第63話 グローセルの聖女
グローセルの聖女とは王都ドレイスデンでは知らない人などほとんどいないくらいの有名人だった。
聖女と言っても特別な魔法が使えたり、稀有な戦闘力をもっているのではない。
「グローセルの聖女ことユリアーナ様はツェベライ伯爵家の御息女なのです」
うっとりとした表情でエマさんが聖女の説明をしてくれる。
「小さい時から大変お優しい方で、貧民街や労働所での炊き出しを率先してされているのですよ。優しいだけじゃなくて、愛らしく、美しく、そしてたいそう賢くてもいらっしゃるんです」
随分と心酔しているみたいだな。
つまり聖女とは貧民街で炊き出しなどの奉仕活動をしている貴族の女の子のことなのね。
可愛くて心優しい少女だから皆で聖女なんて呼んじゃってるわけだ。
「御年十五歳になられてからはその美しさにも一層磨きがかかり、もう天使のようでございますわ」
おいおい、本物の天使は美しいけど物凄く怖いぞ。
イケメンさんを間近で見てきた俺が言うんだから間違いない。
あれをわざわざ見物に行く気はしないな。
だけどグローセルの聖女が炊き出しを行う日には数多くの見物人が集まるそうだ。
一般庶民だけではなくて上流階級の若者にも人気がある。
幼くあどけなさが残る美しさには庇護欲を掻き立てる何かがあるのかな。
「ああ、ユリアーナ様の護衛を仰せつかるなんて騎士の本懐です……」
エマさんはうっとりしちゃってる。
「要するに日本のアイドルみたいなものですね」
「そう言われると納得できるな。聖女なんて言うから欠損部位を生やしたり、死者の蘇生とかができる人かと思ったよ」
ただ、聖女という称号は一部の神殿も認めているそうだ。
神殿では毎週祭礼が行われているが、ユリアーナが訪れると神殿がパンクしてしまう程の人が集まるらしい。
だから各教区の神殿では礼を尽くしてユリアーナに来てもらうように頼んでいるそうだ。
なにせ集まる
「そういえば先輩は回復職とかの癒し系萌えでしたよね。今はクッコロ系に宗旨替えしたみたいですけど」
「ばっ、吉岡!」
クララ様はよくわからないといった表情で俺たちを見ていた。
いきなり恥ずかしいことを言いやがって。
それにクララ様は無敵だからクッコロにはならないのだ。
「ところでグローセルって何?」
「地名ですよ。ツェベライ伯爵家の屋敷があるところがグローセル地区です。私も非番の日はよくあの辺りをぶらついています。聖女様にすれ違えるかもしれませんからね」
エマさんはアイドルのストーカーかよ。
……グッズとか売りだしたら儲かりそうだ。
少なくともエマさんは買ってくれると思う。
グローセル地区は広い前庭を備えた大きな屋敷がたくさん並んでいた。
以前取引で行ったことのあるベルリオン侯爵の住むミアブッシュ地区には敵わないが、ここもかなりのお屋敷街だ。
そういえばベルリオン侯爵に腕時計をお見せしたいという書状を送ったらすぐにでも来るようにという返事が返ってきた。
日中は兵隊業務が忙しいので今晩に商品を持っていくことになっている。
今回も大儲けが出来たら嬉しいな。
ツェベライ伯爵の館の玄関ホールで伯爵家の騎士たちに警護の説明を受けた。
それにしてもこの二人の騎士の態度が微妙にでかい。
「ユリアーナ様のお傍には我々伯爵家の騎士たちが付き添います。アンスバッハ様は群衆がユリアーナ様に近づきすぎないように手配をして下さい」
「承知した」
言葉遣いはそれほどでもないのだが態度の端々にクララ様を軽んじている様子が見て取れる。
確かに伯爵家は古い家柄でアンスバッハ家と比べるべくもないんだけど、そこの家臣のお前らまで偉いわけではなかろうに。
心の内でちょっとだけ腹を立てていたら、扉が開いて一人の少女が現れた。
途端にくすんだ景色が色づくような感覚がした。
随分と華のある女の子だ。
これがグローセルの聖女で間違いないだろう。
豊かな金髪を丁寧に編み込み、青い瞳は無邪気さと慈愛の光を放っているように見える。
清楚系と癒し系が絶妙なバランスで入り混じり、更に親しみやすさまで備えた美少女だった。
飾り気のない簡素なドレスがよく似合う。
匂いも花のように
「ようこそおいでくださいました。本日私の護衛をして下さる皆さんですね。ツェベライ伯爵家の次女でユリアーナと申します。今日はよろしくお願いいたします」
にっこりと笑顔で挨拶をするユリアーナから後光が射してきそうだ。
それまでの騎士の態度が悪かったのでユリアーナがますます好ましく見える。
確かにこれは伝説級のアイドルになってもおかしくなさそうだ。
「エッバベルク騎士爵クララ・アンスバッハです。私の小隊が護衛に協力いたしますので、心置きなくご奉仕に勤めると良いでしょう」
男装のクララ様とユリアーナが並んでいると宝塚もビックリな華やかさだ。
聖女を乗せた馬車は城門を出てスラムへと向かった。
俺たちはその前後を守っている。
「要するにアイドルのコンサートの警備員みたいな仕事ですね」
「だな。聖女の警護なんて言うからボディーガードとかシークレットサービスみたいなやつを想像してたんだけどな」
そういうのは伯爵家の騎士たちの役目だった。
俺たちの仕事は興奮した群衆がユリアーナ様に群がらないように気をつけることだ。
ユリアーナ様が手ずから食べ物を渡すこともあるので、順番を守らせたり、列を乱さないようにさせなくてはならない。
一番厄介なのは食べ物を貰い損ねた人々が騒ぎを起こすことだ。
それなりの量を用意してはいるが、どうしてももらえない人達は出てくる。
そういった人たちが文句を言う前に追い返すのも仕事の内だ。
「ユリアーナ様可愛かったですよね!」
吉岡が少し興奮している。
そういえばこいつはスマートフォンでユリアーナを隠し撮りしていたぞ。
俺は知ってるんだからな。
「まあ美少女だよな」
「それだけじゃなくって応援したくなるタイプっていうのかな?」
俺にはそういうのはわからない。
弟や妹のために頑張っているリアとかだったら応援したくなるんだけどね。
スラムで施しをする貴族のお嬢様を応援かぁ……やっぱりピンとこないなぁ。
それに昔からアイドルには興味はなかったんだよな。
「コウタは施しをするのが嫌いなのか?」
クララ様が真剣な顔で聞いてきた。
「そうではないのですが……もし施しをするなら完全な匿名がいいですね。聖女だの聖人だのにされるのは御免ですから」
そんなものにされたら飲み屋で羽目を外すことも出来なくなるじゃないか。
もしも他人のために善行を施すのだったら誰にも知られずにこっそりやればいいと俺は思う。
城門を抜けて西地区へと入った。
ここはラインガ川の川下に当たり貧しい人達が多く住む場所でもある。
街も雑多な感じになり、道や建物もあまり整備されていない。
川の水も生活排水が多量に流れ込み上流より大分汚い。
今進んでいる道は川からは大分離れてはいるものの「犬の鼻」を持つ俺には下水道と同じ匂いが嗅ぎ分けられた。
本日の配給場所は西地区で一番大きな神殿の前広場だ。
警備の最終打ち合わせを各分隊長たちとしていると優雅なしぐさでユリアーナ様がやってきた。
「皆さまお勤めご苦労様です。本日はよろしくお願いいたしますわ」
花がほころぶような笑顔に分隊長たちの目尻も下がってしまう。
中には好色な視線を投げかける者さえいる。
相手はまだ15歳だぞ。
あ、こっちの世界は16歳で成人だから、15歳でも充分恋愛の対象になるのかな?
確かにこの世界の人々は日本の同じ年齢の少年少女より大人びてはいるな。
風が吹き、風下にいた俺の元へ聖女の香りを運んでくる。
うん、いい匂いだ。
いや、匂いフェチの変態じゃないよ。
どうしても個人の香りを特定しちゃうんだよね。
とんでもなくスペックの高い鼻だからさ。
ラインガ下流の下水路のような匂いも、聖女の花のような
この組み合わせは以前どこかで……。
!!
浮浪者殺害現場で嗅いだ花のような匂い!
あの時に嗅いだ匂いと似ている気がする。
下水路ではクララ様かエマさんが香水をつけているのかとおもったのだが……。
まさかな。
相手はグローセルの聖女と呼ばれる伯爵家のお嬢様だぞ。
深層の令嬢が地下下水路に入り込み浮浪者を殺す?
ちょっと想像がつかない。
ひょっとして犯人が同じ香水を使っているだけという可能性もあるし、実は似たような匂いであって別の香りということもある。
何日も前の事件だからはっきり覚えているわけじゃないんだ。
それに万が一ユリアーナが犯人だったとして、俺はどうすればいいんだ。
証拠なんて何にもないのだ。
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