第136話 青いため息
荷物の中から薪が下ろされ、石の床に火が焚かれた。
ダンジョンは地下にあるので一年を通じて肌寒い。
その代わり地表ほど熱くも寒くもならないという特性があった。
「こんな地下で火を焚いて大丈夫なんですか?」
吉岡に言われて気が付いたがゲイリーは泰然とした笑みを崩さない。
「理由は分かんないけど大丈夫なんだよ。煙は壁や天井に吸い込まれていくんだ」
よく見ていると焚き火から立ち上る白い煙はダンジョンに吸い込まれていき、地上で焚き火をするよりも煙たくはならなかった。
「そんなことよりスモアセットを早く出してよ!」
ウキウキしたゲイリーに促されて空間収納からマシュマロ、チョコレート、グラハムクラッカーの三点を取り出す。
「これこれ、やっぱりキャンプの時はスモアがなくっちゃ!」
「キャンプじゃなくてダンジョン探索だろうが!」
「はっはっはっ」
俺のツッコミはゲイリーの軽い笑いで流された。
それにしても大きなマシュマロだ。
ロッキーマウンテンのメガマシュマロですか。
名前からしてビッグだよね。
袋の表面にちゃんとスモアの作り方もイラスト入りで書いてあった。
「みんな焚きつけ用の細い枝を一本ずつ手に持つんだ」
獣人たちは何が起こるのかわからないまま、言われた通り細い枝を手にした。
「そしたらマシュマロとチョコレート、それからグラハムクラッカーを受け取ってね」
俺とリアでスモアセットを配っていく。
全員に材料が行き渡ると指示通りマシュマロを枝にさして焚き火の周りに集まった。
「火に近づけすぎると黒焦げになるから気をつけるんだよ。少し火から離れた場所で表面にこんがりと焼き色がつくまで焙るんだ。いい感じに焼けたらチョコレートと一緒にクラッカーに挟んで出来上がりさっ!」
17人もの人間が二つの焚き火の周りでマシュマロを焼いている光景は何とも言い難い風景だった。
これが開けたキャンプ地ならばおかしくはないのだが、魔物が出てくるような不気味なダンジョンでは少々趣が異なる。
「できましたが、これでよいですか?」
狼人族のラクが最初にスモアを持ってきた。
「オッケー、オッケー。そしたらガブっと食べてごらん」
満面の笑みをこぼすゲイリーにラクは戸惑った。
「我々が食べるのですか? てっきり勇者様の分をおつくりしているのかと……」
「そんなわけないじゃん。これ以上食べたら太りすぎになっちゃうよ」
既に少し太りすぎだって。
その方がゲイリーらしい気もするけどさ。
「さあ、みんなも遠慮しないで食べてね。僕の故郷の味だよ」
ゲイリーに続いてリアも皆に声をかける。
「せっかくだからいただきましょう」
すぐ横のアルパカ族の少年を促しながら、率先して大きな口でスモアにかぶりついている。
そして、「あま~~いっ!」というしごく素直な感想を漏らしながら満面の笑みをたたえた。
そんな無邪気で可愛らしいリアの姿に、歳の若い獣人たちが遠慮がちながらスモアにかぶりつき、そこここで驚嘆の声が漏れだす。
俺も食べた。
美味しいけど口の中が甘々だ。
「吉岡、コーヒーを入れよう。さすがにこれだけだとキツイ」
「そうですね。道具を出してください」
アウトドア用の金属製カップもたくさん買ってきたので皆に一つずつ渡した。
これはダンジョン探索特典としてみんなにあげることにしよう。
「そのカップは君たちにプレゼントするから、それぞれで管理するんだよ」
獣人たちは渡されたカップを見つめている。
状況が飲み込めていないのか相変わらず反応は薄いのだが、年齢の低い獣人は少しだけ嬉しそうにしているのが分かった。
あれは犬人族だな。
犬人族は得てして単純な性格をしている者が多いらしい。
うん、難しい顔をしている者も尻尾はブンブン揺れている。
なんとなく親近感を覚える……。
「ラク、コーヒーは?」
「コーヒー……いただきます……」
ラクは甘いものが苦手のようで難しい顔をして口をモゴモゴさせていた。
こちらの世界でも彼らの故郷である西大陸でコーヒー豆は生産されている。
だから獣人たちはほとんどがコーヒーの味を知っている。
だけど、コーヒーは海を越えてやってくるのでザクセンスではとても高額だ。
ザクセンス在住の獣人では中々手が出ないのが実情だった。
コーヒーを注いでやるとラクは黒々と光る鼻から大きく匂いを吸い込んで僅かに表情を和らげた。
「……いい香りだ」
「今回は俺のいた世界のコーヒー豆だよ」
グアテマラ産のコーヒー豆だ。
「私の故郷の豆と同じ匂いがします」
ラクの故郷は南米辺りと気候が似ているのかもしれないな。
「俺のいた世界ではコーヒー豆を最初に焙煎したのは山火事だったって話だけど、ラクのところはどうだい?」
そう言うと、それまで眉間にしわばかり寄せていたラクの表情が更に少しだけ緩んだ。
「私の故郷でも同じです。山の神が火を放ってコーヒーを焼きました。先祖はその香りに誘われてコーヒーを淹れました」
こういう文化って世界が違っても一緒なんだな。
コーヒーのおかげで少しだけラクと話すことができた。
俺もいれたてのコーヒーを飲む。
口の中に残っていたカカオマスとマシュマロがコーヒーの熱に溶け出して、得も言われぬ芳香と味を伴って胃の中へ落ちていった。
王都ドレイスデン・グローセル地区。
ツェベライ伯爵邸におけるユリアーナの居室で部屋の主は下着姿のままソファに深々と腰掛けながら恍惚とした表情で一本の首輪に見とれていた。
だらしのない恰好なのだが、退廃的なその姿が妙に様になっている。
普段の楚々とした美しさは身を潜め、淫蕩な雰囲気さえ醸し出す少女はそれでも美しかった。
ユリアーナが手にしている首輪はサファイヤのような光沢をもち、青く半ば透き通っている。
だが宝石のように硬くはなく、なめし皮のようなしなやかな材質でできていた。
神殿の宝物庫に保管されるだけあって、この世の者には材質が何なのかさえ分からない。
ただ、膨大な魔力を秘めていることだけが窺い知れるだけだ。
「お嬢様、そろそろお着替えを済ませませんと……」
手にユリアーナの服を持ったままのカリーナがおずおずと声をかけた。
最近のユリアーナは暇さえあればこの首輪を眺めて、ヒノハルとの未来を夢想している。
ユリアーナにとっての至福の時間を邪魔するのは憚られたが、午後はツェベライ伯爵と一緒に出掛けることが決まっていた。
殿方を焦らすのがレディーの特権だったとしても限度というものがある。
「お嬢様、伯爵様を長くお待たせするわけには……」
再度声をかけると、ユリアーナはようやく首輪から視線を外した。
「わかっているわ。お父様と暮らすのもあと僅かですから、少々の親孝行はしておかなければいけませんものね」
ユリアーナはヒノハルを連れて西大陸へ移住する計画を立てている。
ザクセンスにいてはアンズバッハ男爵やヨシオカ騎士爵にコウタを奪還される恐れがあったからだ。
新たな土地でゼロからのスタートこそ二人の門出に相応しいとユリアーナは勝手に考えていた。
既に土地や屋敷も購入済みで財産のいくらかも移動させてあったし、もしも西大陸が肌に合わなければ別の場所へ行けばいいだけだという気もしている。
断罪盗賊団が蓄えた金は大貴族の所有財産にも匹敵しているほどだ。
どこへ行ったとしても暮らしに困ることだけはない。
なんならばヒノハルと二人で漂泊の生き方をするのも悪くない。
むしろ旅から旅へという生活こそ二人にとっては相応しい生き方かもしれないなどとユリアーナは思った。
姿見の前に立ち、カリーナに服をつけてもらいながら自分の身体をチェックした。
染み一つない肌と抜群のプロポーションに、きっとヒノハルを満足させることができるという確信が深まる。
クララ・アンスバッハなら絶対にしてやらないだろうということだって私にはできるとユリアーナは思った。
そう、ヒノハル・コウタのためなら私は何だってできる。
聖女だろうが娼婦だろうが淑女だろうが淫乱だろうが、彼の望むままにこの身を変えられる自信があった。
そして今度こそはヒノハルに自分を受け入れさせるのだ。
ドレイスデンの城壁の上でヒノハルに言われた言葉をユリアーナはいつも思い出す。
「アンタなんか大嫌いだ」
最大の屈辱をもって恋に落ちた瞬間だった。
腰に巻く帯の内側に首輪を落ちないようにつけてから装着した。
このようにしてユリアーナは調教の首輪を肌身離さずに持ち歩くのが習慣になっている。
少しでも離れると言いようもない不安に苛まれてしまうのだ。
「一刻も早くヒノハルさんにご帰還いただかないと私の神経が参ってしまいますわ……」
日野春公太はまだダンジョン探索に出立したばかりだった。
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