第75話 追跡

 南地区のティットマン通り15番地にあるアパートの2階の一番東側の角部屋。

以前、影の騎士団シャドウナイツのエルケが教えてくれた隠れ家の一つだ。

日が暮れるころ俺は一人でその場所を尋ねたが誰もいなかった。

周辺の匂いから判断するにエルケは早朝にこの部屋に立ち寄ったきりだな。


連絡を乞う センパイより


こうしてメモを扉の下から室内に入れておけば向こうから連絡が来るはずだ。

後はエルケが訪ねてくるのを待てばいいだけなんだけど、時間的ロスが惜しくもある。

いっそ「犬の鼻」を使ってこちらから探してみようか。

いろいろな匂いがする都会の雑踏の中では追跡は難しそうだけどスキルの訓練にはなりそうだ。

既に匂いは記憶してあるので通りに出て早速追跡を開始した。

この近くにはいないようだな。

見晴らしのいい平原なら5キロくらい先の匂いも嗅ぎ分けるんだけど今は匂いの種類が多すぎてちょっと難しい。

だけど、なんとなくこっちじゃないかとあたりをつけて東へ向けてブラブラと歩き出した。

視覚情報や聴覚情報に加えて嗅覚からの情報が脳に送り込まれてくる。

情報を総合的に判断できる俺の方が普通の犬より追跡能力は高いはずだ。

そしてやっぱり見つけることが出来た。

これぞ間違いなくエルケの汗の匂い……。

「わおーん!」

野生に返る俺の姿に都会人の冷たい視線が突き刺さった。

何度か途切れてしまったが、しばらく歩いていると匂いの元を発見することが出来た。

橋の欄干の上や曲がり角の壁など人は無意識に手を置いたり、肌を擦りつけているようだ。

この道を真っすぐ進めば城門か。

エルケは城壁内に行ったようだ。

「おう、ご苦労さん」

警備兵の制服を着ている俺は、大したチェックもなく城門を抜けられた。

そこから通りを何度も曲がって、ある貴族の邸宅の裏口についた。

ドアノブの匂いを嗅ぐと探していたエルケの汗の香りがあった。

これじゃあ変態のストーカーだな。

この屋敷は誰の持ち物だろう? 

後日調べることにして表通りの方へ回った。


 偶然を装って道を歩いていたエルケに声をかけた。

「犬の鼻」の能力はもう知られているけど詳しいスペックまでは教えたくない。

南地区のアパートから城壁内まで追跡してきたことは伏せておいた。

「奇遇だね。上官の命令で近所に手紙を届けてきたところなんだ。エルケさんも仕事?」

今日のエルケは女中姿だ。

この近所の屋敷に勤めていると言われても全然おかしくない。

「まあそんなところですよ」

ごく自然な感じに歩き出したエルケの後についていく。

表面はどうであれ、心の中では自分のアジトがあるこの場所から早く遠ざかりたいのかもしれない。

「それで、ユリアーナの調査はどう?」

「そりゃあもう、清廉潔白な聖女様らしい清らかさですよ。でもねぇ……」

エルケは人差し指を厚ぼったい唇にあてて間を開ける。

じらす仕草が様になっていた。

「聖女には側近となる人物が3人います。これは勘でしかないんですけどね、使用人と主にしてはやけに親密な関係に感じられるんですよ。或いはその内のどれか一人と情を通じていてもおかしくはない気がね……」

俺はどうにも複雑な気持ちになった。

自分とクララ様の関係に置き換えて考えてしまったのだ。

聖女が外国の王子様に見初められたのはいいけど、だからといってユリアーナの恋愛関係にまで土足で踏み込んでいくようなのはフェアーではないと思っちゃうんだよね。

「おや? センパイさんは聖女と使用人の恋を認めてやれって感じだね」

「そんなこと言ってないだろう……」

同盟国の王子との結婚が嫌なら断ればいい、なんて我儘は通らないのが貴族の世界だ。

権力者たちは脅し、すかし、宥めてこの結婚を成功させるだろう。

彼らにとっての心配事は後のスキャンダルだけだ。

ユリアーナが外国に嫁いだ場合、先ず彼女は半年の軟禁生活を強いられる。

理由は至極明白だ。

その間に懐妊の兆候が出ないかを観察されるからだ。

もしその観察期間にユリアーナのお腹が膨れでもすればとんでもない事態になるわけだ。

だからこそ、こうしてエルケさん達が見張りについているわけなのだが、完璧に全てを見張れるもんでもないしね。

 エルケの話によればユリアーナと近しい関係にあるのは以下の3人だ。

一人目はラーラ・バルべ31歳。

ユリアーナの家庭教師として常に側に控えている女性だ。

眼鏡の下の切れ長の瞳は冷たい感じもするが知性に溢れている。

長身でスタイルもよく顔も大人な美人さんだ。

切れ者秘書のイメージだろうか。

二人目はカミル・ホイベルガー24歳。

こいつは護衛騎士だ。

俺も直接言葉を交わしたこともあるが、態度の大きな嫌なやつだった。

外出の際などに護衛騎士の指揮を執る立場にある。

最期がカリーナ・アンゲラー(17歳)といって、普段ユリアーナの身の回りの世話をするメイドだ。

炊き出しの際もユリアーナを手伝っていたが結構可愛らしい顔立ちをしていた。

ほっそりとした体つきで物静かな印象だった。

「具体的に何か怪しいところはあったんですか?」

「そうねぇ、最初に問題になったのはカリーナよ」

「メイドの娘だね。まあ17、8歳の女の子って同年代くらいの同性と特別に仲良くなることってあるもんなぁ。そういう世界はよくわからないけど」

いわゆるガールズラブなら嫡子の問題だけはないだろう。

いろんな道具を使って愛し合えば処女じゃなくなる場合はあるかもしれないけどさ。

もっとも、そんなものは演技でどうとでもなると思うよ。

生々しい話をすれば、高位の治癒士に大金を喜捨すれば処女膜の再生治療だって可能だ。

大した問題にはならない。

だが次に言ったエルケさんの言葉は俺の意表をつくものだった。

「男ですよ」

「……あのメイドが!?」

「ええ。女装しているだけの男でした」

それは問題かもしれない。

女装メイドならユリアーナの寝室に入っても怪しまれることはないもんね。

でも信じられないぞ。

どこからどう見ても可憐な少女だった。

「本当に?」

「ええ、自室で身体を拭いているところをこの目で確認しました。結構大きかったですよ」

敢えてナニが? とは問うまい。

でも信じられないなぁ、カリーナが男の娘とはね。

「それも、聖女が強制しているらしいのです」

うわお。

少年に女装を強要ですか……。

「このように聖女の趣味についてはわかってきましたが、具体的に何をしているかはわかりません。寝室内部の様子はうかがい知れないので本当に困っているのです」

貴人の部屋だけあって幾重にも結界が張ってあり忍び込むことが出来ないらしい。

「というわけで、センパイさんにお願いがあるんですよ」

そう言って微笑むエルケの姿はやけにコケティッシュだった。




 ツェベライ伯爵邸の玄関ホールで家人はこの家の当主を見送っていた。

近衛軍の要職にある伯爵は警備のために今夜は宮廷内での寝泊まりとなるのだ。

「貴男、お気をつけて」

「うむ、行ってくる。巷ではおかしな盗賊団が跋扈している。私がいない間も充分に警戒せよ」

そう言いながらも伯爵はそれほど心配はしていない。

この家には下男も含めて50人以上の武器を扱える者がいる。

そこら辺の木端貴族とは違うのだ。

たとえ襲撃されたとしても返り討ちにするだけの自信があった。


 仕事に出かける父親を見送ってからユリアーナは自分の居間に戻った。

「ラーラ、ホイベルガーを呼んでちょうだい。カリーナはお茶の用意を」

それぞれに指示を出し、ユリアーナは文机の前に腰かけて護衛騎士を待つ。

時間をおかずにホイベルガーはやってきた。

「お嬢様、お呼びでしょうか」

ユリアーナはホイベルガーの顔は見ずに、ラーラに向かって一つ頷いた。

途端にスカートに隠されたすらりとした脚が揺らめきホイベルガーの鳩尾みぞおちにラーラの靴が深くめり込んでいた。

「カハッ! な、なにを……」

言葉を発しようとしたホイベルガーの腹に更にもう一発の蹴りが決まり、彼はたまらずに床に倒れた。

その様子を聖女は何の感情も湧かない冷たい瞳で見下ろしていた。

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