第137話 母なる蛇

 無数の大蛇が、巨躯を高く立たせて僕らを見下ろしている。その頭に眼は無いけれど、確かに僕らを見据えている。

 その内のどれかが、甲高い奇声を発した。すぐに、全てが狂ったように叫び始める。

 小さな僕らを蹂躙できる、そう確信しているに違いない、高い響き。


「ガエウス、いつも通り、僕が前だ」


 つぶやく。声を張らずとも伝わることはもう良く知っている。


「一気に来ンぞ、捌けんのか?」


「なんとかする。隙を見て打ち上げる。怯んだら潜られる前に、殺してほしい」


 ケルキダ=デェダは多少傷付けても、地中の魔素を喰らって回復してしまう。攻めるなら一撃で殺しきるしかない。

 いちいち説明する暇はなかった。


「まかせて」


 返事はシエスからだった。


「いや、シエスはナシトの守りを――」


「もう守ってる。守りながら、戦える。やらせて」


 断固として譲らない時の声。ガエウスが、がははと笑った。ほとんど同時に、蛇たちが動き出した。

 巨体が次々と、此方へなだれ込んでくる。


「いいじゃねえか。やられたまんまじゃ終われねえよなあっ」


「ん。ぼこぼこに、する」


 物騒なことを呟いて、シエスは姿を消した。高く、上空へ飛んだらしい。ガエウスはもう気配すら無かった。

 ケルキダ=デェダたちは消えた二人など気にも留めずに、僕へ真っ直ぐ向かってくる。その勢いで、爆風じみた土煙が立ち、僕を呑み込んだ。


 土埃の中、盾を構えて、待ち受ける。

 口元は知らず緩んでいた。


 なんだよ。もう僕がいなくたって全然平気そうじゃないか。


 煙を喰い破って、先頭の大蛇の巨大な頭が現れた。もう目の前、大口を開けて僕を呑み込もうと飛び込んでくる。

 僅かに横へ跳んで躱す。すれ違い際に、盾を横面へ叩きつける。

『力』を流すと、右腕に走る違和感。せき止められるような感覚にも、少しずつ慣れてきた。

 ケルキダ=デェダは衝撃にも止まらずに、でも少しだけ横へ進路を逸らした。

 すぐに二匹目、三匹目が殺到する。躱した一匹目も、尾近くの触手が僕を縊り殺そうと伸びてくる。

 触手は無視する。あれは僕の領分じゃない。

 僕はそのまま盾を、左腕へ持ち換えた。ひと呼吸も置かずに、次の大蛇が僕へ喰らいつく。

 先程と同じようにほんの少しだけ躱して、横面を盾と『力』で、思い切り殴りつける。大蛇の向きが僅かだけ逸れる。

 僕へまとわりつこうとしていた触手は、既に全て射落とされていた。

 直ぐに三匹目へ。瞬きもできない。

 でも焦りは欠片も無かった。大蛇の殺意はまだ、全て僕を向いている。その全てを僕は、確かに捉えている。


 さらに数匹をいなした後。ようやく一瞬、攻め手が止んだ。ふと肌がひりついて、顔を上げると、数匹が僕から少し距離を取って、鎌首をもたげていた。

 狂声と共に、中空に大岩がいくつも、数え切れないほど現れる。

 大蛇の魔導。あの数は流石に厄介だな。そう思った時だった。


 黒い風が吹いた。はじめ、僕にはそう見えた。真っ黒な風が、僕の頭の上を抜けて、大蛇の一匹へ。


 風の正体はすぐに分かった。その黒は、腕の形をしていた。巨大な黒い腕。『赤坑道』でシエスから湧き出した魔手が、再びケルキダ=デェダを襲っていた。

 魔手はそのまま蛇の首元へ掴みかかる。


 一瞬、シエスの気配を探してしまった。

 シエスは僕の真上、上空に浮いている。その気配は落ち着いていて、いつも通りだった。


“大丈夫”


 シエスの声が脳裏に響く。


“もう、暴れさせない。私の魔導は、私のもの”


 僕の不安を察したんだろうか。

 相変わらずシエスは、強い娘だ。あっという間に立ち直って、過去を乗り越えていく。


 また黒い風が吹いた。魔導を放とうとしていた大蛇数匹へ、さらに幾つかの黒腕が殺到する。掴みかかって首を腹を、握り潰す。余裕さえあった蛇たちの声に、絶叫が混じる。


 シエスの意図はすぐに分かった。魔導を放つケルキダ=デェダはシエスが抑える。僕は目の前に集中しよう。


「おいっロージャ! 打ち上げんじゃねえのか! てこずってンなら、仕留めちまうぞ!」


 ガエウスに叱られてしまった。でも、そろそろ掴めてきた頃だ。

『力』を全力で振るっても、ケルキダ=デェダの巨体を高く打ち上げるのは無理だろう。だから、彼ら自身の力を利用する。そのために盾でいなして、巨躯の勢いを殺さずに、向きを変える力の流し方を探っていた。

 ある程度は分かった。後は、試すだけだ。


 折よく、一匹がしびれを切らしたように正面へ飛び込んできた。地を這いながら真っ直ぐに、僕へと牙を向けている。後続とは少し距離がある。好機だ。

 盾を構える。大蛇の牙とぶつかる、その数瞬前に僕は思い切り腰を落とした。

 低く低くしゃがみ込む。盾の下に隠れるように。

 ケルキダ=デェダの反応はごく僅かに遅れた。大蛇の顎、その下へ盾を沿わせる。

 脚に『力』を流す。立ち上がりながら、解き放つ。

 蛇の重さに逆らわず、押し出すように、すくい上げる。盾がぶつかる音はしなかった。


 大蛇の鼻先が上を向く。顎が浮いている。蛇の体は、真上ではなくとも、上向きに流れ始めた。


 盾が顎から離れた瞬間にはもう、盾と鎚を持ち換えていた。蛇の体の下から抜け出し、一歩、跳ぶ。

 跳び上がり、ケルキダ=デェダを追い越す刹那、鎚の頭をその下顎へ添えた。そのまま全力で、振り上げる。

 鎚がみしりと悲鳴を上げた。無視して『力』を迸らせる。知らず、叫んでいた。


突貫ティンバーっ!」


 大蛇の顎が、打ち上がる。今度こそ真上を向いて、長い体躯ごと上へ、上空へ伸びていく。

 僕は打ち上げた反動で、勢い良く地に落ちた。着地した地面が大きく揺らぐ。堪えながら、すぐに盾へまた持ち換えて、次の蛇を見据える。


 打ち上げたケルキダ=デェダは、もう僕の領分じゃない。

 無事に上へ吹き飛ばした。ならばもう、終わったようなものだ。



「ようやくかっ!——来いよっ、『悪運アヴォースィ』っ」


 ガエウスが吼える。森中が揺れた気がした。

 打ち上がった大蛇より更に上から、山吹色の閃光が溢れる。背を向けているのに、眩しい。


「ぶっ潰れろよ、触手野郎っ!」


 乱暴で、心から楽しげな叫び。声と同時に光が弾けた。

 その圧倒的な圧力に、全ての大蛇が動きを止めた。

 僕の打ち上げたケルキダ=デェダを、山吹色の光の柱が呑み込む。かつて見た碧の光線とは全く違って光は一筋だけで、目で追えるほどの遅さだった。けれどその巨大さは大蛇を包み込んでなお余りある。

 まるで、神の放った極雷が、天から振り落ち突き立つかのような。


 ガエウスの放った光は、地に落ちると一段輝きを強めて、轟音と共に一瞬でかき消えた。呑み込まれたケルキダ=デェダは、同じく気配ごと消え去っていた。肉片の一つも見当たらない。

 他の大蛇も僅かに動揺したように動きを止めて、こちらを伺っている。僕はその隙に、上空へ声をかけた。


「ガエウス、魔素酔いは——」


「馬鹿にすンな! ハズレの黄だ、あと百発は射てンぞっ」


 声の出処は分からなかった。既に身を潜めたか、次の獲物を狙っているのか。

『悪運』はガエウスへ魔素を流し込む。長期戦には向かないはずだけれど、ガエウスが良いと言うなら、何も言わない。


 シエスの気配も健在のようだ。上空を飛び回って、ケルキダ=デェダの魔導を発動前に抑えている。

 無数の黒い腕が浮かぶシエスを囲んで、蠢いている。あれじゃあなんだか、シエスの方が悪役みたいだな。


 不意に空気が揺れた。すぐに意識を目の前へ戻す。

 動揺から立ち直ったのか、大蛇の一匹が僕へ向かってきていた。同じく正面から、土煙を巻き上げて這い迫ってくる。

 先程と違うのは、頭中の触手が僕へ伸びていることと、合わせて他の数匹が地へ潜り、後に続いていることか。連携している。僕を脅威と見始めたか。

 このままなら、頭より先に触手とぶつかる。触手は柔らかく、弾いても身体ごとは打ち上げられない。

 どうするか。考えるより先に、身体は動いていた。

 盾を背に回し、鎚を取る。大蛇はもう目の前。全身と、特に左足へ『力』を込めて、踏み込んだ。

 僕へまとわりつこうと伸びる、無数の触手をまず吹き飛ばす。鎚を大きく振って、風を巻き込む。そのまま腰だめに鎚を、横薙ぎに振るった。

 鎚の生み出した暴風で、触手が千切れて弾け飛んだ。蛇はそれでも真っ直ぐに、こちらへ突進してくる。

 振り抜いた鎚の勢いを殺さずに、左足を軸にして、その場で回る。一回転して、正面へ迫った大蛇の横面へ、鎚をぶつけた。

 弾けるような音がして、ケルキダ=デェダの頭に風穴が開く。頭は大きく横へ逸れて、巨体ごと横へ転がっていく。

 恐らくあの蛇はすぐに地に潜る。頭に開いた穴も回復するだろう。今、僕の狙いはあいつではない。

 真下から気配がした。近い。一歩後ろへ跳ぶ。ほとんど同時に、僕の立っていた場所、その地が崩れた。大蛇の牙が現れる。

 大口を開けて、土塊ごと飲み込んで、真上へ飛び上がってくる。

 好機だった。

 僕は着地した足で、今度は逆に正面へ跳ぶ。跳びながら、鎚を下から、すくい上げる。僕を喰らい損ねた大蛇の首元、顎の付け根へ鎚の頭を添えた。

 後は先程と同じだ。『力』を全力で、指の先まで押し流す。右腕の違和感ごと吹き飛ばすように、両腕で鎚を、振り上げた。


 その瞬間、びきりと、鎚が嫌な音を立てた。それでもなんとか鎚を振り切った。

 力は無事に伝わり、大蛇は前の個体と同じように、そのまま上空へ伸びていく。

 すぐにガエウスの気配が現れる。僕はその場から跳び退きながら、鎚の感触を確かめた。

 これは、不味いかもしれない。柄の芯にひびが入っている。振るえたとしても、あと一回が限度だろうか。


 ガエウスの高笑いと共に、山吹の光がまた振り落ちて、先ほどの一匹が跡形も無く消えた。

 けれど大蛇はまだ無数にいる。鎚以外だと、僕にはまだ斧がある。けれど今の戦い方には、斧では不適だろう。

 シエスの魔導を頼るか、戦術を変えるか。一瞬、逡巡して。


「なんじゃこれは、戻ってみればエラいことになっとる! 爺さまは無事じゃろうなっ」


 気配は唐突に現れた。しばらく聞いていなかったしゃがれた声。見ると、カカフが大勢のドワーフを連れて、こちらへ向かって来ていた。

 彼もその後ろの土小人たちも武装している。


「モグラと、耳長……エルフが悪さした訳じゃあなさそうじゃが。これは、一体……」


 カカフがドワーフの軍を連れてきた。それ自体は朗報だろう。長たちを守ってもらえる。

 けれど、今は。この混戦の只中は、危ない。

 数匹の大蛇はもう僕から注意を逸して、ドワーフたちを見ていた。


「カカフっ! こっちへ!」


 大声で呼びかける。せめて僕らの後ろ、ナシトや長たちのあたりまで下がってもらえれば。

 けれど今、カカフたちと僕らの間には大蛇の群れがいる。あれを突っ切るのは至難だ。

 僕らがさらに大蛇の注意を引きつけて、カカフたちが長と合流できる道を拓く。迷っている暇はない。

 決断して、カカフの位置と大蛇たちの動きを、改めて確かめる。


「おおう、ロージャ! 無事じゃった——」



「『宵闇речев』」



 背筋が凍えた。

 帝国語で、誰かのつぶやきが聞こえて。ほとんど同時に、視界が赤黒く塗り潰された。


 反射的に盾を構えていた。

 殺意は、正面。腰を落とした刹那、重い一撃が盾越しに、僕の全身を貫いた。


「ほう」


 無機質な声。

 僕は耐えるので精一杯だった。『力』を込めても衝撃を受け止めきれない。踵が地へめり込んで、なお後ろへ押し込まれる。

 まだ視界は晴れない。僕の眼を潰す魔導か。敵性魔導へ耐性のある兜を抜けるほどの高度なもの。

 数瞬の間吹き飛ばされて、ようやく身体が止まる。殺意はまだ僕を向いている。

 次が来る。盾で受けきるしかない。ひりつく気配は、左から――


「後ろへ、跳んで!」


 声は、ルシャだった。

 言われるままに全力で跳ぶ。跳んだ瞬間、視界が唐突に戻った。

 ルシャが、跳んだ僕の更に上で、剣を振るっていた。剣先から白金の剣撃が放たれる。

 退いた僕を守るように、ルシャは無数の剣閃を前へ散りばめていた。振るうたびに地が抉れて、弾ける。


「聖女の魔導剣。練度は良いが、ありきたりだな」


 ルシャの連撃を意にも介さずに、帝国の臨戦官、ヴロウが僕らの正面へ立っていた。

 魔導剣は何かに歪められているのか、ただ立つだけの彼を躱すように逸れて、当たらない。


「何のつもりだ」


 息を整えながら、尋ねる。

 エルフの秘密を狙っているのは王国だ。帝国の使者である彼が、僕らを消す理由は無い。……消さない理由も、無いけれど。


「王国の目論見が、我らを上回った。協定を侵し森を襲うとは。王国がここまで大胆とは慮外だった。見抜けずいたのは、私の未熟」


 ルシャが僕の隣へ寄って、剣を構えた。目の前の敵の、震え一つ見逃さないほどに集中している。

 ヴロウの冷めた眼は、変わらない。


「森人の秘儀を持ち帰る。それを以て帝への償いとする。加えて、黒の魔導を放つ少女と、意味の分からぬ魔と『志』を扱う半魔。こちらは、土産だ」


 シエスとナシト。二人を狙うと言う。

 ならばこの男も敵だろう。

 もう動揺はしなかった。そんな余裕はとうに無い。


「帝都へ連行する。魔導の真奥へ至るため、礎になってもらう」


「させないさ。邪魔をするなら、打ち破るだけだ」


 一歩前へ出て、ルシャを背に隠す。

 ヴロウの瞳に、薄く感情が宿った気がした。


さえずるな。魔素さえ見えない、無能が」


 侮りと嘲り。一瞬だけ見せて、ヴロウは気配ごとかき消えた。

 恐らくは僕を狙ってくる。魔導に拘りを見せる男だ、僕のような魔と無縁の冒険者など、許せないだろう。

 気にかかるのは向こうの攻め手だった。消える瞬間、ヴロウの手に武具は無かった。僕を吹き飛ばしたのは魔導だったのだろうか。

 何故かそうは思えない。あれは重さを持った圧力だった。僕の『力』と似た、純粋な暴力。


“ニカ。先に殺せ。臨戦官は後でよい”


 遠くでアダシェフ宰相の指示が聞こえた。

 ニカさんも、敵か。レーリクの顔が脳裏に浮かんで、すぐに頭から締め出そうとして、できない。

 僕はニカさんを、どうすべきだろう。敵と割り切れるのだろうか。

 宰相のつぶやきとほぼ同時に、ヴロウより先に、ニカさんが目の前へ現れる。

 手には大きな、僕の背と同じ丈の巨剣が握られていた。表情は、苦々しい。


「……すみません」


 つぶやいたのは、僕に向けた言葉だったのだろうか。

 確かめる余裕は無かった。すぐ真横に突如、ヴロウが姿を現したから。

 ヴロウは僕の脇腹目がけて、拳を振るっていた。――まさか、この男。先ほどの一撃も、拳で?


 盾を半身で構えて、受ける。また後方へ弾き飛ばされた。

 ケルキダ=デェダの突進より、僅かに軽いだけの拳。人の身ではあり得ない重さだった。魔導による強化か、それとも別の何かか。


「よそ見とは。『志』を多少扱うだけの屑には過分な自信だ。よくこれまで、死なずにいたな」


 ヴロウは動かず、僕を嗤っている。追撃は無かった。余裕の現れだろうか。

 時間をくれるのはありがたい。眼はヴロウへ向けたまま、口を開く。


「ニカさん。貴方と戦いたくない。レーリクに合わせる顔がない。僕は彼の師なんです。また会いたい、友人なんだ」


「……私は王の剣です。仇なすなら、斬るしかない」


 絞り出すようにそれだけ言って、ニカさんは剣を構えた。大剣が圧を持って僕を向く。

 でも、顔はまだ分かりやすく苦しんでいた。眉間の皺が取れない。

 想いが分かりやすいのは、レーリクとよく似ている。本当に、兄弟なんだな。

 ……戦うしかない、か。


 ヴロウは僕の無視が気に障ったのか、気配が僅かにぶれていた。

 臨戦官と言っても、人の子か。少し気が楽になる。同じ人間なら、やりようはあるさ。


 ヴロウとニカさん。いずれも僕より相当な強者だろう。一人ずつが相手でも、万が一にも勝ち目は無い。

 でも、負ける気はしない。僕らしくなく、腹の底から力が湧いて、落ち着いている。


 これは一体何だろう。鎚も壊れかけで、攻め手は何も思い付かないのに。これまでの僕なら間違いなく震えていたほどの窮地なのに。


 胸の奥が、凪ぎながら昂っている。これは一体、何だろう。



“ロージャ、いくぞ”



 ナシトの合図が頭に響く。どれくらいの時間が経っていたのか分からない。でも僕は十全に、目的を達せたようだ。

 僕は頷いて、盾を構えた。


“敵は消さない。消すのはエルフの、欺瞞だけだ”


「ンだと! ナシトてめえ、楽しやがったな! 蛇くらいついでに消しやがれっ」


 少し距離があるのに、ガエウスが騒ぐのが聞こえる。姿は見えないけれど、ナシトは間違いなく笑っているだろう。にやりと不気味に、彼らしく。

 ナシトが魔物を残す意図は分からない。恐らく意図なんて無いだろう。そういう男だ。


「やってくれっ、ナシト!」


 高らかに叫ぶ。

 合わせたように、また森中に緩く風が吹いた。



 目の前の窮地は何も変わらない。魔物も人も、何も消えたようには見えない。

 でも確実に、何かが変わった。そう信じている。

 僕の役目は変わらず、今少し時を稼いで、敵を打ち倒す。それだけだ。


 ヴロウは、ぎりと地を踏み込んでいた。此方へ跳ぶつもりだろう。ニカさんは剣を腰だめに引いて、眼は隣のルシャを見ている。

 僕はまた一歩、前へ出て。迎え打つ。




 その瞬間、世界が揺れた。




 全員が足を止める。

 目の前のヴロウの奥、大蛇を翻弄するガエウスよりもさらに奥。


 エルフの森の端、何も無い地面がごそりと、大穴を開けた。

 同時に、地が爆ぜる。ケルキダ=デェダの奔走とは訳が違うほど、巨きなうねりが地を伝って、転びそうになる。

 突如開いた大穴から姿を見せたのは、昏く輝く赤だった。


 赤黒い龍が、地底から空へ昇る。僕にはそうとしか見えなかった。

 大きく、長い何かが僕らの前を這い昇っている。



「おお……おお! アルマスクヴェリっ!」



 叫んだのはカカフだった。

 アルマスクヴェリ。土小人たちの神であり友。愛してやまない、母なる蛇。


「見ているか、我が祖たちよ! 夢幻ではなかった! 酔狂ではなかった!」


 感極まった涙声。応じて雄叫びをあげるドワーフの戦士たちも、笑みを堪えきれずに、武具を高く振り上げている。

 アルマスクヴェリは空高く、まだ昇り続けている。



「儂らの夢は、確かに在ったぞ!」



 神獣はドワーフたちの歓喜も森の混乱も気にせずに、悠々と空を這っていた。



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