第65話 聖女の顔

 月のない夜だった。

街路を馬車で走りながら俺たちは何度も後ろを振り返った。

「つけられてないよな?」

「大丈夫だと思いますけど、油断はできません」

俺の空間収納にはかなりの額の金が入っている。

現金で1200万マルケスだ。

今夜はそれしか売れなかったのかだって? 

いや、商品は4割がた売約成立済みだ。

現金と商品の受け渡しは後日ということになっているだけだ。

今夜の売り上げは2億マルケス以上になっている。

ついに俺たちは目標金額の億越えを果たした。

これで念願の店舗が持てるというわけだ。

「さすがに大貴族が盗賊のような真似はしないか」

「ええ、ちょっと用心しすぎましたね」

ベルリオン侯爵が商品や金品を強奪しようと人を雇う可能性まで考えたが、そこまでこの国の貴族の道徳観念は堕ちていなかったようだ。

かつて王都への旅の途中で出合い、決闘騒ぎまで起こしたカンマーシュテット男爵という我儘貴族わがままきぞくがいただろ? 

あれのことを考えると侯爵が追剥おいはぎの真似事をしてもおかしくないと思ったんだ。

だけど侯爵はあんな小者とは違ったようだ。

俺は手綱を引いて馬のスピードを幾分落とした。

「いよいよですね先輩」

「ああ。クララ様に時間を貰って店舗を探し始めないとな」

「だったら自分に任せておいてください。先輩はクララ様のそばにいないとダメでしょう?」

どういう意味で言っているのかな? 

ちゃんと召喚獣として契約を履行しろってこと? 

それとも、俺とクララ様の関係が吉岡にばれてる? 

よくわからないからここは敢えて触れないでおこう。

「じゃあ吉岡に任せるよ。頼むな」

「ええ」



 通りを曲がると見覚えのある景色だった。

確か次の四つ辻を右に曲がれば道はグローセル地区へと続いているはずだ。

グローセルか、ユリアーナの住むツェベライ伯爵邸のある地区だ。

今頃あの聖女は何をしているのだろう? 

この闇の中でも慈善事業の時に見せていた笑顔と同じ表情をしているのだろうか。 

それとも全く別の顔をしているのか。

そんな疑問が俺の心の内で沸き上がる。

好奇心は猫を殺すというのに、沸き上がる欲求が抑えきれない。

危険なことは重々承知しているんだけど……。


「敵襲ですか?!」

馬車を急停車させると吉岡が叫んだ。

「いや、いきなりごめん。ちょっと寄りたいところがあるんだ。先に帰っててくれないか?」

「寄りたいところって、まさか……」

グローセルの聖女のことは吉岡にもまだ話していなかった。

確証がないのに軽々に貴族を犯人扱いできなかったのだ。

「先輩、儲かったからってすぐに風俗とかはダメでしょう。せめて自分を誘うくらいの気遣いは――」

「違うって。そういうのじゃないんだ」

俺の真剣な表情をみて吉岡も何かを察したようだ。

「一人で大丈夫なんですか?」

「ああ。もし、俺が朝までに帰らない時はクララ様に送還と再召喚を頼んで欲しい」

「先輩、本当にどうしたっていうんですか?」

吉岡にだけは本当のことを話しておくべきだろう。

グローセルの聖女であるユリアーナと同じような匂いを下水路の犯行現場で嗅いだことを打ち明けた。

「そんな……、だって……あの娘はまだ15歳で……」

「確証があるわけではないんだ。だからこそ確かめたいんだよ。今夜グローセルに行ったところで何かが分かるとは思ってないけど……」

俺がしたいのは、かの聖女が太陽のない夜のとばりのむこうでどんな顔をしているかを見たいだけだ。

自分がやろうとしているのが犯罪行為というのはわかっている。

30歳のオッサンが15歳の少女の部屋を覗こうというんだからね。

「わかりました。本当に危険なことはしないで下さいよ。あと無線機は身につけて行ってくださいね」

「わかった。それから帰り道に寄って貰いたいところがあるんだ」

「どこですか?」

「宝浚いのホルガーって憶えてる?」

ホルガーは下水路の浮浪者に顔が利く情報屋だ。

「先日会った前歯の抜けたおじさんですよね」

「うん。ホルガーに聖女と殺された男の接点を調べてもらって欲しいんだ」

「わかりました。確かその辺の浮浪者に声をかければホルガーの方から来てくれるんでしたよね」

空間収納から無線機を取り出して充電を確認した後、馬車の荷台に隠れて黒ずくめの服に着替えた。

黒いグローブをはめ、顔も登山用のバラクラバ(目出し帽)を被り完璧に闇に溶け込んだ。

問題は真っ暗だと自分もあまりよく見えなくなってしまうことだ。

「目を閉じてゆっくり10数えて暗闇に目を慣らすんですよ」

「了解。いってくれ」

遠ざかる馬車を確認してから建物の壁に寄りかかって目を閉じた。

本当だ、眼が暗順応あんじゅんのうしてさっきよりもよく見える。

よし、このまま路地裏をグローセルまでいくとしよう。


 どうしてこんなに事件のことが気になるのだろう。

正直に言えば殺された浮浪者のために犯人を見つけようなんて気持ちはあまりない。

可哀想だとは思うが俺が犯人を見つけたところで殺された人が生き返るわけじゃないもんね。

本当にただ知りたいだけなんだな。

だってあんな優しそうな女の子が殺人犯かもしれないんだよ。

聖女とまで呼ばれる少女が人を殺すなんてことがあるのか? 

もしそうなら何故? 

警備隊の兵士だからとかじゃなく、読みかけの小説を最後まで読んでみたいという欲求に似ているのかもしれない。

こんなことになるのなら暗視ゴーグルとか買ってくればよかったかな。

次回の送還は二日後だが、向こうでの滞在時間は10時間くらいを考えている。

警備隊兵士としての業務があるので19時に送還してもらって朝の5時に帰ってくる予定だ。

日本時間では12月21日の22時から8時だから店に寄るのは無理だな。

深夜営業のスーパーマーケットや酒屋くらいしか寄ることはできないだろう。


 通用門近くの特に暗い場所を選んで鉄格子を乗り越えた。

「ヤモリの手」があるのでどうということもない。

その気になれば王都の城壁だって簡単に登れてしまう。

壁際の暗いところで周囲の匂いを嗅いだ。

こうしてやってきたはいいのだがユリアーナの部屋がどこにあるかなんて知らない。

匂いをたどればなんとかなるかと思ったが時間がかかりそうだな。

伯爵邸の窓は多く、端から調べていくのは困難だろう。

そこで俺は的を絞って調べることにした。

1.窓ガラスのある部屋

2.2階より上の部屋

3.カーテンのしまっている部屋

以上三つの条件を満たしている部屋だ。

ガラスは高級品なので使用人の部屋にはないと思うし、防犯の観点から言って令嬢の寝室は2階より上だと思う。

カーテンは部屋が使用中の目印になる。

後は窓の隙間に鼻をくっつけて室内の匂いを嗅げばユリアーナの部屋を確定できるはずだ。

そして今夜はそれだけにとどめておくつもりだ。

急いては事を仕損じるっていうもんね。

部屋さえ特定できれば次回から張り込みがしやすくなるだろう。


 周囲を見回すが人影はない。

うまい具合に新月の夜だから壁にへばりついていても見咎められることもないだろう。

少し多めに息を吸い込み壁に手を付けたその時だった。

暗闇から伸びた手が俺の口を塞ぎ、首には刃物があてられた。

「動くな」

気配から察するに複数の人間が俺の後ろにいるようだ。

こちらの正体をバラしたくはないがこの状態で逃げ切れるか?

「覆面を脱がせろ」

こいつらは伯爵家の人間か? 

だとしたらちょっと困ったことになるかもしれない

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