第124話 その毒が心に染み入るまで

 フィーネをカッテンストロクトまで送り届けてご両親に挨拶した。


「ヒノハルさん、いつも娘がお世話になっております」


ご両親は俺のことも温かく迎え入れてくれ、ドレイスデンでのフィーネの様子を聞きたがった。

だからフィーネがクララ様の従者としてよくやってくれていることや、王都警備隊の武芸披露会・弓術の部で二位になったことなどを話して聞かせた。

そのたびにフィーネの家族は信じられないといった眼差しで自分たちの娘を見るのだった。


「姉ちゃんが軍服を着ているなんて……なんか夢を見てるみたいだ」


フィーネはこの日のために真新しい軍服を用意し、武芸披露会でもらった青いスカーフをつけていた。カッテンストロクトへ入る直前に森の中で着替えたのは皆には内緒だ。


「へへっ、わかったでしょう。私はしっかりとお勤めをしてるんですからね」


フィーネは偉そうに胸を張った。



 家族水入らずの時間を邪魔するのも無粋なので俺はそろそろお暇(いとま)することにした。

ご両親は俺にも泊っていけと言ってくれたが、夕飯までにはドレイスデンに帰るとクララ様と約束していたのだ。


「俺はポータルでドレイスデンに戻るよ」

「そういえばコウタさんにはそれがあったんだよね」

「うん。遅くなるとクララ様が心配するからね」

「道理で気前よくカッテンストロクトへ3日も滞在していいなんて言うわけだ」


フィーネは「へっ」と肩をすくめてみせた。

その様子が可愛くて頭を撫でたくなったがぐっと堪えた。

相手はちびっこではあるがれっきとした18歳の女の子なのだ。

むやみに頭を撫でていい歳ではない。


「まあ、私のことなんて気にせずに行ってきなよ。クララ様に恨まれても困るしね」


憎まれ口を叩いてはいるがフィーネは屈託のない笑顔だった。

俺はふと思いつく。


「フィーネも一緒に来るか? 何だったらご家族一緒でも大丈夫だぞ」

「ほえ?」


ポータルは最大四人の同行者が転送可能だ。

ご家族にドレイスデン見物をしてもらうくらい余裕だった。


「ほ、ほんとにいいの?」

「おう」


フィーネがわなわな震え出した。


「お、お父さん! お母さん!」


ご両親と弟はさっきから俺たちの会話をわけがわからないといった顔で眺めていた。


「どういうことなんだいフィーネ?」


訝しがるお父さんにフィーネがポータルの説明をした。


「それじゃあ、今からドレイスデンにいけるってわけ!?」


若く、頭が柔軟な弟が一番に理解したようだ。


「そうよ! いく? 行くよね!? こんな機会、二度とないと思うよ」


フィーネは急かすがご両親は半信半疑だ。


「本当にドレイスデンまで行けるのかい?」


お母さんがとても信じられないという顔でフィーネに聞いている。


「ヒノハルさんがそんなすごい魔法を? もしそうならヒノハル様も貴族なのでは?」

「あ、こんど騎士爵になります。領地なしの貴族ですけどね」


俺はつとめて気軽な感じに言ったのだが、その瞬間からご両親は恐縮してしまった。


「大変ご無礼をいたしました!」

「まだ正式に叙任されたわけではありませんし、私はフィーネの同僚でもあります。そんなに畏まらないでください」


そう言っていくらか緊張は解いてもらった。

フィーネが変わらず俺と打ち解けた感じで喋っていたのが良かったようで、そのうちに俺への態度も少しずつ普段通りに戻っていった。


「それよりも早く着替えてよ。今夜は私が貯金したお金で王都のレストランへ連れていってあげるんだから!」


親孝行ができるということで張り切っているようだった。


 顔を洗え、服を着替えろ、髪をとかせとフィーネが意気揚々と指示を出し、バルト一家(フィーネの実家)があたふたと準備をしている間に俺は一度ドレイスデンに戻ってきた。


「ただいま戻りました」


うまい具合にクララ様たちは全員が居間にそろっていた。

吉岡をはじめバッハ君とハンス君もいる。


「おかえりコウタ。思っていたより早かったではないか」


嬉しそうに出迎えてくれたクララ様に、フィーネをカッテンストロクトへ送り届けたこと、これからフィーネの家族がドレイスデンへやってくることなどを説明した。


「ビアンカさん、とりあえず四人分のお茶の追加をお願いします」

「承知いたしました。ですが、この居間では椅子が足りませんね」


ビアンカさんの言う通り三階の居間では全員が座れない。


「だったら一階の店舗へ移動しましょう」


アミダ商会の店舗部分は改装も終わり、あとは開店を待つばかりになっているのだ。


 全員が三階からそれぞれのティーカップを手にもってわらわらと階段を下った。

俺の目の前ではハンス君がティーカップとビスケットを盛った大皿を両手に持っている。


「ハンス君、エマさんは来てないの?」

「お嬢様なら聖女様のところです。ユリアーナ・ツェベライ様からお茶会に招かれたんですよ」


エマさんは聖女のファンだからさぞ喜んだことだろう。

ユリアーナの意識が俺ではなくエマさんに向いているのなら、それは喜ばしいことだ。

相手はヤンデレ聖女とはいえエマさんがそれを気に入っているのだから問題はない……と思う。

幾ばくかのうしろめたさを感じながらも俺はほっと胸をなでおろした。


□□□□□


 ユリアーナの居間に通されたエマはフワフワとした足取りで品のいい調度を眺めていた。

緊張と感激のためにまともな思考ができなくなっている。

ずっと憧れていたグローセルの聖女の私室に通されているのだ。

無理もあるまい。


「本日はお招きいただきありがとうございます」


掠れた声で挨拶するエマにユリアーナは誰もが愛さずにはいられないような笑顔を差し向けた。


「よくいらしてくださいました。さあ、こちらに座って」


聖女の白く美しい手がエマの手を取る。

そんな軽いスキンシップだけでエマの脳は沸騰していた。

エマを二人掛けのソファへと導きユリアーナもすぐ隣へと座る。


「紅茶にはミルクをお入れになりますか?」

「はい」

「お砂糖は? 私はいつも二つ入れてしまいます。甘いのが好きなのです」


清純な蕾が妖艶な花を咲かせたような微笑み。

王都一美しい花がエマの横で花弁を開く。


「私はずっとエマさんとお友だちになりたいと思っていましたの」


匂い立つ絢爛な花の毒がエマを蝕んでいた。

聖女に魅了されたエマは内から込み上げる悦びに身を震わせるのだった。


 頬を紅潮させ催眠術にかかったようにエマはうっとりとユリアーナを見ている。

まともな思考は放棄し、ただ質問されたことに一生懸命答えるエマがいた。


「では、ヒノハルさんがクララ・アンスバッハ様の召喚獣というのは本当のことなのですね」

「はい。クララ様が召喚術式を展開され、魔法陣の中からヒノハル殿が現れる姿を何度も目にしています」

「他にヒノハルさんを召喚できる人はいますか?」

「知りません。おそらくクララ様だけかと」


リアもヒノハルを召喚できるのだがエマは知らない。

エマとはしゃいでいる風を装いながらユリアーナは冷徹に思考を巡らせていた。

このままエマ・ペーテルゼンを使ってクララを毒殺することは容易いかもしれない。

しかし、一つの懸念がユリアーナを躊躇わせる。

すなわち、クララ・アンスバッハが死亡した際に日野春公太が元いた世界に帰り、再び召喚することができなくなってしまう可能性だ。

面倒なことになったと思うと同時に、ユリアーナは突き付けられた障害に心が沸き立つのを感じていた。

聖女は行く手を阻む壁が高ければ高いほど興奮するタイプの人間だった。


 ノルド教本部の地下宝物庫に召喚獣を捕らえるための「調教の首輪」という邪法のアイテムがあることをユリアーナは聞いたことがある。

そのアイテムさえあれば召喚獣の魔法的リンクを遮断し、捕獲者の思うがままにできるそうだ。

この首輪さえあれば危険を冒してクララを殺害するまでもない。

あの女は再召喚が必要となったときのための保険として生かしておけばいい。

いや、むしろあの女に私とヒノハルさんが仲睦まじく暮らすところを見せつけることこそ必要なのではないか。

ユリアーナの方針はついに固まった。

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