第51話 俺たちは天使じゃない
馬場に出て乗馬訓練をしているとカルブルク子爵からすぐに執務室に来るようにとの連絡が来た。
「どういうことだハンス?」
「エマ様をご指導される騎士様が領地から到着されたそうです」
遂にやってきた。
私を指導して下さる騎士はいったいどんな方だろうか。
この数週間何度も頭の中で思い描いた疑問と不安が再び私の中で大きくなっていく。
指導をする騎士には意地の悪い者もおり、中には女騎士に対していやらしいことを強要さえしてくる男もいると聞いている。
家柄を嵩にきて無理矢理関係を迫られた見習い騎士も私自身が知っているくらいだ。
本当は怖くて仕方ないのだが、私には後がない。
騎士に成れなければ一般兵として一生を過ごすことになってしまうからだ。
男爵家の次女として生を受けた私は魔法を使うことは出来なかった。
それは仕方のないことだと思う。
我が家で魔法を使えるのは長男のヨハネス兄上だけだ。
次に生まれた姉上もその次に生まれた私も魔法は使えない。
ごく当たり前のことなので悔しくはない。
姉上はよくある通り別の家の騎士に嫁いだ。
そして私にも当然のように結婚の話は来たが私は軍に入るという理由で一切の結婚を拒んだ。
理由は単純だ。
私が男という生き物が嫌いだから。
だから私には結婚という選択肢はない。
故に一代限りとはいえ貴族として恥ずかしくない暮らしをするためにはここで踏ん張って騎士になるしかなかった。
カルブルク子爵の執務室で初めてクララ・アンスバッハ様を見たとき、私は心の中で神に感謝の祈りを捧げた。
本当は大地に身を投げ出して祈りたかったくらいだ。
なんと美しいお姉さま……。
そのお姿はこの地上に降り立った戦女神といっても過言ではなかった。
それまでの鬱々とした気持ちが嘘のように晴れていく。
互いに挨拶を交わすとクララ様はたいそう気さくな方で、私に厳しくも優しい声をかけて下さった。
この方ならば大丈夫。
私は一年間クララお姉さまに仕え立派な騎士になってみせよう。
いえ、一年じゃなくてもよろしいのです。
クララお姉さまに仕えられるのなら一生騎士見習いでも構わない、そう思ったくらいだった。
本営の門の前でクララお姉さまの従者たちに引き合わされた。
冴えない中年男と、なよなよとした覇気のない男、それから可愛らしい女の子だった。
女の子の名前はフィーネと言って18歳だった。
私よりも一つ年上だとは思わなかったけど、年も近いし仲良くできそうだ。
でも問題はヒノハルと名乗った男だった。
一目見た時から私の女としての勘が告げていた、こいつは敵だと。
何故かはわからないがクララ様とやけに打ち解けているように見えるのだ。
露骨な態度はない。
だが言葉の端々に、所作の端々にクララ姉さまがヒノハルを重用し心を通わせている態度が垣間見られる気がするのだ。
平民の癖に生意気な。
貴様などがそのように馴れ馴れしくしていいお方ではないのだぞ。
本当はすぐにでも殴ってやりたかったが、さすがにお姉さまの従者を訳もなく殴りつけるわけにもいかない。
どうやったかは知らないが汚い手を使ってお姉さまを欺いているに違いない。
いずれその化けの皮を剥いでやると誓った。
だが……。
「な、何なのだこれは!」
そのゴーレムが咆哮をあげたとき、私は恐怖を隠すように叫んでいた。
オートバイク?
そんなものは聞いたこともない。
おのれ、こ奴は禁断の邪法を使い魔力を持たぬ身で魔法を使おうと試みる痴れ者か!
「貴様、平民の分際で魔法の力を欲するなど浅ましいことと知れ。魔法とは選ばれた人間にだけ許された神聖な力なのだ!」
この考え方こそザクセンス王国の根幹を支える思想だ。
魔力を広く民衆にも使えるようにする魔道具など秩序を崩壊させる悪魔の道具でしかない。
だいたい魔法の力を使って領民を守ることこそ貴族の本懐であろうに。
確かに私に魔法は使えない。
だが、体制の崩壊が国の解体を招くことは明らかなことだ。
我がペーテルゼン家もその本家となるピッケンハーゲン家もみな長老派の信徒だ。
だがこやつは開明派にちがいない。
「はあ……でも私は浄土宗――」
ジュドー師の一派か!
急進的な開明派じゃないか。
「決闘だ!」
私は叫んでいた。
叔父はジュドー師の考え方に同調する輩との喧嘩で大怪我をしたばかりだ。
激高する私をクララ様は諫めたが、ヒノハルという男はついにとんでもない自白をした。
こいつはなんと異教徒だったのだ。
このような者をクララお姉さまの側に置いておくことはできない。
異教徒を雇っていたことが知れればクララ様にまで何らかの処罰が下される可能性もあった。
今この場で切り捨ててしまおう、即座にそう判断して私は剣を抜いた。
ヒノハルは大きな男だったが不思議と恐れはなかった。
私とて幼い頃から武芸の道に励んできたのだ、このような平民に後れを取ることなどあるものか。
心臓を狙って高速の突きを放とうとした瞬間、私はヒノハルの手が光るのを見た。
あれは……魔法?
問いただすことも出来ずに私は意識を手放した。
南地区の警備隊屯所は城門を出てすぐの場所にあった。
「先輩、あれ見て下さいよ、あれ」
吉岡に言われて南門の上を見ると天使の姿が掘られている。
その周りには文字も掘られているようだがここからだとよく読めなかった。
「ん? ああ!」
「ね、イケメンさんに似てませんか」
「似てる。雰囲気とかそっくりだよな」
本物のイケメンさんには翼は生えていないのだが、城門の上の像には背中に8枚の翼があった。
だけど雰囲気とかはそっくりだ。
「セラフェイム様がどうしたのだ」
「セラフェイム様?」
「うむ。時空神に仕える大天使様だよ」
ああ、多分イケメンさんのことだ。
イケメンさんの本名はセラフェイム様だったのね。
間違いないと思うけど今度会ったら確認しておこう。
そういえば名乗られたことはなかったな。
俺もついついイケメンさんの迫力に気圧されちゃって今まで聞きそびれていたんだよね。
屯所まではすぐに到着したが、とりあえずここの責任者に挨拶をしなければならない。
それにはエマさんを連れて行かなければならないのだが……。
「どうだ、エマは目を覚ましたか?」
「まだです。それにしても……困りましたね」
まさか突然切りかかってくるとは思わなかった。
「コウタが異教徒だと勘違いしたのだろう」
いや、実際のところ異教徒ですよ。
実家は浄土宗だもん……確か。
俺自身は特定の宗教を持っていないけどね。
しかし宗教の自由も言論の自由もない世界なのねここは。
意外と異世界は息苦しい。
「クララ様、異教徒は見つかるとどうなるんですか?」
「改宗すれば罰金刑や社会奉仕などの軽微な罰で済む」
「改宗を拒めば?」
ちょっと緊張する。
だって俺はノルド教の信者じゃないから。
「奴隷の身分に落とされるのが一般的だ」
思わず吉岡と見つめ合ってしまった。
あいつは今この瞬間に改宗したな。
「何を緊張しておるのだ? コウタとアキトは時空神が遣わした召喚獣なのだろう?」
そう言えばそうだった!
忘れていたよ。
「ええそれは事実です。ですが私はノルド教の信者ではありません」
「どういうことだ?」
そりゃあそうだ、神の存在はイケメンさんを見てればなんとなく信じられるし、今ここに俺たちがいること自体が神の奇跡だと思う。
だけどノルド教を作ったのは人間だ。
しかも信仰の解釈を巡っていくつもの派閥に分裂している。
本当に神の意思が介在しているならそんなことにはならないだろう?
「私たちも直接時空神にお会いしたことはないんですよ。でも私は時空神の存在を感じますし信じてもいます。だけどノルド教の信者かと問われれば答えは否です」
「貴様はまだそのような世迷いごとを!!」
エマさんが起きてた。
寝てたら寝てたで困るんだけど、起きたら起きたで面倒な人だ。
「そのような甘言でクララ様を欺きおって、今度こそ許さぬ!」
「よさぬかエマ!」
クララ様が一喝するとエマさんは一瞬身をすくめたがなおも言い募る。
「時空神様が遣わした召喚獣だと? みな騙されているだけなのだ」
普通はそう思うよね。
俺だって信じないと思うよ。
だからこの状況はなんとなくエマさんが可愛そうだった。
不思議なことは唐突に起こる。
思えばこの世界に初めて来た時も突然だった。
そして今回もそれは何の予兆もなくおこった。
いきなり世界が停止したのだ。
正確に言えば俺たち六人以外の全てが止まっていた。
人も馬も空を飛ぶ鳥も動くことを止め、水も風もその場にとどまってしまった。
「日野春さん」
高い位置から声をかけられたと思ったら城門の上の彫像がいつの間にかイケメンさんになっていた。
声を出せるものは誰もいない。
イケメンさんことセラフェイム様は宙に浮かび、ゆっくりと俺たちの元へと降臨された。
「大切なことを伝えに来ました」
大天使の突然の出現にクララ様もエマさんも卒倒しかけている。
心臓発作を起こさないでね。
「狭間の小部屋以外にもいらっしゃるのですねセラフェイム様」
セラフェイム様は微かに微笑む。
「いつものようにイケメンさんと呼んでいただいても構わないのですよ」
そんな大天使ジョークをかまされてもこの場はちっとも和みませんよ。
貴方のオーラが強すぎるんです。
「日野春さんと吉岡さんに二つお願いがあるのです」
お願いって、ほとんど強制ですがな。
俺たちに拒否権はないでしょう?
だって怖いもん。
長い物には巻かれる主義です!
それにたぶん非人道的なことは言わない気がするんだよね。
「なんでもお言いつけ下さい」
「日野春さんが持ち込もうとしている技術に活版印刷というのがありましたよね。あれでノルド教の経典を印刷してほしいのです」
おや、イケメンさんは布教がご所望か?
やれと言われればやりますけど。
「それは無償の奉仕でしょうか?」
「今後の活動資金もあるでしょうから対価は好きに受け取ればよいでしょう」
だったら特に問題はないと思う。
「了解いたしました。もう一つの方もお聞かせください」
「もう一つは新聞のことです。日野春さんは長老派と開明派というのを知っていますよね」
「先程身をもって知りました」
長老派の女の子から難癖をつけられたばかりです。
「長老派と開明派だけではありません。ノルド教には経典の様々な解釈があり、それぞれの派閥に別れて意見を闘わせています。時空神は人間がどのような解釈をし、どの派閥が隆盛を極めるかを見守っております」
その言い方だと正しい解釈なんて神はないと言ってる気がするぞ。
……いや、救いの形は世界のありようによって変化していくものなのかもしれない。
ひょっとしてそのためのデータを集めてるとか?
「そこで新聞の話に戻りますが、貴方の新聞で各派閥の主張を公平に取り上げて欲しいのです。各派閥の司教や司祭のコラム欄などを作って頂ければいいですね」
だいたい理解できた。
経典を印刷してノルドの教えを広めて、かつ宗教論争を起こさせようということかな?
たぶん目的はもっと深く広範囲にあるのだろうけど神の御業に人の解釈は及ばないな。
「承知いたしました」
「この世の中のことは基本的に人の手に委ねています。神々は偶にこうしてあなた方のような者を使って干渉するだけです。日野春さんも吉岡さんもしっかりと勤めを果たして下さいね」
セラフェイム様の姿が消えると同時に世界は時間を取り戻していた。
その後、過呼吸になっていたエマさんに回復魔法をかけたり、放心状態のクララ様とフィーネを正気に戻したり、気絶したハンス君を運んだりと大変だった。
「ヒノハル様、ヨシオカ様」と叫んで足元に縋りついてくるエマさんに自分たちが人間であることを理解させ、なんとか呼び方は「ヒノハル殿、ヨシオカ殿」にしてもらった。
俺たちのボスは大天使だけど、俺たちは天使じゃない。
そんな御大層なものに間違えられるのは迷惑だよ。
せいぜい天使様のご用商人か下僕くらいの立場だ。
イケメンさんからも依頼されてしまったし印刷技術の伝授は必須になりそうだ。
でも期間は指定されていないからのんびりやればいいかな。
このような感じで大波乱の王都初日は暮れていった。
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