第129話 警句

『神の畔』で、僕へ語りかける奇妙な枝を拾って。

 僕とシエスは、とりあえず宿へ戻ってきていた。


 帰り道、フリエルさんは枝を持って行くことを快諾してくれた。エルフの森の木々はエルフと共に生きているだけで、彼らの所有物ではない。まして木々自身が連れて行けと言うなら、私から言うことは何もないよ、とのことだった。


「木々の声、か。千年を共に生きた我らにも聞こえぬが。魔ではない力を操る君には、聞こえるのかもしれないな」


 彼が別れ際につぶやいた言葉は、心なしか少し寂しげに聞こえた。



 昼食を終えて微睡み始めたシエスを部屋へ連れた後、僕は居間で改めて、奇妙な木の枝と向き合った。枝を拾ってから、あの『志』の声はぱたりと止んで、宿に着いても語り出す気配はない。

 日はまだ高い。会合までにはまだ時間があるだろう。僕はこの枝について、少し考えてみることにした。

 とはいえ、この枝が一体なんなのか、この枝をどうするか、この枝が『果て』への手がかりになるのかといったことは、案さえ全く思いつきもしない。

 突然笑って、謎めいたことを語りかけて、『巣』へ連れて行けと告げた声。『巣』とは『果て』のことだろう。ただ、エルフの木が『志』の声を扱えるというのは、どういうことだろう。僕の『力』と同じように、彼らの意志が世界を歪めて、声を届けた? それとも、彼ら木々はもっと自在に、『志』を操れるということか。帝国で出会った神獣、アルコノースと同じように?

 僕は、エルフの木々は、魔素による影響を受けているものと勝手に思っていた。感じる好奇の視線も、魔素で木々の何かが変質したものと。けれど、『志』を操れるなら、魔とは遠い存在なのかもしれない。アルコノースはたしか、神獣は魔に呑まれないよう、『志』を身体に巡らせると言っていたはずだ。口ぶりからしても、彼は魔を嫌っていた。

 この枝も神獣に近い存在なのだろうか。そうだとすれば、いっそう訳が分からなくなる。魔を奉じるエルフと、魔を遠ざける『志』を扱う木々。それらが共に、永い間同じ場所で生きている。一体、どういうことなんだ。


 このところ、ベルザニエル様やフリエルさんから謎かけじみた言葉ばかりかけられることもあって、僕の頭は正直限界だった。

 僕はただの冒険者なんだ。それも元々は村の木こりでしかない。魔素だの神獣だの、世界の謎じみたあれこれなんて僕には、どう考えたって荷が重い。それでも、『果て』に辿り着くには考えなくてはならないのだろう。『果て』こそ世界の最たる謎なのだから。


 考えに詰まって、ふと手元の枝を見る。

 太さは、シエスの腕と同じくらいだろうか。か細く見えるけれど芯は通っていて、強めに握っても折れず凹まず、びくともしない。持ち上げて緩く振ってみると僅かにしなった。弓にするには硬すぎるか。軽くて硬い。これくらいなら、少し手を入れれば鍬とか斧とか、農具の柄にちょうどいいか——

 自分の思考の逸れに気が付いて、笑ってしまう。無意識に、木こりの頃のように木の材質を測っていた。こういうことなら、いくらでもすらすらと考えが及ぶのにな。


「なんじゃ、ロージャ。こんなとこで難しい顔しおって」


 後ろから声がかかった。気配で気付いていたけれど、カカフとルナ=ドゥアリと、ルシャが小屋へ戻ってきたところだった。みな、手には食材らしきものを抱えている。


「戻っていたのですね。シエスは……部屋ですね」


「ああ。大丈夫だよ、ルシャ。昼食をとったら眠くなったって」


 僕が何でもないように答えると、ルシャは僕を見て、安心したように微笑んでくれた。


「食ったら休む。それもドワーフの掟みたいなもんじゃい。ますます、シェストリアは良い鍛冶屋になれるのう」


 カカフがぐははと笑う。今の言葉は、シエスに伝えない方がいいな。ルシャも同じように思ったのか、困った眼をしていた。


「それより。ロージャ、手に持っているそれは……まさか、神樹、かな?」


「神樹?」


 ルナ=ドゥアリは例の枝を見ながら目を丸くしていた。


「どうやって手に入れたんかは知らんが、時折アルマにも持ち込まれるんじゃよ。エルフの森の木、枝や木片がの。それをわしらは神樹と呼んどる。半分以上、皮肉な意味でじゃが」


 カカフが言葉を継いだ。そうか。たしかに、エルフゆかりの素材と聞くと冒険者としては期待してしまう。ガエウスあたりも、ダンジョンで見つけていれば大はしゃぎするだろう。


「秘匿された森の木々だ。武具としてさぞや価値があるのでは、と思うんだろうね。でも実際は、炉の薪にもならない」


「……? どうしてですか? 名のある鉱物ほどではないですが、それなりに優れた材質だと僕も思いますが」


「ただただ加工しにくいんじゃよ。神樹は魔を散らす。魔導を込めた斧も通らん。おまけにありえんほど硬い。盾に良いと思うじゃろうが、削ろうにも木屑すら零れんし、束ねようにも数は揃わんし、そもそも木じゃから応用もきかん。クルダも昔、色々試しとったが、あやつでさえ多少形を整えて棍棒にするのがせいぜいじゃった」


 カカフがいつになくはきはきと語る。彼はドワーフの戦士だが、根は弟と同じ、浪漫好きの鍛治好きだということは、これまでの日々でなんとなく知っていた。


「……聞く限りでは、なんだか、アルコノースの羽根の性質に似て——」


「神獣の素材と耳長のひねくれ木を一緒にするな! 耳長と仲良しこよしの森になんぞ、浪漫も何も感じんわい!」


 質問したルシャは、突然の大声に気圧されて涙目になっていた。そのまま無言で僕の横に来て、服の裾を掴んで、カカフから隠れるように小さくなった。……そろそろルシャは、ドワーフを見るだけで怯えてしまいそうだ。


「こら、カカフ。ルシャさんを怖がらせてどうする」


「……ふん。すまんかったの。つい熱くなってしもうた。ただ、木というもんは大抵、魔導絡みの道具に仕立てるもんじゃ。魔具にしろ武具にしろ、のう。じゃが、その木が魔素を散らしては、元も子もない。神樹の『神』は、飾って拝むしか能のないこの木への皮肉じゃい」


 僕へ控えめに縋りつくルシャを軽く撫でながら、カカフの説明を聞いて、少し納得する。

『志』の声を発する木、神樹。彼らは魔を通さない。エルフと共存している理由はまだよく分からないものの、神樹が神獣寄りの存在であるという僕の仮説は、間違ってもいなそうだ。

 それと、この枝をどうするか、閃くものがあった。稚拙な案かもしれないけれど、皆に話してみようと口を開きかけて。


“少し正しいね 少し間違っているよ”


 頭の中に、からからと笑う声が響く。


「な、なんじゃいっ」


「この声は……」


 驚くカカフ。ルシャも目を見開いていた。拾ったときとは違って、ここにいる皆に聞こえている。


“温かな意志を僕らは受け入れる 『巣』の素には熱もないけれど“


「……」


 神樹の言うことは相変わらず曖昧だ。けれど今回は、なんとなくわかる。

 枝を握る手に、『力』を込めてみる。軽く爪を立てると、枝の皮は容易く剥がれた。

 カカフが驚嘆の声をあげる。


“ああ温かい 人の子は温かい そのはずなのにね“


 神樹はふやけたような語り口だった。

 彼らは気まぐれだ。けれど今なら何か聞けるかもしれない。この機会を逃したくない。そう思って、困惑する仲間たちに申し訳なく思いつつ、口を開く。


「……君たちは、『果て』への道を知っているのか。何か知っているなら、糸口だけでも教えてほしい。君たちを連れて行くよ」


「ロージャ? いったい、何を――」


“ここは『巣』への門 道はすぐそば、もう目の前”


 ルシャを遮り、神樹が語る。

 千年を生きる木々だ。『果て』へのきっかけを握る可能性は高い。謎かけじみた言葉を、一句たりとも聞き逃さないように集中する。


“けれどみんな立ち止まった 父さまの愛を裏切った もっと良いものを見つけたから”


 父さま。誰のことだ。裏切ったとは何だ。良いものとは。疑問は尽きない。

 考えるのは、後だ。今はただ聞く。


“止まって消して、覆い隠した そうしてみんな冷たくなった”


“消されたのは太古 過去の記憶 神たる獣と、友の証”


“消したのは魔女 箒の婆さま 人と契った、神たる獣”


 神たる獣――神獣。ぴんとくる言葉はそれくらいで、魔女やら箒の婆さまやら、漠とした印象しか抱けない語が続く。


“婆さまはもういない 全てを愛して、家ごと消えた”


“『巣』は世界を喰らうよ 遺した愛も、もう消えた”


「……っ」


 ルナ=ドゥアリが息を呑んだ。いつになく真剣な面持ちで、枝を見つめている。僕らはもう、一言も発せなくなっている。

 そんな僕らを笑うように、からからと風が吹いた。小屋の中を吹き抜ける。


“道は開けているよ 誰かの陰に、見えないだけで”


 風が止むと同時に神樹の語りは終わった。沈黙が満ちる。『力』を流しても、木の枝はもう何も言わなかった。


「……拾ったとき、先ほどのような声に、『果て』へ連れて行けと言われました。何か秘密を知っているかと思って、今また問いかけてみたんです」


 頭の中は整理できていないものの、とにかく困惑しきりの皆へ説明する。結局謎かけのような言葉しか得られなかったけれど、何かの手がかりになるだろうか。

 そう思って、皆と先程の言葉の意味を話そうとして。


「……父さまとは、聖教の主神のことかもしれません。父神ヴァスクレス。天の主座、万人の父。けれど、主神は今も聖教にて仰がれています。人がその愛を裏切った、とは……」


 ぽつりと零したのはルシャだった。悩ましげに眉を下げて、考え込んだままでいる。


「それに、主神と神獣の関係も、分かりません。聖教の教えには、神獣のことなど何も出てきません。神獣はあくまで、おとぎ話でしか……」


「何がなんだか、さっぱりじゃの。わしとしては、神獣について聞けて嬉しいやら、それが耳長の木の言葉で腹立たしいやら、複雑じゃが」


 唸るルシャと、肩をすくめて軽口を飛ばすカカフ。さっぱりという点では、僕もカカフと同じような気持ちだ。

 聖教の神と神獣。裏切りと、過去の抹消。魔女と呼ばれる老婆。それぞれに引っかかるものはあれど、一つに繋がらない。

 ただもしかして、過去の抹消というのは、神獣アルマスクヴェリの記録が地底都市にも残っていないことと関係しているのだろうか。

 あったはずの過去が、神獣がいたという太古の歴史が、消されている?

 そして、それを成したという魔女とは、いったい何者なんだろう。


「これは、困ったことになったな。私は今、とんでもない場に出くわしてしまった気がするよ」


 ルナ=ドゥアリが僕の隣に腰かけた。重々しい溜め息。


「神樹の話は、私にもよく分からないが。ここは『果て』への門。そのことは、私も知っている。……そして、『果て』が世界を喰らう。それは、魔喰らいのことだろう?」


「そんな馬鹿な! ……とも、言い切れんか。たしかに魔喰らいは、魔素病じゃ。魔素を生み出すのは『果て』。それは誰でも知っとることじゃしのう」


 カカフが膝を叩いて、長の言葉に頷く。


「魔喰らいはいずれ、世界へ広がる。それが神樹の警句だと、私は受け取ったよ。ベルザニエル様もきっとこのことに気付いている。今回の会合でヒトを集めたのも、恐らくはこのためだ」


 魔喰らいが世界中に広がる。エルフの母娘の苦しむ姿をまた思い出す。あれが、世界中に。吸い込まれる魔素が見えない僕にとってさえ、恐ろしい光景だった。


「ベルザニエル様は、ヒトもエルフも、我らも集めて、『果て』をどうするか決めようとしている。『果て』への門の管理者として。……まさか、世界を揺るがしかねない会合が、私の時代に回ってくるとは、ね」


 ルナ=ドゥアリは頭を振りながら、力なげに笑った。少し投げやりに見えるけれど、眼にはまだ力がある。彼ならきっと大丈夫だろう。

 少し青くなった顔に、魔導都市のギルド長、トスラフさんを思い出した。彼もこうして怯みながら、それでも都市防衛の責任を全うしてみせた。彼らのような人たちを大人と言うのだろう。


 ふと、考える。

 さらに膨らんだ謎。重い意味を持つ会合。

 僕は何ができるだろう。考えかけて、大して意味もないことに気付いた。いや、考えることに意味はあるんだろうけど、少なくとも、思い悩むべきじゃない。

 僕にできることは、守ることだけだ。

 神樹から手がかりをもらえたかもしれない『果て』への道については、また皆で知恵を出し合うとして。今のうちに始めておきたいことがあった。


「ナシト! いるんだろう? 出てきてくれないか」


 一息吸って、小屋中に聞こえる声で呼びかける。

 ナシトはすぐ、僕の真横へ現れた。黒い影が突如現れて、カカフが仰け反る。


「さっきの話、聞いてただろう?」


「ああ。……俺から話すことは、何も——」


「そう言うと思ってた。そっちじゃないんだ。ひとつ、手伝ってくれないか」


 そう言いながら、ナシトに向けて神樹の枝を振る。

 ナシトはいつもの、陰気な顔を崩さない。


「魔を散らす枝。太さも軽さもちょうどいい。シエスの新しい杖に、ぴったりだと思うんだ」


 強大すぎる魔導。シエスはそれを恐れている。怒りに任せて魔素を集め、暴走してしまったことを何より悔いている。

 なら、この神樹を杖にして訓練してもらおう。魔素を散らす杖で、魔導を描く。才に溢れすぎるシエスにはちょうどいい修業になるだろう。


「僕が削って、杖にする。ナシトは、魔具として最低限必要なことを教えてほしい」


 ナシトは何も言わない。けれどすぐに消え去らないところをみるに、興味を引かれているのだろう。シエスのこととなると真面目になる。分かりにくいようで分かりやすい。ナシトは不気味でも、面白い男だ。


「手早く仕上げたい。今から取りかかるよ」


「……」


「……ふふ。私にもできることがあれば、言ってくださいね」


「そうか、ロージャなら削れるか! なるほど面白い、わしもクルダへの土産話に、木こりの技をじっくりと——」


「カカフ。君は昼食の当番だろ」


 静寂が消えて、いつもの賑やかさが戻る。

 ナシトは何も言わないままで、でもいつのまにか、魔導で自分の座る席を作り出していた。腰かけて、僕を見る。


 素直じゃないやつめ。

 僕は笑いそうになって、笑うと彼が逃げてしまいそうだから何とかこらえて。

 早速、寸法について話を始めた。ナシトが僕らの輪の中にいることが普段よりもずっと嬉しいのを、顔に出さないように気を付けながら。


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