第78話 嫌悪と愛慕

 城壁に張り付きながら少しだけ冷静になった俺は考えた。

こんなことをして怒られないだろうか? 

城壁をよじ登ってはいけませんという法律はないと思うけど、バレたらお叱りは受けるような気もする。

だけど半分以上登ってしまったし、今更引き返すのも面倒だ。

このまま登り切ってしまうことにしよう。

だるくなってきた手足に力を込めて一気に壁を登り切った。

「……」

これは夢か? 

それとも俺は幻覚を見ているのだろうか?

「ユリアーナ……?」

目の前には白い毛皮のコートに身を包んだ聖女が立っていた。

ユリアーナは驚いた様子もなく俺の顔を見つめる。

「貴男とはお会いしたことがありましたね。たしか美しい騎士爵様の従僕をしていた」

しまった、こちらの顔を確認されたか。

しかも身元すらバレている。

「お嬢様!」

突然現れた不審者に護衛の騎士たちが走り寄ってきた。

いきなり抜刀しやがって、血の気の多い奴等だ。

「必要ありません。貴方達は向こうで控えていなさい」

ユリアーナの言葉に騎士たちは打ちひしがれたように剣を納めて距離を取った。

番犬並みの従順さだ。

俺も同僚兵士にクララ様の犬とからかわれるけど、ここまで徹底していない。

「何をなさっていたの?」

ユリアーナが不思議そうに聞いてくる。

「壁を登っていました」

ついついぶっきらぼうな答えになってしまった。

だってしょうがないじゃないか。

殺人犯として調査している対象が突然目の前に現れたのだ。

そしてそれ以上にこいつに会って胸が高鳴っていることを悟られたくなかった。

「貴方も城壁に上るのが好きなのね」

いや、むしろ後悔している。

「私もここが好きなの。だって月が近いでしょう」

そう言って空を見上げる姿は月光の下で神秘的な輝きを放っていた。

くそっ! 思わず見とれてしまった。

嫌悪と愛慕の念が同時に湧き上がってきて、もう思考回路はショート寸前だ。

「聖女様はお散歩ですか」

黙っているわけにもいかなくて、もごもごと言葉を絞り出した。

「あら、そういえば先ほどはユリアーナと呼んでいましたわよね? あまりに自然で気が付かなかったけど」

「滅相もございません。つい親し気にユリアーナ様とお呼びしてしまいましたがお許しください」

ここは嘘をつき通そう。

「別に気にはしていませんよ。貴方のお名前は?」

言いたくない。

でも、言わないと失礼に当たる。

「日野春と申します」

「ヒノハル……不思議な響きね。貴方に興味が湧いてしまいました。いろいろとお聞きしていいかしら」

こっちにも聞きたいことはある。

俺も全部ぶちまけてしまいたい衝動にかられた。

「ヒノハルさんは私のことが嫌いかしら?」

ポーカーフェイスで決めようと思っていたのについ身体がピクリと反応してしまう。

「そのようなこと。聖女様は皆に愛されておいでです」

自分の動揺を何とか取り繕おうとするが、ユリアーナはさも可笑しそうに笑いだす。

「私はヒノハルさんの感情を聞いているのですよ」

「私たちは初対面のようなものです。好きも嫌いもないと思うのですが」

ユリアーナは一歩俺の方に近づいた。

「でしたら、どうして私の術に抗おうとするのですか?」

こいつ、やっぱり!

「術とは魅了チャームの魔法のことですか?」

これが知りたかった。

「ええ。普通、私の周りにいる人は私が何もしなくても好意を抱いてくれます。それが私の持つ特性だからです。でも貴方にはそれとは別に軽い魔法をかけました。覚えていらっしゃいますか? 先日騎士爵様と一緒にいらした時ですよ」

憶えているとも。

クララ様と初めてデートをした日のことだな。

「どうしてそのようなことを」

「貴方と騎士爵様がたいそう仲良さそうに見えたからです。ちょっとしたいたずら心からでした」

このガキがぁ! 

俺がそれでどれだけ苦しんだと思ってやがるんだ。

「でも、先ほどから貴方のモノのおっしゃりようを聞いているとあまり魔法が効いていないように思えます」

そんなことはない。

真実を言えば俺はお前が気になって仕方がないのだ。

「ヒノハルさん、私のものになってみませんか?」

俺が聖女のモノに? 

ユリアーナにかしずく自分を想像して震えがきた。

恐ろしいことに嫌悪感と共に喜びを感じている自分がいる。

このままじゃ俺はダメになる、そんな気がしてならない。

全てをここではっきりさせたほうがいい。

時間がかかれば俺は聖女に完全に魅了されてしまうかもしれない。

「なあ……アンタ……」

聖女は自分が呼びかけられたと一瞬わからなかったようだ。

アンタなんて呼ばれ方は初めてなのだろう。

「アンタは下水路でクンツという男を殺さなかったかい?」

聖女が薄く微笑んだ。

「直接殺したのは私ではないわ。殺させたのは私ですけど」

やはりそうか。

正直に話してくれたのはありがたい。

「どうしてだ?」

「些細な理由です。あの男が私に欲情したり、私があの男の死を見たがったり。そんな感じですわ」

やっぱりそうだったか。

知りたいことは知ることが出来た。

もう満足だ。

どうせ証拠はないし、伯爵家の令嬢を訴追することは一兵士には荷が重すぎる。

だけどかけられた魔法だけは何とかしなくちゃな。

「聖女よ……貴方に決闘を申し込む」

「まあ!」

ユリアーナは嬉しそうに目を輝かせるが、周りの騎士たちはいきり立った。

大声を上げて俺の無礼を責め立てる護衛騎士たちを黙らせてユリアーナは続ける。

「どうして決闘なのかしら?」

「私の心を弄んだからです。そして決闘に私が勝った場合は私に掛かった魔法を解いてもらいたい」

ユリアーナは驚いたように目をみはった。

「どうして? 魔法にかけられているはずなのに、私に魅了されているはずなのにどうしてそんなことが言えるのかしら!? 貴方……本当に面白いわ」

どうしてかだと? 

そんなもんクララ様がいるお陰に決まっている。

あの人が近くにいたから何とか正気を保てたんだ。

「わかりました。その代わり条件はこちらが決めます」

こうなったらとことんやってやる。

「先ず私は代理人を立てます。私自身は戦えませんからね。代理人はここにいる私の騎士たちですが構いませんか?」

騎士の数は5人か。

かなり厄介だがやるしかない。

「1対5とは大変そうだ。条件を飲んでもいいが、その代わり赤の決闘にしてもらいたい」

俺の言葉にユリアーナはいよいよ興奮しだしたようだ。

「素晴らしいわ! ますます貴方が欲しくなってきました。例え貴方が瀕死の重傷を負っても、ツェベライ家が懇意にしている治癒士に治療させるわ。安心して下さいね。ただし負けた時は私のものになるのですよ」

「いいでしょう。そちらが勝てば私は貴女の下僕となりましょう。ただし私が勝った時はかけられた魔法を解く。それでよろしいですね」

単なる口約束に過ぎない。

立会人や第三者がいないこの場所ではたとえ俺が勝ったとしてもユリアーナが約束を守る保証はどこにもなかった。

だけど、それでもなお俺はユリアーナに決闘を申し込まずにはいられなかった。

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