第74話 夜回り
巡回パトロールから戻るとベックレ中隊長からクララ様に呼び出しがかかった。
「アンスバッハ殿、午後から小隊を連れて本部に行って欲しい」
「了解しました。何か緊急事態でしょうか?」
「近衛軍の手伝いだ。例の
断罪盗賊団というのは近頃ザクセンスを荒らしまわっている謎の強盗集団のことだ。
城壁内の富裕層が中心に襲われ、被害は相当な額にのぼっているらしい。
普通の盗賊と違うところは襲われた人間の罪を告発する文章を残すことだ。
こいつらに襲われた人々は一様に
そうやって被害者の罪を
お陰で城壁外に住んでいる一部の民衆には熱狂的に支持されていたりもするんだよね。
だけど、こいつらだって盗みに入る時に人を殺しているのだから、他人のことをどうこう言えるとは思えない。
そもそも盗みも犯罪だよな。
今月に入ってとある貴族が襲われ一家全員が惨殺されるという事件が起き、軍も警戒を強化することになった。
ちなみにこの貴族は神殿が禁止している麻薬の販売をしていたようだ。
城壁内のことは近衛軍の管轄なのだが手が足りないので俺たちにも応援要請が来たというわけだ。
「各地区から1小隊を派遣することになったから、南地区からはアンスバッハ殿に出てもらうことにした」
「承知いたしました」
「先日の強盗現場では15人もの武器を持った者が殺害されている。十分注意してくれ」
護衛だけじゃなくて当主やその家族も含めて30人以上の犠牲者が出ているのだ。
物騒な話だぜ。
冷たい風のせいで顔が針で刺されたように痛い日だった。
「こんな寒い日に夜の巡回とはついてねぇや。何が断罪盗賊団だよ。迷惑な奴等だぜ」
バーレ分隊長が愚痴っている。
まったくもってオヤッサンの言う通りだと思う。
奴らを義賊だなんていう人もいるけどとんだ見当違いだ。
あまりに寒いので兵隊用の外套の下に目立たないようにダウンベストを着た。
「バーレ分隊長は第1、第2分隊を、エマ曹長は第3、第4分隊を率いてくれ。第5分隊は私と共に持ち場についてくれ」
小隊を三つに分けて見回りをすることになった。
ドレイスデンの中心街とはいえ23時を過ぎると人通りはほとんど無かった。
これが城壁外だと酔っぱらいが路上で寝ていて、次の朝には凍死しているなんてことも日常茶飯事なのだが、さすがに城壁内だとそんな輩もいなかった。
お決まりの街娼も全くと言っていいほど見かけない。
ザクセンス王国では売春は国の許可を受けた業者にしか認められていない。
つまり税金を払っているものだけが公に認められて商売できるシステムだ。
だから街角に立って春をひさぐ売春婦は取り締まりの対象になる。
俺たち兵隊を見れば街娼は逃げ出すのが普通だ。
さもなくば自分の身体を差し出して、その見返りに目溢しをしてもらうというのが横行している。
城壁内にも娼婦はいっぱいいるのだが、こちらに住んでいるのは美人でスタイルの良い者ばかりだ。
当然料金も高く、娼婦たちの生活水準も上がる。
召使まで抱えているそうだからよっぽど稼ぎがいいのだろう。
聞いた話では高級娼婦の場合、一晩相手をしてもらうのに6000マルケス以上かかるそうだ。
その一方で壁の外側では値段がぐっと下がり、1回200から1000マルケスくらいが相場みたいだ。
それが年寄りだったり、容姿が極端に悪いと50マルケスなんてこともあるそうで、ちょっと想像するのも怖くなる。
俺は街娼を見ても取り締まる振りしかしない。
「待てぇ~」とか言いながら、本気で追いかけたことは一度もないんだよね。
走れば疲れるし、取り締まったところで治安が良くなるとは思えない。
無理矢理売春を辞めさせたところで彼女たちが別の職業を見つけられるとも思えないんだ。
だって街娼のほとんどは昼間に別の仕事を持った人たちばかりだ。
それだけじゃ食えないから夜の街で働いているんだぜ。
エマさんとかはかなり本気で取り締まるから厄介なんだよね。
取り締まるんなら彼女たちから中間搾取している裏稼業の人間を取り締まるべきなんだろうけど、裏稼業の人がいるお陰で娼婦を買う客が無茶をしないという側面もあってとても難しいのだ。
中には暴力で前払いした金を取り戻そうとするとんでもない客さえいると聞いた。
受け持ち地区の巡回を終えて焚火のそばで休憩した。
今晩は夜中にもう一度巡回しなくてはならない。
「旦那、ヒノハルの旦那」
物陰から名前を呼ばれたと思ったらホルガーだった。
城壁内に来ているせいかいつもより上等の服を着ている。
だけど、蝶ネクタイを付けた姿はサーカスの団長とか見世物小屋の店主のような興行師的な雰囲気を醸し出していた。
どうやっても堅気の商売人には見えないな。
「久しぶりだねホルガーさん。何か動きがあった?」
ホルガーには聖女の見張りを頼んである。
俺は小隊の皆から少し離れてホルガーの話を聞いた。
「いえ、そっちの方は全然でして。もう見張りを初めて一週間になりやすが全く動きはありませんぜ。本当に続けるんですかい?」
「そうか……まあ念のためにもう少し頼むよ」
目立たないように1万マルケスの大銀貨を手に握らせた。
「他ならぬ旦那の頼みだからお引き受けはしやすがね。今日はそのことの報告ではないんで」
ホルガーがニッと笑う。
前歯の抜けた口が間抜けに見えるが油断してはならない。
この男は情報屋としては一流の部類に入るのだ。
「今日はちょっとした情報を持ってきたんでさぁ。本当は料金を頂くところですが旦那は気前がいいから特別にサービスですよ」
いつの間にかホルガーの手のひらから先程の大銀貨が消えていた。
どこかわからぬ場所にしまったようだ。
「ここのところ下水路が頻繁に使われていやすぜ。それも城壁外じゃなくて城壁内のお上品な方です」
下水路に上品も下品もない。
城壁内の下水路だからといって花の匂いはしないのだ。
ただし、城壁外の下水路が犯罪に利用されるのはいつものことだが、頑丈な鍵と鉄格子で守られた城壁内の下水路に入り込むことは難しい。
「どこのどいつだ?」
「正体まではわかりませんがね、あんなところ誰も入れない筈じゃないですか」
城壁内の下水路の扉は近衛軍によって管理されている。
しかも王城まで下水路は伸びているので、その管理は徹底されているはずだ。
俺たち王都警備隊でも城壁内の下水路の見取り図を見ることは許されていない。
いってみれば国のトップシークレットだ。
「ホルガーさん、よく城壁内の下水路に入れましたね」
「いやあ、あそこの掃除をしている獣人にちょいとした伝手がありやしてね。その獣人たちが誰かが通った痕跡を見つけたんですよ」
そう言えば城壁内の下水路は専門に清掃をする獣人奴隷がいるんだったな。
獣人たちなら僅かな変化にも気が付くかもしれない。
「鍵が壊された形跡もないし、ということは合鍵を使って開けているんですよ。しかも獣人の一人が言うには確かに血の匂いがしたというんです」
血の匂いか……。
「それはいつのことだい?」
「ほら、例の麻薬を密売していた貴族がぶっ殺された次の日ですよ」
断罪盗賊団が城壁内の地下下水路を利用している可能性があるということか。
どんなに鉄格子と鍵で塞いでも、古い建築物によっては下水路に降りていける構造を持っていたりするそうだから完全には塞げないんだよね。
わからないのは100メートルごとに設置されている鉄格子の鍵をどうやって開けたかだな。
本当に合鍵を持っているのか?
鍵の種類だって1種類ではないのだぞ。
近衛軍に内通者がいる可能性も出てきたな。
それもある程度地位が上の者だ。
「まあ、そういう話があったってことです」
「いい話が聞けたよ。ありがとう」
「へへっ、あっしなんぞに礼を言うのは旦那くらいなもんでね。ついついサービスしたくなっちまうんでさぁ。それではまた近い内に」
ホルガーは現れた時と同じようにスッと闇の中へ溶けていった。
「コウタ、何の話だったのだ?」
「ちょっとした情報が入りました」
クララ様に今聞いたばかりの話を伝えた。
「我々には下水路の中に入る権限はないが、入口を見張るくらいはできるか」
「近衛軍に伝えなくてもよろしいのですか?」
一応知らせてやった方がいい気もするが。
「情報が事実なら既に獣人たちから報告が上がっているはずだ。我々警備隊に話さないのは自分たちの失態を敢えて伝える必要はないと考えてだろう」
もし内通者が近衛軍にいるなら監察官が動くかもしれないよね。
そんなことを普通は外部の人間に知られたくはないだろう。
監察官か……。
エルケさんは監察官配下の実働部隊の一つに属していたもんな。
聖女のその後の動きのことも知りたいし時間を作って会いに行ってみるか。
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