第142話 宿屋

『転移』の渦へ飛び込んでから、どれだけ時間が経ったのかは分からない。

 魔導の中を、ただ流されていく。


 僕は今、どこにいるんだろう。暇を持て余して、ふと考える。

『転移』の狭間は一体どういう存在なんだろう。魔導によって形作られた道。これも世界の一部と言えるんだろうか。するとナシトは一時といえど、エルフの森と王都とを繋ぐ、世界の新たな一部を創ったということにもなる。……それは、大仰に言い過ぎか。

 世界。まだ僕らが魔導都市にいた頃、ヴィドゥヌス校長の語ってくれたことを思い出す。

 住んでいる世界のことすら、僕らは分かりきっていない。かつては神獣が、今はヒトと魔物が満ちる世界。その有り様を、正しく理解したいと思う、魔導学校のような人たちもいれば、都合良く覆い隠そうとする支配者たち、国もある。

 小さな頃、まだ見ぬ村の外へ憧れて、空想に思い描いていたものよりも、陰湿で複雑な世界。僕ら――ただの冒険者でしかない『守り手』は、その大いなるうねりに呑み込まれて、流されているだけなのかもしれない。


 世界、その不可思議さの前では、僕らはちっぽけだ。これからどうなるか検討もつかない。王都で僕は何と向き合うのか。


 いつも以上に何も分からない。

 とはいえ、やることはいつも通りだ。僕にできることは、僕の信じるものは、もう変えようもない。



 終わりは唐突だった。

 水の中へ浮かぶように光へ揉まれていた僕は、急に前へ、引かれるように重みを感じて。

 光が一際強く瞬いて、思わず腕で視界を遮る。

『転移』を抜ける。ただ、受け身を取ろうにも、どちらが地面かすら予想がつかない。どうしたものか逡巡しているうちに、気が付くと僕は中空へ投げ出されていた。


 眩んだ目を必死に凝らして、回りを見る。

 すぐ目の前にあったのは、壁だった。下を覗くと、相当な高さ。これは恐らく、王都の外壁だろう。これだけ大きな壁、僕は王都でしか見たことがない。

 遠くには王都の入口、主門も見えた。

 となると、『転移』の行き先自体は、ナシトの言った通り、王都。見たところ壁の内側、都の内に出られた。でも。


「……けっこう高いな」


 思わず口に出していた。僕は今、王都の城壁、そのてっぺんとほぼ同じあたりに浮いている。正確に言えば、王都の壁近くを落ちている最中だった。

 初めて見たときは、その上端が霞んで見えたほどの外壁。その高さを真っ逆さまに落ちていく。『転移』から抜けて、今度は本当に、上から下へ落ちる落下だ。

 ナシトも流石に、高さまでは調整する余裕がなかったか、それともただの嫌がらせか。彼の最後の不気味な笑みを思い出すと、なんとも言えない。


 どうするか。改めて目を回すと、皆の姿もすぐに見つかった。同じように落ちている。

 放っておいても大丈夫だとは思う。僕以外は魔導で軽々と着地できるだろう。でも今僕らは王国に追われる身だ。到着自体で騒ぎを起こして早々と目立つのは避けたい。……突然空から降ってくる時点で既に目立っているという可能性からは目を背けるしかない。せめて目撃者が少ないことを祈ろう。


「ロージャ」


 声がした。考え中に知らず瞑っていた目を開けると、目の前にシエスがいた。同じように落ちているようで、よく見ると一人だけ身体の軸がぶれていない。魔導で僕らの傍を飛んでいるのだろう。

 僕を覗き込む顔は無表情ながら、目は分かりやすく「任せろ」と言っていた。

 もう僕の考えなんて筒抜けか。すっかり頼もしくなったものだ。


「じゃあシエス、お願いできるかな。なるべく目立たずに、静かに着地したいんだ」


「ん」


「シエス! 俺ァ派手なのでもいいぜ! なんなら金持ちのデケえ家の上落ちて、王都凱旋ってのも面白えっ」


「……ロージャ?」


「駄目に決まってるだろ」


 シエスもどうしてそんな案に若干乗り気なんだ。


「ガエウスはうるさい。目立たないのは無理。そのまま落とす方が、魔素の節約になる」


 シエスの眼差しは真剣だった。まあ、本当に実行してもガエウスは少し怒るくらいだろう。むしろ喜ぶかもしれない。ガエウスの日頃の行いが悪すぎるから、シエスを窘めようがない。

 そうこう言っているうちに地面が迫ってきていた。


「……頼むよ。静かに、無難にね」


 シエスはすぐに頷いてくれた。僕らから離れて、空中で身体を止めた。神樹の杖を頭上に掲げる。

 僕も切り替えて、体勢を整える。どんな魔導で解決するつもりなんだろう。少しだけ楽しみに、衝撃に備えて身体へ『力』を、僅かだけ流す。


『魔導膜――柔らかめミャーフカ


 聞こえたのはそんな、不思議な発動句だった。

 すぐに、これまた不思議な感触が僕の脚から全身を包む。水に飛び込んだのとはまた違う、弾力のある透明な何かが僕を受け止めて、柔らかく減速する。


「うおっ、ぬるっときた、気持ちわりいっ」


 ガエウスも初めてなんだろうか。シエスがむっとしそうな感想はやめてほしい。


「魔導膜の応用、ですか。基本の魔導と言っても、普通はここまで性質を変えられません。シエスは本当に、器用ですね」


 ルシャが感心したように呟いていた。

 これも魔導膜なのか。僕とシエスの初めての旅を思い出す。あの時、ルブラス山でシエスが見せたのも魔導膜の応用だったな。

 シエスはあれからここまで、前へ進み続けてきた。それが嬉しくて、気が緩んでしまいそうになる。


 ぐにゃりとした感触はすぐに消えた。シエスは地面すれすれで止まるように計算していたのか、僕らは何事もなく着地できた。

 久しぶりに自分の足で地を踏みしめた気がする。


 顔を上げると、視界の先に主門が見えた。

 王都の威容を、王国の威光をそのまま形にしたような巨大な鉄門。装飾は多くなく、その無骨な有り様がむしろ揺るがない力強さを色濃く感じさせる。


 僕は、帰ってきたのか。王都に。全てを失ったと思った街に。


 感慨に耽りかけて、気付く。シエスがすぐ脇で、僕をじいと見上げていた。すぐに我に返る。


「ありがとう、シエス。完璧だ」


「ん。でも、少し鈍ってる」


 確かに、シエスはつい先程まで本調子ではなかった。あまりにいつも通りだから、忘れかけていた。少し心配になる。

 手元の杖へ視線を落としつつ、シエスはぼそりと続けた。


「ほんとはガエウスだけ地面にぶつける予定だった。軽く」


「あァ?」


 勘弁してくれ。久々に帰ってきた余韻も台無しだった。

 シエスが元通りになってくれたのは嬉しいけど、やたらと喧嘩をふっかけるところまで以前と同じにならなくてもいいのに。

 しかも今は、気を抜いていい時でもない。アダシェフ王国宰相も王都に戻っているはずだ。感傷に浸りかけた僕が言えたことではないが、早く次の一手を考えないと。


 頭を切り替えて、周囲を見渡す。

 今は夕方だろうか。淡く陽が差している。エルフの森ではまだ日中だったはずだ。然程時は経っていないのかもしれない。『転移』の中にいる間、時がどう進むのかは知らないから、数日が過ぎているのかもしれないけれど。こればかりは誰かに確かめないと分からない。

 周囲に人気はない。シエスのおかげで騒音を立てずに済んだからか、野次馬の類も集まる気配はなかった。幸い、僕らの落下はほぼ人目についていなかったようだ。

 王都の街中で警邏にあたる兵が、僕らへ駆けてくる気配もない。とりあえずはまだ、気付かれていない。


 僕らは王都の主門近くにいるようだった。門の近く、つまりは王都の外れ。主門から中心部、王宮までも続くという『王の道』――街一番の大通りからも外れて、僕らは奥まった位置にいる。


 まずどこへ向かうべきか。

『果て』への門は王都へ転じたとナシトは言っていた。何処にあるのかは分からないものの、宰相が絡む話だ。恐らくは最も警備の厚い場所、王宮か、そうでなくとも都の中心部か。

 ただ推測で王宮へ忍び込む訳にもいかない。まず『果て』の位置を探り、その場所へ辿り着く手段を講じる。打つ手は思い付かないものの、順序は普段のダンジョン攻略と変わらないはずだ。

 唯一の懸念は、時間だった。僕らにはあまり猶予がない。急いでいるからこそ、ナシトも僕らを転移させた。最短の道を探らなければ。

 ナシトを思い出して、彼との別れ際を思い出す。


「そういえば、シエス。ナシトから鍵の魔導を受け取ってたよね」


 呼びかけると、ガエウスと何か言い合っていたらしいシエスがこちらを向いた。


「まず『果て』への門の位置を特定したい。その鍵の魔導で、何か分からないかな」


「……ん。まだ、分からない。教わったのは、星の色と流れと、その組み合わせ。たぶん魔導陣が要る。けど、まだ足りない」


 星というのは魔素のことだろう。

 ナシトが断片的な要素しか伝えなかったのは、森にいた時の会話から推察できる。


「鍵がなんなのか、まだわからない。わかれば、門の位置もわかると思う」


『果て』への門、それを開く鍵とは何か、か。勝手に、単なる魔導かと思っていたけれど、エルフの秘儀中の秘儀だ。そう単純でもないか。

 考えつつ、シエスに頷く。はっきりとはしないけれど、すべきことは少し具体的になった。


「そうすると、手分けした方がいいかな。シエスとルシャは、魔導の手掛かりを。僕とガエウスは、宰相の動向、を――」


 皆へ一歩近付こうとして。唐突に、視界がぐにゃりと歪んだ。脚の力が抜ける。立っていられなくなる。

 これは、まずいな。


 前へ倒れかけて、なんとか一瞬、踏みこらえた。けれど、誤魔化せはしなかったらしい。すぐに誰かが僕を抱き留めてくれたのか、それ以上ふらつかずに済んだ。

 横で支えてくれたのは、ルシャだった。


「大丈夫ですか。力を抜いて、私の方へ凭れて」


「あ、ああ。ごめん」


 気を失うほどではない。脚の力ももう戻っている。強めに立ち眩んだ程度だろう。でも、油断した。

 見ると、シエスが泣きそうな顔でこちらへ駆けてくるところだった。走って、そのまま僕の胸の下へ抱き着いて、鎧ごと支えるように手を伸ばして、僕を支えようとする。


「……ルシャ、治せる?」


 シエスはまだ涙目だった。ルシャは頷いて、僕の頬を撫でた。『治癒』の光が僕を包む。

 頭の奥の靄が、眠気のような倦怠が少しだけ緩んだ気がした。


「これで、少しは。森にいた時から気になってはいたのですが、確かめそびれていました。やはり『志』を酷使しすぎです。……ロージャは、いつもいつも」


 優しい口調だった。深刻でないことは分かっているのだろう。最後の方は冗談めかした小言になっていたけど。


「水、飲む?」


 シエスは、問うのとほぼ同時に魔導を使い始めたのか、僕の顔すぐ横で小さな水の渦が虚空から湧いた。そのまま丸くなって、水球が浮かぶ。


「ありがとう。でも、大丈夫。少しふらついただけだよ」


 本当にそれだけだ。頭の奥が痛むほどでもない。確かに『志』は使い過ぎたかもしれないけれど、限界は超えていない。酷使した後に襲われる強烈な眠気も、今は大して感じない。少なくとも、まだ暫くは大丈夫。

 でも、ルシャもシエスも納得してはくれなかったようだ。


「まずは休みましょう。今日は戦い通しだったのですから」


「……でも、まだ王都の状況が分からない。先に少しでも宰相の動きを――」


「駄目です。無理をしない。これが第一です。宰相の次の策が分かっても、疲労しきっていては躱せません。呑み込まれるだけです。でしょう?」


 ルシャは頑として譲らない。けれど僕の肩の下、見上げる表情は固いというほどでもない。

 僕の体調が不安というより、常の冒険と同じように皆を気遣う、いつものルシャだった。

 それに、ルシャの言うことは至極もっともだった。休息を軽んじてはいけない。僕は焦りすぎているのかもしれない。


「はっ、まだまだヒヨワってことだな。鍛え方が足りねえ」


 ガエウスだけが場違いに、意地悪く笑っていた。僕らと同じだけ、いや皆以上に跳び回っていたはずの彼は、疲れた様子など微塵もない。

 何も口答えできない。しかし、本当に、いつ鍛えているんだろう?


「初めて王都に来た時と、結局大して変わってねえってこった。あん時はユーリ、今は二人。てか、守ってくれる女、増えてンじゃねえか」


 ガエウスがいつもよりねちっこい。エルフの森であれこれと押し付けた鬱憤を晴らしているのかもしれない。

 僕としては言われるがままでいるしかない。守られてばかりなのはその通りだから、腹も立たない。守られたのならその分、次は僕が皆を支えるさ。

 けれど僕の横と前、ルシャとシエスは明らかに、ガエウスの小言で不穏な空気を纏っていた。


「んだよ」


「別に。ガエウスは、これからもずっとひとり。そう思っただけ」


「そうですそうです」


 じとりとするシエスに、むっとしつつも合わせるだけのルシャ。


「はっ、俺にゃ酒と冒険、それだけありゃいいンだよ。それより、休むんだろ? それなら俺に、当てがあんぜ」


 思いがけない提案だった。

 ガエウスは僕らの反応も待たずに、ずんずんと歩き始めた。

 すれ違いざま、シエスの頭をぐしゃりと叩き撫でていく。シエスの目はまた一段とじとりとした。




 先導するガエウスについていく。目的の場所は、近かった。

 王都の外れ、人通りも疎らな小道沿いに、こじんまりとした二階建てが佇んでいる。

 その店構えには見覚えがあった。


「変わってねえな」


 ガエウスが僕と同じような感想を口走る。変わっていない。薄々、ガエウスの当てとは此処のことだろうとは思っていたけれど、まさか、また頼ることになるとは。

 此処に立つと、此処を去った日のことを思い出す。いじけて飛び出した、格好悪い過去。なんとなく居心地が悪くなる。

 ……あの娘にはあまり会いたくないな。最後まで世話になったのに、善意を無下にしてしまった。合わせる顔がない。


 そう思って少しの間、入り口の前でまごついてしまった。ルシャとシエスが不思議そうに僕を見ている。

 中から誰かが飛び出してきたのは、僕が意を決して取っ手に手をかける寸前のことだった。


「いらっしゃいませ! お客さまですよね、どうぞ、お入りくださ……」


 中から様子を伺っていたのか、姿を現したのは、この宿の看板娘――ティティだった。

 かつての僕らを知っている女の子。

 僕がユーリにフラレた時に、僕を止めようとしてくれた人。


「…………」


 僕を見上げて固まっている。それもそうだろう。

 そういえば僕は鎧を着込んだままだから、威圧的に見えてしまっているかもしれない。僕は気まずくて、そんなどうでもいいことまで考えてしまう。

 でも、此処から逃げる訳にもいかない。


「……やあ、久しぶり。ティティ」


「ろ、ロジオンさん、ですか? ですよね?」


「よう嬢ちゃん! また世話になるぜ」


「ガエウスさんもっ! ほんとに、『守り手』の皆さんですよねっ」


 いつもはただ快活な声も、今は困惑の色が見える。全く予期しない再会だったんだろう。

 目もいつも以上にきょろきょろと落ち着かない。元気なことだけは変わりないようで、少しだけ安心する。

 僕としては、彼女の顔を見ているだけであの日のことを、情けない自分を思い出して、歯の奥がむず痒くなってしまうけれど。


「それで、いきなりだけど。また何日か、泊まらせてもらってもいいかな」


 気恥ずかしさを堪えて、言葉を続ける。


「え、ええもちろん! えっと、この皆さんで、ですよね? 四人なら男女で二部屋、あ、でもガエウスさんがいるなら――」


「ひと部屋でいいぜ。俺ァ夜、銀の馬亭で呑む、そんであとの三人は、同じ寝床じゃねえと、なっ」


「ええっ」


 ティティがまた目を丸くする。ガエウスはがははと笑っている。

 やめてくれ。説明するのが尚更恥ずかしくなる。フラレて去って、新しい恋人を見つけて帰ってきた。それほど日も開けずに、しかも二人。

 いや、何も間違ってないんだけど。僕も胸を張って、二人とも大切な人だと言うけれど。

 ……ティティは、僕があの日、泣き喚いていたことも知ってるんだ。



 誰が敵かも分からない王都で。ティティは、まず頼るにはこれ以上ない味方には違いない。それだけは確かだ。

 僕ひとりの恥ずかしさ程度、乗り越えなければ。そう思うけれど、耳が赤くなるのを、暫くは抑えられそうになかった。

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