第40話 召喚獣はねぐらを求め、貴族は高らかに笑う

 今日の移動距離は長かった。

およそ42キロを歩いてラーケンハインに到着するころには、冬枯れの木立を赤紫に染めながら太陽は西の空に沈みかけていた。

前回の召喚から六日目だから、今日は日本に帰る日だ。

あれから商品を販売する機会は一度もなかったので今回の帰還では仕入れは不要になる。

わざわざ銀座のど真ん中から召喚してもらったのは無駄なことになってしまった。

資金も使い果たしているので買うものがあっても自分用のものだけだ。

ただ、日本へ帰ったらやらなければならないことが多い。

絵美とは離婚してしまったので新しい住処を探したり、住民票を移したりなければならないのだ。

いつまでも吉岡の家に厄介になるわけにもいかないしね。

日本時間で12月19日(日曜日)14時の時点に送還された。


 狭間の小部屋を経由して日本へ戻ってきた。

早朝から日暮れまで歩いて、クタクタに疲れているはずなのだが吉岡の回復魔法のお陰ですっかり元気になっている。

これなら時間が14時に戻ってもまだまだ動けそうだ。

「再召喚は明日の午後8時ですね」

「うん。明日は出勤かぁ……。まともに仕事になるのかな?」

体感的には25日ぶりの出社になる。

最後に出社したのが12月17日だから日本ではまだ二日しか経っていない。

業務内容なんて忘れかけてるぞ。

「アキバでクロスボウとか買ったのが一昨日おとといですよ。信じられないですよね」

本当にそう思う。


 吉岡と別れてからネットカフェで賃貸物件を検索した。

駐車場も必要だ。

さてどこに拠点を構えよう。

会社の近くが楽でよさそうだよな。

どうせなら徒歩で会社まで行ける範囲がいい。

でもなあ、ザクセンス王国での商売がうまくいったら辞表を出すつもりなんだよね。

向こうでの活動がメインになると思うからさ。

そうなっても日本で無職はまずいかな? 

カモフラージュに何か商売をするのもいいかもしれない。

そこらへんは金が出来てからおいおい考えていくことにしよう。

最初はどうせ繋ぎだしウィークリーマンションかマンスリーマンションを契約しようと考えていた。

だけどそれだと住民票が移せないらしい。

引っ越したら14日以内に住民票を移さないといけないのだ。

ほとんどザクセンス王国にいるとはいえ、気が付いたら住所不定になっていたというのも困る……かもしれない。

だったら、きちんと物件を借りて住所を移してしまった方がいいだろう。

 会社の最寄り駅近くで検索をかけたら築59年とか48年とかいう古いアパートがたくさん出てきた。

家賃も3.5万円くらいから4.5万円くらいと安い。

どうせほとんど使わないからこれでもいいかな。

あ、でもダメだ。

風呂が付いていない。

ザクセンスでは風呂無しの生活だからせめて日本に帰ってきたときはお風呂に入りたいのだ。

王都についても官舎に住みこまなければならないそうで、家に風呂を付けるという俺たちの野望は潰えている。

せめて日本に送還された時くらいはゆっくりと身体を洗いたいのだ。

それにしても、今どき風呂無しアパートなんていうのもたくさん残っているんだな。

四谷って一本奥に入るとレトロな雰囲気が残っているんだよね。

 画面をスクロールさせていくと築46年のワンルームアパートがあった。

詳細を確認すると室内はリフォーム済みで風呂もユニットバスがついている。

家賃は5.2万円で敷金礼金は各家賃の1ヶ月分ずつ。

諸費用はすべて込みで3.16万円? 

安いじゃないか。

当面のつなぎとしてはここで充分な気がする。


 不動産会社の審査も通過して、俺はその日の内に「池波荘」201号室に入居した。

外から見るとあまりきれいには見えない木造アパートだが、内部はしっかりリフォームされている。

白すぎる壁紙は眩しく、床にはフローリング材が張られていた。

布団などはないのでテントマットを敷いて寝袋をおけば立派なねぐらの完成だ。

インターネットの回線はないけどとりあえずはスマートフォンで何とかなる。

自動車の中の荷物を運び込むだけだったので引越しは30分もかからずに終了してしまった。

占有スペース13.78㎡がやけに広く感じるのは荷物が少ないせいなのか、それともここには俺しかいないせいなのか……。

この日は久しぶりにネットで動画を見ながらいつの間にか寝てしまった。


 ネクタイって元々はクロアチアの兵士が巻いていたスカーフが起源だという説がある。

兵士たちの無事な帰還を祈って彼らの母や妻から送られたものを首に巻いていたのが始まりらしい。

約一カ月ぶりにネクタイをしめれば、俺も一人の企業戦士に変身だ。

あ、これは数年前に絵美からプレゼントされたネクタイだった……。

会社までは徒歩で15分の距離だから時間はたっぷりある。

新しいネクタイを選びなおしてから出社した。


 早朝から資料やメモを読み込んで一生懸命業務内容を思い出したけど、やっぱり限界はあるよね。

完全に休みボケのような状態で何とか仕事をこなしていく。

俺の場合は朝一番で上司に電撃離婚のことを打ち明けたので、多少のミスは大目に見てもらえたよ。

しかも午後は役所をまわるための休みを快く許可もしてくれた。

 そんなこんなで昼休みだ。

吉岡と連れ立って外に食事に出かけた。

ついでに俺の新居を見せるためでもある。

「すげー、なんか昭和の匂いがします」

その感想は的を得てるけど君は平成生まれでしょうが。

昭和の匂いなんて知らないくせに。

そこへいくと俺は最後の昭和の人。

そう、63年生まれだ。

……ジェネレーションギャップを感じる。

でも物心ついてないから昭和の匂いなんて知らないよ。

俺たちは仲間だよ!


「先輩、どうでした?」

「どうでしたって何が?」

フローリングの床にぺたりと座った吉岡の顔はげんなりしている。

きっと俺も似たような顔をしているんだろうな。

「自分にはもう無理です。さっきから会社にいるのが辛すぎます」

たしかに日本と異世界の二重生活ではギャップが激しすぎると俺も思う。

特に時間が経てば経つほど辛くなるのだ。

昨日まで武器を持って決闘していた人間が、その次の日には開発進捗状況の分析書をまとめるとか訳がわからなくなる。

「今日にでも辞表を書きたいです」

「わかる、気持ちはわかるよ。でも次の取引を成功させるまで待とう。在庫がすべて捌ければ6千万以上になるんだから、なっ」

口では吉岡を宥めながら、俺も限界を感じていた。


 午後は役所をまわって転出転入届を提出できた。

ギリギリで運転免許更新センターで免許証の住所変更も出来たぞ。

疲れたよ、老人になった気分だ。

ザクセンスで40キロの旅をしてる方がよっぽど疲れない気がする。

なんでだろうね?

「吉岡、回復魔法プリーズ」

会社の通用門で再開した吉岡についお願いしてしまう。

「僕にもマッサージをプリーズです」

二人ともヘトヘトになった日本での一日が終わろうとしている。

再召喚まで残された時間は僅かに21分だった。




 ブレーマン伯爵は自分の居城に友人を迎えていた。

彼の名前はメリゲン子爵デニス・リーツ。少年時代からの旧友でもありライバルでもある。

何かにつけて二人は張り合っているのだが、それは友誼の深さの裏返しでもあった。

今日は二人して伯爵領の狩場へ猟に出かけたのだ。

冬の狩りは貴族の楽しみであり嗜みでもある。

猟果は伯爵のカモ一羽に対して、子爵は鹿と雷鳥に加えてウサギも獲っていた。

「なかなか楽しい猟だったな。お前と違って獲物が多かったから喉が渇いた。ユルゲンよ、夕食前にお茶でも振舞ってくれ」

子爵は軽い嫌味を混ぜてお茶を所望したが、伯爵はその言葉を喜びを持って聞いていた。

「(きたっ! 今のうちにせいぜい優越感に浸ってるがいい。デニスめ、度肝を抜いてくれるわ)」

伯爵は何気ない風を装い執事に言いつける。

「聞いての通りだ。子爵にお茶をお出ししなさい。私も一緒に飲むとするかな……」

子爵にお茶を出す際は新たに購入した茶器で出すようにと、使用人たちには予め言い含めてあった。

「それにしても新たに購入した弓は中々の品だったぞ。ボンベルの職人はいい仕事をする。ユルゲン、お前も一つ購入してみんか? 狩りの獲物が少しは増えるぞ」

普段の伯爵なら子爵の物言いに悔しさを感じただろうが今日は全く気にならない。

「失礼いたします」

執事がお盆を持ったメイドたちを連れて戻ってきた。

「だが、本当に大切なのは弓ではなく矢だと思うのだよ私は。」

子爵の狩猟談義は続いている。

「特に重要なのはシャフトの部分だ。これの素材が命中率に――」

気持ちよさげに持論を展開していた子爵の言葉が突然に止まった。

視線はテーブルの上に並べられているティーセットに固定され、口は開いたままだ。

「ふむ、続けてくれデニスよ。シャフトの素材によって命中率がどうなるって?」

微笑みながら訪ねる伯爵に子爵は驚愕の表情を向けた。

「ユ、ユルゲン……こ、これらの品は……」

「うむ」

「ど、どこでこのようなものを」

心地よい優越感が伯爵の心を満たしていく。

知りたいかデニス? 

知りたいだろうなぁ。

「そんなことより弓矢の話をしよう。興味があるんだ」

「ユルゲン! 頼む、お主と儂の仲ではないか!」

哀れっぽく叫ぶ旧友の姿に、ついに伯爵は込み上げる笑いを抑えきれなくなっていた

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