第45話 その価値、プライスレス
ザクセンス王国水軍バーデン‐ラインガ方面部隊ブレガンツ軍港という舌を噛みそうなほど長い施設に俺たちは出頭している。
ここから軍船に乗せてもらって王都へ行くためだ。
「エッバベルク騎士爵クララ・アンスバッハ、王都への軍務着任のために巡回船への搭乗許可をいただきたく参りました」
クララ様の挨拶にこの部屋の主は鷹揚に頷いた。
豊かな髭をたくわえ、顔に無数の傷が残るその人は歴戦の強者という風格を全身から伝えてくる。歳は50を超えていそうだが身体つきや声に衰えは全く見えない。
「ご苦労。ブレガンツ軍港を預かるラムセン男爵ブルクハルトだ。まあ、楽にしたまえアンスバッハ殿」
「恐縮です」
クララ様は提示されたイスに座るが俺たち従者はもちろん立ったままだ。
「王都へ向かう巡回船は明後日の朝に出発する予定だ。それまではこの施設の宿舎を利用してくれてかまわん」
このおじさんは中々いい人だ。
騎士爵の懐事情というのをちゃんと理解している。
もし宿舎を貸してもらえないと明後日まで二日分の宿代を負担しなくてはならなくなるからだ。
4人分プラス馬となるとそれなりの値段がかかる。
それを踏まえて空いている宿舎を使っていいと言ってくれているのだ。
素敵なオジサマとしか言いようがない。
「お気遣い感謝いたしますラムセン男爵。コウタ例の物を」
クララ様の合図でお土産の品を出した。
ぶっちゃけてしまえば賄賂なのだが、それほど露骨なものでもない。
この世界では当たり前のことだし、日本でだって便宜をはかってもらう組織の偉いさんにお土産を持っていくのは別に変なことじゃないだろう?
「……アンスバッハ殿、これは……美しい瓶だ」
ザクセンスでもガラス瓶はあるが緑色をした厚ぼったいものがほとんどだ。
透明なガラスもあるが、形はあまり整っておらず非常に高価だ。
「ウイスキーと呼ばれる酒です」
「これがウイスキーか。遥か西の島国、スコッテアで作られているという酒だな」
俺たちが送ったのは日本製のウイスキーだけどね。
180ml入りの小瓶で900円くらいの品だ。
ちょっとした贈り物にはちょうど良いだろう。
「上部の蓋を左にひねれば口が開きます」
「ほほう、珍しいな!」
ラムセン男爵は子どものように喜んでいる。
お酒が好きなのかもしれないな。
雰囲気的に酒豪ぽく見えるもん。
そして説明を受けたと思ったらすぐに瓶の口を開けてしまった。
こういうところがカルチャーギャップだ。
ザクセンスでは贈り物はすぐに開けて中身を贈り主の目の前で確認するのが礼儀なのだ。
「よい香りだ」
厳めしい男爵が破顔する。
そして慣れた手つきで小さな瓶の蓋にウイスキーを半分ほど注いだ。
これもザクセンス王国では驚くことではない。
贈り物が食品の場合、送り主の目の前で飲み食いして見せるのが最上級の返礼とされているからだ。
単に男爵が酒好きだからではない……と思う。
「くわっ!」
ちょっとアルコール度数が高すぎたかな?
「……」
男爵は無言のまま琥珀色の液体を凝視していた。
随分と驚いているようだ。
「ラムセン男爵? ……いかがされましたか?」
クララ様は何か不都合があったのかと心配そうだが、俺にはわかる。
俺たちはとんでもないものを盗んじまったのさ。
そう、男爵の心だ!
男爵はもう一度蓋に口をつけ、残っているウイスキーを全て飲み干した。
それからゆっくりと慎重に、かつしっかりと蓋を閉めて大きく息をついた。
「アンスバッハ殿、かように貴重なものを頂き、なんと礼を言っていいかわからん。大切に飲ませてもらうよ」
この手の挨拶は数分で終わるものなのだが、男爵は機嫌よく10分以上雑談を交わしていた。
ほとんど酒の話だったが……。
インゴと名乗る青年に案内されて兵舎へやってきた。
ここの大部屋には50人ほどの兵士が寝泊まりしているそうだ。
細長い部屋の両脇には二段ベットが並んでいて、まるでカプセルホテルのように見える。
明後日までの二日間、俺と吉岡はこの兵舎に寝泊まりすることになった。
クララ様は士官用の個室、フィーネはその隣の従卒用の部屋をあてがわれている。
インゴ君は男爵の命令で、俺たちの世話役に任命された兵卒だ。
ウイスキーが随分と気に入ったようで男爵はいろいろと気をまわしてくれている。
普通は専属の世話役なんかつけてくれないとインゴ君が教えてくれた。
外見はちょっと小太りで、愛想がよく話しやすいタイプだ。
歳は吉岡と同じくらいだと思う。
「ここにはたくさんの船があるんだね」
先ほど見た港には大小さまざまな船が停泊していた。
「うん。軍港っていってるけど全部が軍船じゃないんだよ。民間の船もたくさん停まってるんだ」
今のところ軍船は8隻、水兵は300人配備されているそうだ。
「今年になってから船も兵も少し増えたんだ。来月には更に増員されるらしい」
明るくニコニコしていたインゴ君の顔が不安に曇った。
「それって、オストレアとの緊張が高まってるってこと?」
「コウタも知ってたんだね。でも、すぐにでも戦争ってわけじゃないみたいだよ。傭兵たちもまだ見当たらないしね」
改めてザクセンス王国という国について説明すると絶対君主制であり、重商主義の経済政策をとっている。
重商主義っていうのは貿易などを通じて貴金属や貨幣を蓄積し、かつ自国の製品を保護・輸出して国を富ませる経済思想だ。
列強諸国は獣人たちが住むという西大陸に船を送り、盛んに財貨を集め自国の品を売りつけている。
さながら地球の大航海時代だね。
そうやって蓄えた財のお陰で常備軍を養い、貴族による官僚制度を維持しているのだ。
国内には合わせて約10000人の常備兵がいるそうだ。
そこにクララ様のように軍務に参加する貴族と俺たちのような従者が加わってザクセンス軍は編成される。
更に足りない分は傭兵を雇うというのがこの世界の常識だ。
基本的に最前線に立つ兵は傭兵なので、インゴ君の言う通り傭兵がいないということはまだ戦争は始まらない証拠でもあると言えた。
「ザクセンスとしてもポルタンド王国に加えてオストレア公国を相手にする二正面作戦は避けたいところでしょうね」
吉岡の言う通りだと思うけど、相手の嫌がることをやるのが戦略ってもんだ。
「だけどオストレアがザクセンスの都合を考えてくれるはずもないよな。問題はオストレアの目的がどこにあるかだよ。インゴ君、攻めてくるならオストレア公国はどこに兵を動かしてくると思う?」
とりあえずエッバベルクから離れていれば離れているほどありがたい。
「自分もよくわかんないんだけど、上官が言うには最初の戦端はマイウー島になるって」
マイウー島はバーデン湖の中にある一周10キロ程度の島で、ザクセン軍の要塞がある島だ。
オストレアの海岸線からすぐの場所にあり、いわばオストレア公国の喉元に突きつけられたナイフのような存在だ。
いざとなればここを
「とりあえずは局地戦か……エッバベルクには関係なさそうだな」
「ですね」
俺と吉岡の遣り取りを聞いてインゴ君は呆れ顔だ。
「他人ごとみたいに言うなぁ!」
だって関係ないもん。
クララ様に参戦命令が出たらもっと真面目に考えるよ。
「はぁ、俺は来月になったら増援部隊と一緒にマイウー島へ配置換えなんだ……」
凄く落ち込むインゴ君のために持ってきていた雑誌のグラビアページを切りとってプレゼントしてあげた。
紙の中の女の子は水色のビキニを着て、水辺に座って媚びるような笑顔をこちらに向けている。
「お、俺、家宝にするよ。お守りにする。ずっと胸ポケットに入れとくよ!」
少しは元気が出たようだ。
そのお守りプライスレス。
この世界では一枚しかない貴重なものだから大切にしてね。
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