第126話 綻び

 翌日。

 僕は案の定二日酔いで、シエスは朝食の間、心なしか視線がじとりとしていた。


 僕らが身支度をすませると、見計らったかのようにフリエルさんがやってきた。小屋の扉を開けて迎え入れる。風が吹いて、草木の匂いが強くなった。


「相変わらず賑やかなものだ。要人と会う前は酒の匂いを纏う、君らの礼儀には敬服するよ、ドゥアリ」


 フリエルさんは入るなりそう言って笑った。ルナ=ドゥアリは彼の言葉に、笑って肩をすくめるだけで何も返さない。カカフも、気に入らないと鼻を鳴らして、それだけだった。

 昨晩の僕らの騒ぎはやはり伝わってしまっていたようだ。……もしかして、まだ酒臭いだろうか。

 不安が顔に出ていたのか、隣のルシャと目が合うと、ルシャは可笑しそうに首を小さく横に振ってくれた。



 そのままフリエルさんの後に続いて、森の中心部へ向かう。エルフの長の屋敷は、僕らの仮の宿からそう遠くないところにあるらしい。

 歩きながら周囲を見る。魔物や、敵意を持った気配は特に感じられない。僕らが帝都で探し回っても大した手がかり一つ手に入らなかったエルフの森だ、『転移』の魔導以外の入り口は無いことも予想できる。人だけでなく、魔物もそう簡単には侵入できないのだろう。

 警戒を少し緩める。すると、木こり時代の癖だろうか、木々の様子が気になり始めた。

 壮大な景観を持つドワーフの街アルマーゼと違って、エルフの森はなんというか、森そのままだった。エルフが住んでいる形跡はあるのだけれど、その住処は僕らの小屋と同じように、質素な小屋が木の陰や、大樹の上に疎らに立っているだけで、街と呼ぶには木々が多すぎる。やはり、ここは街ではなくて森なのだろう。この森本来の住人はエルフではなく、木々なのだとでも言うような、そんな雰囲気が満ちている。

 ただ、普通の森という訳でもない。木々自体が、どこか不思議に見える。昨日感じた、視線のようなものもそうだけれど、木の生え方までもが少しおかしいからだろうか。

 木というのは基本的に陽の光を求めて伸びゆくものであるはずなのに、この森の木々は日光など関係無しに、好きなように折れ曲がり、好きなように生長を止めているようにさえ見える。まるで寝転がるように横へ伸びる木や、幹同士が溶け合ったように重なり合い生えている木々、小屋を包み守るように生えた木々まである。普通の木にも個性はあるけれど、この森の木々には個性がありすぎる。

 意思の宿った森。昨日のフリエルさんとの会話から、そんな連想もしてしまう。

 そんなことを考えていると、すぐ傍を歩いていたガエウスと、ちらと目が合った。ふと、聞いてみる。


「ガエウス。どうかな、君から見て、エルフの森は」


「あァ? どうもこうもねえ。今んとこ、普通の森だな」


 つまらなさそうな回答だった。まあ、ガエウスが木々の生え方なんかに感銘を受けるはずもない。

 ただ、エルフの森は彼にとっても未知の世界で、彼の言葉を借りれば間違いなく『冒険』だろう。拍子抜けして、不機嫌にならないといいけど。


「もっとすげえのを期待してたが。大物の気配もねえ。この辛気臭さじゃあ、旨え酒もねえな」


「……お酒は、もう駄目」


 昨日呑んだのを相当怒っているのか、シエスはまだじとりとした眼で僕らを見ていた。ガエウスは鼻で笑って、シエスの額を指でぴんと弾いた。


「だがまあ、しけてるとはいえ、ちと静かすぎるな。期待してるぜ、お前の『不運』によ」


 そう言って、ガエウスの眼が一瞬、ぎらりと光った。

 またそれか。ガエウスしか言わない、僕の不運。予想もしない騒動に巻き込まれることも、まあそれなりには多いけれど、そもそも僕らは冒険者だ。荒事の中で生きているのだから、異様なことに巻き込まれるのは、偶然というよりは当然の結果だろう。

 それに、僕としては、巻き込まれる騒動の半分はガエウスが持ってきていると思っている。いや、僕が無事に避けた揉め事にガエウスが首を突っ込んで引っ掻き回して、僕らを巻き込むことの方が、実は多いんじゃないだろうか。


 そう胸の中でガエウスに文句を言いつつ、弾かれて少し赤くなったシエスの額を撫でる。一層じとりとした眼になったシエスをなだめようと、僅かに歩調を落とした時だった。


 凪いでいた森の雰囲気が、一瞬、張り詰めた。思わず顔を上げる。木々の気配が、変わった?

 前を見る。森の中、先頭を歩くフリエルさんに向かって、女性のエルフらしき人影が走ってきていた。近くの家から駆け出してきたのか裸足のままで、目元には涙が浮かんでは溢れていた。

 そのままフリエルさんへ縋りつく。枯れた声で、何事かを叫んでいる。言葉は、エルフの言語だろうか、何一つ聞き取れない。けれど、救いを求めるような必死さがあった。


「……何事、でしょうか」


 僕のすぐ横で、小声で囁くルシャ。僕もルシャも、フリエルさんと泣く女性の様子から目を離せないままでいる。


「分からない。でも、只事じゃない気がする」


「ええ。……エルフが姿を見せないのは、ヒトを警戒してのことと思っていましたが。何か、違う事情もあるのかもしれません」


 たしかに、ここまでの道中でフリエルさん以外のエルフを一人も見かけていなかった。僕らはもう住処らしき地に足を踏み入れているだろうに、この静けさは異様だった。

 フリエルさんは立ち止まって、胸へ縋りついた女性と言葉を交わしている。声は変わらず穏やかで、感情も意図も読めないままだ。

 一体何が起きているのだろう。あの女性は、フリエルさんに何かを頼ろうとしているのだろうか。

 フリエルさんは、立ち振る舞いやルナ=ドゥアリとの関係からして、エルフの森の中でも有力者であることは推測できる。流石に、ドワーフの長と軽口を叩き合える人が下っ端ということはないだろう。そのフリエルさんに、泣いて頼み込むこと。見当は、つかない。


「そうか。長と会うまですら、保たないか」


 フリエルさんは女性の肩を手に、支えながらこちらを振り向いた。眼には、ほんの僅かな濁りが灯って、すぐに消えた。


「ルシャ。一つ頼まれてはもらえないだろうか」


「私、ですか?」


「ああ。君の『奇跡』を、試してみたい。神の癒しは、我らの業すらも救い得るのか」


 淡々とした声。対するルシャは、普段より少しだけ緊張しているように見えた。

 業、とはなんだろうか。


「この者の娘が、ある病に冒されている。我らの知をもってしても手の施しようのない、闇深き病だよ。余命は幾許いくばくもないだろう。だが、聖女と呼ばれた君ならあるいは、と思ってね」


 病。それがエルフの業にして、彼らの平穏を終わらせるものなのだろうか。まだ、よく分からない。


「……私の力は、神の奇跡ではありません。魔導と変わらない、人の技です。それでも良いのなら」


 ルシャは凛と頷いてみせた。状況が分からないのは彼女も同じだろう。それでも、その瞳に迷いは無い。ルシャらしいな。


「無論。ヒトに救われた方が、我らの目も覚めるだろう」


 フリエルさんはそのまま、歩く向きを変えて近くに見える小屋へと進み始めた。

 僕も続こうと、歩き始めようとして。隣でルシャが、困ったような顔をして僕を見ていた。


「ロージャ、すみません。先を急ぐべきとも、思ったのですが」


 一瞬、何を謝られているのか分からなかった。一拍置いて、思わず少し笑ってしまう。

 ルシャは、頼みを受ける前に僕の意向を聞いておくべきだったと、思ったみたいだった。心外だな。


「問題ないよ。困っている人を前にして、君が素通りする訳ないさ。出会った時も、聖都でも、そうだったんだから」


 ルシャは誰よりも優しい人だ。神に縋っていた頃から、自分の意思で沢山の人を救って、尽くしていた。それが彼女自身の強さだと思えたから、僕はルシャに惹かれて、ルシャを信じたんだ。

 隣でシエスも頷いていた。ルシャはそんな僕らを見て、照れたように笑ってくれた。




 小屋に入ると、すぐに苦しげな声が耳に入った。寝台の上で、まだ幼く見える女の子が横たわって、呻き声を上げている。顔と全身に、大粒の汗が浮き出している。


「……これは。魔素が、流れ込んで……」


 ルシャがつぶやく。

 魔素? 僕には当然ながら、何も見えない。


「この娘は、魔に魅入られてしまった。魔素を身体に取り込み続けて止まらない。この数年で、我ら森を苦しめるようになった奇病だよ」


 フリエルさんは変わらず淡々と語る。魔素を取り込み続ける病。

 背筋に何か、嫌な汗が伝った気がする。自分の意思ではなく、魔素が身体に流れ込む。その恐ろしさは、きっと僕が一番良く理解している。


「この娘だけではない。森は、呑み込まれつつある。『魔喰らいマギイェシュカ』――君ら風に言うなら、魔素病、と呼ぶべきか」


「……」


 何も返せない。一時の魔素酔いでもあれだけ苦しいのに、あれが無限に続く。僕ならきっと、数分も保たないだろう。

 気が付くと僕はシエスの手を握っていた。シエスは僕を見上げずに、表情を変えずに、ただ苦しむ女の子をじっと見つめている。


「我らは魔物ではないが、魔素をいくらか体内へ留めることができる。種として魔と相性が良い、と言うべきかな。と言えど、絶えず魔素を吸ってしまえば、いずれは終わりが来る」


 フリエルさんは語り続ける。その横で、ルシャは女の子の傍らへ寄って、手を額へかざした。柔らかな光が、女の子を包み込む。

 しばらくして、苦しむ声がいくらか和らいだ気がした。けれどルシャは俯いて、辛そうな表情を変えない。


「……駄目です。私にできるのは、酔いを和らげるだけで。魔素の流れを止めることは……」


「ああ。ありがとう。やはり、縋ることはできないか」


 すぐに女の子が、また呻き始める。その母らしき女性が、大声で泣き喚く。血は一滴も流れなくても、凄惨な光景だった。


「魔を崇めて生きた我らが魔に縊り殺されるとは。全く運命とは、嫌味なものだよ」


 フリエルさんの場違いな軽口。泣き声と呻き声。それすら耳に入らないほど、僕は内心、震えていた。

 魔喰らい。魔素を取り込み続ける病。その病が、魔に長けたエルフすら蝕んでいる。

 でも僕にとって恐ろしいのは、病そのものではなかった。

 シエス。シエスに埋め込まれた『果て』の欠片。魔素を体内で生み出し続けるそれが、いつか目の前の少女のように、シエスを苦しめ始めたとしたら。そんな、起こり得る未来を改めて目の前に突き付けられたような気になる。

 ……駄目だ。そんな未来は、受け入れられない。『果て』は、必ず、僕が潰さないと。


「……フリエルさん。この病を癒すには、『果て』を、攻略するしか――」


「おや。流石は冒険者、と言うべきかな。けれどその話は、まだ早いな」


 フリエルさんに遮られて、分からなくなる。

『果て』の門は森人が、エルフが護ると聞いた。『果て』への道を開いてもらうには、彼らと友好関係を築いて、説得するしかないと思っていた。けれど番人であるはずのエルフが、魔素に苦しめられている。ならば共に攻略する目もある。そう思ったのだけれど。

 フリエルさんの口ぶりは相変わらず、謎が多い。まだ分からないことばかりだ。まずは、知らなければ。焦っている場合じゃない。そう思って、震えを胸の内で押し殺す。


「フリエル。……まさか、増えているのか。なのに昨年、数は僅かだからと、我らの援助を断ったのは、いったい何の冗談なんだ」


 ルナ=ドゥアリの声は、ひどく低かった。初めて聞くかもしれない、真剣に過ぎる彼の声。


「さて。長の心は、私如きには推し量れないさ。王国を呼んだのは、彼なりの打ち手なのかもしれない」


 それすらもフリエルさんは変わらずに軽い調子で返した。振り向いて、僕らを小屋の外へ促す。

 エルフの親子の泣き苦しむ様子は何も変わらずに続いている。僕らは彼女たちに、何もしてやれない。


「あるいは。我らは此処で今、滅びるべきなのかもしれない。信じるべきものを間違えたのだから。護るべきものを、取り違えたのだから」


 小屋を出る寸前に、そう零したフリエルさんの眼は、空恐ろしいほどに濁って、昏かった。


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