第134話 混沌

 突如現れたメロウムと、その横に立つ幻影。

 僕らを森ごと囲んだ王国軍の気配は灼けつくように僕らを包んで、息苦しい。


 軍靴の音は徐々に近付いている。外界と隔離されていたはずのエルフの森へ許可なく立ち入り、軍で包囲する。その目的が穏やかなものであるはずもない。

 何より、僕らを見据える宰相の視線には、殺意に近い害意が込められている。王国で、権威は王にすら及ぶと言われる英傑が、僕らを睨み据えている。その瞳だけでも、何事もなく逃してもらえるとは思えない。


 それでも僕は、次に僕が何をすべきかという打開策よりも。

 ただナシトの気配を探していた。



“『守り手』のロジオン。貴様らは知りすぎた。分を弁えぬ冒険をした。此処で消えてもらう”


 低く苛立たしげな声。ぼそりと呟いただけなのに、背筋が冷たくなる。

 声一つだけでも異様な存在感があった。揺らめく影でしかない姿でも完全に場を支配している。


“貴様の『志』が世界を揺るがすとはまだ思えないが。付けた間者は、貴様が本物の英雄だと警告していた。魔の平穏を消し去り、王国の安寧を乱す悪だと”


 またどくりと、胸が打つ。間者とは、ナシトのことだろうか。

 どうしても信じられない。ナシトはたしかに気味の悪い男だけれど、僕らといた時、彼は笑っていた。シエスに魔導を教えていた時、彼はシエスよりも真剣だった。僕らといた時のナシトは、全て嘘だったのか? 今日、僕らを陥れるための日々だったのか?

 そんなもの、信じられる訳がない。


 疑念を振り払う。ナシトの気配を探し続ける。

 探しながら、時を稼ぐ意味で宰相に答えてみる。


「魔素はエルフを蝕んでいました。魔素病はいずれ、王国をも襲う。魔素を生む『果て』を放置すれば、世界は——」


“その程度、我らが考えぬと思うのか。治癒の道筋は既についている。御せる病ならば、世界を天秤にかけるに値する訳もない”


「ならばなぜ、この森で苦しむエルフは救わないのです」


“なぜ王国が森人を救う必要がある”


 有無を言わせぬ冷たい口調。

 王国の宰相としては何も間違っていない。国を守り、国のためだけに動く。それが王下の僕。

 ただ、だからこそ信じる気にはなれなかった。たとえ本当に治癒法を見出していたとしても、それでシエスを救ってもらえるとは思えない。既に王国の敵となっているらしい僕らを救う意味など、彼には無いだろう。

 もう一言、踏み込んでみる。ナシトの気配はまだ見つからない。


「……救うどころか、長を自ら殺している。メロウムの言なんて信じたくないが、貴方は本当に、この機に『果て』の支配を、その権を奪いたいだけなのか」


“今が、面倒をまとめて片付ける好機だった。エルフと『果て』への鍵たる魔導と、知りすぎた異端の使徒と、『守り手』と。ただそれだけだ”


 気怠げにそう言って、宰相は片手を掲げた。

 肌を刺す敵意が一段、圧を増した。僕らを囲む殺意が膨らんでいる。次の瞬間、僕らの四方から、呪詛じみた呟きが漏れ聞こえ始めた。

 寒気がした。反射的に、一歩後ろへ跳んでいた。


「ルシャ、シエス、こっちへ!」


 二人を呼んで、盾を構える。

 僕らを囲う王国軍。殺意だけでも相当に重く感じる数の彼らが、そのまま魔導を放てば。僕らはひとたまりもない。


「おや。本当に私ごと消し飛ばす気ですね。それではアダシェフ閣下、契約はこれきりということで、良いですか?」


 メロウムは涼しい顔で笑っていた。


“ああ”


「承知しました。貴方との日々、私は楽しかったですよ。歪んでいても、貴方には芯があった。さて」


 瞬間、メロウムの気配が唐突に消えた。姿も見えない。魔導を避けるために隠れたのか、それとも何か企んでいるのか。

 警戒を強める。けれどそれ以外、対処する余裕はなかった。


“ニカ。あのエルフの、跡継ぎだけ生かせ。鍵は奴が知っている”


 宰相の声が向いた先には、遠く、憔悴した顔のニカさんが立っていた。

 状況が飲み込めずにいるだろう、困惑した表情はレーリクのものと瓜二つだった。


「……ですが、閣下。これは、あまりにも」


“陛下の意だ。剣としての使命を果たせ。他は全て殺せ”


「……」


 ニカさんの返事も待たず、森を囲む殺意は膨らみ続けている。

 ルシャとシエスが僕の背についた。目の端でルシャを見ると、彼女はいつの間にか、手に神樹の杖を持っていた。


「フリエルっ! 呆けるな! 森の皆を守れるのは、今は君しかいないんだぞっ」


「……分かっているっ!」


 少し離れたところで、フリエルさんとルナ=ドゥアリが叫んでいる。二人して魔導を展開しているようだった。見えないが、『魔導壁』あたりだろう。集まりつつあったエルフは惑いながらもフリエルさんの指示によく従っている。


 僕は、ルナ=ドゥアリを守るのも僕の役目だと思いつつも、一歩も動けなかった。

 四方からの魔導に対して、どうすれば仲間を守れるか。そのことで頭が一杯だったから。

 盾の魔導を発現しても守り切れるか分からない。

 シエスを頼るのは違う気がした。魔導を失っても僕が守ると言い放っておいて、都合が悪くなるとシエスの魔導に縋るのは、嫌だ。


 今、どうしてもナシトが必要だった。

 気配は欠片も感じられない。それでも、ナシトは此処にいると信じている。


「ナシト」


 気付かずに呟いていた。姿はまだ見えない。

 先のメロウムの言葉に一瞬でも惑ってしまった自分が許せなかった。

 僕は、共に過ごした時間よりもメロウムや宰相の言葉を信じるのか。僕がこの目で見てきた、ナシトの姿よりも?

 僕は馬鹿だ。何度同じ間違いを繰り返すんだ。

 でも、今ならまだ取り戻せる。


 魔導の気配は、もう僕に感じられるほどだった。僕らを囲む人の気配が、異常な熱気を伴い始める。これは、炎絡みの魔導を放つ兆候。王国軍の魔導師の数は相当なもののようだ。


“お前はついに、変わらなかったな。ガエウス。大馬鹿者のまま、死に行くか“


 アダシェフ宰相はガエウスを一瞥して、すぐに目を閉じた。魔導の完成を待っているのか、目を閉じたまま動かない。


「はっ」


 そんな宰相の目の前で、ガエウスは笑った。魔導に構える風もなく、いつも通りに歯を剥いて、喰らいつく寸前の笑み。


「変わらねえのはそっちだろ。いいとこで邪魔しかしねえ。てめえが——国が絡むと、つまんねえンだよ。……だがな、今回ばかりは悪くねえ」


 吠えて、こちらを向く。眼は爛々と輝いている。


「ロージャ! 分かるだろ、ここをブチ破りゃあ、あとは『果て』まで一直線だっ」


 大声が大気を揺さぶる。追い詰められたことを楽しむ、腹の底から笑んだ叫び。相変わらず、勇気づけられる。


“……馬鹿者め”


 宰相の零した声も聞かずに、ガエウスはもう消えていた。

 彼の心配なんて初めからしていない。問題は、ナシトと僕だ。

 盾を握り直して、息を吸う。


 状況はかなり悪い。

 僕らは王国によって、エルフの森ごと消されようとしている。王国は本気だ。

『果て』への道を望む僕ら。『果て』を管理する王国。メロウムまで現れて、事態はただ混沌を極めている。

 僕はもう、何から考えるべきなのか、何から警戒すべきなのか分からない。


 以前なら慌てふためいていた。いや、今だって、叫び出したいくらい焦っている。でも今は、心の隅に少しだけ、凪いだ心地がある。

 僕が今いちばん知りたいことははっきりしている。ならばもう、そのことに集中する。

 

 他のことは、その後で全て、乗り越えるさ。僕と皆で、いつも通り。


 僕は息を吐いて、叫んだ。



「ナシトっ!」



 心に任せて名前を呼ぶ。普段は、都合の悪い時は呼んでも出てこないけれど。


 ナシトが僕のすぐ真後ろに現れたのは、名を呼んだのとほぼ同時だった。

 ナシトは僕の叫びも僕自身も無視して、僕ではなく、シエスを見つめていた。



「シエス、構えろ」



 低く、落ち着いた呟き。普段と寸分も違わない、いつものナシトの声。

 その手には、神樹の杖がある。いつの間にルシャから奪い取ったのか。


「皆を守れるのは今、お前だけだ」


「……わたし?」


“……貴様、何をしている?”


 困惑するシエス。アダシェフ宰相まで、怪訝な眼でこちらを見ていた。

 それも全て無視して、ただ頷くナシト。杖を強引に、シエスに握らせる。



「教えるのは、これで最後だ。お前にとって魔導とは、怯えるものか?」



 森を囲む、魔導師たちの気配が強まる。魔導を放つ直前の気配。

 直に、来る。

 ナシトだけが常と同じ、凪いだ空気を纏っている。


「魔導は道具だ。過てば仲間を傷付ける。だがお前は、此処にいる」


 シエスの表情から困惑が消える。ナシトを見上げる瞳に、力が灯る。


「魔素が見えずとも、逃げずいた。心を掴み直してみせた」


「……自分の心は、掴んでおくこと。冷静で、いること」


 シエスが呟く。ナシトが頷く。

 かつて僕が教えたこと。本の受け売りで、それでもシエスを支えたもの。


「ああ。お前は乗り越えた。俺もユーリも越えられなかったものを」


 ナシトの言葉に、シエスの眼に光がこもって見えた。


 瞬間、森が震えた。四方でついに炎が顕現し、火柱が僕らを囲んで、埋め尽くす。

 王国軍の魔導が、放たれる。

 それでも、ルシャも僕も、まだ二人を、ナシトとシエスを見ていた。



「二度と心を離すな。仲間を想え。いかなる時でも」


「……ん」


 轟音が奔る。先に熱気が僕らへ到達した。前を向いて、盾を握り直す。

 目の前一杯の炎に目が眩む。神樹を越えて、只の木々を燃やし尽くしながら、魔導の炎柱は僕らを呑み込もうとしていた。

 僕は背後の皆を覆い隠すように、盾の魔導を発現しようとして。



「お前の魔導は、誇るべきものだ」


「んっ!」


「ならば、叫べ!」


 ナシトの大声に、しかもどこか嬉しそうな声音に、一瞬気を取られて。



「『厳雪マロウズ』っ!」



 叫びと同時に、シエスから白銀が放たれるのを、呆けたように見ていることしかできなかった。

 白い冷気が四方に、僕らへ迫っていた炎の壁へと吹きつけて。ぶつかる瞬間、僕は炎が凍る音を聞いた気がした。




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