第49話 プロジェクト・グーテンベルク

 夕飯に鰻を食べた後、吉岡とは別行動になった。

いったん家に帰って荷物をとってくるそうだ。

別の場所にいても時間になれば二人同時に狭間の小部屋に飛ばされるはずだから心配はないだろう。

それまでは久しぶりに一人の時間を大切にしようと思った。

 時刻は午後9時だから召喚まであと1時間ある。

四谷三丁目のスーパーマーケットで買い物をすれば同じビルに本屋もあって便利だ。

召喚まで本屋で時間を潰せば退屈することはないだろう。

ひょっとすると向こうで役立つ書籍があるかもしれない。

 荷物を空間収納に入れてのんびりと本屋をぶらついた。

最初は自分の趣味のアウトドア系に行こうと思ったが「紅茶」や「コーヒー」関係の本に目がいく。

自分はいまティーカップなどを売買しているのだからもう少し専門的な知識を身につけた方がいいかもしれない。

一応インターネットで基本的な情報は仕入れているが所詮は付け焼刃だ。

ザクセンス王国ではコーヒーも紅茶も高級品として飲まれてはいるが、その歴史はまだ浅いようだ。

英国式のティーサービスとかを取り入れたら商売に役立つかもしれないと思った。

パラパラと内容を確認して何冊か購入することにする。

そのまま趣味のコーナーを歩いていると今度は付録付きのムック本に目がいった。

「趣味の科学マガジン」シリーズだ。

「趣味の科学マガジン」とは大人が楽しく科学や物の仕組みを学べるように創刊された、実験キットや組み立てキットの付録が付いた季刊雑誌だ。

売り場にあるラインナップを見てみると向こうで役立ちそうなものがゴロゴロしている。

「蒸気エンジンを作ろう」に「活版印刷で遊ぼう」だと……。

心の中に黒い喜びが広がっていく。

やばい。

こいつを異世界に持っていけば、向こうの研究者や技術者でも仕組みを理解してくれるのではないか。

どこにだって頭の良いやつはいるもんね。

本当は専門書を持っていけばいいんだろうけど、翻訳作業だけに莫大な時間を費やすことになりそうな気がするのでそれはパスだ。

難しい部分を質問されても疑問に答える知識もない。

だったら基本的な概念だけを教えて細かい技術は独自に開発させた方が結果的にザクセン王国のためになるだろうし、俺も楽でいい。

とりあえず「蒸気エンジンを作ろう」と「活版印刷で遊ぼう」の二冊を購入した。

合わせて9000円くらいの投資だが、これが数憶マルケスになるかもしれないと思うとゾクゾクしてきた。

資金さえあれば蒸気船や、新聞社や出版社を経営することだって出来るはずだ。

ザクセンス王国では新聞はないみたいだし、本は全て手書きだったから活版印刷がまだ発明されていないに違いない。

どうやったら新聞を普及させられるか、内容はどんなものがいいだろうか、そんなことを考えながらアパートへ帰った。



 午後10時ぴったりに狭間の小部屋へと移動する。

吉岡もちゃんと自分の部屋から召喚されていた。

「いいものを仕入れてきたぜ」

「僕も部屋から役に立ちそうなものを持ってきました」

二人ともニヤニヤが止まらない。

お互いに自分たちが持ってきたものを見せ合うと、なんと少しだけかぶっているではないか。

俺の「蒸気エンジンを作ろう」に対して吉岡が持ってきたのは蒸気船の模型だった。

唯の模型ではなく小型のボイラーとそれに接続された蒸気エンジンが搭載されている。

「これって本当に動くの?」

「ええ。実際にアルコールを燃やしてボイラーを焚くんです。これは横型のロングストロークだからトルクがありますよ。アカデミーとかに破格の値段で売りつけてやろうと思っています」

なるほど。技術を高値で売るのね。

「あれ? でも蒸気船とか鉄道を自分で開発しないの?」

「そんなの開発にお金と時間がとんでもなくかかりますよ。下手すれば大赤字ですからね。先輩? 造船計画とか考えていませんよね?」

うっ……。

「そ、そんなわけないじゃん。俺が考えていたのは活版印刷の方だよ」

嘘をついてしまった……。

たぶんバレてるけど……。

「それなら比較的簡単に開発できそうですよね。新聞や出版物ならライバルがいない分だけ需要もたくさんありそうだし、いいと思いますよ」

ちょっと悔しい。

まあいいや、趣味で蒸気エンジンを作るのだって悪くないもんね。

金持ちの道楽ってやつだよ。

パトロンとして楽しんでやる。

それに船や鉄道みたいに大型のモノじゃなくても使い道はあるはずだ。

「そういえば蒸気エンジンを使ったトラクターとかなかったっけ?」

「ああ、トラクションエンジンなんてのがありましたね」

トラクションエンジンとは蒸気機関を用いたトラクター、道路舗装ローラー、運搬用車両などの総称らしい。

「それがあればエッバベルクの発展に役立たないかな?」

そう、俺は目先の利益に囚われて蒸気エンジンの開発を提唱したのではない。

エッバベルク100年の計を考えてのことなのだ。

後付けの理由だけど気にしない。

「面白そうですね。資金が出来たら優秀な技術者や職人に制作を依頼するのもいいなぁ」

そうそう、あくまでも優雅な趣味として投資を楽しもうよ。

俺たちは楽しむために異世界へ行くんだからね。


 青い扉をくぐる前に今日もスキルカードをひいた。


スキル名 犬の鼻

犬と同じ嗅覚を得られる。


また一歩、犬に近づいてしまったか……。

犬の嗅覚って人間の100万倍から1億倍もあるんだってね。

でも匂いを強さで感じているわけではないようだ。

そうではなくて嗅ぎ分ける能力が高いということらしい。

考えてみれば当たり前か。

もしも強く感じるのなら誰かがおならをするたびに犬は気絶してしまうだろう。

そんな能力だったら俺だって封印してしまうよ。



 前回に召喚された時はクララ様と吉岡と俺の三人でワインを飲みながら軽い宴会のようになったのだが、今回はコーヒーを飲みながらの座談会みたいになった。

「今日はエチオピア産のゴリ・ゲシャという豆ですよ」

コーヒー豆の袋を開けた瞬間から華やかな匂いが部屋に広がる。

花のような香りに蜂蜜が混ざってる? 

そんな感じの匂いだ。

吉岡はわざわざ豆とミル(コーヒーを挽く機械)を持ってきたそうだ。

「もし、ザクセン人の口に合うようならコーヒー豆や紅茶も仕入れようかなと思っています。いかがですかクララ様?」

「うん。とても美味しい。何というか……私の知っているコーヒーの味をはるかに超えたコーヒーだよ」

評価は上々だ。

俺も飲んでみたが今までのコーヒーの常識が変わるような旨さだった。

カップやポットは一度売れてしまうと次の注文は中々入らないだろうが、コーヒーや紅茶のような消耗品は違う。

商品単価は安くなるけどいい手なのかもしれない。

「だけど、どうやって売る? 商人に卸して売ってもらうか、小売店を経営するか」

楽なのは卸だと思うけど、卸をやって旨味が出るのは大量に商品を扱う場合だ。

「ええ、先輩の言いたいことはわかっています。僕たちは大量の商品を運ぶことはできません。だから直営店を経営すべきだと思います」

吉岡の構想は、王都のどこかに店を構えて高級喫茶店を経営しつつ、茶葉やコーヒー豆、ひいてはカップなども売るというものだった。

「クララ様、ドレイスデンには喫茶店というものはあるのでしょうか? コーヒーや紅茶、軽食なんかを出す店のことですが」

「それはレストランだな。食事を出すのがメインだが、コーヒーや紅茶だけを楽しむことも出来る」

専門店はないということか。

そういえば新聞って喫茶店のさきがけであるイギリスの「コーヒー・ハウス」に置かれて普及したと読んだことがあるぞ。

俺の新聞計画もうまく乗っけられるかもしれない。

「コウタ、新聞とはなんだ?」

クララ様に新聞の概念を説明して、買ってきた「活版印刷で遊ぼう」を見せてあげた。

意外なことにクララ様は物凄い興味を示して「活版印刷で遊ぼう」の付録を一緒に組み立てることになった。

「コウタ、これはすごいぞ!」

構造さえわかっていればザクセンスの職人にも印刷機は作れると思う。

どうしてもだめなら中古の印刷機を日本で買ってきて、活字だけザクセンスで作るという手もある。

そうしたら俺たちが出資して新聞記者と職工さんを雇って小さな新聞を作るのもいいだろう。

「最初は騎士の回覧を作ったり、戦況の報告や貴族院の政治決定などを伝えるのも面白いだろうな。王都だけではなく地方でも売れると思うぞ」

「広告収入も当然入ってくるでしょうしね」

うまくいけば相乗効果で店は繁盛しそうな気がする。

富裕層が集まりコーヒーや紅茶を片手に新聞を読みながら、熱い議論を重ねるサロンを提供するのだ。

当然値段はお高めにしますよ。

夢は大きく広がるが、実現させるためには資金がいる。

明日はついに王都に到着する予定だ。

いよいよ俺たちの王都での活動が始まる。

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