第72話 薔薇色に染まる

 練兵場に模擬戦用の武器が打ち合う高い音が響いている。

今日の午前中は訓練日なので我々クララ小隊を合わせた4小隊100人くらいがこの練兵場で武術訓練をしていた。

先程までは集団戦の訓練だったが、今は個人での武技を磨き合っている。

辺りを睥睨へいげいしながらベックレ中隊長が周りの兵士たちを叱咤していた。

丁度いい。

技量が競り合っている人の方が訓練になる。

「中隊長! お相手をお願いします!」

一瞬だけ雌オークは驚いた顔をしたがすぐにニヤリと笑った。

「おう!」

15分ほどベックレ中隊長と打ち合い、汗を流した。

相変わらず中隊長の打ち込みは重くて受けの練習にはもってこいだ。

「まったく、ヒノハルには嫌なところで攻撃を受け流されるな」

「隊長の連続攻撃はパワーがあって凌ぐのが大変ですよ。ただ、最後の方で攻撃のパターンが単調になる癖がありますね。特に中段が多くなる。あそこで高低への流れを取り入れられるとやりづらくなります」

「なるほど、そこが課題か」

一撃で決めたい気持ちが強くなって、一番に力が入る部分に攻撃が集中してしまうのだろう。

武芸披露会以降はじめて喋ったが、試合で負けたことは根に持っていないようでよかった。

むしろ以前よりは話しやすくなっている。

「コウタさん、私にも稽古をつけて下さい」

ハンス君が来たので、今度は一緒に型稽古をすることにした。

「中隊長、ありがとうございました」

「ああ、また相手を頼む」

最近になって以前のようにクララ様を目の敵にすることが無くなってよかった。

クララ様の為というよりベックレ中隊長にとってだ。

クララ様が本気になったら俺や中隊長では相手にならないと思う。

特に魔法を使っての攻撃は半端なものではないのだ。

冷気により足元の自由と体力を奪われて勝負にすらならないだろう。

そもそも純粋な武技でも及ばないのだから。


 午前中の訓練が終わりハンス君と部屋に戻った。

「今の社交界で一番の話題はペーテルゼンの大奥様と奥様のことなんですよ」

ハンス君の言う奥様と大奥様はエマさんのお母様とお婆様のことだ。

先日、俺がスキンケアを施した二人は神の指先ゴッドフィンガーを使ってとんでもなく若返ってしまったのだ。

38歳のグレーテルさんは20代中ごろに、56歳のお婆様も40代くらいの見た目になってしまった。

本気を出せばお婆様も20歳くらいの見た目に出来たと思うけどそこまではしなかった。

ある意味化け物じみてるもんね。

この国にロリババアの需要があるかどうかはわからない。

「ザクセンスの貴族たちはコウタさんの存在を血眼で探しているという噂です」

やっぱりそうなってしまったか。

一応グレーテルさん達には口止めはしてあるのだが身分の上の人に聞かれたら答えないわけにはいかないかもしれないな。

施術するときにショウナイに変装しておいて本当に良かった。

近日中にベルリオン侯爵のところへご機嫌伺いに出向いて社交界の様子を聞いてくることにしよう。

「そうそう、今度あの薬を使ったエステサロンというのを開店したいんだけどさ、信用のおける人を雇いたいんだよ。ハンス君はお姉さんがいるって言ってたよね?」

「はい。今はさるお屋敷で小間使いをしております」

だったら引き抜きは無理かな。

俺もそうだけど仕事を辞める時っていろいろと面倒なんだよね。

「どんな人だい?」

「今年で17歳になります。これといった特徴はありませんが、食べることが大好きでぽっちゃりしています」

度合いにもよるが嫌いじゃないぞ。

エマさんのお母さんくらいなら愛嬌があっていいと思う。

「性格は?」

「明るいですね。よく喋ります。私の5倍は喋ると思いますよ」

客商売としてはそれもありだな。

「なかなか楽しそうなお姉さんじゃないか。……仕事の引き抜きなんて無理かな?」

「実は姉にとってその話はとてもありがたいかもしれません。姉が仕えている方は3月には他家へ嫁がれるので姉もお暇を頂戴することになっているのです」

タイミング的には悪くないな。

3月では店舗の完成はまだだろうけどキープしておいてもいいかもしれない。

「一度引き合わせて貰うことはできるかな。あ、その時はショウナイに変装してだけど」

「もちろんですよ。夜なら姉も抜けてこられるはずです」

どこか適当な場所で面接をしてみるか。

ハンス君にお姉さんのことをお願いして近い内に会うことにした。



 11時50分になったので無線機で吉岡に連絡を取った。

昨日から別行動中なのだ。

吉岡には店舗を出すにあたってのリサーチを任せてある。

具体的に言うとターゲットとなる富裕層がどこで、どういった物を、どれくらいの値段で買っているかを調査するのだ。

更に街における店舗分布、人の流れや購買層の人数なども見ていく。

その上で周囲の店を鑑みながら俺たちが出店する場所を選定していくのだ。

調査には時間がかかるし、いちいち城壁内から兵舎まで戻ってくるのは大変なので、吉岡はしばらく壁内のホテルに泊まりこむことになった。

「どうだいそっちは?」

「豆のスープから解放されて清々してますよ」

兵舎では豆のスープを毎日食わされるんだよね。

安くて、栄養価が高くて、美味しいけど毎日は飽きる。

王都ドレイスデンに着いて半月以上たつけど本当に毎日だった。

「羨ましい限りだな。仕事の方はどう?」

「順調ですよ。宝飾店とかは意外と充実していて富裕層の出入りもそこそこあります。市場調査のために安めの指輪を一つ買いましたけど品質はまあまあと言ったところでした」

安い方と言っても1万マルケスだからこちらの労働者の収入の約半月分になる。

「了解、引き続き調査を頼む」

「はい。あ、そうそう、先輩もパーティー用の服を買いに行くって言ってましたよね。行くんならボリアー通りのアイクナーって店がお勧めですよ」

商売用に礼服なども揃えておきたいから数着購入予定だ。

今日の午後は軍務が休みだからクララ様も誘って行ってこようかな。

オッケーしてくれれば初デートになるな。

ちょっと気合が入る。

「吉岡、ついでに夕食を楽しめそうな場所があったら教えてくれ。ワインの種類が多い店がいい……」

「クララ様を酔わせて何をするんですか?」

やましいことは何も考えていない。

何というかそんなに焦ってないんだよね。

二人の関係はゆっくり育んでいけばいいと思っている。

その辺はクララ様の気持も考えながらだ。



 伍長以下の一般兵と曹長以上の階級では食事の場所が違う。

一般兵が長テーブルに一列に座って食事をとるのに対し、上官たちは装飾はテーブルクロスがひかれ綺麗にセッティングされた食卓だ。

食事の内容も俺たち一般兵より豪勢になる。

例えば今日の昼食だが、兵卒のメニューは豆のスープ、パン、チーズ、マッシュポテトだった。

上官たちもここまでは一緒なのだが、それにソーセージとキャロットケーキ、ワインが1杯追加される。

ほとんどの仕官は貴族なので食事の最中も従者が後ろに控えているのが普通だ。

クララ様には俺たち3人がローテンションで誰かつくようにしている。

今日は俺の当番の日だ。


「クララ様、お食事の時間です」

「うん、もうそんな時間か」

執務机に書類を置いてクララ様が立ち上がり軽く背中を伸ばしている。

その背中にそっとマントをかけた。

「クララ様、午後のご予定はどうなっていますか?」

「そういえば今日は休みだったな。特に何も考えていないが」

これはチャンスだ。

「よろしかったら一緒に服を見に行きませんか? 私はボリアー通りで何点か購入予定なのです。クララ様も近い内に夜会にご出席と伺っておりますが」

「そうだったな。コウタ達のお陰で懐にも余裕ができているから一つ新調してもよいな」

クララ様が俺たちに投資した10万マルケスが今では1000万マルケスになっている。

「他にもお寄りになりたいところがあれば行ってくださいね。どちらでもお供いたしますので」

「ありがとう。それでは今日の午後は二人で…………二人でいくのか?」

「はい。そのつもりですが」

俺はいたって平静を装うが心の中ではちょっとドキドキしている。

「ふ、ふむ。そうだな……では、早速出かけるとしよう。通りで辻馬車を捕まえてきてくれ」

「クララ様?」

「ど、どうした?」

「先にお食事をされませんと」

「そ、そうであったな。も、もちろんだとも。先に食事に行こうではないか」

クララ様も俺に劣らずドキドキしてくれたようだ。

いきなり食堂への道を間違えたりしてちょっと挙動不審ぽいけど、これはこれで可愛いな。

そんなことを考えていたらクララ様から物凄い冷気が漂ってきた。

また魔法で頭を冷やしたのかな? 

「それでは参ろう」

声はクールだったけど頬が淡いバラ色に染まっていた。

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