第99話 開店準備中

 朝の定時連絡で無事に物件の賃貸契約が取り交わされたと吉岡から報告を受けた。

すぐにでも内装工事が始まるそうだ。

俺たちの借りる建物は3階建てだ。

1階は店舗として使う。

ここは食器と腕時計の販売、新聞が読める喫茶スペースとする。

コーヒーや紅茶はサンプルとして売り物のカップで提供することにした。

実際に地球のブランド物のティーカップを使ってもらって、その素晴らしさを体感してもらうのだ。

他にも軽食やスイーツも提供する予定でいるし、酒類のサービスも検討している。

 建物の2階はエステルームになる。

念願だった広い浴室も完備され、地球産のスキンケアグッズを使った美肌エステサロンになる予定だ。

もっとも俺が店頭に立つことはない。

俺の|神の指先(ゴッドフィンガー)を使わなくても、地球産の美容液というだけで肌や髪質の向上は十分見込めるので、現地のスタッフが施術することになっている。

値段も比較的安くした(といっても一回10000マルケスから)。

俺が施術するのは宰相のナルンベルク伯爵あたりからの紹介を受けて、且つ3億マルケスの支払いができる場合だけだ。

それも俺の手が空いていて気分が乗った時だけにしようと考えている。

 3階はショウナイとカワゴエの居住スペースということにしておく。

実際に住むかどうかはまだわからないが擬装用のキャラクターとはいえ住所不定はまずいからね。


 明日から1週間ほどドレイスデン市内を離れることになる。

徴税官の護衛任務で近隣の村々をまわって歩かなければならないのだ。

午前中にクララ様と財務省まで出向き仕事の段取りを話し合ってきたばかりだ。

実際に金の徴収をするわけではないので1分隊だけの護衛で構わないと言われた。

徴税官はのんびりとした感じの貴族のオッサンだった。

本来は村の人口や作付面積などをきちんと調べて税額を決める仕事なのだが、そういうのは部下の事務官たちが取り仕切っているそうだ。

ではなぜ徴税官自らが足を運ぶのかといえば、視察の名を借りた物見遊山の旅らしい。

都会の暮らしに飽きた貴族が息抜きに田舎へ遊びに行くというのが実情なのだ。

当然、各村では徴税官を丁重に接待してくれる。

場合によっては村の後家さんなんかに依頼して夜の性接待なんてのもあるそうだ。

つまり公費を使って息抜きに行く貴族の護衛が今回の俺の仕事だ。

徴税官は貴族だし、何かあってはいけないということで腕の立つ者の派遣を依頼され、俺に白羽の矢が立てられた。

これでも南駐屯所の兵士たちの中では一番の使い手ということになっているからね。


 財務省の門から出てしばらく歩くうちに神殿の鐘がお昼を告げた。

日中の気温も上がり今日もぽかぽかとしたよい日和だ。

こんな日は普段よりもお腹が空いてしまう。


「クララ様、今日は兵舎に戻る前にどこかで食事をしていきませんか?」

「そうだな。今から兵舎に戻ったら遅くなってしまうな」

午後は二人で城壁内の本部へ出頭しなくてはならないのでわざわざ兵舎に戻るのも馬鹿らしかった。

「ふむ、後でコウタ達の旅費申請をしに本部へ行くことになるし、どこかで食事とするか」

「はい。ついでに吉岡も呼びだします。例の契約が無事終わったそうなのでクララ様も詳細をお聞きください」

クララ様も出資者だから話を聞く権利は充分ある。

元手は10万マルケスだったけど、配当をそのまま投資し続けているので、今やクララ様のお金は数千万マルケスになっているのだ。

今回は利益から家賃、内装費、備品などでかなりの経費が掛かるのでお耳に入れておくべきだろう。

人目につかない場所で無線機を取り出して、吉岡に連絡を入れた。


「あ、日野春だ。今からクララ様と食事なんだけど、吉岡も一緒にどうだい。今後の計画を御耳に入れておいた方がいいと思うんだ。どうぞ」

「了解。自分は今、ビアンカさんと一緒に店にいるんですよ。どうぞ」

ビアンカさんには予めホテル・ベリリンのカワゴエを訪ねるように言ってあったのだ。

「それは好都合だ。彼女にもいろいろ話しておきたいことがあったんだ。じゃあ、そちらに向かうから待っていてくれ。食事は空間収納の中のモノを使おう。どうぞ」

「了解」


 アンネン通りの店舗に向かうと、そこには手を振る吉岡と、静かな笑みをたたえたビアンカさんが待っていた。

太陽の下で見るビアンカさんは初めてだったけど見違えるほど顔色が良くなっている。

「ようこそおいでくださいましたクララ様。まだ何もない部屋ですがご案内いたします」

「変わりないかアキト。私が考えていたよりずっと立派な建物で驚いているよ。ビアンカも顔色が良くなった。元気そうで何よりだ」

クララ様に声をかけられてビアンカさんはしどろもどろだ。

「申し訳ございません、あの、どちらさまでしたでしょうか?」

そういえばビアンカさんはクララ様が栗毛のウィッグをつけた姿しか見てないんだった。

「この姿で会うのは初めてだったな」

「そのお声は! もしかして奥様ではありませんか!?」

そのとたんにクララ様が首まで真っ赤になる。

「奥様? クララ様が誰の奥様なんですか?」

吉岡が首をかしげるとクララ様の挙動不審度が46%アップした。

「それは、その、未来の仮定というか、夢というか、いや、現実になる予定なのだが……」

ちょっと見ていられない。

「こちらは私の主君でクララ・アンスバッハ騎士爵です。以前、ビアンカさんにお会いした時はお忍びでした」

俺の説明にビアンカさんはなんとなく察してくれたようだ。

「では、ヒノハル様のフィアンセというのは?」

ここははっきりとしておきたい。

「大きな声では言えませんが事実です」

クララ様を見ると照れながらも頷いてくれた。

「まだ世間には公表できませんからビアンカさんも時が来るまでは内緒でお願いします」

「承知いたしました。絶対に人には漏らしません」


 二人の案内で店の一階から順に見ていった。

あそこにこんな家具を置こうとか、グラスを並べる飾り棚をどうするかだとかで夢が膨らんでいく。

これからその夢はすぐに現実になっていくのだ。

3階は居住スペースなので早速、それぞれの部屋割りをした。

「ビアンカさんには住み込みで働いてもらいたいんだけどいいかな?」

「ありがたいお申し出でございます」

住み込みなら家賃もかからないもんね。

俺たちとしてもビアンカさんがいてくれると色々と助かるのだ。

ビアンカさんが住み込みと聞いて吉岡が喜んでいる。

「では、ちょっと小さいけどこちらの部屋を使ってください。家具は午後にでも一緒に買いに行きましょう。引越しも自分がお手伝いしますよ」

吉岡が一緒なら万事抜かりなくやってくれるだろう。

「そのようなことまでしていただいては却って申し訳ないのですが」

「いいんですよ。ビアンカさんには家の中のことをいろいろお願いしなければなりません。待遇なんてよくて当然です!」

今日の午前中を二人で過ごし、吉岡もビアンカさんのことが気に入っているようだ。


 昼食は1セットだけあったテーブルに空間収納から出した食べ物を並べた。

「吉岡は何食べる?」

「久しぶりに寿司が食べたいです」

握り寿司も折詰にしたものがちゃんと入っているんだよね。

でも、クララ様やビアンカさんにはちょっとハードルが高いかもしれない。

「クララ様は何にしましょう? こちらのカニクリームコロッケとかがお勧めですよ」

コロッケ自体はザクセンスにもある料理だ。

ジャガイモのコロッケはメインのおかずというよりは付け合わせとして肉料理によく供される。

「うん。それを一つ貰おう」

「ビアンカさんもコロッケでいいかな?」

「私も同じテーブルで食べるのですか?」

雇い主と同じテーブルなんて本来はあり得ないことなのだろう。

緊張するのはわかるが今はテーブルが一つしかない。

「ビアンカ、今日は特別だ。というよりこのアミダ商会が特殊なのだと理解したほうがいい。私は気にしないから、ビアンカも慣れなさい」

クララ様のとりなしでビアンカさんもおっかなびっくり一緒に食べることになった。

「先輩、お祝いなんだからシャンパンを開けましょう。少しくらいなら構わないでしょうクララ様?」

クララ様もお好きなので苦笑しながら頷いている。

食卓の上にはシャンパングラスが満たされ、カニクリームコロッケ、握り寿司、野菜とエビの生春巻き、アスパラガスのキッシュ、チリメンジャコのおにぎり、トンロウポウ、パン、チーズなどちぐはぐなメニューが所狭しと並べられた。

「なんか滅茶苦茶だよな」

「たまにはいいじゃないですか」

気分が良いのかグルメ吉岡らしくもない発言だ。

「まあな。正式な開店祝いは後日やるだろうし、フィーネも呼んでやらないとむくれるから、今日はこれでよしとしようか」

まだ何もないガランとした店内に俺たちがグラスを合わせる音が高く響いた。

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