第76話 ユリアーナの居間
趣味の良い聖女の部屋で、腹を押さえながらホイベルガーは床に這いつくばって痛みに耐えていた。
自分が一体なにをしたというのだ?
ユリアーナ様のご機嫌を損ねるようなことは何もしていない筈だ。
護衛騎士は何とか上半身だけを起こして聖女の叱責を待った。
だが聖女の代わりに声を出したのは家庭教師のラーラだった。
「わからないのですかホイベルガー殿。貴方はミスを犯したのです」
「……」
やはりホイベルガーには何のことだか理解できない。
「け、計画は完璧です。今夜のターゲットであるエモーツェル神殿の下調べは既に終わり、手引する者もグワッ!」
ホイベルガーは最後まで話すことが出来なかった。
その前にラーラの蹴りが顎に決まっていたからだ。
蹴りの動きでスカートが捲れ、黒のガーターベルトはおろか、その奥の紫の下着まで露わになってしまったが、それを気にする者などこの部屋には居なかった。
「まだわからないのですかホイベルガー殿。今日は旦那様がお城に詰める日でございます。そんな日に断罪盗賊団が神殿を襲ったらどうなりますか?」
当番日に事件が起きたからと言って直接の責めを負わされることはないだろう。
だが、近衛軍の要職にあるものとしてマイナスポイントになる可能性もある。
僅かな失態が大きな足枷になるのが宮廷という場所だ。
「ホイベルガー」
ユリアーナは美しい声で護衛騎士に語り掛けた。
「私の遊びでお父様にご迷惑をかけるのはよくないと思うの。貴方もそうは思わない?」
聖女に見つめられて護衛騎士は身体が熱くなる。
「申し訳ございませんでした! このホイベルガー、どのような罰でもお受けいたします。どうぞお許しください」
騎士は片膝をついてユリアーナの罰を待った。
だがユリアーナの関心はもうこの騎士にはない。
「エモーツェル神殿はどうしましょうかラーラ?」
問われてラーラは目を伏せながら答える。
「とりあえず今夜の襲撃は中止といたしましょう。計画は一日延期ということで」
「そう。……仕方ないわね。そのかわり明日は私も行くわ。久しぶりに人が死ぬところが見たいのですもの」
「いけませんお嬢様――」
諫めようとするラーラをぞっとするほど美しい聖女の瞳が見上げていた。
「どうして? 断罪盗賊団を作ったのは私よ。たまには首領の私も参加した方がいいじゃない」
「ですが、またこの間のような不埒者が現れるとも限りません」
ああ、アレかとユリアーナは思い出していた。
たしかコーツとかクンツとか言う名前だったはずだ。
下水路の内部に詳しいということで断罪盗賊団に雇ったのだが、盗賊団の首領がユリアーナと知って邪な欲望を抱いた男だった。
事件は秘密のアジトの中で
クンツは突然ナイフを抜いて襲い掛かってきたのだ。
「その美しい顔に傷をつけられたくなかったら俺の言うことを聞くんだ!」
こんなことになったのは深く魔法をかけるために二人きりだったためだ。
とは言え、そのまま魔法をかけてしまえばどうとでもなるのだが、ついつい興味が湧いてしまいユリアーナは声を出さずに頷いた。
このように下賤な男と長く話した機会はない。
炊き出しの時には貧民窟の人間に声をかけることもあるがそれは僅かな時間だ。
ユリアーナはこのスリリングな状況を楽しんでいた。
「私をどうしたいのですか?」
クリスタルの鈴がなるような透き通った声が薄暗い部屋に静かに響いた。
男に刃物を突き付けられているというのにその声に恐れはない。
「へへっ、決まってんだろう。先ずはその服をすべて脱ぐんだ」
男の目には暗い欲望の火が灯っていた。
「それは寒そうです」
ユリアーナとしては素直な気持ちを言葉にしただけだったが、男の興奮は何故か刺激されたらしい。
「大事なドレスを破られたくなければ、四の五の言わずに早く聖女様の肌を拝ませてくれよ。ハアハア……たまんねぇや……全ての穴に俺のモノを突っ込んでやる……」
「それは無理でしょうに……」
熱に浮かされた様なクンツの言動は明らかに前後の見境を失っていた。
なるほど、この男は私に欲情しているのかとユリアーナは理解した。
そのこと自体は初めての経験ではない。
宮中のパーティーや炊き出しを行っている時も好色な視線というのは常に感じていたものだ。
性交の経験はないが男が何を求めているかは知識としては知っている。
ラーラやカリーナ、ホイベルガーたちを目の前で交わらせて観察したこともあった。
自分の肉体的な魅力というものもユリアーナはきちんと理解している。
「へへっ、もう待ちきれねぇ。服を着たままでもいいさ。それはそれで……」
男は片手で既に硬くなった自分の性器を取り出した。
「今からこいつを聖女様に突っ込んでやるからな」
「それが貴方の望みですか……」
ユリアーナは目を逸らすこともなく答えた。
嫌悪感はあるのだが明らかにこの状況を楽しんでいる自分に驚きながらユリアーナは男に聞く。
「私をどうしたいのですか? 具体的に教えて下さい」
この男がどんなことを求めているかを知りたかった。
欲望をどのような形で具現化するかを。
「だから、色んな事をしてやるんだよ。とりあえず聖女様の処女を頂いてやらぁ!」
「……」
男のボキャブラリーの無さにユリアーナはいきなり気持ちが冷めていくのを感じた。
もう少し詳細に何をしたいか言ってくれればもっと興奮できただろうに……。
「つまらない男。もういいです」
ユリアーナは瞳に力を籠める。
「何を……う、うわあああああぁぁ」
男の心に侵蝕するように魔力が脳内をかき混ぜていく。
すでにクンツはユリアーナに抗う術を持たない。
「私に触れることは許しませんよ。さあ、行きましょう」
貴方が死んでも人の迷惑のならない場所へ。
ユリアーナのクンツへの興味はすっかりなくなっていた。
残ったのは嫌悪感ばかりだ。
そして、ユリアーナは嫌悪の対象がこの世界からいなくなる瞬間を観察することにした。
この男が死ぬ瞬間に自分は何を感じるのだろうか?
自分の置かれた状況を理解することも出来ずにクンツは薄ら笑いを浮かべながら頷いた。
彼はこの後、アジトの地下から繋がる下水路へと連れて行かれる。
椅子のひじ掛けにもたれながらユリアーナは指を顎に添えた。
「あれは私も悪かったのですよ。男の欲望について研究してみたくなってしまったのです。結局ホイベルガーがあの男を刺殺した時もたいした喜びを感じなかったわ。本当に時間の無駄でした」
ユリアーナは言い訳がましくラーラに言った。
「安心なさいラーラ。みんな私の御願いを聞いてくるではありませんか。どこに出向こうともそれは変わりません。たとえ襲撃現場であってもね」
「それは当然でございますが、突発的な事態が起こることもあります。お嬢様が同行されるのは心配でございます」
ユリアーナはじっとラーラを見つめた。
こうして見つめればラーラは決して逆らえない。
「か、畏まりました。しかしいつものように出入りは地下の下水路からになりますよ」
「ええ、構いません。ホイベルガー、いつものように下水路の鍵を用意しておくのですよ」
「はっ!」
護衛騎士は聖女の役に立つ喜びに身を震わせていた。
聖女は立ち上がりメイドのカリーナに命じる。
「月が見たいわ。外出の用意を」
貴族の令嬢が親を伴わずにこのような時間に外出することなどあり得ない話だ。
だが、誰が
ユリアーナを止められるというのか。
ユリアーナが微笑んでお願いすればそれを断れる者など滅多にいない。
国王でさえ聖女の微笑の前では無力なのだ。
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