第68話 夜の下水道から 黒い太陽の輝く街へ

 これ以上エルケに聞くこともなかったので、用心しながら戒めを解いてやった。

ザイルの痕が手首についてしまったので吉岡が気づかれないように回復魔法をかけていた。

「まさか本当に開放してくれるとはね」

「殺されてスライムの餌にされるとでも思った?」

エルケは苦笑しながら首を振った。

「いや……無理矢理犯されるぐらいは覚悟してたんだけどね」

そんなことするもんか。

「俺には無理だよ。心も身体も反応しないと思う……たぶん……ちょっとしか」

「自分もですね。むしろ責められる方が好きなんですけど、先輩も?」

サラッとカミングアウトするなよ。

「俺はソフトなやつならどっちもいけると思うんだけど、ガチのは無理だ」

閾値しきいちが小さめなんですよね。一緒だからわかります!」

「そうそう、許容領域の内なら相手に合わせてSでもMでも楽しめるんだけど、ある一定以上になるとドン引きして賢者になっちゃうんだよね」

大きな咳払いが聞こえて俺と吉岡の会話は中断させられた。

「そろそろ帰りたいんだけどいいかな?」

エルケが呆れた顔をしている。

「ごめんごめん。今更こんなこと言うのもなんだけど、何かわかったら俺たちにも教えてくれないかな? その代わりこっちも情報を提供するからさ」

何で珍獣でも見るような目つきで俺を見るんだよ?

「……わかった。南地区のティットマン通り15番地。2階の一番東側の角部屋が私の部屋だ。連絡を取りたい時は目印を置いていっておくれ」

女の人に部屋の場所を聞くってこんな状況なのにときめいてしまう。

「わかった。それと……送っていこうか? 夜も遅いし、女の一人歩きは危ないから……」

エルケは大きく目を見開いた後に爆笑した。

「こんなところに拉致してきたのはセンパイさんたちだろう? どの口で言うかねぇ。遠慮しとくよ」

去って行くエルケが通路を曲がると松明は闇の中へ消えた。

行ってしまったようだ。

「結局、殺人事件のことは何にもわからなかったですね」

わかったのはグローセルの聖女がフランセア王国へ嫁入りするかもしれないってことだけだ。

「僕らも帰って寝るとしますか?」

「そうだな。でもその前に……ホルガーさん! 隠れてないで出てきたらどうだい!?」

闇に包まれた通路の先に声をかけると、カンテラに灯りが灯り、前歯の抜けたホルガーの顔を浮かび上がらせた。

「よくお気づきになりやしたな、ヒノハルの旦那」

たまたま風下にいたからだよ。

加齢臭のことは言わないでおいてあげるね。

「話の半分くらいは聞いていたんでしょう?」

「ええ。仲間に旦那を見かけたって聞きやしてね。ご挨拶でもと思ってきたんですが、お取込み中のようだったのであちらで控えておりやした」

よく言うよ。

しっかり盗み聞きをしていたくせに。

「聞いたことはあんまり吹聴ふいちょうしないほうがいいと思うよ。俺たちはともかくエルケさんの方はねぇ……」

「ええ、影の騎士団シャドウナイツとは驚きました。裏の世界でもその名前を知るものは少ないんですよ」

でもホルガーは知っていたんだ。

やっぱりこのおっさんは侮れないな。

「そうそう、話を聞いてたんなら丁度いいや。お願いしたいことがあるんだけど」

「グローセルの聖女のことですかい?」

「うん。この下水路で見かけた者はいないかと、亡くなった男との接点がなかったかを調べて欲しいんだ」

ホルガーは気乗りしない表情で顎をポリポリ掻いている。

「まあ、あっしは頂けるモノを頂ければ情報は提供しますがね……どうしてそんなにグローセルの聖女にこだわるんですかい? どうせ証拠は挙がらないし、聖女を逮捕なんてできないでしょうに」

それは俺もわかっている。

ただ一度関わり合ってしまった手前、真実をつまびらかにしたいだけだ。

聖女を裁こうとかそういうつもりはないんだよな。

罪人を裁くのは法律家や神殿の仕事だし、俺は単なる警備兵だ。

「ホルガーは気にならないの? 聖女が殺人を犯したかもしれないんだぜ?」

「へへっ、まあ気にならないといったら嘘になりやすがね」

情報屋をやっているだけあって好奇心も強いのかな。

「なんか、スクープを追いかけるゴシップニュースの記者みたいですね」

言い得て妙だな。

ふむ……本格的に新聞を作り始めたらホルガーを記者として雇うのもアリか。

こんど誘ってみよう。

「ただ俺はそれを記事にするつもりはないよ。証拠も上がらないだろうしね。だからこれは俺の個人的な自己満足の為なんだ」

「わかりやした。お引き受けいたしましょう。ただね、あっしは旦那のことを結構気に入ってるからご忠告しやすが、あまり深入りはしないほうがいい。特に宮廷が絡む話はね」

さもありなんだ。

一歩道を間違えれば下水道の底に放り込まれ、スライムの餌になるのは俺かもしれないのだ。

好奇心もほどほどにしとかないとね。



 下水路でエルケさんを尋問して、ホルガーに仕事を依頼してから二日たった。

どちらからもまだ連絡はない。

聖女の見張りはホルガーとその手下がしてくれている。

怪しい動きがあればすぐに兵舎に連絡が来る手筈だ。

今日はこれから2時間ばかり日本へ送還される。

「本当に2時間だけでよいのか? もう少しのんびりしてきてもよいのだぞ」

クララ様は気を使ってくれるが、あちらへ帰っても夜の10時だ。

大抵の店は閉まっている。

「風呂に入って、食料品を買うくらいですから2時間もあれば充分ですよ。クララ様のお休みの時間が遅くなってしまいます」

寝不足はお肌の大敵なんですよ。

今は夜の7時だから9時に戻ってくることになる。

向こうに長くいればそれだけクララ様は召喚のために遅くまで起きていなくてはならなくなるのだ。

「そのように気を使わなくてもよいといつも言っているだろう。それにしても風呂とはなぁ……私も久しぶりに湯浴みをしてみたいものだな」

ここの兵舎はもちろんだが、エッバベルクの屋敷にもお風呂はなかった。

「クララ様はどちらでお風呂をお使いになったんですか?」

「2年前に聖地巡礼で南のロマール帝国へ行った時だ。公衆浴場なるものに入ったのだ。かの国は風呂の文化が盛んだからな。あれは大変気持のよいものだった。出来ることならもう一度入りたいものだ」

日本にクララ様をご招待出来たらどんなにいいか。

スーパー銭湯だろうが高級老舗温泉旅館だろうが何処へでも連れて行ってあげるのに。

でもイケメンさんに怒られるだろうなぁ。

怒られるだけならいいけど存在を抹消とか簡単にされそうで怖い。

吉岡とも相談しているが、商人に偽装したショウナイとカワゴエが借りる住居には必ずお風呂をつけるつもりだ。

金に糸目はつけないもんね。

世界中の高級な風呂の画像を集めて気に入ったモノを職人に見せて、こんな感じで作ってくれと頼む予定だ。

まだまだ先の話だな。



 赤い扉をくぐるとそこは日本だった。

さっそく一週間ぶりに髪を洗う。

こういう時、1回目のシャンプーではあまり泡が立たない。

きっちり二度洗いをしてからゆっくりと肩までお湯につかった。

気持ちがいいなぁ。

風呂上がりにマッサージとかしてもらったら最高なんだろうな。

黄金の指ゴールドフィンガーは人にはしてあげられても、自分には何の効果ももたらさない。

なんて悲しいお話なんだろう。

でも、お風呂上りのクララ様にマッサージしてあげたら喜んでくれるかな? 

早く風呂を作りたいけど最低でも数カ月はかかるだろう。

なんとかいい手はないだろうか? 

クララ様もお風呂に入ってみたそうだったし、ちょっと真剣に考えてみた。

何もちゃんとした風呂じゃなくてもいいよな。

今あるアパートに簡易のモノを取り付ければ。

でも給湯器がないか。

いや……吉岡に頼めばお湯くらい作れそうな気がする。

むしろ課題を与えれば喜んで研究するのがアイツの性格だ。

火魔法と水魔法の組み合わせですぐに作れるようになりそうだ。

だけど問題は浴槽か。

大きな木のたらいとかは売っているだろうがアパートの狭い階段を運べない気がする。

まてよ、ビニール製のプールなら……。

でも、この時間じゃ店は開いていない。

しかも今は真冬だ。

いや、空いている店はある! 

さらに言えばプールを置いてる可能性もゼロじゃない。


 風呂から飛び出して急いで服を着た。

時刻はまだ10時30分だ。

再召喚まではあと1時間半ある。


「もしもし、今大丈夫か?」

「お風呂に入ってる途中でした。素っ裸で出てきちゃいましたよ。なんかありましたか?」

風呂の途中で電話を取らせてしまったか。

「ごめん。俺、これから買い物に行くけど欲しいものとかある?」

「買い物って、この時間に? どこ行くんですか?」

「安売りの殿堂 サンチョ・パンサだよ!」

サンチョ・パンサは全国展開しているディスカウントストアだ。

「だってもう10時過ぎているでしょう?」

「甘いな吉岡君……新宿店は24時間営業なのだよ!」

「っ!! すぐに向かいます。現地で落ち合いましょう!」

買ってきて欲しいもののリクエストを聞こうとしたのだが、吉岡も行きたくなったようだ。


 眠らないこの街には沈むことのない幻の太陽があるのかもしれない。

ブラックライトのようなその太陽の光の下で「夜の街」が妖しく浮かび上がっていた。

まるでファンタジーだな。

新宿通りで拾ったタクシーの窓から見える巨大な都市は自らの重みで潰れてしまいそうに見える。

悲鳴のようなサイレンがどこかで鳴り響いていた。

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