第132話 無謀

「来たか、ロジオンとやら」


 大樹に辿り着いて、取り次ぎを頼むとすぐに中へ通された。中の広間には、以前と同じようにベルザニエル様が枝で組まれた玉座へ腰かけている。

 僕の名を呼ぶ声には、敵意も嘲りも感じなかった。ただ名を呼んだだけ。

 彼の前まで進んで、膝をつく。僕が何か言う前に、ベルザニエル様が続けた。


「主らに割く時間はない。冒険者でしかない主らが今、どのような場に紛れ込んでいるか、その重さを語って聞かせるつもりもない。ただこの一時を許したのは、測者たる娘の気紛れに、何の意図があるか計りかねた、ただそれ故」


「どんな理由でも、機会を頂けたこと、有り難く思います」


 突き放すような言葉に、顔を上げずに答えた。なんであれ、僕らのような冒険者ときちんと話してもらえるだけで十分だ。

 聞き慣れない肩書で呼ばれたルルエファルネ。測者とは何か、そんな彼女がどうして王国指定の『蒼の旅団』にいるのか、気にはかかる。でも、今尋ねたところで答えは得られなさそうだ。


「ならば、語れ。『果て』に何を求める」


 端的な問い。併せて、ベルザニエル様の視線を感じる。

 諦めろと一蹴された昨日とは違う。僕を見極めようとしている。そう感じる。



 生憎、僕の考えはあまりまとまっていなかった。

『果て』を取り巻く世界の駆け引き。どう立ち回れば最も安全に、仲間を危険に晒さずに進めるか。僕がもう少し賢ければ、何か妙案が思い浮かんだかもしれない。でも僕は、妙案どころか仲間であるナシトの想いすら掴めずに、頭の中はこんがらがったままでいる。

 どうするのが最善なのか分からない。王国も帝国も『果て』を守るなら、僕らは世界の敵じゃないか。世界を相手にして、ただ五人きりの冒険者に何ができる?

 これからベルザニエル様へ言う僕の言葉が、僕らの破滅のきっかけになるかもしれない。そう思うと、背筋が震えた。


 僕の答え一つで、みんなを失うかもしれない。それが何より怖くて、考えはまとまらない。

 この期に及んで、僕はまだ迷っている。まだ自分を信じ切れずにいる。



 でも。僕は口を開いていた。迷いは、無理矢理に押し殺した。


「会合で話された内容を、僕は知っています。『果て』は、世界に管理されている」


 ベルザニエル様は何も言わない。大樹の中、二人きりの空間で、空気が僅かに張り詰めたのを感じる。


「エルフが封じて、王国も帝国もそれを利用している。魔素と魔導の力を享受している。けれどそこに、魔素病が現れた。だから今回の会合は、ヒトをも集めた。世界の行く末を論じるために。そう理解しています」


 言ってから顔を上げる。見下ろす瞳に、視線を返す。

 もう引けない。引く気もなかった。


「……すべは知らぬが、知りすぎたな」


 言葉は物騒でも声の調子に脅す色はなく、むしろ疲れを見せるように一段、鈍く響いた。


「その是非は、今は置く。そこまで知りながら、なお『果て』への道を求めるか」


「はい」


「あの娘に埋め込まれた、欠片のためか」


「大切な仲間です。仲間がいつか魔素に呑まれるのを、坐して待つつもりはありません」


 正直に答える。ベルザニエル様は、表情ひとつ変えずにいる。

 けれど一瞬、彼の背に覇気がこもった。存在自体が一回り大きく見えるような錯覚。思わず身震いがした。


「『果て』に至り、魔の源を消すか。帝国が許す筈もない。王国も、裏では似たようなものだ。二国はこの世界の二雄。それに、楯突くと?」


 ベルザニエル様は嗤っていた。

 僕が頷くと、初めて、侮りが眼に宿る。


「笑わせるな。只の冒険者など、瞬く間に消されて終わる。『志』など、所詮は個の力に過ぎぬ」


 侮りと、少しの苛立ち。感情が僅かだけ漏れ出していた。


「大いなる力と謀に、我らは抗えぬ」


 苛立ちの増した声で吐き捨てて、ベルザニエル様はそれ以上何も言わなかった。

 ……魔を奉じながら、魔素病に苦しむエルフ。その長という立場で大国と対峙しているベルザニエル様。僕なんかよりも、きっと彼の方がずっと長い間、迷い苦しんでいるのかもしれない。


 けれど、そんなこと。僕にはどうだっていい。

 また口を開く。


「確かに、この世界で、力とは魔導です。それを国が手放すはずもない。貴方がたエルフには、魔は奉じる神でさえある。失うことなんて、誰一人考えない。……僕らの望む冒険は、世界が許さない」


 言いながら、思う。

 確かに僕らは馬鹿げている。正直、僕だって自分が正しいか信じ切れずにいる。

 今から全力でどこかへ逃げて、姿を隠して。シエスが魔素病に呑まれないようにただ祈る方が、結果的には長く生きられるかもしれないとさえ思う。



 でも、そんなもの。僕の望む生き方ではない。

 そんな生き方では、僕は僕を一生信じられない。



 思いが溢れて、勝手に言葉になっていく。


「それでも、僕には仲間たちの方が大切だ。国も世界も関係ない」


 みんなを、仲間を、僕が守る。

 僕はそうやって生きてきた。ユーリを守れずに何もかも失っても、それでもまた立ち上がって、同じように諦め悪く生きてきた。

 これから何を敵に回しても、そうやって生きていくだけだ。

 みんなを守って、ずっと一緒に。それが僕なんだと、信じたいから。


「全て乗り越えます。全て救ってみせる」


 言いながら、自分が笑っているのに気付く。

 何か可笑しかった。途方もなく無茶なことを口走っているのに、ひどく清々しい。

 出来る出来ないを悩むより、出来ると信じる。まるで、ガエウスにでもなったような気分だった。ひょっとすると彼も、今の僕のように腹の底で怖れを殺して、己を信じているんだろうか。……それは、ちょっと違うか。

 これは僕の、僕なりの信じ方なんだろう。弱い僕が無理矢理自分を信じるための。


「……世迷言を。只人の身で、何が出来る」


 ベルザニエル様は相変わらず、見定めるように僕の眼を覗き込んでいる。

 声からは、侮りが薄く消えていた。


「僕たちは五人で、王国の端から此処まで至りました。ならば『果て』までも、必ずあと少しで辿り着く。それを誰かが、妨げるなら」


 僕は自然と答えていた。迷いは、もうない。これだけを言い切った後で、今更迷うことなど許されない。

 大切な人を失って、もう二度と一緒に歩けなくなるくらいなら。


「叩き潰して、進むだけです」


 短く言い切った。

 ベルザニエル様は、しばらく僕を見つめるだけだった。僕も何も言わない。それから少しの間は、大樹の中を満たす魔導光が、揺らめくこともなく僕らを照らすだけだった。



 それから、ベルザニエル様が息を吐いて、目を離す。枝の玉座へ深くかけ直して、呆れたような眼を僕へ向ける。


「狂っているな。……だが、冒険者など初めから酔狂の身か」


 なんと返せばいいのか分からず、僕は視線をあるべき下へ戻した。


「なぜ娘が主らを送ったか、ようやく理解した。娘は主らに、変化を見た。大いなる力に依らぬ新たな勢。測者として、そこに兆しを見出したか。自身の選んだ男とは異なる道で、『果て』に至り得る者を」


 エルフの長は独り言のようにつぶやいた。

 測者とは、エルフの中の特別な役割なのだろう。ルルエファルネはそのために森を出ていた。

 選んだ男とは、『蒼の旅団』の長、ソルディグのことだろう。すると、ルルエファルネは一族の指示の下で、『果て』を目指す有力な者を探していた? その目的はなんだろう。魔を護る者として監視するためか、それとも、僕のような——。


「我ら森人として、主ら『守り手』だけに道を開くことはない」


 考えに耽りかけて、我に返る。

 僕は頷いた。気を引き締める。ベルザニエル様の言葉に、特段落ち込むこともない。元々、ここで何を言おうと『果て』への門を開いてくれる訳もない。状況はもう単純ではない。

 僕はただ、意思を示しただけだ。でもそれが、無意味でないと信じている。


「……だが、考えてみよう。『果て』無しの世界を導けるか。世界には最早、猶予など無いかもしれぬが」


 ベルザニエル様は立ち上がって、中空に手を振るう。光が明滅して、塞がれていた大樹の壁がひとりでに分かれていく。生まれた細道から衛士らしいエルフが入ってくる。

 終わりの合図だった。


「主の狂信と無謀には、肯く訳も無いが。我らとて、坐して破滅を待つつもりは無い」


 長からの最後の言葉には、特段何の感情も込められていなかったけれど。

 僕は少し嬉しくなった。


「ええ。その言葉だけでも、感謝いたします」


 僕も立ち上がる。

 この会に意味はあった。『果て』への道については、またよく考え直さないといけないけれど、エルフの意図を知ることはできた。『果て』を潰すという僕らの意思に、少なくとも拒否は示さなかった。排除すべき存在としては認識されなかった。それだけでも、確実な成果だ。

 それ以上に、僕自身の中で、見つけたものもあった。

 不格好で無理矢理でも、僕は僕を信じた。僕の生き方を貫くと信じて、言葉にした。それはきっと僕にとって大きな意味を持つ。




 大樹を出て僕らの宿へ戻ると、既に夜もだいぶ更けていた。

 番をしていたルシャ以外は皆もう眠っていた。僕はルシャと番を替わって、静まりかえった小屋の中でひとり、勝手に収まらずにいる気の昂りと向き合って。

 無謀と呼ばれたその思いを持て余して、中途半端に残していた神樹の手入れをしながら、結局眠れぬ夜を過ごした。






 ベルザニエル様が何者かに殺されたのは、その二日後だった。


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