第141話 ネームプレート

 翌朝、俺はリアに手伝ってもらって買ったばかりの背負子(しょいこ)を運んだ。


「おはようみんな。目は覚めているかな?」


 犬人族の少年が元気に手を振ってくる。

猫人族は朝が弱いのか寝ぼけ眼だ。

「みんなそのまま聞いてくれ。ここに新しい背負子を用意した。今までのモノよりずっと丈夫で軽くできているから荷物を運ぶのも楽になるはずだ。一人一つずつ用意したから取りに来てくれ」


 群がる獣人たちにリアと二人で新しい背負子を配っていく。

受け取った獣人は予想外の軽さに驚いていた。


「全員受け取ったな。それじゃあ紐の長さを調節するからちょっと待っていてくれよ。リア、頼む」

「はい。女の子は私の方に来てください」


 リアと二人でアジャスターをスライドさせて体格に合わせて調節していく。

犬人族の少年が嬉しそうにやってきた。


「ヒノハル様、オイラの紐を調節してください!」

「うん。まずは肩紐の長さを調節しよう。それから腰紐、そして胸のベルトの順に合わせていくからな」

「はい!」


 この調整を怠るとせっかくの機能が十全に発揮されないのだ。


「どうだい? しっかりとフィットしてる?」

「はい。横揺れもしないし体全体で担いでるみたいでとても楽です!」


 犬人の少年は尻尾をブンブン振っている。

なんか親近感が湧くなぁ……。


「今日からこの背負子は君のだから、匂いを擦り付けておくといいよ」

「はい!」


 俺がそう言うと犬人の少年は本当に自分の身体を擦り付けていた。

ふと横を見るとラクも怖い顔をしながら首筋を背負子に擦り付けている。

君もやるんだね……。

気難しそうなラクの顔は怖かったけど、尻尾だけは嬉しそうにユッサユッサと揺れていた。


「全員調節は終わったかい? それじゃあ新しい背負子に荷物を移し替えてくれ」


 獣人たちはワイワイ言いながら荷物を詰め替え始めた。

小麦粉や水の入った革袋がメインとなる。

革袋だって重いから今度はポリタンクも買ってきたほうがいいな。


「ヒノハル様、古い背負子はどうしましょう?」


ラクが聞いてくる。


「とりあえず壁際に並べておいてくれ」


 獣人たちは邪魔にならないように部屋の隅に背負子を積み上げた。

これは俺たちが迷宮探索に出ている間にエッボにでも処分しておいてもらおう。


 突然獣人の言い争う声が上がった。


「これはオイラの背負子だぞ。匂いでわかるだろう!?」

「私は牛人だもん。犬人みたいに鼻は利かないんだよ!」


 牛人の女性が犬人少年の背負子を間違えて背負ってしまったようだ。

それぞれの体格に合わせて肩ひもや腰ひも、胸のベルトを細かく調整していたので犬人はすっかり自分の背負子に愛着を感じていたようだ。

俺が自分の匂いを擦り付けろなんて余計なことを言ってしまったので尚更だったのだろう。

ラクが諫めているけど険悪な雰囲気は収まらない。

ここは責任をとって俺が何とかしないと。


「そんなに怒るなよ。そうだ! 名札を書いてやる。そうすれば誰の背負子だか一発でわかるようになるぞ。まずはロンダからだ」

「名札?」


 近くに有った木の板にザクセンス文字で記名した。


「ロ・ン・ダ……と」


これに紐をつけて背負子にぶら下げておけばいいだろう。


「これがオイラの名前……」


 そうか、字が読めないのか。


「ああ。自分の名前だけでいいから憶えておくといい。これがロ、こっちがン、最後がダだ」


 名札を渡してやるとロンダは大事そうに両手で受け取って、じっと眺めていた。


「次はサーニャだな」


 同じように牛人のサーニャにも名札を作ってやる。

これで一件落着だ。

そう思っていたらラクがジッと俺を見つめているのに気が付いた。

なに? 

怖いんだけど……。


「ヒノハル様、俺の分も作ってはもらえないだろうか?」


 名札が欲しいの? 

怒ってるわけじゃないのね? 

それくらいならお安い御用だ。

サインペンで「ラク」と書いてやった。

二文字だけだから憶えるのも楽だろう。

うん、尻尾がブンブンだから嬉しいのは分かるけど、顔の方ももう少し嬉しそうにしてくれ。

ふと見ると俺の前に獣人たちが並んでいる。

全員名札が欲しいの? 

結局皆の名札を書くことになった。


「コウタさん、あれを」


 リアの指し示す先にラクがいた。

ベッドのところでしきりと手を動かしている。

ベッドメイクでもしているのか? 

いや、違った。

ラクはシーツを爪でなぞって何度も自分の名前を書く練習をしているのだった。

シーツに残る爪の痕を真剣に見つめるラクがいじらしい。

なんとも応援したい気持ちになってしまうではないか。


「ラク、これをやるから使ってみなよ」


 小さなメモ帳と水性ペンを渡してやる。

普段からラクは獣人たちをよく取りまとめてくれているので、これくらいのささやかなボーナスがあってもバチは当たらないだろう。


「……ありがとうございます。ですが、どうやって使っていいのかがわかりません」


 ラクのごつごつした手に水性ペンを握らせてやった。


「そうそう、そうやって持って、試しに線を引いてみなよ」


 ラクの指には鋭い爪がついているので持ちにくそうにしていたが、試行錯誤のうえなんとか縦線と横線を書き上げていく。


「慣れてきたら、名前を書く練習をすればいい」

「グルルル……」


 そうとう集中しているみたいで返事が唸り声になっているぞ。

何文字か書くうちに拙いながらもしっかりとした文字になってきた。


「いいじゃないか。そしたら表紙に自分の名前を書いてみて」


 ラクは言われた通りに大きな文字で、筆跡も鮮やかに「ラク」の二文字を書き上げた。

達筆とは言い難いが力強さと丁寧さを感じさせる良い字だ。


「上手く書けたね。これで、このメモ帳はラクの物だってはっきりとわかるようになったな」

「オレの……もの……」

「今度は練習用の文字表を持ってきてやるよ。それを見て文字の練習すればいい」


 フィーネが使った物が残っているので、そのままラクに渡してやればいいだろう。


「さあ、そろそろダンジョンに移動して朝食の用意だ。皆も腹が減ってきただろう? 今日はホウレン草の入ったスクランブルエッグだぞ」


 朝のご馳走に歓声が上がる中、ラクだけは手の中のメモ帳を無言で見つめ続けていた。

いつかラクも文字を覚えて使いこなせるようになるかもしれない。

そうなったら嬉しいな。

フィーネのために作った教材が再び役に立ちそうだ。

いっそのこと教材としてこれも印刷して、神殿に寄付しようかな? 

神官さんの中には無償で教区の子どもたちに文字や算数を教えている人もいるとランメルツさんが言っていた。

ついでにノートや鉛筆などの文房具を寄付すれば喜ばれるに違いない。



俺の中に新たな考えが浮かび上がる。

その昔、地球の紳士淑女たちは筆記用具にもお金を惜しまなかったそうだ。

文房具というものは現代においてもなお一部の人々を惹きつけてやまない。

というわけで次は万年筆を仕入れてきたらどうだろうか? 

ザクセンスでは未だに羽根ペンを使うのが主流だもんね。

きっと受けるような気がするんだ。

インクの色だっていろいろあるし、重厚なガラス瓶に入った色とりどりのインクは並べておくだけで気持ちをウキウキさせるものだ。

国産ならセーラー、プラチナ、パイロット。

外国ならモンブラン、パーカー、ペリカン、ウォーターマン、デルタにアウロラ、カランダッシュ。

売買金額は腕時計ほど高くはないにしても、アミダ商会の取扱商品は新しいものを取り入れて飽きられないようにしないとね。

さっそく吉岡に相談してみるか。

商品研究の為に俺も新しい万年筆を買ってみようかな。

書類をいっぱい書かなければいけないクララ様や、字を書くのが大好きなビアンカさんにプレゼントしたらとても喜びそうだ。

日本から帰ってきたばかりだというのに、もう新しい万年筆のことが気になって仕方がない。


「コウタさん?」


 きっと間抜けな浮かれ顔を晒していたのだろう。

リアが心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。

きちんと気持ちを切り替えてダンジョン探索に臨まないといけないな。

俺はまだ死にたくはないのだ。

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