第138話 純潔の乙女
五時半にアラームが鳴り目が覚めた。
窓の外はまだ暗いが商人の操る馬車が時折石畳に車輪の音を響かせている。
今日はダンジョン探索二日目だ。
一日中歩いたせいかよく寝ても疲れが取れていない。
|神の指先(ゴッドフィンガー)で体力を回復しながら、身支度を整えるべく洗面所に向かった。
アミダ商会は建物の屋上に給水タンクが設置してあって水道が張り巡らされているのだ。
ザクセンス王国の富裕層の間ではこのような給水システムが広く普及している。
貯水槽には雨水や川の水が利用されることが多いが、ここでは吉岡の魔法が大活躍だ。
バシャバシャと顔を洗い終わると横からタオルが差し出された。
「ありがとう」
てっきり吉岡が渡してくれたと思ったのでありがたく受け取って使った。
「おはよう。さっぱりしたか?」
声の主はクララ様だった。
「うわっ! 失礼しました。てっきり吉岡かと……」
クララ様は憮然とする。
「そんなに畏まるな。夫となる男の身支度を手伝うのは存外楽しいものだ」
そんなことを言われるとこちらまで照れてしまうではないか。
クララ様は少しためらいながら俺の髪の跳ねたところを手で直してくれた。
「朝食はこちらで食べていくのか?」
「いえ。ダンジョンで皆と食べないといけません。ポータルのことは内緒ですから」
「そうだったな。明日はもっと早起きをしてコーヒーを淹れておく。それくらいは付き合ってほしい……」
幸せ過ぎて本当に今が現実なのか心配になってくるほどだ。
俺はクララ様の頬に優しくキスをした。
扉を開けて地下室に入ると獣人たちはもう支度を整えていた。
「おはようございます騎士爵様」
「おはようラク。でも騎士爵様はいやだな。ヒノハルと呼んでくれた方がいいよ」
「さようですか……。では、ヒノハル様、全て準備は整っております。朝食はここで用意するのですか?」
仕事が早いな。
もう荷物などはまとめられていて、昨晩使った寝床もきちんと整えられている。
でも、ここで朝ご飯の支度をするわけにはいかない。
ここはダンジョンではなくアミダ商会の地下だから煙が籠ってしまうのだ。
「この空間の中で火を炊くことはできないんだ。ゲイリーたちの準備が整い次第ダンジョンに戻って朝食にしよう」
「承知いたしました。みなも聞いての通りだ」
獣人たちはウンウンと頷いている。
気のせいかな?
獣人たちが昨日よりずっと協力的になっている気がする。
同じ釜の飯を食った仲間という言葉があるが、一緒にご飯を食べて一緒に行動しているから仲間意識というのが芽生えてきたのかもしれない。
パーティーとしてはいいことだ。
「それじゃあよろしく頼むよ」
簡単な指示だけ出してゲイリーたちのところへ戻った。
扉が閉まるとレナーラがラクをからかい始めた。
「狼人が犬人の下につくのかい?」
ラクは僅かに鼻にしわを寄せる。
「あれは群のリーダーになれる男だ。優しい顔はしているが腕も立つ。それに犬と狼は親戚同士だ」
「ふーん。猫人の私にはよくわかんないや」
「俺はヒノハル様を上と認めた。ヒノハル様なら群れを飢えや怪我から守ってくれるだろう。それだけの話だ」
側にいた犬人族も尻尾を振りながら頷いている。
「つまりヒノハル様にならラクのお尻を差し出してもいいと?」
「バカ者! それとこれとは話が別だ。大体ヒノハル様は女人が好きなはずだ。どういうことかはわからんがヒノハル様からわずかに女の香りがしていた。あれはリア・ガイストやロゼッタ・ウルバーノの匂いではなかった……」
狼人族も鼻はよく利く。
クララの移り香をラクはしっかりと嗅ぎ分けていた。
「おそらく愛する人に貰ったお守りでもつけていたのだろう」
この場所をコウタの作り出した亜空間だと信じているラクはそう結論付けた。
「ふーん。そういえばヒノハル様はどなたかと婚約していると聞いたことがあったわね。それにしてもラクが人族をねぇ……。まあ、あの人は犬人族とのハーフっぽいけど。なんにせよ、私もヒノハル様は嫌いじゃないけどね」
「ならばこれ以上とやかく言うな。皆もすぐに朝食の用意ができるように準備しておこう」
獣人たちは今朝の食材を小分けにしながらヒノハルたちを待った。
ダンジョン探索を開始して五日が経過した。
毎日迷路のようになった通路をうろうろしているわけだが、歩いた総距離も80キロメートルは超えているだろう。
その間中ずっと火鼠を使っていたせいかスキル「式神」がレベルアップして地牛を使えるようになった。
スキル名
式神である地牛を使役できるようになる。
土と岩による防御壁をつくり出す牛。
簡単な命令を理解でき跨って乗ることも可能。
荷物の運搬もできるぞ。
レベルアップすると式神・
きたぁあああ!
結構便利そうだよね。
勇者パーティーの戦闘チームは強いんだけど、しょっちゅう爆風とかで石の破片とかがこちらに飛んできて困っていたのだ。
防御壁を作ればポーターチームに被害が及ばなくて済む。
それに発見される財宝が多くなってきて皆の荷物が増えていたところだ。
食料は消費されるけど財宝はそれ以上の重さになっている。
地牛が運んでくれるのなら、その分だけ運搬は楽になるし移動だって早くなる。
さっそく地牛を呼び出してみた。
「いでよ地牛!」
魔力を込めて式神を呼ぶと真っ白な牛が現れた。
染み一つなく神話に出てくるような綺麗な牛だ。
濡れた瞳が可愛らしい。
「まあ、この子は雌ですよ」
つい最近までエッバベルクで乳搾りのアルバイトをしていたリアらしい着眼点だ。
でもそれなら牛乳も取れるのだろうか?
それも検証してみなくてはな。
「地牛よ、防御壁を出してくれ」
地牛が軽く体をゆすると目の前に石と土でできた壁が現れた。
高さは120センチくらい、横幅は90センチ以上ありそうだ。
厚みも50センチ以上あって重厚な感じだ。
膝をつけば全身を隠すことができるだろう。
だけどこれでは俺一人しか隠れられないな。
「なあ、もっとたくさんの壁は作れないのかな? みんなが隠れられるといいんだけど」
地牛はブルブルッと体を震わせて、今度は7つの壁を作り出した。
一人一つというわけにはいかないが、身を寄せ合えば全員が何とか隠れられそうだ。
「偉いぞ。これなら充分役に立つ。レベルが上がればもっとたくさんの壁を作れるのかな?」
そう言いながら地牛の頭を撫でてやると、まるで「その通りだ」と言わんばかりに首を縦に振りながら蹄で軽く石の床を蹴っていた。
なかなか愛嬌のある奴だ。
だけど、乳を搾ろうとしたら「ブモォ」と鳴きながら拒否されてしまった。
ひょっとしたら出ないのかもしれない。
乳搾りに慣れているリアがやろうとしても嫌がって触らせなかった。
やっぱり式神と乳牛はちがうのだろうか。
「ひょっとしたらこの子は出産の経験がないのかもしれませんよ」
「あっ、そうか。子どもを産んだことがなければ牝牛でも乳はでないもんな」
リアに言われるまで気が付かなかったよ。
「ごめん、ごめん。お前は乙女だったわけだ」
謝ると、地牛は首を真っすぐに伸ばして「モォ~」と鳴いた。
俺の後ろで牛人族の女性がクスクスと笑っている。
「こいつがなんて言っているのかわかるの?」
「ええ。この牛は、自分の純潔はヒノハル様に捧げるのだと言っておりますよ」
「ええっ……」
「モテモテですね」
地牛は可愛いけどそういう趣味はないんだよ。
心の繋がりだけで満足しようね。
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