第130話 此処から先は
それから。
ナシトと杖についてあれこれと話して、神樹の枝をいくつか落としているうちに、あっという間に夕刻になってしまった。会合の時間だ。
小屋を出て、皆でベルザニエル様の待つ屋敷へ向かう。とはいえ僕らは従者だから、今回は中には入れない。屋敷のすぐ外で周囲に警戒しつつ待機というところだろう。
僕の横を歩くシエスは、昼寝の眠気がまだ抜けないのか、目が少しとろんとしている。ルシャに手を引かれている様子は、姉妹というか母娘というか、とにかく微笑ましかった。
新しい杖のことは、シエスへ隠すつもりもないけれど、伝えるのはまだ後でいいか。シエスが魔導へ向き合う気持ちの整理がついてからでもいい。どう生きたいかを選ぶのはシエスだ。魔導師にならないと決めたなら、その時は杖も、登山用の道具として使ってもらえばいい。……時折急に声を発する杖なんて、シエスは嫌がるかもしれないけれど。それは一旦考えずにおこう。
ベルザニエル様の屋敷、大樹の傍まで来ると、ルナ=ドゥアリと、護衛としてカカフだけが中へ入ることになった。
「会合の中身は、後でできる限り教えるよ。……終わった後で、私に余裕はないかもだけどね」
ルナ=ドゥアリは、昨日の神樹の件からか、少し雰囲気が重かった。たしかに、神樹が言った通り、世界の行く末を握る会となるなら、気も重くなるだろう。
「はっ、終わった後の酒だけ考えときゃええんじゃよ! 世界の危機ほどの話なら、ここで話して終わりになんぞならんわい。どかっと構えとれい」
「はあ。君もずいぶん勇士じみてきたじゃないか。ロジオンたちの影響かな」
二人は軽口を飛ばしあいながら大樹の中へ進んでいった。どんな時もあまり重苦しい面持ちにならないのは、彼らドワーフの生き方なんだろうか。分からないけれど、僕は彼らのあり方が好きだった。
「私たちは、ここで待機ですね。配置は、何かありますか?」
ルシャが尋ねる。ドワーフの二人がいない今、指示を出すべきなのは僕か。少し考えて。
「そうだな。これくらいの大きさなら、ガエウス一人で問題なさそうだけど。……ガエウスが裏半面、僕とルシャで入り口付近だ。ナシトは魔導の感知と、シエスをよろしく」
あまり深く考えた案ではないけど。大樹の正面は僕ら以外にも門衛らしきエルフがいる。適度に開けているし、万が一何かが攻めてきても僕らで守れるだろう。裏側はまだよく見ていないからガエウスに任せる。
「てめえ、面倒だから俺に投げたろ」
「まあね。君以外じゃ不安ってことさ」
「けっ。そっちで面白えこと起きたら、そっち行くからな」
そう言ってガエウスはぷらぷらと大樹の裏へ歩いていった。恐らく、どこにいても僕らより早く異変を察知するはずだ。むしろ、正面で待機させておくと、他の組織の面々と無駄な諍いを起こしかねない。そう思った、ちょうどその時。
「ヤガーの仔が、ドワーフの従者か。……何を求めている?」
黒い鎧が僕らの前にいた。帝国の臨戦官、ヴロウ。大樹に入る前に立ち止まって、僕らを見ている。
共に入っていく人影は見えない。察するに、帝国側から交渉役として派遣されているのは彼のようだ。……臨戦官は戦のための存在であると思っていたけれど。
「魔導の深淵を覗きに来たか。エルフの持つ魔の秘奥を。それともまさか、『果て』を探りに来たか。冒険者らしく、伝承を追って」
「……」
彼は、帝国は油断ならない。僕らは『サルニルカ島』の一件で帝国に目をつけられている。余計なおしゃべりで意図を明かす訳にはいかない。
僕が無言で通しても、ヴロウは動じた風もなかった。
「滑稽だな。冒険の時代などとうの昔に終わっている」
黒い瞳が僕を見る。感情のない面持ちはナシトのようで、けれど彼とは違って、瞳の奥に嘲りが透ける。
「まあ、足掻くといい。邪魔になれば消す。それまでは好きに生きるといい」
僕らの反応など気に留めずに、ヴロウは言い捨てて大樹の中へ消えていった。
少しだけ息を吐く。帝国の軍人は皆あんな感じなのだろうか。僕らを、というより冒険者を自然と見下して、隠しもしない。
まあ、冒険者は基本的にあぶれ者だ。よほど高名でもない限り敬意を持たれることなんてない。僕としては、侮られている方が気も楽でいい。
でも帝国は、彼らの薄ら暗い秘密を知る僕らから、目を離してはいない。確証はないけれど、そんな気がする。放置されているのは、いつでも消せるという余裕だろうか。
対処が難しいな。まだこの大陸を離れる訳にいかない以上、警戒しておく以外に手の打ちようもない。もう一つ息を吐いて、考えを打ち切って前を向くと。
「……終わってない」
横から不満げなつぶやきが聞こえた。見ると、シエスが大樹の方を見ている。ヴロウに文句を言うような、じとりとした眼。
冒険は終わってない、か。
僕もそう信じている。
「シエス。……ほら、今はナシトのところへ——」
「ええ。終わっていませんよ。世界にはまだ、謎が満ちている」
今度は、白い鎧だった。ニカさんが穏やかに笑っている。
「私も、留守番です」
王国からの交渉役は、文官らしき男性だろう。ニカさんたち王立軍はその護衛。
ニカさんは膝をついた。見上げていたシエスと、目線を合わせる。
「今もダンジョンは生まれ続けています。まだ見ぬ大陸だって。誰も知らない場所があるなら、そこに冒険もある。私はそう信じています」
言葉は力強かった。王国の軍人が冒険を語る。不思議な感じがする。
シエスはじっと彼を見ている。
「私も昔は、憧れていましたから。生まれた家が、それを許してはくれませんでしたが」
「……レーリクは、冒険者になるって言ってた」
「ええ。僕が国と家を守れば、レーリクは自由に生きられる。一人くらいは、外の世界を見てもいいはずなんだ」
ニカさんの語る響きに、嘘は何一つ感じられなかった。ヴロウとはどこまでも対照的に、優しく、素のままの言葉。
「シェストリアさん、でしたね。君は、レーリクが冒険者になったら、一緒に旅してくれますか?」
ニカさんはそう言うと少し意地悪っぽく笑った。
シエスは変わらず、いつもの無表情。そういえば、落ち込むような雰囲気はもうほとんど感じられない。
「レーリクは、友だち。大事な友だち。……私は、ロージャといるけど、たまになら、助けにいく」
少しだけ声を揺らしながら、言い切った。前を向いてニカさんへ視線を返すシエスが、妙に力強く見えた。
助けにいく。その言葉が今のシエスにどれだけ重いのか、僕は知っているつもりだ。
シエスはまた、僕が勝手に押しつけた生き方を、自分の意思で自分のものにしようとしている。僕はまた、身勝手に嬉しくなる。
「僕も一緒に行きますよ。レーリクもナーシャも大事な教え子ですから」
付け足すと、シエスはこくりと頷いてみせた。
「……なるほど。きっと、良い恋だったでしょうね。実らないところがまた、僕の弟らしい」
ニカさんは可笑しそうにつぶやいて、立ち上がった。
「私は王国の剣。国のためにしか動けません。だから、弟が国を、家を飛び出したら。その時はどうかお願いしますね。……馬鹿で生意気でも、ただひとりの可愛い弟なんです」
ニカさんは僕へ手を伸ばしていた。頷いて手を取り、しっかりと握り返す。
レーリクと似て、真っ直ぐで清々しい。王国だって完全に味方という訳ではないから、警戒は保たなければと思いつつ、彼をそういう目で見るのは難しそうだった。
それからすぐ、ニカさんは自身の配置に戻っていった。会合ももう始まる頃だろう。
僕は予定通り、シエスをナシトのところへ送り出そうとして。ナシトの気配が全く感じられないことに気付いた。
いつものことだけれど、困ったな。警備中に姿は消すなと伝えておいたんだけど。
「ルシャ。ナシトの位置、分からないかな」
声の届くところにいるルシャへ伝えてみる。ルシャは一瞬目を閉じて、気配を探ってくれたものの、すぐに首を振った。申し訳なさそうな顔をしている。
「すみません、分かりません。ナシトが本気を出せば、探れるのはガエウスくらいしかいませんから」
「……そうなるよね」
仕方ない。シエスを一旦ルシャへ預けて、ガエウスのところへ向かうことにした。
幸い、怪しい気配は感じない。そもそも厳に隔離された森だから、敵襲もそうそうないとは思う。ただ、護衛としての役目を果たさないのは流石に問題だ。まあナシトのことだから、ただ姿を消しているだけだとは思うけど。
大樹に沿って歩き出す。中では今頃、世界を揺るがす議論が繰り広げられているのかもしれない。そのすぐ外で迷子の仲間を探している自分が少し可笑しかった。
ガエウスのいる位置まではまだ少しある。周囲は静かで、柔らかい風と葉擦れの音しか聞こえない。雰囲気はいたって平和そのものだ。
『果て』や魔喰らいのことがなければ、この森の情景ももう少し皆で楽しめただろうか。ふとそんなことを思うくらい、僕も微かに気を抜いていた。
そこで、あまりにも唐突に、視界が切り替わった。
「——『果て』。我らはそれを護り続けた。秘術をもって門とし、道を隠し、我らも身を隠し続けた。魔の調停者として。世界の安寧を司る者として」
目眩がする。声が聞こえる。
「だが魔は、世界を乱し始めた。千年の調和が崩れ去った。魔は最早、我らを導かぬ」
ベルザニエル様の声。聞こえるたびに頭が痛む。魔素が僕へ流れ込んでいる。
僕の目の前には、なぜかルナ=ドゥアリが立っている。思わず手を伸ばしても、僕の手は視界に映らなかった。
これは。
「奉じる魔を疑いたくなどはない。だが、死人は減る兆しもない。我らは、変わらねばならぬやもしれぬ」
ルナ=ドゥアリが息を呑んでいる。僕は立ち止まって、息を整える。
「ナシト。何のつもりだ」
思い当たるものなど一つしかない。ナシトの魔導、『共有』。ナシトの視界で僕の視界を上書きする魔導。すると、ナシトはまさか、大樹の中にいるのか。どうして。
魔素酔いの痛みが広がって、うまく考えをまとめられない。
“ロージャ。耳を澄ませろ。よく聞いておけ”
暗い声が頭に響く。続けて、ベルザニエル様の重苦しい声。
「門を重ねて『果て』を封じるか。『果て』を滅するか。それとも——このまま何も決さず、ただ坐して、魔を信じるか。森人のみでは見定めきれぬ。故に古の盟約に従い、この場を設けた」
ナシトが顔を回したのか、皆の顔が見える。カカフやヴロウ、王国の文官。フリエルさんもいるようだ。みな真剣な眼差しをしている。
ナシトはどうやら、円を囲むように立った皆の真ん中に立っているようだった。……魔導に長けた人ばかりなはずだ。どうして誰も、ナシトに気付かない?
「畏れながら、ベルザニエル様……。私には、委細は分かりませぬ。私は、『果て』への門もエルフの森の現状も、何もかもが初耳でして……」
沈黙を破ったのは、王国の文官だった。弱々しい口調。
「ただ、言伝を預かっております。我が国の宰相、アダシェフ閣下より」
そう言うと、文官は胸元から小さな巻物を取り出し、読み上げた。
「『魔素病の解明には、あと二年の猶予を』、とのことです。これだけを伝えよと、私は……」
「……」
頭痛が酷くなってきた。限界が近い。聞いた内容を、頭の中で咀嚼できない。
“王国は、魔喰らいを知っている。治癒の術を探っている”
ナシトの声。王国が、魔素病を? どうして君が、それを知っている。
尋ねようにも、もう話を聞く以外の気力が湧かない。
「二年など、待てるはずがない。その間に全ての森人が死に絶えるさ。……長よ、このような場になんの意味が——」
「黙っていろ。
フリエルさんは、珍しく怒っているように見えた。
「猶予とはな。王国は寛大なことだ」
ヴロウが一歩、前へ出る。ルナ=ドゥアリはまだ何も言わない。
「これ以上は時間の無駄だ。率直に言おう。『果て』の放棄――それは、帝国への宣戦布告。そう捉えるが、相違ないか。高き木々の、いと高きベルザニエル」
ヴロウの声は、僕の頭の中で一際鈍く響いた。殴りつけられたかのように痛む。
けれど僕は、痛み以上に、彼の言葉に困惑していた。
エルフは世界の危機に勘付いて、警鐘を鳴らしている。それは神樹が言っていたことと同じだ。世界は魔素に蝕まれ始めた。それはきっと真実だろう。
けれど、それが帝国への宣戦に繋がる、とは。
嫌な予感がした。とんでもなく嫌な悪寒。
「貴方は知っているはずだ。エルフがなぜこの森にいるか。なぜ『果て』への門を任されたか。……エルフの秘術。全てを隔絶しながら、望むままに道を繋ぐ禁忌。名さえ漏れぬ古の魔導。『果て』とこちらを繋ぐそれを、扱えるのがエルフのみだった。選ばれた理由など、ただそれだけだ」
一瞬、痛みを忘れる。
『果て』への門を任された。エルフは選ばれた。……いったい誰に? 考えるまでもない。帝国に、だろう。
禁忌の魔導で化物を生み出していた帝国。軍事への魔導の活用。際限のない力をもたらす魔導を、帝国が手放すはずもない。
帝国が、『果て』を守っている。信じたくはなかった。けれど。
「我らに刃向かうなら、この森は——」
「それが帝の意思なら、それも良い。だが決するのは我ら森人。調停者たる我らを滅するならば、我らは『果て』を封じるのみ。魔導の秘奥は失われ、世界は永遠に魔を失う」
「……なるほど。この程度で怯みはしないか」
ヴロウの脅しじみた言に対して、ベルザニエル様は動じた様子もなかった。場に再び、沈黙が満ちる。
目眩が戻ってくる。そこへ、今度はナシトの声が。
“王国と帝国。世界は全てを把握している。知った上で、利用している”
……王国も、なのか。
なら、『果て』を潰す僕らの冒険は、世界に楯突くようなものか。
“『果て』は、世界に管理されている”
視界に映る皆は誰も口を開かない。ただ僕の頭の中だけで、暗い声が続く。
世界か。途方もない話だ。でも、ナシト。君はどうして、そんなことを知っているんだ。どうして今、僕にそのことを伝えるんだ。君はいったい何者なんだ。
ナシトに尋ねたかった。何もかもはぐらかされるかもしれない。僕には言えない理由があるのかもしれない。ナシトはいつもそうだ。いつも僕らには何も理由を告げず、目的も明かさず、ただいつも、僕らのために。
君が何者であっても、信じているけれど。仲間の思いを知れずにいて、思い違いをして、仲間を失うのは、もう嫌だった。
視界が混濁していく。魔導が解かれているのか、僕に限界が来ただけか。
いつのまにか、膝を地に着いていた。意識が途切れかける。
“此処から先は、もう止まれない。……ロージャ。これが最後だ。お前は、どうする”
最後の一瞬に聞こえたナシトの声は、少しだけ寂しげだった。
目の前が暗転する。僕はナシトの問いに、答えられたのだろうか。
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