第50話 王都ドレイスデン
バーデン湖を南に流れ出したラインガ川はやがて大きくカーブして東へと向かい、その水は王都へと運ばれる。
ドレイスデンが近いせいだろう、川に沿って続いている街道や両側に広がる広大な農地にもこれまで見たことがない程に人がたくさんいた。
「城壁が見えたぞ」
水兵の声に遥か彼方を見遣れば、遠く木立の向こうに巨大な城壁が広がっている。
あれがドレイスデンか。
見た感じではブレーマンの城壁よりも少し規模が大きくて1.5倍以上はありそうだ。
だけどその時点で俺はドレイスデンの規模を見誤っていた。
当初、ドレイスデンは見えている城壁の中にあると勘違いしたのだが、船が近づくにつれ人々の生活圏は長い歴史の間に城壁を越えて外部にまで溢れ出していたことがわかった。
市内を取り囲む壁を越えて家々の屋根が波のように四方八方に延びている。
城壁の中には王宮をはじめとした公官庁の施設やお屋敷街があり、住んでいるのは貴族や富裕な商人ばかりだそうな。
いわゆる高級住宅街が城壁内で、外側は下町になるようだ。
俺たち王都警備隊は城壁外の治安維持が主な任務となる。
城壁内は近衛軍の管轄だ。
ここでザクセンス王国王都警備隊の編成について少しだけ触れておこう。
警備隊における最小単位は分隊と呼ばれる。
分隊は5人一組で構成され伍長と呼ばれる指揮官がこれを統率する。
そして分隊が5~10集まった単位が小隊になる。
これを纏めるのが小隊長だ。
クララ様はこの小隊長になる予定だ。
他にも分隊を2~3隊指揮する曹長なんて役職もある。
そういえば吉岡の筆おろ――想い出の人であるペトラさんは曹長だった。
小隊が集まり300人くらいで中隊、中隊が集まって3000人くらいで大隊が編成される。
王都警備隊は東西南北の四地区をそれぞれ2中隊ないし3中隊が受け持ち、総勢は3128人。
全体を纏めるのは大隊長である王都警備隊の長官カルブルク子爵となる。
王都警備隊の本営は城壁内の南門のすぐ近くにあった。
中心からは大分はずれた場所だ。
クララ様は長官のカルブルク子爵に王都到着の挨拶に行っている。
俺たちはブリッツと荷物の番をしながら本営の入口でクララ様の帰りを待っていた。
やがてクララ様が二人の若者を連れて戻ってきた。
栗色の髪をボブカットにした、まだあどけなさの残る女騎士とその従者のようだ。
「待たせたなみんな。先にこちらを紹介しておこう。彼女はエマ・ペーテルゼン。ペーテルゼン男爵の次女で騎士見習いとして私の補佐をすることになった。エマ、私の従者たちだ」
騎士見習いとは叙任前の騎士を指す。
先輩騎士について1年くらい身の回りの世話などをしながら騎士としての仕事や礼節を覚えていくそうだ。
今回は長官のカルブルク子爵にエマさんの面倒をみるように頼まれたらしい。
「エマ・ペーテルゼンだ。よろしく頼む。それからこちらは私の従者のハンスだ」
たぶん俺たちに舐められないようにわざと尊大にふるまっているのだろう。
エマさんは笑顔も見せずに挨拶してくる。
子どもが一生懸命背伸びをしているようで可愛らしい。
一方でエマさんの従者のハンス君は気の弱そうなまだ15歳の少年だった。
ハンス君の親はペーテルゼン家で使用人をしているそうだ。
「我々の受け持ちは南区となった。兵舎も南区だから今からそこへ移動するぞ」
兵舎につけばようやく落ち着けそうだ。
知らない場所というのは緊張してしまうのか少し疲れた気がする。
さっさと移動して一息つきたかった。
「な、何なのだこれは!」
バイクのエンジンをかけるとエマさんがひきつったような顔でこちらを睨んできた。
「これはオートバイクといいまして、燃える水を使った機械です」
「じゃ、邪道の品か!?」
おいおい、剣の柄に手をかけるなよ。
「待てエマ。あれはそのようなモノではない」
ほら、クララ様もこういってるだろう。
「し、しかしこれはどう見ても邪な呪法で作られたゴーレムにしか見えません。私は長老派のノルド教徒。開明派の考え方は受け入れがたいです!」
また面倒な女の子がやってきたもんだ。
国教のノルド教では古い教えを堅持しようとする長老派と魔法技術の発展を提唱する開明派が争っている。
長老派は魔法を貴族や神官だけの特権とみなして広く応用することは国家体制を維持する弊害になるとしているのに対し、開明派は魔法を応用した技術を普及させることこそ国力を上げる近道だとうたっている。
俺としては商売の都合を考えれば開明派に頑張って欲しいところだが、エマさんは長老派のようだ。
「貴様、平民の分際で魔法の力を欲するなど浅ましいことと知れ。魔法とは選ばれた人間にだけ許された神聖な力なのだ!」
見事なまでの選民思想!
ある意味、こういう貴族にとっては長老派の言っていることも正しいと思う。
エマさんみたいな貴族が既得権益を維持するためには魔法は自分たちだけのものにしておいた方が都合がいいだろう。
だけど経済が発達して、国家という概念がある程度固まってしまった今、国家間の競争は貴族だけでは勝ち抜くことはできない。
魔導砲のような一般兵士も使える魔法を応用した技術が競争に打ち勝つカギとなるだろう。
その意味では開明派が正しい。
俺としてはどちらに転んだってかまわない。
与えられた状況の中で楽しくやるだけのことだ。
開明派が優勢になれば科学技術を応用した魔道具を作るし、長老派が優勢になれば自分の魔法でそれなりの地位に登るだけだ。
今は麻痺魔法しかないけどさ。
できれば開明派に頑張ってもらった方が楽しそうではあるけどね。
「貴様……開明派の教徒か?」
どちらかと言えばそうなるのかな?
そう思った俺はよくも考えずに返事をしてしまったのだ。
「はあ……でも私は浄土宗――」
「決闘だ!」
ええっ!?
あまりのことに俺は周りを見回してしまう。
いや吉岡とフィーネよ、代理人なんて頼まないから視線を逸らすのはやめようよ。
「エマ! いい加減にしないか!」
クララ様はやっぱり俺の味方だな。
「ここをどこだと心得る!? 本営の門前で決闘などと自分を見失うでない。決闘を行うならば場所と時刻そして方法を堂々たる態度で決めるのが騎士というものだ」
あれ~?
止めてくれないんですか?
「し、失礼しました。貴様……ヒノハルとか申したな。先ず選ぶがよい。白か赤かを」
またこれかよ。
もういい加減にしてくれ。
「その前に、誤解があるようですが……」
「誤解だと? 申し開きがあるのならば言ってみろ」
「私は開明派ではありませんよ。そもそもノルド教徒でもありません」
「貴様……異教徒だったか!!」
異世界では宗教の自由は認められていませんでした。
ノルド教以外は異教徒として糾弾されてもしょうがないみたいです。
「クララ様、クララ様は騙されていたのです! クララ様の優しさにつけ入り、たぶらかそうなど不埒千万! 断じて許せぬ」
エマさんは突然抜刀して襲い掛かってきた。
だから仕方ないよね?
俺はパラライズボールをエマさんの腹部に打ち込んでいた。
本当に仕方なくだよ。
……実はちょっとだけ小娘の態度にムカついていたのでパラライズボールが気持ち大きくなっていたのは内緒だ。
大人げなかった?
「申し訳ございませんクララ様。突然のことでしたので」
「よい。少し痛い目に合った方がエマのためになると考えていた」
こうなることは予測ずみで敢えて止めなかったか。
それにしても、エマさんは気を失っていればただの可愛い女の子だ。
美人だし胸は大きくてスタイルもいい。
異性からはさぞかしモテることだろう。
出来れば俺も仲良くやりたいが出合いが最悪すぎるよ。
恨まれてなければいいけど期待できそうにないな。
気を失ったエマさんをリヤカーにのっけて南地区の兵舎へと移動した。
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