第77話 月の光に導かれ

 エルケと別れた俺は吉岡の宿泊しているホテルへ行った。

今夜は一緒に夕飯を食べる約束をしていたのだ。

「で、エルケさんに聖女の調査を一緒にするように頼まれたんですね」

「うん」

「でも、浮気するみたいで気が乗らないと?」

「そう」

やましいことをするつもりはない。

エルケと一緒に行動するのは聖女の動向を探るためだし、聖女の動向を知りたいのは彼女が殺人犯かどうかを確かめるためだ。

だけどね、クララ様がこれを知ったらどう思うかな? 

他の女のことをこそこそ調べて、他の女と一晩中一緒にいるんだよ。

「もう、正直にクララ様に打ち明けてしまったらどうですか?」

それも考えたんだけどさ、俺の聖女に対する気持ちがよくわからないんだよ。

なんでこんなに気になるんだか。

ユリアーナのことを考えると胸が締め付けられるような気持ちがするんだ。

これはクララ様に対しての裏切りじゃないのか?

「じゃあ、どうするんですか?」

「……覚悟を決めて聖女を探ることにした。あいつは魅了チャームの魔法が使えるような気がする。むしろそうであって欲しい。じゃないと俺はとんでもない浮気者だし、心が引き裂かれてしまう気がするんだ」

調査ではそこのところを最初に確かめたい。

「……いや調べるまでもないです、多分それって事実だと思いますよ」

「そうなの?」

「だって、先輩はどれくらいの時を聖女と一緒に過ごしました? いくら恋に落ちるのに時間は関係ないなんて言ったって限度があるでしょう?」

そういえば俺がユリアーナにあったのは2回だけだ。

ひょっとして魅了チャームのせいでまともな思考が出来なくなってるのか? 

初めて会った時はそれほど気になる存在ではなかった。

むしろ吉岡の方が応援したい存在とかいって騒いでいたくらいだ。

だけど肝臓へのパンチリバーブローみたいにじわじわと気になってきて、二回目に見つめられたとき、あれで完全におかしくなった気がする。

「ひょっとすると、先輩が気が付いてないだけで元々好みのタイプだったんじゃないですか? 直観でそれをわかってしまったんですよ。そこへきて更に魅了チャームのせいで余計に気になるようになったって感じだと思います」

直観とは言語化する以前の、対象の把握もしくは認識である……か。

確かに絶世の美少女、傾国の美女になりそうだと言っても過言じゃない。

「でも俺ってそんなに面食いじゃなかったと思うんだけど」

「クララ様を好きになっておいて説得力ないですね」

「……返す言葉もございません」

まあ、クララ様はすごい美人だし聖女もそうだけど……。

「だから、見た目だけじゃなくて直観で聖女の内面を先輩が見抜いているのかもしれませんよ」

内面ねえ?

実は見た目通り清らかで優しい少女なのかもしれない。

やむにやまれぬ事情があって殺人を犯した可能性もあるんだよな。

「もしかすると犯行現場にいただけで犯人ではないかもしれないし、犯人だったとしても自分の罪に苦しんでいる可能性もある」

「それは一つの可能性です。本当は快楽殺人犯でド変態の可能性だってあります」

「お前、さっき俺が直観的にユリアーナを好みのタイプだと判断したって言ったよな? それって俺の好みが快楽殺人のド変態ってことになるだろう!」

なんてやつだ。

俺のストライクは高潔なクララ様なのだ。

「そんなのはわかりませんよ。自分のことをきちんと把握している人間なんていませんから。それに、好きになった相手がたまたま快楽殺人犯という可能性もあります」

そりゃあそうだけどよぉ……。

「とにかく調査をするなら道具を日本で買ってきましょう。明日は送還日ですよ」

「うん」

吉岡には言わなかったが俺の直観は告げているんだよな。

犯人はユリアーナだ。


 吉岡との会食を終えて店を出た時には既に21時だった。

ワインのお陰で脚元がフワフワしている。

意識して足を踏みしめないと真っすぐに歩けないくらいの酔いだ。

酒の味は好きなのだがアルコール分解酵素が少ないのだろう。

飲めばすぐに酔ってしまう。

「センパイ、気をつけて帰ってくらさい」

「うん。用地のことは頼むよ。おあすみ」

二人ともちょっと呂律が怪しい。


 大通りを城門に向かって歩いていたのだが何処をどう間違ったのか、俺はまったく見当違いの場所にいた。

ここはどこだろう? 

酔っぱらうとこういうことが多くなるから嫌になる。

道に迷ってしまったがとりあえず城壁を目指していけば何とかなるか。

高さ90メートルある壁は建物の間からもよく見ることが出来た。

ドレイスデンの城門は東西南北の四大門に加えて中小の門が90ある。

その全てが開いているわけではないが城壁沿いを歩いていけばどこかにはたどり着けるだろう。


 人気のない場所で壁を見上げながら、俺は酒臭い吐息をついていた。

歩いてきたせいで更に酔いが回っている。

ここから門のある場所まで壁伝いに歩くとするか。

……。

…………。

そんな面倒なことをやっていられるか! 

こんな壁登ってやる。

ああ、登ってやるとも! 

俺はクライマーだぞ!


 後から考えるとバカバカしいのだが、その時の俺は本気でそう考えていた。

冷静な頭ならきちんと南門から出入りした方がよっぽど楽だし、道順だって明快だってわかるんだが、酔っぱらいは時に愚にもつかないことを思いつく。

俺は四肢に魔力を込めて「ヤモリの手」を発動した。


「こんな壁どうってことないぜ。日本語的表現で朝飯前。英語的表現でケーキの一切れだ!」


つまらないことを叫びながら意気揚々と登りだしたのはいいが、やがて後悔することになる。

今日は2月の13日だぞ。

真冬もいいところだ。

吹き上げる風は冷たく、酔いはどんどんと醒めていく。

真ん中より少しだけ上にいったあたりで俺はもう嫌になっていた。

でも今から引き返すのもなんだよな。

どうしたものやら。




 外出に際してカリーナに毛皮のコートをかけてもらった。

数日前に買って貰った妖精兎フェアリーラビットの真っ白な毛皮を使った一着だ。

軽くてとても暖かい。

気に入っているし、私によく似合うとも思う。

でも、カリーナにも似合いそうね。

そういえば、高級娼婦は裸の上に毛皮を着るとお兄様がお友達と話しているのを盗み聞きしたことがある。

本物を見る機会はないだろうからカリーナにやってもらおうかしら? 

ラーラも喜びそうだ。 

逆にラーラにやらせてもいいけど。


「ユリアーナ様、馬車の準備が整いました」


 お母さまを起こさないようにそっと館の中を移動した。

このゾクゾクする感覚が私は大好きだ。

もっとも、たとえ見つかったとしても、私が心を込めてお願いすればお母さまはなんでも許してくれる。

でもやっぱり背徳感っていうのかな? 

してはいけないことを内緒でするのが楽しいのだ。

思えば15歳の誕生日まで私は自由など何一つ知らずに育った。

それまでは、どんなことをするにもお父様やお母さまの許可が必要だった。

そう、私が魔法に目覚めるあの時までは。


 月の晩の散歩が好きだ。

冷たい月に照らされた暗い町は神秘的に見えたし、あちらこちらの闇の中には私の知らない世界が隠れているような気がした。

それに天空に輝く月が、まるで私をこの地上のくびきから解き放ってくれるような気がするのだ。

だから私は偶にこうして城壁へ登る。

壁の上はドレイスデンで一番月に近い場所だ。

「今夜も通して下さいな」

城壁に上る階段を守る衛兵は快く私たちを通してくれた。


 壁の上からは遥か遠くまで見渡すことが出来る。

いくつもの灯りが見える城壁内とは違い、外側はほとんど真っ暗で家々の向こうには畑、そのまた向こうには森が月明かりの下で白い光を反射していた。

私はいつものゲームを開始する。

壁の淵の石によじ登りギリギリまで立って下を見下ろすのだ。

初めてこれをやった時、私は恐怖と共に軽いエクスタシーを覚えた。

あれから数度同じことをしてみたが、初回のような快楽はもう得られない。

だけどお腹の下がムズムズするような感覚は未だにやって来る。

今日もあの感覚を味わうことはできるだろうか? 

心配に顔色を変えるラーラたちに動くなと命じて石によじ登った。

こんな、たわいもないゲームさえ皆はすぐに阻もうとする。

この程度のことで大騒ぎするなんて馬鹿げているわ。

ほんのちょっと破滅の疑似体験をするだけの些細なゲームよ。

足の親指が少し出るくらいの位置に立って真っすぐ前を見た。

まだ下は見ない。

それから一気に下を向く。

「……」

あまりの驚きにお腹のムズムズはどこかへ行ってしまった。

今日は破滅への扉はどこにも見えない。

その代わり兵隊が一人壁に張り付いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る