第144話 黒山羊

 起き抜けの身支度を終えて、宿の広間に座った。

 シエスは僕の隣でまだ眠そうな眼をしている。顔を洗った際の水滴が横髪に残っている。指で拭ってやる。


「んで、どうすんだ」


 ガエウスは入口近くの壁を背に、僕を見ていた。


「少し、待ってくれ」


 ティティに事の次第を伝えないと。目でそう告げると、ガエウスはあからさまな溜め息をついた。

 ティティは未だに落ち着かない様子でいる。間を置いたからか、顔色は少しましになったけれど、僕らを覗き込む目は心細げだ。

 全ては話せない。話せば巻き込んでしまう。王国の動きは強引なまでに速い。僕らの縁者と見られれば何をされるか分からない。


「ティティ。色々あって、僕らは王国に喧嘩を売ったんだ。王国宰相に目をつけられて、追われてる」


 短く伝える。


「俺らがあのクソジジイを追ってる、とも言えるがな」


 ガエウスが茶々を入れても、ティティはまだ何も言わない。明らかに戸惑っている。


「宰相は僕らを見つけ出して、消すつもりだろう。此処に留まれば、君に迷惑をかける。もう、行くよ。王立軍に聞かれても、白を切れば大丈夫だと思う。できることはしておくから」


 王国は本気だ。ティティが尋問されれば、魔導で何かされる可能性もある。このあたりは後でシエスに対策を頼むしかないけれど、シエスなら問題ないはずだ。


「……私は、大丈夫です。軍ともよくやり取りしてますから。でも、ロジオンさんは、平気なんですか」


「平気だよ。ありがとう。本当はもっと、きちんと泊まりたかったけど。ごめん」


「いえ。……でも、やっぱりここでしばらく身を隠した方がいいんじゃないですか。触れ書きの量、普通じゃなかった。兵が出てきたら、隠れる場所なんて……」


 話すうち、ティティの視線に心配の色が強まっていく。飛び抜けて優しいところも、何一つ変わっていない。


 もう既に知りすぎているかもしれない。これ以上何も話さない方がいい。そう思う自分もいる。

 でも、この宿で、この顔をしたティティにまた何も言わず、無理やり振り切って去るのは気が引けた。


 王都を去った日。自棄になった僕に、ティティは最後まで温かな声をかけてくれた。彼女には、返すべき恩がある。それなのにまた心配だけかけて、いなくなるのは、違う気がした。

 言うべきことはまとまらない。それでも、伝えてみる。


「まだ、ちゃんと言えてなかった。僕が王都を逃げ出した日――あの時、支えようとしてくれて、ありがとう」


 僕を見上げるティティが、きょとんとする。さっきまでとは違う色の困惑。唐突すぎたかな。


「おかげで立ち直れた。今、王都に帰ってきたのも、国と喧嘩してるのも、あれから旅を続けた結果なんだ。生きたいように生きて、此処まで来た。あの頃よりずっと強くなって、此処にいる」


「ロジオン、さん」


 言いたいことだけ言っていなくなる。結局、やっていることは昔と変わらない。それでも、今度はちゃんと真っ直ぐに伝えておきたかった。


「大丈夫。今度は嘘じゃないさ。次こそちゃんと、泊まりに来るよ」


 笑ってみる。昔のような虚勢じゃない。

 次は誰にも邪魔をされずに、ゆっくりと滞在して、ティティの少し大雑把な手料理を食べて、行ったことのないダンジョンへ潜ろう。

 ティティは何も言わなかった。でも、肩の力は少し抜けたようにも見えた。心配そうなのはそのままだけど、これ以上はもう時間がない。


「かっこつけんのはいいけどよ。行く場所、当たりついてんのか?」


 ガエウスが僕に問う。珍しく真面目な雰囲気でいる。危機を感じて、というよりは早く、危険へ飛び込みたいだけだろうな。


「いや。でも、行ってみたいところはある」


「あ? 珍しいじゃねえか。どこだよ?」


「冒険者が行くべきところなんて、ひとつだろ。ダンジョンに潜る」


 頭の片隅で考えていたことを話してみる。後ろから、ルシャの変な声が聞こえた。シエスも僕の横で、いつもより少しだけ目を見開いて、驚いたような無表情。

 そんなに意外だったかな。まあ、臆病者の僕にしては大胆だったのかもしれない。

 でも、ここからは正念場で、これからは、僕らが動く番だ。


「ここまで来たら、あとは出たとこ勝負でいいさ。今すぐ、出るよ」


 ティティの横から一歩踏み出す。宿屋の床がぎいと鳴る。


「今のロージャ、ちょっとガエウスっぽい」


 シエスがぼそりとつぶやく。どことなく不満げに聞こえて、面白い。


「あァ? 俺ァあんなナヨっとしてねえぞ」


「シエスが言いたいのは、そういうことじゃないと思いますけど……」


 みな思い思いに話しながら、宿を出る準備を手早く進めていた。

 不安はあるものの、問題はない。一緒ならばなんとでもなる。そう信じている。

 それに、本当のところは完全に出たとこ勝負という訳でもない。どれだけ強くなっても、僕の根っこは小心で変わらない。

 それでも、いつもよりは少し、わくわくするような自分もいるのが可笑しかった。


 浮き立つような内心を抑えて、振り向いて、ティティを見る。

 彼女も何か驚くように、僕を見上げていた。


「ティティ、最後にひとつだけ。黒山羊丘について、教えてもらっていいかな。魔物が増えている噂について、できるだけ詳しく」




 翌日。


 身を隠していた茂みから出る。

 風向きが変わって、こちらが風上。すぐに気付かれるだろう。もう隠れても意味はない。そのまま立ち上がった。

 晴れ空の下、兜の隙間を抜ける風が心地好い。此処、黒山羊丘くろやぎのおかはどこまでもなだらかな丘陵で、いつ来ても風が穏やかで好きだった。


 視界の奥には小さく、狼の魔物――ヴォルクが三頭見える。もう此方へ駆けている。距離はすぐに詰まるだろう。


 盾を背から取り、構える。三頭の他にはまだ何も見えない。当てが外れたけれど、構わない。まだ朝で、時間はある。


「めんどくせえ。ふっ飛ばしちまえばいいじゃねえか」


 横のガエウスはまだ弓を構えてすらいない。構える気もなさそうで、突っ立って暇そうにしている。


「駄目だ。魔導は無し」


「しゃらくせえ。見せ付けて誘き出そうぜ」


「軍を? 馬鹿言うな」


 言い合っているうちに、狼は迫っていた。もう牙まで見える。腹でも減っているのか、勢いがある気がした。


『力』を使う気はなかった。目立って王国軍に気取られる訳にはいかない。魔導はともかく、『志』自体まで検知して辿る術があるのかは知らないけれど、念には念を入れておく。

 後ろに控えているルシャへ、一瞬だけ目線を送る。彼女は頷いて、腰に佩いた剣へ手をかけた。


 目線を戻す。そのまま前へ出た。数歩進んで、獣の濃い臭いが鼻をつく。

 目の前で、狼が跳んだ。二頭はそれぞれ横へ、一頭は僕へ真っ直ぐに、ぐんと速度を上げた。恐らくは『靭』の魔導。

 魔導を、超常の力を生来使える魔物が、昔は羨ましかったんだっけな。


 左手で盾を押し出す。正面の一頭の鼻先を殴りつける。固い音が響いた。牙で受けられた。

 人の武具を、その硬さを知る個体か。少し厄介だった。少しだけ。

 すぐに左右から、それぞれに二頭が迫る。僕だけを狙っている。ならば無理に受ける必要もない。ぶつかる寸前に、後ろへ跳んで躱す。

 三頭はそのまま僕へ詰めてくる。鎧に身を固めた僕にも怯まない。過去に打ち破ったことがあるのだろう。僕のような冒険者を。

 数度を盾で防いで、数回躱して。目まぐるしく交差する狼を、視界から外さない。獣の臭いにも慣れていく。


「手伝わねえぞ。てめえとルシャで十分だろ」


 ガエウスの声は、妙に下方から聞こえた。

 思わず見ると、いつの間にか寝転んでいた。良い感じの芝生の上で、肘をついて僕らを見ている。欠片も警戒していない。まあ、大丈夫だけども。


 意識をヴォルクへ戻す。

 守り一辺倒の僕に対して、狼の動きが僅かに、雑になりつつある気がした。踏み込みの鋭さが落ちている。自分が狩る側と確信したのか、余裕が見える。

 それ自体は良い。でも、僕への警戒が鈍るとその分、周囲へ目が向いてしまう。

 僕への集中と、侮り。それらが両立する僅かな間。この機を逃さない。


 一頭がまた飛び込んでくる。一拍遅い。今度は盾で受ける必要もなかった。迫る牙を横へ躱しつつ、盾を背に、背の鎚を右手に、持ち換える。

 噛みつきを空振りしたヴォルクがこちらを振り向くより早く、鎚をその頭へ、真下へ振り抜いた。


 血と土が弾ける。


 まずは一つ。

 そう思った瞬間、ほとんど同時に、他二頭の気配もかき消えた。顔を上げると、ルシャが剣を空へ振るって、血を払っていた。足元には、首を失くした狼の亡骸が二つ。


「ヴォルク程度じゃ暇つぶしにもなんねえな。また巨人とかバカでけえ鳥とか、いきなり出てこねえかなあ」


 襲撃の終わりに、ガエウスの気の抜けた声が丘に響く。

 そんな大物が出てきたら、僕らの狙いも何もあったものじゃない。呆れていると、ルシャも眉を顰めつつ笑っていた。



 ティティと別れて、王都を抜けて此処へ来たのには、二つ理由があった。


 黒山羊丘は、広い。古くから知られているダンジョンということもあって、新たな魔物や宝が発見されることもほとんどないから、剣の腕を磨くとか、楽な依頼をこなして日銭を稼ぐとか、そういった冒険者しか来ない。

 だからいつも閑散としている。ちらほらと低等級の冒険者がいる程度で、身を隠すには良い場所と思ったのが、ひとつ。


 あとひとつは、異変を確かめるため。

 ティティの話では、このダンジョンでは例にないほど魔物の数が増えているらしい。と言っても、この黒山羊丘の魔物は、そのほとんどが名前の通り、カズョル――黒山羊で、その魔物が増えているだけなら、今後も大した騒動には発展しないと思う。

 カズョルは、危機が迫ると奇妙な魔導を使うので一応は魔物とされているものの、それ以外はほとんどただの山羊で、魔を扱う獣としては珍しく、獰猛さもない。それどころか普通の山羊より賢く草も根までは食い散らかさないので、昔、王都の牧場でうまく飼えないか検討されたこともあると聞く。

 結局、例の魔導のせいで牧畜は不可能と判断されたらしいけれど。


「あ。ロージャ、彼処を見てください」


 ルシャが遠くを見て、何かを指差している。その方を見ると、なだらかな丘の中腹に、黒いかたまりが見えた。


「私も初めて見るのですが。あれが、ヤギさんですかね?」


 ルシャが遠くに見つけたのは、まさに黒山羊の群れだった。よく見ると思い思いに、うぞうぞと蠢いている。以前来たときもよく見かけた光景だった。

 カズョルは、普通の山羊よりも群れやすく、毛量も多いので、ヒツジの方が近いのでは、という研究もあるらしい。僕にはヤギもヒツジも、違いなんてよく分からないけれど。


「あれだね。……普通の群れに見えるけど、まだ溢れるほどではないのかな」


 数が増えていると聞いたけど、これまでのところはいつもと変わらないという印象で、異変と言うほどではない。

 これだと、計画通りとはいかないかな。そう思いかけたところだった。


「ロージャ、あの丘の向こう、すごい」


 空からするすると、シエスが降りてきていた。魔導は使わないようにと言っていたのに、いつの間にか飛んでいたらしい。

 ……流石に警戒を怠り過ぎだ。注意しようとして、シエスの目がいつになく輝いているのに気付いた。


「すごい、もこもこ」


「もこもこ?」


「ん。あの上で寝たら、気持ちよさそう」


 妙に感情のこもった、いまいち要領を得ない報告だった。ただ察するに、僕からは見えない丘の向こう側に、黒山羊の群れが相当な数、いるのだろう。


「おお、カズョルの毛は最高だぞ。ぶっ殺すとすぐ駄目になるから、ほとんど興味持たれてねえけどな」


「なるほど。すごい。もふもふ」


 シエスは明らかにそわそわしている。あからさまにそれを煽るガエウス。頬杖をつきながら、ニヤニヤしていた。

 そういえば、シエスは前から、もふもふしたもの好きだったな。魔導を使ったことを怒ろうにも、その気はあっという間に萎えてしまった。


「……申し訳ないけど、遊んでる余裕はないよ」


 でも流石に、気は緩められない。今は駄目だ。『果て』に至るために一刻を争う状況なんだから。

 皆もそれが分かっているはずなのに、シエスは無表情にむくれるし、ガエウスはそれを見てバカ笑いしているし、なぜかルシャまでほんのり切なそうに眉尻を下げていた。

 流されてはいけない。カズョルの毛並みを確かめるのはまたいつかにとっておけばいい。僕だって、そういうささやかな冒険は大好きなんだ。

 ひとつ咳払いをして、話を戻す。


「シエス。向こうにカズョルの群れがいたんだよね?」


「ん。見たことないくらいたくさんいる。見渡すかぎり真っ黒」


 そんなにか。それは確かに、他の魔物だったらとっくに溢れているだろう。まだ大事になっていないのは、黒山羊が大人しいからか、王都の冒険者がうまく間引いているからか。

 なぜ魔物が増えているのかは、分からない。以前に初期探索で潜った魔導都市近くの新しいダンジョンは、顔無しの男がわざと溢れさせようとしたものだった。

 もしかすると今回も、奴が関係しているかもしれない。でもそれは、今真っ先に考えるべきことではない。


「なら、もしかすると上手くいくかもしれない。この状況を利用して、王都の中心へ忍び込む」


「どういうことですか?」


「今、このダンジョンは『溢れ』の直前と思う。少なくとも、王都からはそう見られているはずだ。なら、溢れそうなら、溢れさせてしまおう」


 僕の狙いを、淡々と話す。すると一瞬、みな止まってしまった。


「ロージャ、お前。ついに、おかしくなっちまったか……。自棄になって王都ごと魔物まみれにするたぁ、ついに手の付けられねえワルに……」


 ガエウスが大袈裟に嘆く。演技が下手で笑えるが、純粋なシエスとルシャは割と信じてしまっているからやめてほしい。僕を見つめる目が妙に真剣になっている。ルシャなんて、顔がみるみる青ざめている。


「ごめん。言い方が悪かった。もちろん本当に魔物を街へけしかける訳じゃない。そう見せかけるんだ。そうすれば、王都の目はきっと僕らから逸れる」


 慌てて説明しても、シエスとルシャはまだぽかんとしていた。

 僕自身も、滅茶苦茶な案だとは思っている。でもこれくらいしか思いつかなかったんだ。


「つまり、『溢れ』を装うんだ。シエスの魔導で。偽物の黒山羊の群れと土煙。これで王都へ雪崩れ込む」


 上手くいくかは分からない。でも、王国を欺くには、それくらいしないと無理だろう。

 僕の、これまで以上に突拍子もない計画に、ガエウスだけが嬉しそうににやけていた。

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