毎晩アミダ商会には帰っていたが、ダンジョンにいるはずの俺たちが堂々と表を歩くこともできなかったし、それなりに窮屈な思いをしていた。

獣人たちにいたっては地下室から一歩も外に出ていない。

そろそろ太陽の光が恋しくてたまらないと思う。

 フロアを隅々まで探索しながらやってきたので往路は七日かかった。

だけど復路は最短距離を帰るだけなので一日あれば足りるはずだ。

魔物とのエンカウント次第だから確かなことは言えないが、それほど時間はかからないだろう。

出口へと向かうパーティー全員の顔が明るい。

かくいう俺だって顔がにやけてきてしまう。

だって、地上に戻ったらクララ様と旅行に行くことになっているんだよね。

二人きりのお泊り旅行だよ! 

ワクワクするなと言う方が無理だ。

昨晩、アミダ商会に戻って明日帰還するという話をした流れでそうなったのだ。

 クララ様の愛馬であるブリッツも最近は遠乗りに連れていってもらっていないからきっと喜ぶだろう。

俺もブリッツにお似合いの牝馬を借りて乗って行くつもりだ。

ダブルデートみたいなものだな。

スキル「乗馬」があるから馬に乗るのは問題ない。


「ヒノハル様、嬉しそうな顔をしているぞ……」


 緩んだ顔の俺を厳しい顔のラクが見つめていた。


「どうせ恋人の男爵様のことを考えていたんでしょう? エッチな顔をしていたもん」 


 猫人のレナーラは目つきも勘も鋭い。


「そ、そんなことないぞ。二人は地上に戻ったらどうするんだ? 給金も手に入るんだろう?」


 話題を強引に変えて二人に質問してみた。


「私はその金で西大陸行きの船に乗るんだ。それで故郷へ帰るつもり」

「そうか。じゃあ、レナーラとはこの探索が終わったらお別れか。せっかく仲良くなれたのに残念だな」

「ニャハハ。本当にねぇ。ヒノハル様が猫人と人間のハーフなら婿として故郷へ連れて帰りたいくらいだよ。犬人とのハーフじゃ長老に怒られちゃう」


 ハーフじゃないし……。


「ラクはどうするんだ?」

「俺は……」

「こいつも私と一緒に西大陸行きの船に乗るんだ」

「そうなのか。ラクは頼りになるから次の探索も一緒なら嬉しかったんだけど、そういう事情なら仕方がないなぁ」

「……」


 ラクは難しい顔をしたまま何も言わない。

もっともラクはいつだって難しい顔をしているんだけどさ。


「どうした?」

「こいつはずっと西大陸に帰りたがっていたんだけど、ヒノハル様を好きになっちゃったからねぇ」

「バカなことを言うな!」


 ラクは怒ったように声を荒げた。


「まあまあ。俺だってラクに会えなくなるのは寂しいよ。ダンジョンの中ってさ、死と隣り合わせの極限状態だろう。こういう場所でこそ人間の本質というのが行動に表れてくるんだよね。ラクはいつだって仲間を思い、慎重に賢く行動している。本当に信用できる仲間だよ」

「グルルルル……」


 褒めているのになんで牙を剝くかな。

尻尾は超ブンブンしているけど……。


「俺はヒノハル様とならもう一度ダンジョンに潜ってもいいと思っている……」


 ラクの言葉は心に染みた。

だけど俺は首を横に振る。


「ラク。そう言ってもらえるととても嬉しいよ。だけど俺は……ラクは西大陸へ帰るべきだと思う」


 ザクセンス王国は獣人たちが住むには過酷すぎるのだ。


「ラクが本当に幸せになるためにはどうしたらいいか、それを帰還するまでに考えた方がいいよ」

「うむ……」


 ラクは相変わらず難しい顔をしていた。


「それにさ、永遠の別れってわけでもないんだぜ。そのうちに俺も西大陸に行ってみたいと思っているからさ」


 俺がそういうとラクもレナーラも目を輝かせた。


「だったらブルーアイランドに来るといい! 私の故郷は猫人だらけの島なんだよ。美味しい魚くらいしか名物はないけどさ」

「俺の故郷のグアテラにも来てほしい。今度は俺がヒノハル様にコーヒーをご馳走しよう」


 それはとても楽しみなことだ。

新聞や聖典の発行が一段落したら、今度は蒸気エンジンを搭載した船の開発を試してみるのもいいなぁ。

吉岡も前々から造船に興味を持っていたからね。

その為の資金だって貯まりつつある。

 エメラルドに輝く波の上をラクたちの待つ港へ向けて走る船はどんな姿になるのだろうか。

俺は頭の中でまだ見ぬ西大陸の白い砂浜に思いを馳せた。


 その日の夕方、勇者パーティーはダンジョンのゲートに到着した。


「みんなお疲れ様! 怪我人もなく無事に戻ってこられて僕も嬉しいよ。次の探索は半月後くらいになると思うけど、可能な人はまた参加してね!」


 ゲイリーが挨拶をして、それぞれが家へと戻っていく。

そんな中、ラクが俺を軽くハグしてきた。


「ヒノハル様……ヒノハル様の匂いは絶対に忘れない」

「俺もだ。ラクの匂いをいつまでも覚えているよ」


 人間が誰かの顔や声を記憶するように、俺たちはそこに匂いというもう一つの記憶を刻み込める。

スキル「犬の鼻」を持てたことは俺にとっての僥倖(ぎょうこう)の極みだ。

最後に文字を覚えるための教材をプレゼントしてラクたちと別れた。


   ♢


 夕食が終わったら来るようにと言われていたのでクララ様の部屋を訪ねた。

最近は夕食後の一時はたいていの場合は一緒に過ごすのだが、今日は特別な用事があるらしい。


「どうしたのですか? なにか御用のあるような雰囲気でしたが?」

「30日が経ったのだ」


 30日? 

何かの記念日だったっけ? 

まずい……なんにも思い当たらないぞ。


「何の話……でしたっけ?」

「前回の耳掃除から30日が経過したのだ!」


 普段クールなクララ様がワクテカ顔で俺の手を取る。


「さあ、こちらのソファーへ。私の膝に頭を乗せるのです」


 少しひんやりとしたクララ様の手に誘(いざな)われて、膝枕をしてもらう形で寝かしつけられた。

クララ様は相変わらず耳掃除などが大好きなのだ。

クララ様にこんな性癖があるとは、本当に人は見かけによらないと思う。

 でもやりすぎは良くないと教えたら、30日に1回というルールをクララ様は自分に課した。

本当は1週間に1回はやりたくてがっかりしていた様子だったが、偶にやる方が大物がとれることがわかって、今ではこのサイクルに満足しているようだ。


「はじめよう!」


 クララ様が頭に俺の登山用のヘッドランプをセットして耳かきを持つ姿はちょっとシュールだ。

ライトで照らしながら耳掃除をするためにこんな格好をしているのだ。

今はLEDとマイクロカメラ付きの耳かきも売っているんだよね。

スマートフォンとかパソコンに画像を映しながら掃除ができるんだって。

中にはWi-Fiを使って無線で映し出せる製品もあるとか。

ダンジョン内で見つけてきたお宝よりもクララ様には喜ばれそうな気がする。

価格もネット通販で2000~3000円くらいと、お手軽に買えてしまう。

考えてみればこの世界でカメラ付き耳かきなんて、とんでもないマジックアイテムかもしれない。

次のプレゼントはこれで決まりだな。


 クララ様がヘッドランプのスイッチに指をあてたその時に、部屋のドアがノックされた。

俺は慌ててクララ様の膝から跳ね起きた。

ドアの向こうからビアンカさんの遠慮がちな声が響いた。


「失礼します。エマ・ペーテルゼン様がヒノハル様に御用があるとおみえです」


 エマさんが俺に? 

随分と珍しいことがあるものだ。

ひょっとしたらエステ関係で誰かに何かを頼まれたのかな?


「わかりました。すぐに行きますので居間の方へお通ししておいてください」


 クララ様はお預けをくらってちょっぴりご機嫌斜めだ。


「大丈夫、耳垢は逃げませんから。むしろ時間が経てばそれだけ貯まるのですから」


 苦笑交じりの言い訳だったがクララ様も納得してくれた。


「今夜はお風呂も用意してあるのだ。コウタのお土産のアカスリとやらも使おうではないか」


 顔を赤らめながら嬉しそうに言うクララ様が愛おしい。

この程度の性癖なら俺もとことんつきあうつもりだ。

部屋を出る前にキスを交わしてから二人そろってエマさんのところへ向かった。

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