第88話 王宮へ
用意された馬車は最高級のモノだった。
黒塗りで金の縁取りが随所に施されている。
「万が一の時は後を頼む。たぶん害されるようなことは無いと思うけど」
見送る吉岡の耳元に囁く。
「連中が求めているのは先輩の指ですからね」
「ああ。たぶん俺たちには監視がついていると思う。くれぐれも正体がバレないように気をつけてな。クララ様には吉岡から無線で報告しておいてくれ。接触はしないほうがいいと思う」
「了解。先輩もお気をつけて」
姿は見えないが監視の目を気にしておくに越したことはないだろう。
「遠慮しないで乗られるがいい。宮廷では晩餐も用意されておるぞ!」
豪快な笑顔を見せるヘンケンさんに促されて馬車に乗り込んだ。
御者が俺のトランクを預かろうとするが、この中には化粧品や時計、ティーカップやグラス類が入っている。
「貴重品ですので自分で持っていきます」
トランクを膝に抱える俺をヘンケンさんが怪訝そうに見つめる。
「申し訳ないが、王女殿下との面会前にカバンの中身を検めさせてもらうことになるぞ」
「それは構いません。ただし壊れやすいものがたくさんあるので気をつけて下さい」
「心得た」
これは感覚でしかないが、このヘンケンさんという人は信用できるタイプの人間だと思う。
信義に厚い印象を持たせる顔つきだ。
謀略には向かない性格だろう。
馬車に乗っている間にこの人と少し交友を深めておくとするか。
「実はカバンの中に刃物が二振り入っております。ヘンケン様にお預かりしていただいた方がよろしいと思うのですが」
「刃物とな?」
「はい。私共が扱う商品の一つです。数は少ないのですが皆様のお目を楽しませられるよう、特に品質の優れたものを持参いたしました」
「それは気になるな」
予想通り興味を示して来たか。
なぜ、こんな商品を持ってきたかといえば、そう依頼されたからに他ならない。
てっきり
ひょっとするとヘンケンさんもエステのことは知らないのかもしれない。
俺のことは単に珍しい商品を扱う商人に過ぎないと考えている節がある。
「まずはこちらをご覧ください」
最初に取り出したのはステンレス鋼を使ったハンティングナイフだ。
全長は268㎜、ブレードの長さは138㎜ある。
切れ味、持った時のバランス、見た目も大変美しい。柄の部分にはフェノール樹脂という耐熱性の高い素材が使われている。
この世界でこれほどのナイフは滅多にお目に掛かれないだろう。
日本なら9000円で買えるんだけどね。
「こ、これは!」
ケースを外したヘンケンさんが驚きの声を上げた。
すぐに馬車の内部に取り付けられたランプでブレードの部分を確認している。
「狩猟用に開発されたナイフです。普段から持ち歩くにも邪魔にならない大きさでございましょう?」
俺の言葉に何度も頷きながらヘンケンさんの目はナイフから離れない。
「どうぞ、切れ味をお試しください」
羊皮紙を渡してやると、真剣な顔で受け取った。
刃を当てた先から羊皮紙がスパッと切れていく。
「素晴らしい……。ショウナイ殿、これはいかほどするものなのだ?」
ナイフはいつも通り12掛けでいいか。
「10万8千マルケスでございます」
「買った!」
かなり食いついていたけど、いきなり買うとは思わなかった。
「よ、よろしいので?」
「これほどの品なら10万マルケス以上するのは当然のことであろう。武人として狩猟好きとしてこれほどのナイフに出合えたことに運命すら感じますぞ」
そこまで感動しているなら俺に異存はない。
「価値を理解していただける方に商品をお売りできることこそが商人にとっての悦びでございます。どうぞお納めください」
「そうか。代金は明日にでも持っていこう。ホテル・ベリリンのカワゴエ殿のところでよいのかな? すぐに受け取りを書くぞ」
その場ですぐに契約を交わした。
おもちゃを買って貰ったばかりの子どものように、ヘンケンさんはさっそくナイフを自分の腰に装備した。
でも、刃物はもう一本あるんだよね。
今度のは正確に言えばナイフじゃなくて日本製の
鍛冶師が一本一本手作りで作っている品だぞ。
結構大振りで全長が470㎜、刃渡りも300㎜ある。
漆塗りの柄、刃に着いた波紋が美しい。
「先程も申しましたが刃物は二振りございます。こちらもお検め下さい」
箱ごとヘンケンさんに剣鉈を渡した。
「そうであったな。つい興奮して忘れておった」
照れ笑いを浮かべながらヘンケンさんが箱を受け取る。
「こちらは少し大きい様じゃな。大ぶりのナイフかのぉ…………のおおお!!」
ヘンケンさんの上げた奇声に御者が振り返って車内を確認していた。
俺は何にもしていませんよ。
このおじさんが一人で興奮して、一人で雄叫びを上げているだけですから。
「これはまた、美しい」
鍛冶屋さんはいい仕事をしますよね。
ヘンケンさんは箱の中の抜き身の刀身を眺めてうっとりとしている。
「素晴らしい」
言葉少なに褒めているが、さっきのナイフよりも気に入っている様子だ。
剣鉈の方が10倍以上高価になる。
「値段を伺いたい」
買う気でいるのかな?
この人は愛嬌があるのでオマケしてあげたいのだが、商品の価値を下げるわけにはいかないんだよね。
これもきちんと12掛けの数字を提示することにしよう。
「こちらは120万マルケスでございます」
瞼がピクリと動いたが、ヘンケンさんはそれほど動じた様子は見せない。
値段には納得してくれたようだ。
他に危険物はなかったので、預ける品物はこれだけだ。
残りは明るい場所で検分してくれればそれでいい。
二人とも話すこともなくなり、馬車の中は沈黙に包まれる。
ヘンケンさんの声が大きかっただけに、今の状態が一層静かに感じられた。
車輪が石畳を刻む音だけが世界を支配していた。
5分くらい俺はぼんやりと窓の外を眺めていた。
「支払いを来月まで待ってもらうことは可能だろうか」
ヘンケンさんが発した言葉はあまりに唐突で最初は言葉の意味を測りかねてしまった。
「え、それは、先ほどの剣鉈のことでございますか」
「うむ。あれほどの逸品に巡り合うことなど二度とないかもしれない。それだったら120万マルケス出しても買っておきたいのだ」
静かだったのはずっと剣鉈のことを考えていたからか。
この人は本当に俺たちを害する気はなさそうだ。
これから俺を監禁しようとする人間が来月の支払いの話なんてすることは無いだろう。
「承知いたしました。ヘンケン様のためにお取り置きしておきましょう」
「かたじけない。無理を言ってすまぬな」
胸のつかえがとれたのか、ヘンケンさんは再び饒舌になっていった。
宰相ナルンベルク伯爵は第二王女アンネリーゼの部屋の扉を開けた。
「王女殿下、そろそろ昨日お話した者が現れます。ご用意を」
振り返った殿下は気だるそうな声をだす。
「え~、会わなければダメですか?」
ナルンベルク伯爵は内心ではこの王女をぶん殴ってやりたい気持ちになるが、そんな様子はおくびにも出さずにこやかな笑顔を見せた。
「姫様もお聞きになっていませんか? ペーテルゼン男爵夫人のお話です。一晩で素晴らしい美貌を手に入れたとか」
「興味ないです」
アンネローゼは気だるそうに呟く。
身長159センチ、体重57キロ。
小太りのお姫様はいかにも大儀そうに椅子から立ち上がった。
「ナルンベルク伯よ、今更こんなことをして何になるというのですか。フランセアの王子は王女よりも聖女を選んだのです。婚姻はグローセルの聖女にお任せすればよいではないですか」
王女殿下は機嫌が悪かった。
フランセアの王子が自分より聖女を好きなこと自体は腹も立つが納得できない話ではない。
聖女はスタイルが良く、誰もが愛する美少女だ。
しかるに自分はどうだ?
スタイルは誰もが笑うちんちくりんだし、顔なんてはっきり言ってブスの部類に入ると自覚している。
王子が自分よりユリアーナに惹かれたのは致し方あるまい。
だが宰相はどうしても自分をフランセアに嫁がせたいようだ。
最近では強引に食事制限をさせられて満足におやつも食べられない。
お陰で体重は4キロも減ったが……。
「どうして私でなくてはならないのですか? もう、こんな生活はうんざりです」
ナルンベルクは悟られない程に小さなため息をつく。
「ユリアーナ・ツェベライについては様々な情報を精査した結果、婚姻には不向きという結論が出ております」
初めてアンネリーゼが宰相の話に好奇心を抱いた。
婚姻に不向き?
あの優しくて美人でスタイルの良い聖女が?
何があったというのだ。
ナルンベルクとしてもユリアーナで済ませられればそれでも構わないと思っていた。
だが、かの聖女は殺人に関与し、最近では下級士官に一方的な恋心を抱いて言い寄っているとの報告を受けている。
既にその兵士と肉体関係にある可能性も否めなかった。
噂の下級士官とはもちろんヒノハルのことだ。
「今宵は例の商人に珍しい品々を持参させております。きっと殿下のお目に留まるものもございますでしょう」
「……わかりました」
読みかけの小説を読んでいたかったのに……。
殿下は手の中にあった恋愛小説をテーブルに置いて、不承不承歩き出した。
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