第140話 禁断の薬

 四谷のアパートに戻ってスマートフォンの電源を入れると吉岡からのメッセージが入っていた。


――すでに活動を開始しております。晩御飯の時に会いましょう。今晩は寒いからザギンでグーフー?


 お前はいつの時代の業界人だよ? 

回復魔法のおかげで活動限界がやってこない賢者はアグレッシブに動き回っているようだ。

俺ものんびりしていられないな。

最初はアウトドアショップをまわって背負子しょいこを購入する予定だ。

これはポーターとして雇われているラクたちへ買って帰るのだ。

ラクたちが背負っているのは丈夫な樫材と分厚いリネンで作られた背負子だ。

重量もそれだけで5㎏以上もある。

アルミフレームと化繊をつかったこの世界の背負子なら重さは2㎏もない。

背中に当たる部分もクッション性に優れているから彼らの負担もかなり軽減されるだろう。

ついでに非常用のドライフードも買っておくか。

ポータルを使えばすぐにアミダ商会に戻ってくることはできるから荷物もそこにおいておけば楽なのだろう。

だけど、いつだってリスクヘッジはしておかなければならない。

俺が死なないという保障なんてどこにもないのだ。

ダンジョンの深い階層で俺が行動不能になればポータルも空間収納も使えない。

吉岡の召喚を繰り返せば食料の確保はできるかもしれないけど、1人で17人分の食料を持って世界を行き来するのは大変だ。

リアの魔力量にも限界がある。

誰か一人の能力に大きく依存する状態は避けるべきだった。


 四谷で一軒、新宿に出て三軒、知っているショップを巡り次々と背負子を購入していく。

店の在庫を買い占めていく勢いだ。

いくつもの背負子を買う俺に店員が笑顔でたずねてきた。


「お店としては嬉しいのですが、背負子ばっかりたくさん買うんですね」

「いや~、ボーイスカウトで急遽使うことになりまして」


 苦しいながらも言い訳は事前に考えてあった。

引率のリーダーのような爽やかな笑顔を作って華麗に誤魔化してみたけど大丈夫だよね?


 背負子を買うついでに各種のドライフーズや、お湯や水を注ぐだけで出来上がるアルファ米なども買っていく。

一昔前はアルファ米なんてまずくて食べられたもんじゃなかったけど、最近の製品は本当に美味しくなった。

白米だけじゃなくて牛飯とか五目飯、カレーピラフやチャーハンなどとレパートリーも豊富だ。

アウトドアのブームだけじゃなくて災害に対する備えとしても需要があるので製品のクオリティーが上がっているのかもしれない。

これらの食品は軽いから、いざという時の為に獣人たちに常備しておいてもらうことにしよう。

ラクたちは好き嫌いを言わずになんでも食べるけどお米は大丈夫だろうか? 

今度はそれぞれの好物をきちんと聞いといた方がいいな。

狼人族や猫人族は肉が好きそうだけど兎人族なんかもいるからなぁ。

でも、草食動物系の人たちも肉入りのシチューは食べていたか……。


 空間収納はまた成長して高さ60×横幅71×奥行97(cm)になった。

身体を折り曲げればなんとか自分も中に入れそうなくらい広くなっている。

12個の背負子を強引に詰め込んだ。


 新宿区荒木町は坂の多い町だ。

東京のど真ん中なのだが、地形がすり鉢状になっているので当然そうなる。

俺の住む四谷のアパートから徒歩10分もかからない距離にあるのだが、これまで訪れた経験は数えるほどしかない。

かつては芸者さんが行き交う花街であり、今でも町のあちらこちらにその風情をとどめている。

歴史の有りそうな料亭や味のあるカフェなどの飲食店が多く、今夜はその中の割烹を吉岡が予約しておいてくれた。

 ザクセンス料理は欧風よりの調理法が多いし、久しぶりに帰還したので和食が食べたいということで意見が一致したのだ。

ザギンでグーフーはまた今度だな。


 5月下旬であるザクセンスから真冬の日本に帰ってきたので寒さが骨身に染みた。


「こんな日はぬる燗からにしましょう」


 吉岡のすすめに従ってぬるめの日本酒で晩餐は始まった。

八畳ほどの個室だったので周囲を気にせずに話せるのがありがたい。

だって、ダンジョンとか獣人とかノルド教とかの単語を他人に聞かれるのは憚れるもん。

先付けに出された蟹身と小松菜の和え物に杯がすすむ。


「ラクたちの背負子はなんとか人数分揃えることができたよ」

「それは良かったです。あんな重たいもの実家の蔵にも残っていませんよ」


 吉岡の実家は川越の旧家だ。

蔵の中には古い道具も沢山眠っている。


「本当は他にもお土産を買って帰ろうと思ったんだけど何にしたらいいかわかんなくてさ。適当に肉とかお菓子にしてみた」

「これでまた獣人たちと先輩の結束が固くなりますね。ちょっと羨ましいです」


 獣人たちも吉岡たちに慣れてきたようだが、どこかよそよそしさが残っている。

だけど、俺に対してはそれがない。

やっぱり俺が犬っぽいからかな?


「他にどんな理由があるんですか? いいよなあ先輩は」


 吉岡としてはアルパカ族の少年と仲良くなってモフモフしたいようだ。

そういう邪な心を見透かされているんじゃないのか?


「そういえばさ、ここに来る前にサンチョ・パンサに寄ってきたんだ。これが目についたんで、つい買っちゃったよ」


 俺は空間収納から小さな黒い紙箱を取り出した。


「マタタビじゃないですか。あっ、ひょっとして猫族の人たちへのプレゼントですか?」

「そう! 喜んでくれると思って」


 だけど吉岡は複雑な表情で考え込んでしまう。


「なんかまずいか?」

「たしかに猫はマタタビを喜びます。マタタビに含まれている成分が猫の上顎にあるヤコブソン器官で感知されて、中枢神経を麻痺させることによって性的興奮を覚えるからです」


 あっ、それは非常にまずいかもしれない。


「猫によっては全然喜ばない子もいるんでしょうが……」


 日本の薬は異世界に持っていくと異様なくらいによく効く。

ひょっとするとマタタビはとんでもない催淫剤になってしまうかもしれないな。

猫人族のレナーラに渡したら楽しく酔っぱらってくれるかと思ったのだが、俺の考えが足りなかったようだ。


「マタタビは封印しておくよ」

「それがいいと思います」


 いいお土産になるかと思ったが残念だ。

俺はポケットにマタタビの小さな箱をねじ込んだ。


 店を出ると21時40分だった。

俺は22時半に再召喚されることになっているので時間的には一時間弱の余裕がある。

今回、吉岡はこのまま日本に留まる。

俺と違って吉岡はリアに召喚されるのでいつでもダンジョンの中に呼び出すことができるのだ。

一応明日の十六時に呼び出すということが決まっている。

その間は仕入れのために動いてくれることになっていた。




 狭間の小部屋へやって来ると、最初に|神の指先(ゴッドフィンガー)を使って血中のアルコールを分解した。

酔っぱらったままクララ様の前に出るのは気が引けるからね。

今夜は料理が美味しくて、ついつい日本酒を飲みすぎた。

故郷山形のお酒があって懐かしかったのもある。

手のツボをマッサージしながら魔力を送り込むと頭がしゃんとしてきたので、次はスキルカードを引いた。


スキル名 編み物(技の極致)

毛糸、絹糸、綿、竹、あらゆる繊維を編むことができるスキル。

貴方が編み物をすれば周囲の時間が止まります。

世界が停止していても貴方だけは編み続けることができるのです。

ただし他のことはできません。

編む速度は高速と神速の二種類から選べます。


高速:ボンヤリしたいときや考え事がある時に最適。自分は高速で動いているけど周囲の時間は止まっています。体感速度としてLサイズのセーターを一時間で編めるでしょう!


神速:編み上がりをイメージした瞬間に品物が完成しています。


 いずれの速度でも材料と道具は必要です。


 これまでの人生で編み物なんてしたことがない。

とりあえずクララ様に手袋でも編んであげようかな? 

ザクセンスでも毛糸は売っていたと思うからレベッカさんにでも頼んで買ってきてもらうとしよう。

編み物……。

編み物ねぇ……。

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