第136話 生き様
ナシトを背にして、前を見据える。
近くには宰相の幻影と、幾人かの王国兵士が見える。アダシェフ宰相はただじっと僕らを見ている。
その奥には、無数の王国軍と、囲まれたエルフとドワーフ。押し潰されずにいるのは、迫る兵たちをガエウスが牽制して、ルシャとシエスが弾き飛ばしているからだ。
ここからどう打開するか。
僕自身に策は無い。けれど、背にした僕らの魔導師から放たれる圧は高まり続けている。何かを放とうとしているのは明白だった。
「まずは、囲いを取り除く」
ナシトがぼそりと告げる。どうやって、とは聞かなかった。
「どれだけかかる?」
「初撃は直ぐだ。数を減らす」
ナシトから感じる気は膨らみ続けている。普段は戦闘中でさえ気配を全く感じさせない彼が、威圧するような存在感を放つ。それだけで、彼の練る何かが異様であることが分かる。
近くの王国兵は怯んでいる。宰相も沈黙して、指示を出すようなそぶりは見えない。
また視線を移す。ガエウスたちには余裕がありそうだ。けれど先程から、ニカさんと帝国の臨戦官、ヴロウの姿が見えない。
宰相の次に警戒すべきは彼らだろう。気配は感じられない。何処かで機をうかがっているのか、それとも何か別の目的があるのか。
……できれば、ニカさんと戦いたくはないけれど。
「ガエウス、ルシャ。軍を離せ。その間合いでは、巻き込んでしまう」
ナシトの声は低く小さかった。近くの僕でさえ聞き漏らしてしまいそうなほど。
けれど遠く離れた二人は、反応していた。
ガエウスの弓に番えた手が消えて、瞬く間に無数の矢が放たれる。
ルシャの剣は眩い白光を放った。腰だめに構えて、振るう。
爆破の矢と光の円刃が、軍の囲いを吹き飛ばす。兵たちは一瞬怯んで、足が止まった。
「シエス」
ナシトのつぶやきと同時に、シエスが新しい杖を高く掲げる。微かに見えた表情は、かつてのように不敵な無表情だった。
効果は、僕には何も見えないが、王国軍の魔導師たちの空気が僅かに変わった。恐らくはエルフとドワーフを守るように『魔導壁』あたりを張ったのだろう。
仲間たちの即応に、ナシトは何も言わない。でも、笑っている気がした。
下手くそで不気味な笑み。不器用すぎる信頼の証。
瞬間、僕の背でふわりと、風が揺れた。
怒号の飛び交う戦場には余りにも不釣り合いな、柔らかい風。
風とほぼ同時に、きしりと木の軋む音が聞こえた。
「消えろ。阻むものは、全て」
暗い声に思わず振り向くと、ナシトが箒を振るっていた。空を撫でて、何かを掃き払うように。
箒越しに見えた暗い顔の、口元は僅かにニヤけていたような。
僕はそんなことに気を取られて、笑ってしまって。
「『
続くナシトの発動句が、もたらしたものを見逃してしまった。
また緩く風が吹いて、木の葉を舞い上げていた。今度の風は森中を吹いたのか、木々が揺れている。僕に見えたのはそれだけだった。
視線を前に戻すと、そこにはエルフとドワーフと、僕らの仲間たちだけが立ち尽くしていた。彼らを囲んでいたはずの王国軍は跡形もなく、消えていた。
思わず気配を探る。兵士だけじゃない。森ごと囲んでいたはずの軍の魔導師までも何処かへ消えていた。気配は一つも感じられない。
怒号も喧騒も、剣戟の音も消えて、エルフの森には唐突に静寂が戻っていた。
何が起きたのか分からない。いや、理性では何となく理解しているのだけれど、追いつかない。
森を埋め尽くすほどの無数の兵が、ひとり残らず、虚空に消えた。……そんな馬鹿な。
「……え?」
静かすぎて、遠くの声まで聞こえる。ルナ=ドゥアリが呆けている。
それもそうだ。窮地にいたはずが、急に攻め手が止むどころか誰もいなくなって、周囲は静まり返っている。そんなこと信じられる訳もない。
「……何が起きた。これも王国の、何かの策なのか」
「馬鹿言え。うちのナシトの仕業だろ。あの野郎、ついに人間ごと消し飛ばしやがった」
困惑しきりのフリエルさんと、妙に理解の早いガエウス。
「まあ、邪魔が消えたのはいいんだが。なんつうか、これはこれで風情がねえな」
「……」
「おいナシト! それ、冒険で使うんじゃねえぞっ」
何を言ってるんだ。
「ナシト。敵の脅威は、消えたのかな」
「数を減らした」
減らしたって、そんな程度の話じゃない。見る限りは、王国軍は一人も残っていない。ちなみにメロウムもいつの間にか姿を消している。彼ごと消し飛ばしていても全く問題無いのだけれど、あの男のことだ、これで永久にいなくなるとも思えない。
「ロージャ。皆を此処へ。まだ、終わりではない。宰相と数人は姿を隠している。道はまだ、開いていない」
ナシトの声は揺れず、普段と何も変わりない。言外に、呆けるなと言われた気がした。
確かに、これで終わるはずもない。息を吐いて気を引き締め直す。
僕が呼ぶ前に、シエスはもうすぐ傍まで飛んできていた。ルシャはルナ=ドゥアリや他の皆を連れて、こちらへ向かっている。
「『果て』への道には門と、鍵が要る。二つの魔導が『果て』を封じている」
「それが、エルフの秘儀?」
シエスが尋ねる。僕の腰にくっついて離れないが、眼は真剣にナシトを見ていた。
「そうだ。門の位置は把握している。残るは鍵。鍵は、この森の中心、その最奥に封じられている」
「……知っているか。我らの秘密など、最早秘密ではない、か」
「今からエルフの『離隔』を全て消す。長の遺した森の封印を全て、解き放つ」
すぐ傍まで来たフリエルさんが、ナシトの言葉に息を呑む。
封印を解こうとする僕らを、フリエルさんはどう思うだろうか。
長を手にかけたのはメロウムで、ナシトではない。それでも、『果て』へ辿り着くためにそれを良しとしたのは確かだろう。その上でエルフの守る全てを暴くという僕らを、憎んでも何もおかしくはない。
僅かな沈黙。
「……こんな形で、終わるとはな。自ら変わるべき時を、既に遠く、逸していたということか」
フリエルさんは苦しげに呟いて、瞑目した。
「手助けはできないが、好きにするといい。全ては自ら招いたこと。我らの運命はもう、我らの手からは零れ落ちてしまった。……まあ、弄ぶのが君らなら、まだ少し救われるさ」
フリエルさんが続けて
ナシトの行いは、許されはしないだろう。けれど、向き合うのは後だ。
「……『零』で、森を包む。これほどの『志』には慣れていない。時間が欲しい」
「ああ。任せろ」
ナシトの頼みに応えて、僕はそのまま背を向けた。
どれくらいかかるかは、今度は聞かない。必要なだけ時を稼ぐ。いつもの仕事だ。どれだけでも稼いでみせる。
兜を発現させて、一歩前へ出ながら、この後のことを考える。
森は凪いだように静かでも、これで終わるはずもない。戦闘が近いことを想定する。第二陣が来る、そう仮定して指示を出す。
「ルシャ。エルフから、魔導の扱える人を集めて。彼らと、戦えない人を守って――」
“魔女の子までも生きていたとはな。神話の生き残りは、なぜこうも生き足掻く。どこまでも私の邪魔をする”
忌々しげな、老いた声。
消えていた宰相の幻影が、僕の目の前へ再び姿を見せた。
「よう。良い吠え面じゃねえか。只の冒険者に出し抜かれる気分はどうだ? 宰相様よお」
ガエウスがぐははと笑う。いつもの数倍、嫌味な口調だ。積年の恨みさえ感じるような。
「それで、次はなんだよ? 終わりじゃねえんだろ」
“『志』の英雄と、魔女の胤。面倒の中心はいつも貴様だ。野放しにすべきではなかった”
宰相はガエウスを向いていた。射殺すように胡乱な瞳。ガエウスは怯む訳もなく、鼻で笑う。
「俺じゃねえよ。俺はついてきただけだ。この冒険は、こいつの不運と、生き様だ」
“……くだらぬ”
宰相が溜息を吐く。纏っていた殺意が薄れていく。
そうして、一拍置いて、小さな幻影はゆらりと手を掲げた。その姿に覇気は感じない。
けれど、来る。
そう感じた、その瞬間だった。
大地が揺れた。突き上げる衝撃。
文字通り、隣のシエスは僅かに地から浮き上がっていた。
宰相の背の向こう、長の住処たる大樹のさらに向こうで。
轟音と共に上空へ立ち昇る、無数の影が見えた。その影は長細く、ぐねりと蠢いていて、何より僕には見覚えがあった。
「……嘘だろ」
ルナ=ドゥアリの呟きは、乾いた笑い混じりだった。
“貴様らが何者であろうと。冒険は、此処で終わる。貴様らなどに、世界は揺るがぬ”
宰相の声はまた気怠げに戻っていた。
その後ろで、立ち昇った影が、そのまままた地へ落ちていく。また地響きがして、けれど今度は揺れが収まらない。収まらないどころか、徐々に激しくなる。
影は地に潜って、此方へ近付いているようだった。
「フリエルさん! 皆と共に、此処から離れて!」
咄嗟に叫ぶ。何処へ、とまでは言えなかった。安全な場所を思い付けなかったから。
奴らは地の果てまで追いかけてくる。ドワーフの住む地の底ですら掘り返して、滅茶苦茶にする魔物だから。
「今度は一体、何が――」
「決まってるだろ、ケルキダだ! あの土竜、アルマを襲ったのも、まさか王国の仕業だったのかっ」
ケルキダ=デェダ。眼の無い大蛇。魔物の中でも規格外に大きなそれが、十を超える数で迫ってきている。
もう考えている暇はなかった。叫ぶ。
「ルシャ!」
「はいっ! お二人とも、此方へ!」
困惑しつつも、動き出すのは皆早かった。シエスも既に杖を構えて、小声で何か唱えている。エルフたちを守る魔導を準備しているのか。
眼は真剣そのもので、怯えはもう見えない。因縁の相手でも恐れは無いようだった。もう本当に、心配は要らないみたいだ。
改めて前を向く。
シエスもナシトも傍にいる。ようやく、いつも通り戦える。
短く息を吐く。腹の奥で力が湧き出す。窮地でも、負ける気がしなかった。
轟音がまた、けたたましく響く。
僕らの少し先で、ケルキダ=デェダが数匹、地を突き破ってついに姿を現した。
その姿はどれも、全身が触手に塗れたおぞましいものだった。
「……シエスの杖を折ったのも、王国が造った一匹だったのかな」
蠢く触手を前に、ふと湧いた問いを呟いていた。誰も聞こえなかったのか、答えは無い。
でも不思議と、心の何処かが沸き立ち始める。
守れなかったのは僕の力不足だったとしても。国が、宰相がこんなものを産み出さなければ、シエスが苦しむこともなかった。
“諦めろ。全て斃しても、また次を喚ぶ。これで、詰みだ”
本当は、宰相を殴りつけるべきなんだろうけど。それは又の機会にしよう。
「ガエウス、行こう。本当は時間を稼ぐだけでいいんだけど――」
宰相の諭すような言葉を無視して、前へ出る。
隣に立つガエウスは僕を見て、いつになくニヤけていた。
「全て、潰すよ」
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