第48話 ラインガ川エクスペリメント

 巡回船の倉庫で緊張に汗を浮かべながら俺と吉岡は向かい合っていた。

先程時計を確認してからまだそれほどの時間は経っていないが、ついつい目がいってしまう。

結果を待つ人間にとってどうして時間はこんなにもゆっくりと流れるものなのだろう。

俺たちはいま大切な実験をしている最中だ。


 事の発端は吉岡の使っている毛布に1匹のテントウ虫がついているのを俺が発見したことだった。

季節は冬でありザクセンス王国は寒いので、こちらで見る初めての虫だった。

テントウムシは黒い身体に赤い斑点が二つ付いているやつだ。

虫には詳しくないが日本でも見たことがあるようなテントウムシだった。

死んでいるかと思ったが、掌に載せてみると弱弱しくだが動いている。

その瞬間、俺は前からずっと気になっていたことを試すいい機会だとひらめいた。

「吉岡君、今日はこの虫を使って実験をしてみたいと思う」

「博士、それはどういった実験でしょうか?」

巡回船の旅は退屈なので吉岡もノリノリだ。

「今から空間収納にこのテントウムシを収納して、どうなるかを観察するんだ」

「おお……、動物実験ならぬ昆虫実験ですね」

生物を空間収納にいれた場合どうなるのかを見ようという試みだ。

テントウムシ君には気の毒だがスキルの発展に犠牲はつきもの……許してくれとはいわない。

でも虫ならまだいいんだけど、それ以上の大きさになると今一つ踏み切れないよね。

この手の実験はメンタル的に昆虫が限界だと思う。

哺乳類は完全にアウト、魚類辺りがボーダーだろうか。


 テントウムシをティッシュで優しくくるんで空間収納に入れて15分待つ。

「そろそろかな?」

「あと17秒です。…………10,9,8,7,6,5,4,3,2,1, 時間です」

少し緊張しながら空間収納を開き、ティッシュの中を確認すると……。

「生きている! 小池君は生きているぞ!」

「おお! よく頑張ったな小池君!」

テントウムシに適当につけた名前を叫んで無事を喜んだ。

元気のない小池君に吉岡が回復魔法をかけてやっている。

「ご褒美だぞ小池君。これでパワーチャージするんだ」

「引き続き小池君には1時間の空間収納に挑戦してもらおう」

次は時間を長めにしての実験だ。

ところが、回復魔法をかけてもらった小池君は吉岡の手から飛び立ち、倉庫のどこかへ消えてしまった。

「……」

「小池君が逃亡しました」

見れば分かる。

いつもの俺ならここで諦めていただろう。

だけど一度始めてしまった実験は最後まで見届けたいのが人の情というものだ。

「新たな被検体を手に入れよう」

二人で船内をうろついてみた。

どこを探しても虫はいない。

「博士、あれ……」

吉岡の指し示す先にはネコが1匹いた。

ネズミを捕らせるために船で飼っているシュレックという名の赤毛の猫だ。

「無理」

「ですよね~」

いくら小池君が15分を耐えたからと言って、すぐさま哺乳類を放り込む度胸はない。

「じゃあ、あれは?」

今度はマストにとまっている大きめの鳥か……。

サギの仲間かな?

「ちょっと大きすぎないか?」

捕まえる時に抵抗されそうだ。

嫌な目つきをした凶暴そうな鳥だった。

「引き寄せ」と「麻痺魔法」の併用で何とかなりそうだが、どうせなら気を失っているやつじゃなくて常態の生物で試したい。

あと臭そうだから嫌だ。

「じゃあ、無難なところであれはどうですか?」

魚か……。

水兵たちがパイクと呼んでいる魚が冬のか細い光を浴びて銀色に輝いている。

まあ、アリだな。

刺身を食べなれている日本人だからか動物よりも忌避感がない。

「よし、彼に協力を願おう」

「はい。僕はバケツを借りてきます」

スキル「引き寄せ」を使って川の中からそいつを捕まえた。

暴れる魚を傷つけないように両手で包むように持ち、水を張ったバケツに入れてやる。

「……吉岡君。この大きさじゃ空間収納には入らないのではないかね」

バケツの高さは32センチ以上ありそうだ。

これでは引っかかってしまう。

「……博士、木箱に入れて水なしで収納する実験を敢行すべきです」

な、なんということを。

「し、しかし! それでは松井君の命が危険にさらされる」

「空間収納の中は時間の流れが物凄く緩やかだと聞いております。それならば松井君だって水なしでも大丈夫なはずなんです。むしろその事実を確認するための実験ではないですか! 博士、僕らはもう第一歩を踏み出してしまったんです。今更後戻りはできません」

理屈は通っている。

だが、そんな非人道的な実験が許されていいのだろうか。

仮説が間違っていたら松井君は死亡し、ムニエルにされて夕飯のおかずになるんだぞ。

「魚臭くならない?」

「収納に炭も入っているから大丈夫でしょう」

炭には匂いを吸着する効果があるもんね。

だいたい時間が経過しないのなら匂いもつかないか。

よし、俺も覚悟を決めるぜ!

松井君を木箱の中に置き蓋を閉め、水の無い状態で空間収納の中に納めた。

時間は30分だ。


「時間だ。開けてみよう」

緊張と共に蓋を取ると、元気にのたうち回っている松井君がいた。

よかった、生きていたか。

俺たちは一匹の英雄の無事な帰還を喜んだ。

だが……。

「おっ、パイクじゃねーか。いい型だな。こいつは俺に任せとけ!」

たまたま通りがかった船の料理人が松井君の尾を掴んで持って行ってしまった。

「…………」

松井君はムニエルにされて夕飯を彩る一品となるだろう。

空間収納を生き延びることはできたが運命までは変えられなかったようだ。


「ここまでは順調ですね。次は……」

吉岡君、君はまだ続けるというのか! 

君の探究心は尽きることを知らないのだな。

つくづく業の深い男だ。


「二人して何やってるんですか? 私も混ぜて下さい」

明るい声が響いて、現れたのはフィーネだった。

そんなフィーネに吉岡は熱い視線を投げかける。

吉岡君? 

「アキトさんどうしたんですか? 恥ずかしいからそんなにじっと見つめないでくださいよ」

いやいやいやいや、人体実験は絶対にしないからね!! 

それにいくらフィーネがちびっこでも32.5×37×63のサイズには入れないから。

「フィーネ……君はウサギを飼っていたね」

そっちか!

「飼っているというか、罠にかかっていたやつを乗船前に捕まえてきただけです」

フィーネはもともと猟師だから、いい場所を見つけるとすぐに罠を張る癖が抜けない。

巡回船にのる当日も自分の仕掛けた罠を見に行ったらウサギがかかっていたそうだ。

「今度の街で売れたらいいなって思って、まだ食べてないんですよ」

生きた野兎は繁殖用としても売れる。

「それを僕たちに売って欲しいんだ」

今度はウサギか……。

ウサギって実験動物の定番だよな。

旧日本軍の毒ガス実験にも使われていたそうだし、なかなか哀れな種なんだね。


 大きな麻袋に入ったウサギをそっと空間収納の中に入れた。

テントウムシ、魚と実験を繰り返してきたので多分大丈夫だと思う。

「たのむぞ河村君」

麻袋の中の河村君はびっくりするほどおとなしくしていた。

一時間後、再び空間収納を開いた時、河村君は全く変わらぬ姿を見せていた。

「どうやら空間収納に生物を入れても問題ないみたいだな」

「はい。人体実験はできませんが、概ね大丈夫そうではありますよね」

「私が入ってみましょうか?」

フィーネは度胸がありすぎでしょう。

それにしたって狭すぎて無理だと思うよ。

そんなの超能力者エスパーじゃなきゃ無理だと思うな。

君に伊東君の代わりは無理だ。


 今日の停泊地で俺たちは日本に送還された。

久しぶりの日本だが今回は特に用事はない。

新たな高級品の仕入れはないのでガソリンと食品だけ仕入れて、2時間で再召喚してもらう予定だ。

いってみればスキルを得るためだけの送還だね。

狭間の小部屋でいつものように服を着替えた。

「実際のところ空間収納に人間が入っても平気なもんなんでしょうかね?」

「はい。平気ですよ」

吉岡の質問に答えたのは久しぶりのイケメンさんだった。

あまりに突然の登場にしばらくは声も出ないくらいびっくりした。

「お、お、お久しぶりです」

「はい。お二人ともお元気そうですね」

伏し目がちに話すイケメンさんは相変わらずの神々しさを身に纏っている。

「今日は一つだけ念を押すためにこちらに参りました。空間収納に生物を入れてもその生物に一切害はありません。ですが……人間を空間収納に入れたまま世界を飛び越えるのは禁止です」

俺たちはコクコクと頷く。

「もしも言いつけを破ったら……罰を与えます。守ってくださいね」

イケメンさんはそれだけ言うと光の帯になって消えてしまった。

相変わらず静かな迫力がある。

「なんか疲れましたね……」

「ああ……店が閉まる前に鰻でも食べに行こう」

緊張からの弛緩にぐったりした身体を引きずるように赤い扉をくぐった。

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