第58話 怪物のハラワタ

 暗くジメジメした地下下水路はドレイスデンという怪物のはらわたみたいに思える。

その中を進む俺たちはさしずめ巨大怪獣の腸内を流れていく丸呑みされた食べ物といったところか。

凍てつく寒さと浄化スライムのおかげでとんでもなく臭いということはないのだが、それでも匂いはきつい。

吉岡はさっきから鼻を抑えながら口で息をしていた。

「先輩は犬の鼻を持っているのによく平気ですね」

「ぼっとん便所よりマシだろ。山の上のキャンプ場とかだとこれの何倍も臭いぞ」

今時はどんどんバイオトイレに切り替わっているから山小屋のトイレも清潔になっているんだけどね。

「僕は渋谷駅のトイレより臭い場所があるなんて想像もしていませんでした」

「あんなもん大したことないぞ」

確かに渋谷とか新橋の匂いはすごいけどさ、お坊ちゃまはこれだから困りますな。

でも、エマさんも吐きそうな顔しているな。

クララ様は……けっこう平気そうだ。

意外とタフなんですね。


 作業を掃除夫たちに任せ、バーレ分隊長の案内で下水路を視察していく。

「足元に気をつけろよ。いろんなもんが落ちてるからな」

定期的に掃除をしている割にはゴミが多い。

薄汚れた藁束わらたばとか焚火のための石があちこちに積んであったりする。

「ここの住人の生活の跡ですか?」

「ああ、躓くなよ。それからたまに死体が転がっているから叫び声とか上げないようにな」

最初はオヤッサンのザクセンスジョークなのかと思ったが、死体があるというのは事実らしい。

下水路に住む浮浪者の大半は病気で働けなくなった者たちだ。

だからそんな人たちが死ぬとそのまま放置されてしまうのだ。

さっきから何人かの浮浪者とすれ違っているが、兵隊が来たというのに全員横になったまま動こうとせず、どんよりとした眼差しを向けてくるだけだった。

もう、自分の死期を悟っているのだろう。

動ける者は兵隊が来た時点で逃げている。

「もし死体を見つけた場合はどうするんですか?」

「水中のスライムに食べさせるのさ。どうせ死体から衣服ははぎ取られているからな。作業員が水の中に死体を落としておしまいさ」

このように掃除夫の作業内容はヘビーなのだが、この仕事は1日に750マルケスの報酬が支払われるのでかなりの労働者が応募してくる。

「気が滅入る仕事ですね」

「兵隊なんざこんなもんだ。それでも戦場よりはずっとマシだろ?」

戦場は知らないけどきっとそうなのだろう。

「隊長! 新しい死体です」

前方を歩いていた兵卒が大きな声で呼びかけてくる。

出来ることならお目にかかりたくなかったな。

「また浮浪者の病死か?」

オヤッサンの質問に兵卒の答えは要領を得なかった。

「まあ、おそらく。既に衣服ははぎ取られ水の中へ放り込まれている状態でして」

こういうこともたまにあるそうだ。

死体から衣服や持ち物をはぎ取った後、もののついでに遺体を水中にわざわざ落としていったようだ。

律儀りちぎな盗人といっていいのだろうか?

「遺体を確認する」

全員乗り気ではなかったがクララ様の一言で現場へ行くこととなった。

グロっ!

見なきゃよかったよ。

遺体はスライムの分泌液によって皮膚が半分溶けかけていた。

まるでローションを塗りたくった理科室の人体模型だ。

吉岡とエマさんがたまらずに吐いていた。

俺もかなりヤバい。

登山中に崖から落ちたカモシカの腐乱死体に何度かお目にかかった経験がなかったら多分もどしていただろう。

この状態ではまともな検視なんてできないと思う。

唯一の救いは腐敗臭がしないことくらいか。

でも敏感な犬の鼻がちゃんと遺体から染み出た血の匂いを嗅ぎ分けちゃうんだよね。

って、あれ? 

血の匂いは死体からだけじゃなくて通路からもしているぞ。

ポケットからフラッシュライトをだして通路を照らしてみる。

「どうしたコウタ?」

「あ、やっぱりあった。ここに血の痕があるんです」

すでに乾いてはいたが、通路には血痕が残っていた。

クララ様も屈んで俺と一緒に床を調べた。

「ふむ、病気で死んだものを突き落としたのではなく、生きている人間を殺して持ち物を奪ったか……」

「それもここでは珍しくないことでして……」

オヤッサンによれば月に1つくらいは他殺体が見つかるそうだ。

でも実際の事件はもっと多いのだろう。

人知れずスライムに溶かされる死体の数は想像もつかない。

もうね、早いところ地上に出て新鮮な空気を吸わせてくれって感じだ。 

このままでは息が詰まりそうだ。

……内緒でクララ様の匂いを嗅いで気持ちを落ち着けちゃおうかな。

意識を目の前で血痕を調べているクララ様に集中した。

「あれ? クララ様、香水をつけてますか?」

「いや、私はそういうものはつけないが……」

気のせいかな、フワッとフローラルな香りがしたような気がしたんだけど。


 遺体の身元確認は難しそうに思えた。

わかっているのは死んだのが人族の男で年齢は30歳から45歳、髪の色は黒、目の色は茶色ということくらいだ。

クララ様の命令で浮浪者たちへの聞き込みが開始されたが、元気な浮浪者は俺たちの姿が見えると逃げようとするし、動けない病人は何も知らないしで捜査は難航した。

兵士たちは一昨日中にいなくなった仲間で遺体の特徴を備えた者はいないか浮浪者たちに訪ね歩いて午前中が終わった。



 手がかりのないまま時刻は昼になった。

掃除夫たちに休憩を取らせなければならないこともあり全員で地上に上がる。

どうせこの事件も迷宮入りになるのだろうと兵士たちは話していた。

監視カメラなんてものはないし、相手が浮浪者だと兵士たちも本気で探そうとはしない。

運よく目撃者が得られても事件を立証する物証をみつけるのは難しそうだ。

この世界にDNA 鑑定はない。

「クララ様、場所が場所だけに犯人捜しは難しそうですね」

「ああ。せめて死んだ男の名前が分かればいいのだがな」


 兵士たちには昼食としてパンとチーズが配られた。

近くの露店でスープを売っていたので配給だけで足りない兵士が購入していた。

木の深皿に入ったスープは一杯12マルケスだった。

フィーネが買ったものを見せてもらったがニンジン、カブ、ジャガイモなどの根菜がたくさん入っている。

味付けは塩だけでシンプルな感じだが、凍てつく寒さの中で湯気を立てているスープはとても美味しそうに見えた。

でも死体をじっくり観察させられた俺の食欲はゼロだ。

吉岡とエマさんも相変わらず青い顔をしている。

フィーネはよく平気だね。

成長期?

うん……成長の余地はたっぷりあると思う。

頑張れちびっこ。


 一方、掃除夫たちは弁当を持ってきている者も多かったが、食べ物もなくつまらなそうにただ座って休憩している者もいた。

何か食べさせてやりたいが施しをしていればキリがない。

歎異抄たんにしょう』の中でも「この慈悲始終無じひしじゅうなし」と書かれている。

人間の力など小さなもので、いくら可哀想と思っても、そういう慈悲は首尾一貫しないものだということを言っているらしい。

だからこそ仏の力に縋りましょうということなのかな? 

仏教徒ではないがその通りだと思う。

いくらこの人達が可愛そうと思っても、俺は兵舎に帰れば密かに空間収納からガジャリコを出しておやつに食べるだろう。

もう少しお腹が空いていたらクラブ・ハラエのバームクーヘンにかぶりつく可能性もある。

その時、俺の頭の中にこの人達の姿はない。

あっても振り払ってしまうはずだ。

それができない場合はマザー・テレサのような生き方をするしかない。

だけどかの偉人のような生き方こそ俺には無理というものだ。

せめてもの思いで兵士たちが焚いた焚火の中で手のひら大の石を焼いた。

「コウタ、何をやっているんだ?」

オヤッサンがさっそく興味をもってくれる。

温石おんじゃくを作ってるんですよ。こうして焼いた石を布で包めば……」

原始的なカイロの出来上がりだ。

「おっ、温かいな。俺もやってみるか」

バーレ分隊長を皮切りに兵士たちがどんどん温石を作っていく。

俺は掃除夫たちにも声をかけた。

「石を焼きたい者は持ってきて焼いていいぞ。火傷をしないように気をつけてな」

外は氷点下の寒空だ。

結局、そこにいた全員の掃除夫たちが石を拾ってきて温石を作っていた。

寝る前に腹のところにいれれば暖かく眠れると思うよ。

体温が上がれば免疫力は増すと聞いたことがある。

健康でいられるならば仕事はあり、王都では食うには困らない。


「旦那、旦那!」

汚い恰好の小男が俺に呼びかけてきた。

今日雇われた掃除夫ではないようだ。

「なんだい?」

「あっしにもその石を戴けますかい?」

温石が欲しいのか。

「ああ、これを持っていくといい。石を包む布はある?」

木の棒を箸にして石をつまみ、煮しめた様なスカーフに落としてやった。

「へへっ、こいつはあったかくていいや」

男の頭は白いものがかなりまじり50歳はいってそうだ。

「なんだお前、ホルガ―じゃないか」

オヤッサンの知り合いか?

「最近見かけなかったな」

「へい、ここんところ東区へでばってましたもんで。また南区の方へ戻ってきましたのでよろしくお願いしやす」

ホルガ―と呼ばれるこの男は「宝浚たからさらい」をしているそうだ。

宝浚いとは下水道や川を浚って金品や物品を得る者の総称らしい。

下水道には高価な指輪など思わぬお宝が落ちていることもあるそうだ。

そう言ったものを集めて何とか糊口ここうをしのぐのがホルガ―の商売だった。

また職業柄、裏社会にも顔が利き、密かに情報屋という副業も営んでいる。

「情報屋かぁ。じゃあさ、ホルガ―さんなら殺された男の名前とかわかるかな?」

「そりゃあ、まあ」

前歯の抜けた口で笑うホルガ―はどこか憎めない顔をしていた。

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