第44話 セピア色に染まる葡萄畑の中で

 ゴルフスドルフの港の門は4時に開いた。

クララ様が乗る予定の定期便は5時に出港するので既に起きているはずだ。

俺が湖賊たちを見張っている間に、吉岡にクララ様を呼んできてもらうことにした。

船上で縛り上げられている湖賊を見てもう人が集まってきている。

衛兵もやってきてしまった。

「おい、これはどういうことだ?」

槍を手にした衛兵が不審者に対する視線を俺に投げかけてくる。

「私はエッバベルク騎士爵クララ・アンスバッハ様の従者でヒノハルと申します。バーデン湖の島で魔石を密売しようとした者たちを捕らえました。間もなく私の主もやってきます。みなさんも上役の方をお連れ願えないでしょうか」

あらぬ嫌疑をかけられるのも嫌だったので、クララ様の名前を出したら相手の態度は軟化した。

「そうでしたか。それはご苦労様でした。すぐに我々の隊長を呼んできましょう」

衛兵の一人が駆け出していったのと入れ違いにクララ様たちがやってきた。

「コウタ、話のあらましはアキトから聞いた。ご苦労であったな」

クララ様に褒められるととっても嬉しい。

「お聞き及びかもしれませんが積み荷は魔石でした」

「うむ。取引相手の船も西からやってきたそうだな」

「はい。この船と同規模の物だと思います。取り逃がしてしまいましたが」

クララ様は小さく眉間にしわを寄せた。

「おそらくオストレア公国へ密売する気だったのだろう」

バーデン湖の対岸にあるオストレア公国は地下ダンジョンの数が少なく魔石の産出量もそれに比例している。

だから、オストレアが他国から魔石を輸入する場合はかなりの高値を付けて購入していた。

だがいくら儲かるからといってザクセンス王国の魔石がオストレアに輸出されることは絶対にない。

何故かといえば魔石の利用目的が例外なく軍事利用だからだ。

実物を見たことはないが魔導砲と呼ばれる大砲のようなものを動かすために魔石は火薬兼砲弾として使われる。

イメージとしてはサイエンスフィクションに登場するメガ粒子砲なんかに近い感じだろうか。

故に魔石の購買先は全て国であり、ザクセンス王国は魔石の国外への販売を禁止している。

破ればかなり重い罰則があるそうだ。

どうりで湖賊たちが官憲へ突き出さないでくれと必死に訴え出るわけだ。

「最近では魔石をオストレアへ売れば2倍から3倍の値段がつくと言われている。密輸が後を絶たないのだよ」

「きな臭いですね。それだけオストレアが必死に魔石を集めているのは……」

「ああ。開戦に向けての準備という噂はよく聞くよ」

今のザクセンス王国は東のポルタンド王国と交戦中だが、ひょっとするとこれにオストレア公国が関わってくるわけだ。


 押収した魔石はかなりの額だったらしく、俺たちはゴルフスドルフの領主に金一封と感状まで貰った。

感状というのは戦功や武功が書かれた証明書みたいなもので、兵隊や従者に採用されるときなどに役立つ。

普通なら一般兵士採用でも感状があるおかげで伍長や小隊長として雇われるなんてこともあるのだ。

しかも領主の船がブレガンツまでいくのでついでに乗せてくれるそうだ。

定期便には乗れなかったけど、これで今日中にブレガンツまでたどり着ける。

吉岡の風魔法に期待しよう。



 小雨の降る中を船はゆっくりと進んでいる。

さっきまでは風魔法で矢のように走っていたが、今はアキトが休憩中だ。

冷たい雨の中でしぼんだ帆はやけに頼りなげに見えた。

 私が船室へ降りてきたときはコウタもアキトも無防備に眠っていた。

フィーネが二人を起こそうとするのを制して音をたてないように腰かける。

二人とも昨晩はほとんど寝ていないのだろう。

今はゆっくりと眠ればいい。

我知らずコウタの頭を撫でようとしているのに気が付いて、伸ばしかけた手を慌ててひっこめた。

コウタは犬ではないのだ。

気安く撫でていいものではない。

だけど……寝ている顔は随分と可愛く見える。

……少しくらいなら。

「フィ、フィーネ、お湯を貰ってきてくれないか。顔を拭きたい」

「ただいますぐに!」

「ゆっくりでいいのだ……」

フィーネはいったな……。

扉もしまっている。

アキトは……寝言を呟きながら寝ているのか。

トトロはどこにいるの? 

知り合いを探している夢でも見ているようだ……。


 自分の心臓の音が部屋中に響いているような錯覚に陥りながら、寝ているコウタを起こさないようにそっと肩に触れてみた。

胸が締め付けられるように痛くなるのだが全然不快ではない。

切ないのに、痛いのに、このままこうしていたいという気持ちが膨れ上がっていく。

私の指の震えでコウタを起こしてしまいそうで怖くなった。

横向きで寝ているコウタの顔の近くに手が添えてある。

この指が好きだ。

爪は綺麗に整えられて、指先が美しい。

最近はこの指でアキトにマッサージをしている姿を見かける。

私も誘われたが断った。

そのようなことが出来るはずがなかろう。

そんなことは恋人か夫婦の間柄でしか許されるものではないと思う。

フィーネも断ったようで本当に良かった。

もしフィーネがコウタのマッサージを受け入れていたら……嫉妬の炎で私は狂ってしまうところだ。

だが……フィーネがするなら私も試してみようか、という言い訳もできたか……。

どうすればいいのだ。

もしあの指が私の肩や背中にあてられたら、私の気持は引き返せなくなるところまで連れて行かれてしまうのではないか? 

それが怖い。

「ん……」

いけない! 起こしてしまったか。

「これはクララ様失礼いたしました。何か御用でしたか?」

不覚ふかく! 

コウタの匂いを嗅ごうとして肩に置いた手に体重がかかりすぎたか。

「す、すまぬな、少し喉が渇いた。何か飲み物を作って欲しい」

「すぐにおつくりしましょう。……ん? クララ様、お熱があるのでは?」

コウタが私の額に手をあててきた。

バカ者! 

そのようなことをすれば熱などいくらでも上がるわ! 

とっさに氷魔法で身体の体温を一気に下げる。

よかった、私の最も得意な魔法が氷系で……。

「うわ、身体が冷え切ってるじゃないですか。すぐにココアを作りましょう」

動揺は悟られずにすんだな。


よかった……のだろうか?


 コウタが空間収納から道具をあれこれと取り出し、部屋の中にココアの香りが広がっていく。

私の大好きな香りだ。

鍋をかき混ぜるコウタを見ているだけで心の中に暖かいものが満ちてくる。

この気持を知られてはならないと考える私、知ってほしいと願う私、どちらも私だから始末が悪い。

「やっぱりお加減が悪いのですか? 非常にお辛そうですが」

相反あいはんする私がない交ぜになって私という一つの個を作っているのだ、辛くもなろう。

だけど……。

「はい、ココアが出来ましたよ」

今は大好きな香りに包まれて、好いた男の側にいるのだ。

やはりそれは幸福なことなのだと思う。



 吉岡が頑張ってくれたのでブレガンツには3時間ほどで到着してしまった。

定期便なら12時間はかかる距離なのだそうだ。

船長さんは是非とも水軍の専任魔術師になって欲しいといっていた。

風魔法があれば快速船を有効利用できるもんね。


 今日一日で100キロ以上南に移動したせいかブレガンツはこれまでより少し暖かく感じた。

この辺は葡萄の栽培が盛んで良質なワインが生産されるそうだ。

船から降りたブリッツを運動させてやるために郊外まで来たが、ここは冬枯れのブドウ畑が広がっている。

俺がくつわをとり、クララ様を乗せたブリッツは嬉しそうにいななきながら夕暮れの葡萄畑の間をゆっくりと歩いている。

「せっかくだから夕飯の時はブレガンツ産のワインを飲んでみようではないか」

クララ様も機嫌がよさそうだ。

ワインが好きだもんな。

「そうですね。でももう少しブリッツを歩かせてやりましょう」

バーデン湖から流れ出るラインガ川は川幅が広く緩やかに流れていく。

俺たちは明日からこの川を軍用船で王都まで下っていくのだ。

ブリッツにとっては少々窮屈な日々になるだろう。

振り返るとクララ様の銀の髪が夕焼を反射してオレンジ色に輝いていた。

「どうした?」

「(ただ見とれていただけです)」

そんなことを言ったら叱られてしまうかもしれないな。

「いえ……」

続く言葉が出てこない。

でも、クララ様はそれ以上の追及をしてこなかった。

お互いが黙りこくったまま、セピア色に染まる世界の中を歩いた。

なんだか夕焼けまでもが、もの言いたげに見えてしまう。

少しずつ闇が濃くなるブドウ畑に聞こえるのはブリッツの呼吸だけだった。

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