第122話 スイート ペイン

 アミダ商会の自室で旅装束(たびしょうぞく)に着替えているとレオが俺を訪ねてきた。

レオ・シュナイダーはローマンブルクで正式にクララ様の家臣となった仲間だ。


「曹長、じゃなくてヒノハル様、河川通行許可証がおりましたよ」


レオは軍人時代の名残で俺のこともつい階級で呼んでしまう。

五日後には正式に騎士爵へ叙任されるのでもう曹長ではないのだ。


「ありがとうレオ。これでラインガ川が使えるよ」


 俺はこれからエッバベルクまで行く予定だ。

今後のことを考えてエッバベルクのアンスバッハ邸にポータルを取り付けるつもりでいるのだ。

ポータルさえあればクララ様も気軽に領地へ帰れるからね。

しかも新領地はエッバベルクとは離れた場所になると聞いている。

各ポイントを繋いでおけば領地経営は格段にはかどるだろう。

ポータルの数も2個から3個に増えた。

スキルを使用し続ければ更に数は増えるだろう。

今のところホームはアミダ商会に、ポータルはゲイリーの故郷であるソルトレイクに設置したままになっている。

あと二つ余裕があるので一つはエッバベルクに、もう一つはクララ様の新領地へ設置してしまおう。


 エッバベルクへ行くついでにフィーネと合流できれば一緒に連れ帰る予定でもある。

せっかくクララ様が男爵になるのだから苦楽を共にした仲間として一緒にお祝いがしたい。

俺はハムハムと嬉しそうに御馳走を頬張るフィーネを見るのが好きなのだ。


 河川通行許可証が下りたのでラインガ川の上をバイクで通行できるようになった。

一日400キロ弱くらいを走れば四日から五日で到着できるはずだ。


「ヒノハル様、本当にあのバイクという乗り物は水の上を走れるのですか?」

「うん。バイクに水上を走る機能があるわけじゃないけどね」


スキル「水上歩行」を使ってバーデン湖まではラインガ川の水面を走行するつもりでいる。

その方が障害物はないし、ラインガ川はゆったりとした流れなので路面もたいらで走りやすい。




 俺の出立にバッハ君やエマさんも見送りに来てくれた。

初めて見るバイクに異様な興奮を示すバッハ君とは対照的にエマさんは浮かない顔をしている。

エマさんは魔道具の発展をよく思わない長老派の信徒だ。


「やはり、バイクに抵抗がありますか?」


俺の言葉にエマさんは口ごもる。


「いえ……」


ひょっとしたら長老派の考え方を俺が否定しているとでも思っているかもしれない。


「エマさん。時空神やセラフェイム様の御心は私にはわかりません。ですが、私は長老派の考え方を真っ向から否定するものでもないのですよ」


エマさんはびっくりしたように俺の顔を見た。


「今回のローマンブルク防衛作戦で私はたくさんの人間が魔道砲によって傷つき、死んでいく姿を見ました。あれは間違いなく魔道具の発展がもたらした悲しい歴史の一面です」


そのほかにも俺の故郷がバイクや自動車の出す排気ガスによって環境破壊が起きていることも教えてあげた。

その一方で技術の革新が食糧事情をよくし、人間の寿命を飛躍的に延ばしている事実も説明した。


「結局、バランスなのだと思うのです。セラフェイム様はいろんな意見がたたかわされ集約されることを望んでいるような気がします。そのための新聞なのだと私は解釈しています」

「ヒノハル殿……」

「もっとも神様を解釈するなんて人間には不可能だとも考えていますけどね。何をお考えになっているかはわかりません。それでも私はセラフェイム様の依頼を果たすつもりですよ」


俺の目を見るエマさんの怯えがいつの間にか消えていた。

そういえばずっとエマさんは俺を怖がっていたような気がする。

ひょっとしたら俺は彼女の信仰を揺るがす存在だったのかもしれない。


「帰ってきたら長老派の考え方を詳しく教えてください」

「はい」

いつになく優しい笑顔がエマさんの口元に零れた。


□□□□□


 風の下月(五月)も二十日を過ぎて今日は汗ばむくらいの陽気だ。

フィーネは軍服の一番上のボタンを外して空気を胸に入れた。

王都ドレイスデンを出発して二十日が過ぎている。

ずっと朝から晩まで駅馬車に揺られる毎日だ。

コウタが持たせてくれた低反発クッションなるものが無かったら、お尻が痛くて音を上げていたかもしれないとフィーネは考えている。


 駅馬車の退屈を慰めるようにコウタさんからもらったキャンディーの包み紙をほどいて、薄いピンク色の飴を口に入れた。

このイチゴミルクの飴も残りわずかだけど今は気にしないことにした。

飴はなめれば溶けるものだし、溶けてくれなきゃ美味しくない。

これが世に言う「甘い痛み」というものなのだろう。

三角形の飴を口の中でコロコロと転がしながら気持ちよく晴れた青空を見上げた。

風の下月にはイチゴミルクがよく似合う。

そんなフィーネ理論が頭に浮かび、自分の身勝手さになんだか可笑しくなってしまった。

きっと春も夏も秋も冬もイチゴミルクはいつだって美味しいのだろう。

だけど「風の下月 イチゴミルク最高説」はあながち間違ってないと思うんだよね。

暑くも寒くもないし、新緑はきれいだし、風は気持ちいいし、口の中は甘酸っぱいし本当に楽しい気分になるんだもん。

でもそろそろ馬車の旅もうんざりしていた。

運賃を度外視して四頭立ての駅馬車を乗り継いでいるので移動速度は来た時よりもずっと速い。

明日にはブレーマンについてしまう予定だ。

ブレーマンからは街道を外れてしまうので駅馬車には乗れないけど、三日も歩けば生まれ故郷のカッテンストロクトだ。

村の皆は私のきりりとした軍服姿にびっくりするだろうな。

これを着てブーツを履いていると若干背が伸びたように見える。

家族も立派になったと褒めてくれるだろう。

もう少しで家に帰れると思うと懐かしさがこみあげてくるのだが、同時にクララ様たちは無事だろうかと不安も湧き上がる。

補給部隊とはいえ前線に向かうのであれば危険は常につきものだ。

コウタさんやアキトさんもいるのだから心配はないとは分かっている。

でも、わかっていてなお不安だった。


「ガリッ」


しまった。

抑えきれない動揺を噛み殺そうとしてイチゴミルクを噛んでしまった。

残り少ないからゆっくり最後まで舐めようと思っていたのに……。

大きくため息をついた私の耳が異音を捉えた。

まさか……。

まさか、まさか! 

思わず馬車の窓を開けて頭を出した。

だって間違いようがないよ。

あの音は絶対にコウタさんのバイクの音だ!

青空の下でライムグリーンのその車体は車輪の付いたバッタのように見える。

私は自分の小さな体を精一杯伸ばして手を振った。


□□□□□


 ドレイスデン、グローセル地区、ツェベライ伯爵邸におけるユリアーナの居間。

 その日、ユリアーナは精いっぱいのおめかしをしていた。

もちろん愛しの日野春公太に会いに行くためだ。

コウタは近く騎士爵へ叙任されるときいたのでそのお祝いを伝え、そのあとで食事に誘うつもりでもあった。

ユリアーナとしてはこれで自分とヒノハルが付き合うための障害がすべて取り除かれたと考えている。

困ったことにコウタの気持ちは少しも考えていない。


「ねえカリーナ、これで私たちは晴れて正式にお付き合いができると思うの。そのためにもヒノハルさんにはもっと私のことを知っていただかなければならないわ」


おつき侍女のカリーナはわずかに首をかしげた。


「ですが、ヒノハル様はお忙しそうでいらっしゃいました。どういたしましょう?」

「あら、ヒノハル様は軍をお辞めになったのでしょう? それでしたらもうお時間は充分にあるのではなくて?」

「確かに。それでは、水遊びにお誘いあそばしたらいかがでしょうか? 今日は少し暑いくらいの陽気です。きっと楽しんでいただけるのではないでしょうか」

「カリーナ、素晴らしい考えですわ。私、水辺で少しスカートをたくし上げて足をお見せしてしまおうかしら」

「まあ……お嬢様ったら破廉恥な。色仕掛けなんて」

「うふふ、カリーナったら焼きもちかしら? 貴方も一緒にすればいいじゃないの」

「お嬢様……」

「やらないの?」

「やります」


二人が楽しく本日の予定を組み立てていると家庭教師のラーラが入ってきた。


「お嬢様、申し上げにくいことですがヒノハル様は先ほど北方に向けて旅立たれたようです。ヒノハル様を見張っていた者が報告を入れてきました」


途端にユリアーナの顔が能面のように凍り付いた。


「どういうこと?」


ラーラは怯えたように説明を始めた。


「どうやらクララ・アンスバッハ様のご領地であるエッバベルクへと向かったようです」

「あの女はもはやヒノハルさんの主ではない筈です!!」


ユリアーナの端正な顔が嫉妬と憎悪に歪んでいた。


「ヒノハルさんは国の騎士爵に任命される方、そうなればあの者が従者にしておくことなどできない筈。それを部下のようにこき使うなど言語道断のことではないですか。いったいあの女はどういうつもりでこのようなことをしているのか……」


ユリアーナはブツブツと独り言を続けた。

そして何事かをさんざん喋った挙句に今度は急に無言になってしまった。

心配になったラーラがユリアーナに問いかける。


「お嬢様……大丈夫ですか?」


その問いかけにも答えず更に沈黙を続けた後に、ユリアーナはやおら口を開いた。


「クララ・アンスバッハを殺してしまいましょう」

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