第133話 友と裏切り

 普段通り朝の鍛錬を終えて、皆が起きるまでにまだ時間があったから、居間で神樹の杖を磨いていた。


 だいぶ杖らしくなった。普通の木と変わらない肌触りながら、何も塗っていないのに真白に近い色味が珍しい。重さは、以前の杖と同じくらいだろう。持ち手の位置を決めて、その太さを僅かに調整すれば完成だった。

 シエスは背が伸びたと言っていたから、以前より高めの位置を持ち手にした方がいいかもしれない。そろそろシエスに試してもらおうか。気に入ってもらえるだろうか。

 そんなことをぼんやりと考えながら、手入れ道具で入念に磨いて、角を取っていた。足音が聞こえたのは丁度そんな時だった。二階から誰かが下りてくる。


「おはようございます、ロージャ」


 ルシャだった。朝も早いのに背をぴんと伸ばして、寝惚けた風もない。そういえば、寝顔さえも涼やかに見えるのがルシャだったな。

 挨拶を返そうと、目を向けると。下りてきていたのは彼女だけではなかった。


「……んぅ。おはよぅ」


 ルシャに手を引かれるようにしながら、シエスが立っていた。こちらは完全に寝惚けている。ぼやけた目を擦っている。

 相変わらず、朝に弱い。僕が苦笑してしまってもシエスは気付いていないようで、口をもにゃもにゃと、まだ眠そうだった。


「おはよう、ルシャ。シエスも。……そうだ、丁度良かった。シエス、こっちに来て」


「……?」


 目覚まし代わりにはなるだろうか。僕は一旦立ち上がって、寄ってきたシエスのすぐ正面で、膝をつく。

 シエスの目線は、少し高くなっていた。


「本当だ。シエス、背、伸びてるね」


 僕が言うと、シエスは心外だったのか、少しぶすりとした。


「……今、気付いたの」


 不満げな声に、笑って誤魔化す。


「もっと伸びる。もうすぐ、ルシャくらいになる」


「ふふ。シエスは今のままでもいいんですよ? 可愛らしいですし」


「……そういう問題じゃない」


 楽しげに微笑むルシャを見上げるシエス。眼は案の定、じとりとしていた。


「シエス。これ、ここを握ってみて」


 僕は膝をついたまま、神樹の杖をシエスの前へ立てた。

 シエスは僕の方へ向き直って、目の前の杖に一瞬、止まって。そうして、僕を見た。


「……」


 手を伸ばそうとはしない。僕を見る瞳は、らしくなく揺れていた。立ち直ったようで、やっぱりまだ、振り切れてはいないか。


「前の杖より、持ち手は高くしようか」


「……ロージャ」


 声が急に弱々しくなった。僕の名を呼んで、続かない。僕はそんなシエスの手を取って、握った。

 振り切れなくても。きっかけになればいい。


「前にあげた杖はさ。山登りと魔導の助けになればいいと思って、ルブラス山までの道で適当に作ったんだ。憶えてるかな」


 シエスはおずおずと頷いた。

 その後ろで、ルシャは優しい眼で、僕らを見ている。見守ってくれている。


「それを、あんなに大切にしてくれて、嬉しかった」


「……でも」


「壊れたっていいんだ。間違えて、そのことに悩んで、落ち込んでも」


 握ったシエスの手を撫でる。

 シエスは僕を見ている。揺れていても、もう絶望とか諦めとか、そういう色は一切見えない。


「仲間を傷付けて落ち込む。シエスがもう、自分の人生を生きてる証拠だろ。僕にはそのことが、杖のことなんかよりずっと、嬉しいんだ」


 僕の言葉に、シエスは目をほんの少し、見開いた。


 最初の杖をあげた時。シエスは惑っていた。今も迷っているけれど、その理由は何もかも違う。

 ただ生きていただけのあの頃と、生きたい道に悩む今。シエスはもう、自分で考えて、自分の人生を生きている。僕はきっともう、彼女の依頼を完遂している。


 シエスが僕と一緒にいたいと思うようになったのは、僕が何も知らないシエスを都合良く救ったからで、僕はただの悪い大人なのかもしれないけど。

 僕もシエスに救われて、依頼などもう忘れて、傍にいたいと強く強く思っているのだから、おあいこだろう。


「…………ん」


 握ったシエスの手が、ぴくりと動く。目の前の杖の方へ、ゆっくりと伸びていく。シエスは真剣な眼差しで、新しい杖をじっと、見つめて。




 場違いに大きな音を立てて小屋の扉が開いたのは、そんな時だった。


 僕は無意識に立ち上がっていた。二人を遮るように前へ出る。腰元の手斧に手を伸ばす。

 小屋へ入ってきたのは、フリエルさんだった。こんな朝から一体何の用だろう。警戒を解きかけて。

 フリエルさんの眼が、一際昏いことに気付いた。


「フリエルさん。どうか、しました――」


「ドゥアリを呼んでくれ」


 普段のおどけた調子など微塵も感じなかった。フリエルさんの後ろ、小屋のすぐ外には幾人かのエルフが見えた。

 殺気立った気配。何かが起きた。一瞬固まる僕に、フリエルさんが続ける。



「ベルザニエル様が、屍となり見つかった。疑うつもりはないが、話を聞かせてもらう」



 僕は何も返せなかった。

 ただ事態が、最悪の方向へ転がり始めたのを感じていた。






「……信じられないな。だが、森人の盟友として、まずはお悔やみを」


 小屋にいた皆が今に集められて。フリエルさんから事情を聞き、ルナ=ドゥアリは瞑目していた。

 ベルザニエル様は、今朝、玉座に腰かけたまま骸となっていた。頭蓋を叩き潰されていたという。

 誰が、そんなことを? 向かい合って話した数日前を思い出してしまう。エルフの行く末を案じ、苦悩していた長。そんな人が無惨に殺される謂れなんて、何一つないはずなのに。


「……今、この森に森人を治める者はいない。君の言葉を私が軽々に受け取る訳にはいかない。だが、友として、有り難く思う」


 フリエルさんは淡々と答えている。面持ちは無表情ながら、いつもの読めない表情ではなかった。

 感情を押し殺すような、無理矢理に作った無表情。眼だけがどんよりと濁っている。


「今、長を害して得をする者なんていない気がするけれどね。……『果て』の門は、無事なのかい? 君らにしか扱えない魔導なんだろう?」


「『果て』を封じる魔導は、我らのうちでも長しか十全に扱えぬ。だが継ぐ手立ては遺されている。その手立てに、荒らされた形跡はなかった」


「なら尚更、なんのために」


 訳が分からないといった様子のドワーフの長に、フリエルさんは首を振って応えた。


「王の遣いも、君と同じような顔をしていたよ。帝の駒は、動じていなかったが、奴が仕手という訳でもないようだ」


 嘆息しつつ、フリエルさんが、周囲を見回す。僕らひとりひとりを覗き込むような瞳。


「……ドゥアリ。君の勇士、カカフは何処へ?」


 フリエルさんの声からは一層感情が消えていた。

 僕らのうち、小屋にいないのはカカフと、ナシトだった。……ナシトの居場所は僕にも分からない。少し、嫌な流れだ。


「ああ。まさかこうまでとは思わなかったけど、会合の後で嫌な予感がしてね。カカフは一旦、アルマへ帰らせた。一つ、任せたことがあってね」


 平然と答えるルナ=ドゥアリに、フリエルさんは何も言わない。


「大したことじゃない。忘れ物を取りに帰ってもらったんだ。証明はできるよ。送ってもう数日だ、直に戻ってくるはず」


「……ああ。まさか君らが、とは思っていないさ。ただの確認だよ。我らを嫌うといえ、あの頑固者は聡明だ。敬愛する長の害にしかならぬことを、するはずもない」


 思わず僕は頷いていた。

 カカフがエルフの長を殺す。ありえないことだ。あの気の良いドワーフはエルフを憎んでいる訳ではない。殺して得る利もない。

 ……それはナシトも同じだ。憎むどころか、何も思ってはいないだろう。ベルザニエル様を害しても、僕らが得をすることなど何もない。それどころか、余所者の僕らがそんなことをすれば、僕らはこの森でエルフの信用も、ドワーフからの信頼すらも失うだけだ。ただ『果て』が遠ざかる。

 ナシトがそんな馬鹿を為すはずがない。僕はこれっぽっちも疑っていない。僕らの道を開くと言ったナシトが、こんな愚かな道を選ぶはずがない。

 ただ、彼が今ここにいないことだけが、事をややこしくしていた。


「ロジオン」


 フリエルさんがこちらを見る。眼は僅かに色を帯びて、冷たくなっている。


「あの黒い魔導師。ヤガーの仔は、何処にいる?」


 案の定、ナシトを疑う言葉だった。

 馬鹿げている。けれど、まずはナシトを此処へ呼ばなくては。唯一彼の居所を探れそうなガエウスへ、指示しようとして。




「おや。お仲間を疑われて、何も言わないのですか。ロジオンさん」




 唐突に、場違いに、嗤う声が聞こえた。




「貴方は変わらないですね。ならば私が代わりにひとつ、天罰を」




 どこからか響く、忘れもしない声。

 背筋が凍る。どうしてこの男が、此処に?

 戸惑いで思考の止まった一瞬。


「ロージャ! 上だ!」


 ガエウスが吼えた。獣のように歯を剥いて、猛りを隠しもしない。同時に、僕も気付く。

 小屋の上から何かが降り落ちてくる。何か巨大な影が、猛烈な速度で。


 ルシャも動き始めていた。隣にいたシエスを抱えて、小屋の外へ跳ぼうとしている。

 僕は脚へ『力』を込めた。入口めがけて跳ぶ。跳びながらルナ=ドゥアリと、フリエルさんの手を取り、強引に小屋から引きずり出す。


 僕らが小屋から抜け出して数瞬の後。振り向くと、上空から巨大な青水晶が地へ突き刺さるところだった。

 衝撃で、豪風が巻き起こる。顔を打つ風にも、目は閉じない。視線の先で小屋は跡形もなく粉々になった。

 吹き付ける風の向こうに、人影が見えた。纏うのは白い聖装束。フードの下、顔には貼り付けたような笑みを浮かべている。

 訳が分からない。どうして彼が、聖教の使徒が此処にいる。


「やはり、無事ですか。王下の魔導は探知されにくいはずなのですが。ああ、魔導の前に話しかけるべきではなかったですかね」


「……メロウム」


「お久しぶりです、ロジオンさん。探しましたよ」


 僕らの前に立っているのは、疑いようもなくメロウムだった。聖都で僕とルシャを狙った異端の使徒。

 少し遠くで体勢を立て直していたルシャは、驚愕に満ちた表情でこちらを見ていた。


「貴様。何者だ」


 僕の横ではフリエルさんが既に立ち上がっていた。怒りを剥き出しに、メロウムを睨んでいる。


「これはこれは。ベルザニエル殿の跡継ぎですかね。挨拶もなく、失礼を。昔から初対面の挨拶が苦手でしてね、誰が初対面なのか憶えられないのです」


「……問いに答えろ。これは一体、何の真似だ」


「おや、せっかちな方だ。長命なエルフも割に気が短いというのは、面白い皮肉ですね」


 メロウムは平然と笑っている。

 彼と僕らを囲むようにエルフの衛士が集まり始めても、彼は気にした風もない。


「大したことではありませんよ。『果て』を隠す貴方がたがそろそろ邪魔になったので、此処で消しておこうかと。それだけです」


「馬鹿な。それが聖教会の意思と言うのか」


「いえ。私の独断、私個人の願いです。世を乱す『果て』は、消さなければ。魔素が世界を歪めている。そのことなど、貴方がた森人もとうにご存知でしょう」


「……」


 フリエルさんが押し黙る。

 メロウムに動き出す気配はない。けれどこの男は、思考も行動も読めない。僕はフリエルさんとルナ=ドゥアリを背に隠すように、一歩前に出た。

 メロウムと向き合う。間にはまだ少しの距離がある。


「展開」


 発動句を口にして、鎧と鎚と、盾を呼び出す。同時に、手にしていた神樹の杖を足元に隠した。


「おや。物騒ですね。ですが、まだですよ。まだ時は満ちていない。少し、お話ししましょう」


 何を企んでいる。

 メロウムから目を離さずに、周囲の気配を探る。ガエウスは楽しげにこちらを見ている。シエスとルシャは少し離れたところにいる。ナシトは、まだ位置を掴めない。

 エルフの衛士はさらに数を増している。メロウムは退路を断たれている。数も不利だ。それでも、そんなことを一切気にせずにただ笑っている。

 彼の狙いが分からない。


「話を戻しましょうか。お仲間を疑うなど、あってはならない。そうでしょう? ロジオンさん」


「……」


「なるほど。本当に疑っていないようですね。流石です」


 何も返さない。そんな僕の前で、メロウムは一瞬、酷薄に嗤った。


「相変わらずの、お人好しだ」


 貼り付けた笑みではなく。嗤う顔は歪んで、声は凍えて聞こえた。


「エルフの方。ロジオンさんの名誉のために、わたしからお話ししましょう。ベルザニエル殿を弑したのは、私です」


「……なんだと」


「信じられませんか。ですが、私は封じられたこの森に突如現れた不審者ですよ。ロジオンさんなどより、ずっと怪しいでしょう? ああ、それとロジオンさん。ナシトさんは手を汚していませんよ。彼には、少しばかり手伝ってもらっただけです」


 どくりと、自分の鼓動が聞こえた気がした。

 メロウムが長を殺した。ナシトがそれを、メロウムを助けた? 何を、馬鹿な。

 困惑に呑まれかけて、無理矢理押し殺す。メロウムは僕の前でまた口だけで笑っている。


「……貴様っ」


「落ち着け、フリエル。まだ手を出すな。……奇妙すぎる。この男は何処から紛れ込んだ? この森は固く閉ざされているはずだろう。何かが、おかしい」


 僕の後ろで、激昂したフリエルさんをルナ=ドゥアリが止めていた。

 そんな彼らを気にした風もなく、メロウムは僕だけを見ていた。僕だけに、話しかけていた。


「おや。気付いていないのですか、ロジオンさん。ナシトさんは王国の間諜ですよ」


「嘘を、吐くな」


「嘘ではありません。私も、貴方と帝都で別れてから色々と探ったのです。恥ずかしながら、ようやく知りましたよ。王国は『果て』を隠している。帝国もエルフも、世界の歪みを、自身の利とすることしか考えていない。知った時は、いやはや、裏切られた思いでしたよ」


 この男の言葉を聞くべきではない。この男は敵だ。聖都で向き合った時と同じように今すぐ鎚を叩きつけて、排除しなければ。この男の言葉は猛毒だから。

 そう思うのに僕の腕は、鎚は、ぴくりとも動かなかった。

 また、メロウムが笑う。


「お気付きの通り、『果て』へ近付き得る者は全て管理されています。従順な者は国が囲い、刃向かう者は揉み消す。貴方がた『守り手』は英雄たるガエウス・ロートリウス卿のいるパーティだ。王国が放置する訳もないでしょう。眼を付けていたのですよ。国の眼、王の眼を。それがナシトさんだった。単純な話です」


 信じない。信じられる訳がない。

 けれど先日の、ナシトの言葉が僕の意思を僅かに曇らせる。

 僕の警戒を消した魔導、『零』。魔導をかけてまで僕に近付いた理由を、ナシトは言わなかった。


「思い当たりませんか。貴方の冒険は、出来過ぎていたでしょう。偶然落ちた先にドワーフがいて、偶然、『外れ種』を討伐して。感謝されて、エルフの森へ至った。貴方は誘導されていたんです。この森に迷い込んで、死ぬように」


「……」


 黙れと言ったつもりだった。声は出ていなかった。

 ナシトを疑うつもりなんてない。けれど、。まるですぐ傍で見ていたかのように、克明に。

 自問に、最悪な自答が一瞬だけ頭を過ぎる。すぐに振り払ったけれど、一瞬でも疑った自分が信じられなかった。


 仲間を信じるのが僕だ。その僕が、ナシトを疑ってしまえば。……僕は。


 握った鎚が、ぎしりと苦しげに鳴った。無意識に柄を握り締めていた。

 メロウムはそんな僕を、嗤った。


「どうですか、ロジオンさん。愛した人に捨てられて、信じた仲間にも裏切られる気分は。ようやく見つけた希望を踏みにじられて。……貴方は、それでも——」



「ロージャっ! この男を、信じるのですか! ずっと傍にいたナシトよりも、こんな、私を嗤っていた男の言葉を! 仲間を信じるのが、貴方ではないのですかっ」



 耳元で鋭く、怒号が響く。聞いたこともない激昂だった。

 ルシャが僕の空いた手を握っていた。手は、震えていた。


 我に返る。

 僕は馬鹿だ。自分の信じ方が分かった途端に、大事なものを取り落とす。

 それでも、今は正してくれる仲間がいる。

 ……ナシトのことは、本人に問う。それまでは、信じ抜く。そう決めて、前を向いた。


「……ごめん。ありがとう、ルシャ。目が覚めたよ」


 メロウムから目を離さない。横にいるルシャの顔は見えない。握る手はまだ少し震えていた。

 失望させてしまっただろうか。自分の弱さが嫌になる。でも、手はまだ強く握ってくれている。


「やれやれ。今度は貴女ですか、シェムシャハル。貴方がたは全く度し難い。まだ依存し合っているのですか?」


「黙りなさい。神も人も信じない貴方に、道を説かれる筋合いはありません。貴方の手管は、私たちには通じません」


「これは相変わらず手厳しい。……さて、残念ですが、そろそろですね」


 唐突にメロウムがこちらへ背を向けた。

 その一瞬。ルシャが僕から手を離す。それを合図に、僕は『力』を腕だけに込めて、腰の手斧を目の前へ放った。

 斧が風を斬り裂いて、メロウムへ届く刹那。使徒は消えた。

 僕らを囲んだエルフの衛士たちがどよめいた。メロウムの姿は何処にも見えない。

 ただ声だけが、何処からか響いた。


「ところで、私が此処に来た理由ですが。私には王国に友がいるのですよ。共に悪巧みを考えてばかりの、悪友ですがね。私が王国の欺瞞に気付いた頃、急にその彼が、『果て』を自分のものにしたいと言い始めた。帝国を出し抜いて世界をひとつにするために、魔の力が必要だとか」


「ルシャ、シエスを此処に」


 メロウムの声の位置を探りながら、ルシャへ頼む。返事も無くルシャは一歩跳んで、僕から離れた。

 入れ替わりに、ガエウスが僕の隣へ歩いてくる。ぶらぶらとあまりに無防備で、けれど眼はぎらついて、何も言わず笑っている。


「彼は私に頼んだのです。エルフの長を消してほしいと。私はそれに乗ることにしました」


「はっ。そういうことかよ」


 メロウムの語りに、ガエウスが酷く楽しげに笑っている。何に笑ったのだろう。

 僕もすぐに気付いた。肌を焼くようなひりつく気配。森の向こうから、ひしめく人の、軍靴の音が微かに聞こえる。


「おかしな話です。私はなんであれ、『果て』を潰したい。王国の、私の友は、そんな私を上手く利用して『果て』を自分のものとして、最後に私を消そうとしている。どうです、良き友でしょう。迂闊に背など見せられない」


 もうメロウムの語りを聞いている余裕はなかった。

 メロウムを囲っていたはずの僕らを、この森ごと、誰かが包囲している。

 その数は、異常だった。千など優に超える軍勢。万に届くかもしれないほどの人の圧が、突然現れた。


「これは、一体……」


 ルナ=ドゥアリのつぶやきは、森へ迫る軍勢に気付いたエルフたちの動揺にかき消された。

 そしてメロウムが再び姿を見せた。いつもの仮面じみた笑みを浮かべて、僕らの目の前へ。


「さあ、頃合いです。この森はもう包囲されています。王国は既に、この森の在り処を特定している。在り処どころか、エルフの秘する魔導も、もはや全てを解き明かしている。この森はもう不要。残るは、『果て』への――」


 "黙れ、メロウム"


 その声も突然だった。苛立たしげな響きがメロウムを遮る。

 メロウムの横には、揺らめく影が立っていた。胡乱な眼をした老人が、僕らを見ている。


「おやおや。喋りすぎてしまいましたかね。これは失礼。久々にロジオンさんと会えて、はしゃいでしまいました」


“面倒だ。貴様も此処で消す”


「それはそれは。私は貴方のために、汚れ役まで買ったというのに。ねえ、アダシェフ殿。我が友、偉大な王国宰相閣下」


 メロウムは楽しげに、影と話している。魔導で映し出しているだろう、厳格で殺意に満ちた幻影。

 王国宰相。間違いない。王国を更なる大国へ押し上げた、稀代の英傑。

 王国十四士の筆頭——アダシェフ宰相の影が、僕らの前にいる。


「久しぶりだな、ジジイよお。老けたな、もう死にかけじゃねえか」


“お前は変わらず、面倒だな。ガエウス”



 ガエウスの煽りにも、宰相はただひたすらに気怠げだった。


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