第103話 出発前夜

 買い物を終えて吉岡と合流して夕食にした。

今晩のメニューは串揚げだ。

牛肉のロースや里芋、海老、ふぐ、などの揚げ物が絶妙なタイミングで出てくる。

根菜のサラダも美味しい。

飲み物は吉岡チョイスで赤ワインだった。

俺としては揚げ物にはビールなんだけど、ワインも美味しいね。


「そういえば先輩の転送ポータルって世界の壁は跨げないんですか?」

「試したけどダメだったよ」


スキル「転送ポータル」は任意の場所を繋ぎ、移動ができる能力だ。

ホームを俺のアパートに、ポータルを兵舎に設置してある。

通勤が1秒で終わるので大変便利だ。

しかもポータルの設置場所はクララ様の私室につながる控え部屋なので、クララ様を連れ出す際に誰にも見られないという特典つきだ。

最近、二人の関係が兵士たちの噂にのぼり始めたので丁度良かったとも言える。

吉岡に言われたことは俺もずっと気になっていたので、こちらに送還された時にすぐ試してみた。

結果は前述の通りだ。

ポータル自体は設置できるのだがホームに帰ることが出来ない。

おそらくだが、ホームもポータルも共に地球上にある場合はきちんと機能するのだと思う。

日本からニューヨークに飛ぶことだって可能だろう。

だけど日本からザクセンス王国というのは無理なようだった。


「召喚に頼らずに世界を行き来出来たら便利だったんですけどね」

「そうなんだよ。もしクララ様に何かあった時のことを考えるとな……」


俺が日本にいる時にクララ様が召喚魔法を使える状態ではなくなったらと思うと居たたまれない気持ちになる。

下手をすれば一生離れ離れだ。

リアが俺のことを召喚してくれれば何とかなるとは思うけど……。


「でも、諦めない方がいいかもしれませんよ」

「どういうこと?」

「ほら、スキルは成長するじゃないですか」


なるほど。

スキルが成長すればポータルの数が増えると単純に思っていたけど、能力が上がって世界の壁を越えていけるようになるかもしれないわけだ。


「そうだな。頑張って使い続けてみるよ」



スキル名 水作成(超初級)

一日に1リットルまでの水を作り出すことが可能になる。


久しぶりに地味なスキルがきたな。

でも、使い勝手はよさそうだ。

ザクセンスでは水道はほとんどないし、蛇口をひねれば水が出てくる日本とは大違いだ。

いちいち井戸から汲み上げなくてはならないので手がかかるのだ。

ちょっと手を洗うのだって大変だ。

1リットルって飲み水としては多いけど、生活用水としては全然足りないよな。

顔や皿を洗っいてればすぐになくなってしまうと思う。

これも使用しているうちに生み出せる量が多くなっていくのだろう。

「気象予測」以上の頻度で使いそうなのでレベルはすぐに上がると思う。



 今回の補給部隊の総勢は112人になる。

30台の馬車には食料、魔導砲二門、粉末魔石、兵士用装備などが満載されている。

これに神官が一名と酒保(しゅほ)の馬車が一台随行する。

酒保とは軍から委託を受けた商人で、主に兵隊用の生活雑貨や酒を売るのが仕事だ。

店主はマクダさんという大柄な四十女で、大変元気の良い肝っ玉母ちゃんだ。

兵士の中には公然と「おっかさん」と呼ぶ者もいるくらいの見た目をしている。

本人もそんなことは気にならないようで、むしろ親しく呼ばれて喜んでいるようにさえ見える。

当たり前のように兵士たちと陽気にしゃべり、時には叱りつけたりなんかもする。

 従軍神官はウド・ランメルツという名前の助祭で、21歳だそうだ。

長老派とか開明派とかのごたごたを心配したが、ランメルツさんはエベン派だと自己紹介した。

たしか技師のバッハ君もエベン派だったな。

エベン派というのはかいつまんで言ってしまえば、長老派も開明派も仲良くやりましょうよ的な、中道ど真ん中な教えらしい。

信者はとても多く、現在の法王もエベン派だそうだ。

俺としては柔軟な姿勢というのは好みなのだが、この派閥の高位神官は汚職に塗れていることが多いらしい。

融通が利くというのは時に癒着を生み、不正の温床になってしまうのかもしれないな。

長老派のエマさんに言わせるとエベン派など堕落した教えであり、教義とはもっと厳しいものであるべきだという。


「まあ、開明派よりは100倍マシですけどね」


と最後に付け加えていたので対立する心配はなさそうだ。


 明日はいよいよローマンブルクに向けて出発になる。

同行する人々との打ち合わせや積み荷の確認もようやく終わった。

暫くドレイスデンを離れるので、エマさんは実家に帰っていった。

今日ぐらいはペーテルゼン男爵の家でのんびりするそうだ。

フィーネも既にエッバベルクに向けて旅立っている。

吉岡はビアンカさんとアミダ商会だ。

執務室では俺とクララ様が最後の書類づくりに追われていた。


「コーヒーでも淹れましょう。少しお休みください」

「うん。濃い目のカフェオレを小さなカップで頼む」


陽は沈みかけて部屋の中は少し暗くなっている。

ヤカンから立ち上る湯気がシュンシュンと音をたてた。

空間収納から取り出した容器を開けるとコーヒーの香りが部屋に広がっていく。


「いい香りだ……」


クララ様が眼を閉じて大きく息をついている。


「今晩はどうやって過ごすのだ?」


眼を閉じたままのクララ様が聞いてくる。


「そうですね、明日からずっと行軍が続きますから、今晩はお風呂にでも入ってのんびりと寛ごうかと考えています」


ずっと前に風呂用のビニールプールを買ってきたのだが一度も使わずに放置してある。

吉岡がいないと水汲みもお湯を作るのも大変なので結局そのままだった。

プールの縁までお湯で満たすことは大変だが半分くらいなら井戸と部屋を四往復すれば充分だ。

18リットルの赤いポリタンクを二つ、両手に持って頑張ればなんとかなる! 

お湯は手持ちのガスコンロが4台あるし、炊事場の竈も使えば行けると思う。


「風呂か……」


リクエスト通りに少し濃い目のカフェオレを作った。


「お砂糖は入れますか?」

「うん。自分でやる」


ティースプーン一杯の砂糖がコーヒーカップの中に溶けていく。


「コウタは優雅だな。下級貴族では風呂に入ることだってままならないのに」

「クララ様もお入りになりますか?」


ごく軽い感じで聞いてみる。

兵舎ではお湯で身体を拭くくらいだそうだからきっと気持ちがいいだろう。

ガウンもあるからヘッドスパをしてあげてもいいな。


「……よいのか?」

「勿論です。お着換えだけ持っておいで下されば結構ですよ」


クララ様が一気にカフェオレを飲み干す。

ミルクは多めだったけど熱くなかったですか?


「そうか……。うん。一度コウタの髪を洗ってみたかったのだ!」


え? 

クララ様が嬉しそうに胸の前で手を合わせている。


「ふふっ、綺麗にしてやるからな。そうだ、これから少し手合わせをしないか? たくさん汗をかいた方が洗い甲斐があるというものだ!」


人間には隠れた性癖というものがある。

これはクララ様も例外ではない。

そしてクララ様は俺の爪を切ったり、耳掃除をしたりするのが大好きらしいのだ。

特に耳掃除には執着があるらしく、「10日後に私がまた綺麗にするからそれまで自分で掃除するのは絶対に禁止だ」と言われてしまった。

大きいのが取れるのが嬉しいらしい。


「汗臭い頭に触られるのは恥ずかしいのですが……」

「私は好きなのだ。……ダメか?」


そんな風に顔を赤らめて悲しそうな顔をされると断れなくなってしまう。


「あ~、お手柔らかにお願いします」

「うん!」


元気よく返事をしてクララ様は立ち上がる。


「どうされました?」

「いったであろう。練兵場へ行こう」


稽古は確定のようだ。



 クララ様が来てくれて助かったことがある。

お湯を魔法で作り出してくれたのだ。


「得意なのは氷冷魔法だが、お湯を作るくらいなら私でもできるぞ」


部屋の中にビニールプールを二つ並べて膨らませた。

一つは浴槽でもう一つは洗い場だ。

暖炉で薪をガンガンに焚いて部屋の中を温めることも忘れなかった。

クララ様の魔法で3分もしない内にプールの一つがいっぱいになった。


「それでは私はあちらの部屋に控えておりますので、ゆっくりとお風呂を楽しんでください」

「う、うむ」


クララ様の歯切れが悪い。

何か心配事か? 

ああ、俺の髪の毛を洗う話か。


「私はクララ様の後でお風呂を使いますので髪の毛を洗っていただけるのでしたらその時にでも」

「うん……」


おや、違ったのか。

クララ様の表情を見るに言いたいことはこれではなさそうだ。


「……それとも、一緒に入りますか?」


普通に誘ってみた。

もちろん真剣な顔なんだけど必死さはないぞ。


「……そ、その、……私も一緒に入りたいのだ。だけど、その、最後まで、あの、一線を越えるのはまだで、それはちゃんと婚姻の儀が……」


落ち着いてもらわないとダメだな。


「つまり、一緒にお風呂に入りたいのだが、性行為はきちんと結婚してからにしたいと、こういうことですか?」


真っ赤な顔でクララ様がコクコクと頷く。

カルチャーギャップというか、ザクセンスの上流階級の感覚だと婚前交渉は絶対にダメだからクララ様の気持もわかる。

出来ないのはつらいけど一緒にお風呂に入るのは楽しそうだ。

最後まで出来なくてもお互いの距離はさらに縮まりそうな気はする。


「わかりました。ではどうしましょうか」

「コウタ、大丈夫なのか? 男は……つらいのだろう?」


つらいと言えばつらいのだが、我慢できない程じゃない。

中学生とかだったらヤバかったかな。


「大丈夫ですよ。それじゃあちょっと狭いけど一緒に入ってみましょうか」

「ハイ……」


消え入りそうな声で返事をするクララ様が愛おしい。

部屋の灯りを蝋燭1本だけにしてあげた。

俺だって恥ずかしかったのだ。

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