第54話 レベル3

 ザクセンス語の表記は28文字からなる。

今俺はクララ様の部屋でこちらの世界の文字フォントを作製中だ。

使用したのはフリーソフトで、マス目つきのキャンバスに四角や丸のドットを埋めていくことで簡単にオリジナルフォントが作成できるものだ。

「いかがでしょうクララ様?」

「もう少し縦の線が長い方がいいのではないかな?」

最初はノートパソコンに驚いたクララ様だったが、すぐに慣れて30分もしない内にもうマウスを使って自分でフォントを作り始めていた。

クララ様と二人きりになるのは久しぶりだ。

今はパソコンという異世界のテクノロジーを使っているので他に人を部屋に入れないようにしている。

いい機会だったのでスキル「犬の鼻」をアクティブにしてクララ様の匂いを徹底的に覚えた。

……別にいやらしいことを考えてじゃないぞ。

いざという時のために知り合いの匂いは全部覚えるようにしているのだ。

吉岡やエマさん、フィーネにハンス君の匂いも覚えている。

これで、街ではぐれたとしても見つけ出すことが可能だと思う。

しかも「犬の鼻」をアクティブにしておくとドアの外や窓の外に不審者がいたとしてもかなりの確率で気が付くことが出来るし、知っている匂いならば人物を特定することだってできるのだ。

自分がどんどん犬人化している気がするけどいまさら気にするまい。


 数時間をかけて何とか28文字すべてのフォントが完成した。

これで名刺や急ぎの資料なんかは簡単に作成できるようになった。

「お疲れ様でした。何か飲み物を入れましょう」

「うん。流石に肩がこったな」

クララ様が首を回している。

「よろしかったらマッサージをいたしましょうか?」

「うっ」

無言のまま固まってしまった。

やっぱり肌に触れられるのは抵抗があるのかな。

「コウタは……コウタは平気なのか?」

「何がでしょうか?」

クララ様は俯き加減なので表情はよく見えない。

「コウタは私の身体に触れて……その……何も感じないのだろうか」

悪いことをしてしまったか? 

さっきまでは辛そうだから首周りをほぐしてあげようとしか考えていなかったが、もうマッサージは無理だ。

そんなことを言われたらどうしても女としてのクララ様を意識してしまう。

デリカシーがなさすぎたな。

「そ、そうですね。畏れ多いことを言いました。お許しください」

「そうではないのだ。そういうことでは……」

頭の中が真っ白になった俺は強引に会話をスルーして逃げ出すことにした。

「ホットレモンを作りましょう」

フォント作成ソフトを終了させて空間収納からガスコンロとケトルを取り出す。

クララ様はデスクトップの写真をぼんやり見ていた。

「それは私の故郷の山で月山がっさんといいます。私が生まれて初めて昇った山でもあるんですよ」

「これは……絵なのか?」

写真というものの概念を説明するのは難しいな。

「私の世界には風景を写す写真という機械がございます。こんな感じです」

ノートパソコンの上部に取り付けられたカメラを起動させると、画面にクララ様と俺の姿が現れた。

「私と……コウタが……」

「ええ」

ボタンをクリックして静止画を撮った。

少し驚いたクララ様の顔と間の抜けた俺の顔が写っている。

やっぱり犬に似ているのかな。

「これが写真です」

「な、なるほど。他にコウタの世界の写真はないのか? よければ見せて欲しいのだが」

写真なら全部まとめて一つのフォルダに入れっぱなしだ。

特に見られて困る画像はない。

そういう奴はフォルダの奥の奥の方に紛れ込ませてある。

元既婚者の俺はその手のファイルは慎重に隠してあるのだ。

ピクチャフォルダから適当なものを選んで開いた。

一年以上前に登った高尾山の写真だ。

「この建物は趣があるな」

「それは私の世界の神殿ですよ」

画面には高尾山の薬王院が写っている。

「右側のこの部分をクリックすれば写真が次々に切り替わります。ご自由に見ていただいて構いませんよ」

画面操作をクララ様に任せてお湯を沸かしてホットレモンの準備をした。

粉末をお湯で解くだけのインスタントだが最近のクララ様のお気に入りなのだ。

マグカップにホットレモンを作って戻ると、クララ様はまだ画面を見つめていた。

何の写真を見ているんだろう。

見ると、画面には俺に向かって笑いかけている絵美の姿があった。

高尾山から帰ってきたときに玄関のところで撮った一枚があったようだ。

……こんな笑顔を見せてくれていた頃もあったんだよな。

「この人は?」

「別れた元妻です」

クララ様は食い入るように画面を見つめていた。

「美しい人だな……」

写真の中の絵美は優しい笑顔を浮かべてエプロンをつけていた。

確か夕飯を作ってくれていたんだ。

「まだ……愛しているのか?」

どうなんだろう。

自分でもわからない。

今更やり直したいとは思わないけど、時折ぶり返す痛みは気持ちが残っている証拠なのだろうか。

ふとしたはずみに絵美のことを思い出す自分はまだ過去をひきずっているのだろう。

「もう愛してはいないのだと思います。ですが、愛していた事実が希薄になるほどの時間はまだ経ってはおりません」

クララ様は何も言わずに頷いていた。

「さあ、ホットレモンをどうぞ。冷めないうちに召しあがってください」

「ありがとう」

沈黙のまま時間が過ぎていく。

少しだけ気まずいな。

早く飲み終えて部屋に戻ろうかと思ったのだが、思いの外ホットレモンが熱くてカップの中身はなかなか減らない。

クララ様もマグカップを握ったままあんまり口をつけていないから下げることも出来なかった。


 今更だけど、俺はクララ様のことを愛しているのだと思う。

でも、少し狡く屈折した愛情だ。

絵美との夫婦関係にあった俺はクララ様との関係を主従のものとした。

これなら男女の関係にはならないはずだからだ。

そもそもクララ様はザクセンス王国の貴族だから俺と結ばれることはない。

騎士とその従者の関係なら安心して一緒にいられると思っていた。

側にいられるだけで満足だったし、幸せだったのだ。

だけど絵美と別れて俺は独身の男に戻った。

すると今度は主従だけの関係が辛くなりそうな予感がしているのだ。

きっと時が経てば経つほど俺はクララ様を愛してしまうだろう。

そうなった時に俺はクララ様の従者という立場だけでは満足できなくなると思う。

「コウタ」

おもむろにクララ様がマグカップを置いた。

「マッサージをしてくれないか。……少し……つらいんだ」

それはいいけど、どうして男に抱かれるような覚悟の顔でマッサージを頼むんですか? 

そんな顔をされたら俺の方も覚悟を決めなくてはいけないみたいじゃないですか。

「ええ。……わかりました。髪を上げていただけますか」

一つ結びにした髪の束を前に持っていくと、クララ様の白いうなじが現れた。

指先は冷たくないだろうか。

自分の指の温度を確かめるように手と手を合わせる。

そしてゆっくりとクララ様の肩に触れた。

クララ様はピクリと身体を振るわせて大きく息をついた。

「はじめます」

クララ様は声を出さずにそっと俺の手の上に自分の手を乗せた。

これ以上の言葉は無粋な気がした。

スキル「黄金の指ゴールドフィンガー」発動。

 我ながらずるいと思う。

でも誰にもクララ様を渡したくなかったんだ。

この夜、俺は初めてレベル3の「黄金の指ゴールドフィンガー」を使用した。

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