第71話 進化

 エマさんのお母さんはおっとりとした感じで少しふくよかな奥様だった。

とても明るくて屈託なく話をする人だ。

エマさんとは全然似ていない。

むしろ父親やお婆さんに似ているようだ。

「ようこそおいでくださいました、アンスバッハ殿。娘がお世話になっております」

お父さんが丁寧にクララ様に挨拶をしている。

ホブリッチュ男爵ヘンゼル・ペーテルゼンというのがこの人の名前だ。

宮廷では土地関係の法務の役職を務めているとのことで、真面目そうなおじさんだった。

俺と吉岡は制服ではなく商人姿のショウナイとカワゴエに偽装してきている。

エマさんからは、さるやんごとなき人に使える人物として紹介されたが、とても胡散臭そうに見られてしまった。

だからこちらから挨拶をする時はブレーマン伯爵家やベルリオン侯爵家に出入り自由の商人であると本当のことを話しておいた。

すると男爵はすぐに俺たちの正体に思い至ったようだ。

「君たちのことは噂になっているよ。国王陛下がベルリオン侯爵の腕時計を大変羨ましがっているそうだ。もしかすると近い内に宮廷にお召しになるかもしれないね」

それはいいことを聞いた。

最高級のモノを用意しておかねば。

互いの挨拶が終わると早速男爵夫人がエマさんに質問の嵐を投げかけてきた。

「それにしてもエマ、本当に綺麗になって!! 手紙を読んだ時は貴女らしくもなく大袈裟なことをと思っていたのですが、じっさい見たら大間違い。なんて素敵なのかしら。赤ん坊のほっぺただってこんなにツルツルじゃなくってよ。ほら、照れてないでお母さまに触らせてご覧なさい」

エマさんは恥ずかしそうにしているが奥様の好きに顔を触らせている。

「素敵だわ。それで私にもこの術を試してみろというのね? 勿論やってみるわ! ねえ貴男、構わないでしょう?」

少女のように興奮している奥様に男爵は軽く肩をすくめて肯定の意をみせた。

まるで、僕が止めたって君はきかないだろう? とでも言っているみたいだ。

きっとこれがペーテルゼン家の家族のありようなのだろう。

だがここに突然待ったがかかった。

エマさんの御婆さんだ。

「お待ちなさい、グレーテルさん。見ず知らずの男性に素肌を触らせるなどとんでもないことですよ」

この世界の一般的な貴族の建前はこれなのだろう。

「でもお母さま、エマの肌を見て下さいまし。あんなにも光り輝いているのですよ」

「それは……」

婆ちゃんはエマさんをみて少し態度を軟化させる。

その間に俺たちはテーブルの上に色とりどりの化粧品の瓶を並べていった。

この世界の価値観で見てもこれらのボトルは充分美しいものだ。

「奥様方、これから私共が行うのは医療行為でございます。肌に活力を与え、本来持っている美しさを引き出すための技なのです。決して怪しいものではございません」

うん、怪しさ大爆発だ。

日本でこんなこと言ったら捕まってしまうけど、異世界だから問題ナッシングだよね。

「ほら見て下さいなお母さま、あの美しい瓶の数々。先ず私が試してみますからお母さまもぜひ一緒にやりましょう!」

「まったく貴女という人は……この家に嫁に来た時からずっとこの調子なんですから」

そう言いながらもお婆さんは義理の娘のことを気に入っているようだ。

結局二人して俺の施術を受けることになった。


 昨晩クララ様で練習してあるので段取りの方はばっちり覚えている。

今日は俺一人で施術だ。

なぜならスキンケアと同時に黄金の指ゴールドフィンガーを使用するからだ。

 昨晩と同じようにクレンジングジェルを最初に塗った。

グレーテルさんは目がぱっちりしていて年齢の割に可愛らしいのだが、この二重顎とほうれい線がネックになっている。

俺はレベル1でマッサージをしながらこれらが解消しないかなと漠然と考えていた。

トリートメントクレンジングが終わり、次はトリートメント美容液をコットンでつける段になって、ふとマッサージオイルの瓶が天啓のように目に入る。

周囲はグレーテルさんの肌がピカピカになっていくことに大騒ぎしていたが、俺は自分の頭の中で囁かれる声を確かに聴きとっていた。

「(そのオイルを手にとれ)」

おもむろにマッサージオイルを手に取ると、正規の手順ではないことに気が付いた吉岡がいぶかし気な声を上げた。

「先輩、次は美容液を――」

吉岡の言葉を手で制してたっぷりとマッサージオイルを手に取る。

大きく息を吸い、手を合わせて心を落ち着けてからグレーテルさんの肌へそっと指先を置いた。


黄金の指ゴールドフィンガーレベル4


指先に魔力を籠め丹念に顎と頬をマッサージしていく。

細胞の一つ一つを呼び起こすように触れ、語り掛けるように撫でていった。

さあ、俺の呼びかけに答えてくれ!

その時、頭の中でファンファーレが鳴り響いた。


スキル「黄金の指ゴールドフィンガー」はスキル「神の指先ゴッドフィンガー」に進化しました。

貴方は美の神アフローディアの伝道師となりました。

この世の人々に安らぎと美を……。


そうか! 

こうすれば!

ここに魔力を籠めれば!

ここを流し、ここをほぐし、ここを押し上げればいいんだ! 

理解と技術が次々と頭の中でリンクして、指先がそれを実践していく。

そして……。


「先輩、やりすぎです……」

38歳のグレーテルさんは今や20代中ごろにしか見えない。

「こんなことって……」

ついつい調子に乗ってしまった。

レベル4を使うのは初めてだったから手加減が分からなかったんだよね。

「お母さま……」

「お姉さまと呼んでもいいのよ」

当のグレーテルさんはこたえてないみたいだからまあいいか。

むしろ喜んでくれているみたいだ。

「素晴らしいですわショウナイ様! このような魔法がこの世に存在するとは!」

「嗚呼グレーテル……君がこの家に嫁いできた日を思い出すよ……」

男爵の奥様を見る視線が熱い。

今晩あたり夫婦関係を再燃させてください。

「つ、次は私を…・・・」

お婆様もその気になりましたね。

でも今度はちょっと手加減しておこう。

下手したら20代に見える高齢者を作ってしまいかねない。

「先輩、後で口止めをしておかないと」

「わかってる」

俺にこんなことが出来るなんて知られたら、あちらこちらで引っ張りだこになってしまうだろう。

それこそアメリカのセレブ達が莫大な金をかけて美しさを保とうとするように、この世界の金持ちたちがこぞって俺の元に訪れるかもしれない。

ずっと人の顔をグリグリして過ごすのは面倒なのでこれはトップシークレットにしておくことにした。

1回1000万マルケス以上とっても問題ないかもしれないな。

今後の対応については超ビップのみの対応にしていくことにしよう。

「ひょっとして先輩のマッサージと育毛剤を組み合わせれば毛根をよみがえらせることも出来そうですね」

わおっ! 

なんと素晴らしい。

隔世遺伝的に俺はどちらに似てもヤバいんだよ。

これで心配事が一つ消え……ない。

黄金の指ゴールドフィンガーは自分に掛けることはできなかった。

……神の指先ゴッドフィンガーもしかりだ。

人生は難しい。



 明日から吉岡は店舗探しのためにしばらく軍務から離れる。

従者は俺とフィーネがいれば仕事は充分事足りるので問題ない。

ハンス君もいろいろよくしてくれる。

「店舗のことは任せといてください。ただ、僕らのセンスで内装は難しいかもしれませんね」

これが日本ならインテリアコーディネーターとかを雇うのだが、あいにくそういう職業はザクセンスにはない。

「ああ。男爵夫人が紹介してくれる人に期待だな」

今日は検証実験ということでエマさんのお母様たちから料金は取っていない。

その代わりいろいろと協力してくれることになった。

その内にザクセンス社交界でもセンスの良さで有名な人を紹介してくれるそうだ。

その人の協力が得られれば店舗の改装に向けて動き出せる。

俺たちもいよいよ社交界デビューか。新しい洋服を新調しなくては。

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