第124話 転移
エルフの森への案内役、フリエルさんと出会ってから、また数日。
僕らは今、薄暗い地の底を歩いている。
魔導の光だけを頼りに、不格好に掘り固められた坑道を黙々と歩く。照らされた数歩先以外は真っ黒の暗闇しか見えない。生物の気配も無く、僕らの足音だけが坑道に響いている。道は徐々に、幅も高さも狭まってきていた。なんとなく、息が詰まる。
一番前を歩くフリエルさんは滅多に後ろを、こちらを振り向かない。この一団の主賓であるルナ=ドゥアリが、フリエルさんの歩調の大きさに文句を言った際も、肩を竦めただけだった。じっと前を見つめている。どんな眼をしているかは、僕からは見えない。
ただ歩く。隣を歩くシエスはいつも通りの静かさでも、ルシャもガエウスも、カカフでさえ口数が少なかった。地の底、その暗闇の真ん中で、息苦しさに押し潰されるような。
空気が重い。
でも弱音を吐くつもりはなかった。ただ歩く。
目的地には、近付いているはずだ。
僕らは地底都市アルマーゼを出て、フリエルさんの案内でエルフの森へと向かっている。地上ではなく更に地下へと潜っているのは奇妙だけれど、森への道については、フリエルさんは何一つ答えてくれなかった。
あの日、フリエルさんと出会ってから、出発までは目まぐるしかった。ルナ=ドゥアリの従者として、エルフの里で開かれる会合へ向かう。そのこと自体は聞いていた通りだったものの、会合の日は想像していたよりも間近に迫っていて、準備する時間はほとんどなかった。
一番問題だったのは、クルダに依頼している僕の鎚についてだった。クルダはまだ神獣の羽根の溶かし込み方について悩んでいるようで、出発までにはどう見ても間に合いそうにない。今回は仮の鎚のみで向かうしかなさそうだった。
エルフの森でどれくらいの時を過ごすかは分からない。けれどルナ=ドゥアリは、会合自体はそう長くかかるものではないと言っていた。『果て』の手がかりを得たら、一度地底都市に戻って、鎚の完成を待つ必要があるだろう。『果て』に辿り着けたとして、最高の武具無しで何とかなる場所とは思えない。
それに、今回の訪問ですんなり『果て』へ向かえるとは思えなかった。『果て』への門は森人、エルフが護るという話だ。気持ちの良いくらいにあけっぴろげなドワーフとは違って徹底した秘密主義らしい彼らが、部外者である僕らを、そう簡単に門を潜らせてくれるとは思えない。
なら、今回の訪問では、『果て』の門とは何か、そもそも『果て』とは何かを探りつつ、エルフと良好な関係を築くのを目的にするのが良いだろう。そう考えて、新しい鎚については一旦忘れることにする。
他にも、僕の右腕に残る違和感、シエスの不調と、対処しておきたいことは沢山あった。でもそんな時間もなく、僕らは慌ただしく出立の準備をして、地底都市を出て、今に至る。
何一つ予定通りにはいかない。そのことはいつも僕の悩みの種なのだけれど、どうしてだろう、最近はあまり、深刻に悩んではいない気がする。
ガエウスに心配性を笑われすぎて、諦めてしまったのかもしれない。それとも、彼の言う通り、これも冒険と内心、楽しめるようになったのか。……いや、それは無いな。でも、楽しめなくとも、受け止められるようにはなってきた気がする。
不慮の事態でも、僕が前に出て、皆を守る。何が起きようと、僕はそれだけだ。僕の足りないところ、僕に守れないところは、皆が補ってくれるだろう。
「さて。休憩にしようか。ドゥアリの小言が多くなってきて、耳が疲れてしまった」
思考を打ち切り、前を見るとフリエルさんがこちらを向いていた。坑道も、下りの傾斜が少しばかり緩やかになっている。
「やれやれ。いちいち嫌味を入れる意味はあるのかな」
「嫌味ではないさ。本当のことだからね。我ら森の子は嘘を嫌うと、君も知っているだろう」
「まったく。本当なら尚更、事細かに言わなくていいんだよ、フリエル」
フリエルさんの芝居がかった言葉に、苦笑を返すルナ=ドゥアリ。歩き始めてまだ二日ほどでも、もう見慣れた光景になっている。この二人は旧知の仲なのか、やり取りには遠慮がなかった。
歩を止めて、周囲を見回す。魔物の気配は全く感じない。魔物どころか、僕ら以外の生物の息づかいを一切感じない。ここまで地中深くに来たのは初めてだから、これが通常の地底なのか、それとも何か異常な環境なのか、判断できない。
ふと視線を落とすと、僕から一歩離れたところから、シエスがこちらを見上げていた。その頬には汗が浮いていて、呼吸も少しだけ早かった。魔導の補助がない今のシエスには、体力的に少し厳しい道だったかな。
「シエス、こっちへ」
声をかけながら、膝をつく。ポーチから手拭いを取り出す。シエスは、普段よりは控えめに、こちらへ一歩近付いた。
シエスの汗を拭う。シエスは目を閉じて、顎を僅かに上げて、何も言わない。でも纏う空気は和らいでいる。
「疲れた?」
「……ん。少しだけ」
乱れた前髪を指で梳いて、いつものように整える。シエスは目を閉じたままでいる。
「あとどれくらいかは、分からないけど。足が重くなったら教えて。僕が背負うよ」
「まだ大丈夫」
「それは良かった」
最後にシエスの頭をひとつ撫でて、手を離す。立ち上がると、シエスは僕を見上げたまま、何か言いたげな無表情だった。
「……ロージャは、すごい」
唐突なつぶやき。なんだろう。
「魔導がなくても、疲れない。魔導がなくても、戦える」
魔導について、だったか。
シエスはまだ、『赤坑道』での暴走を振り切れてはいない。表向きはだいぶ普段通りに近付いてきているけれど、魔導の話題に触れると、言葉の端々に、震えを感じる。
シエスが魔素を感じ取れなくなった原因は、分からない。けれど、そのことを究明して、シエスに魔導の力を取り戻すより先に、気にかけるべきはシエスの心だ。
そう、思っているけれど。
「毎朝、鍛えてるからね。シエスだって、僕と同じ鍛錬をすれば――」
「……同じは、無理」
考えすぎなくていい。そう思って、少し茶化そうとしても、シエスは困ったような顔をするだけだった。
どうすればシエスは、また前を向けるだろう。そう思っていると、自然と口から、言葉が零れた。
「シエスは、これからどうしたい?」
僕はいつも、押し付けてばかりだ。でも今は、シエスの気持ちをきちんと、聞いておきたかった。
シエスは僕を見上げたまま、少しだけ眼を見開いて。
「……まだ、わからない」
答えてくれた。シエスらしくない、消え入りそうな声だった。そのまま静かに、続ける。
「魔素が見えないのは、悲しい。魔導を使えないと、傍にいられない。また、聖都のとき、みたいに。それは、嫌」
僕が一人で聖都へ消えた時、取り残されたシエスは大泣きしたと聞いた。あの時の辛い想いは、今もシエスの中にこびりついているようだ。
「私には、『力』はない。魔導しか、ない。……でも、魔導は……まだ、怖い」
「……シエス」
「また、あの黒い手が出てきたら。みんなを傷つけたら。……ロージャが、私を、怖がるように、なったら」
シエスは俯いてしまった。胸元に見える『果て』の欠片は、黒ずんだ青色。
シエスにとって魔導は、仲間である証明なのだろう。でもその魔導で仲間を傷付けた。そのことを赦せていない。また同じことを繰り返すことを怖れている。
誇りと怖れ。どちらも自然な感情だ。僕自身、似たような迷いを抱えたままでいる。自分に自信を、持ち切れずにいる。
僕は、何と返すべきだろう。一瞬、口ごもる。
「シエス」
聞こえたのは、暗い声だった。僕のものではない。いつも背後から聞こえる、聞き慣れた平坦な響き。
ナシトだった。いつの間にか、僕とシエスの真後ろに立っていた。振り向くと、黒黒とした瞳がじっと僕らを見下ろしていた。
「お前が望むなら、講義は続ける。魔導を使えなくとも、学ぶべきことは多い」
仲間でなかったら親密さなど欠片も感じない無機質な声で、けれどシエスを思いやることを言う。ナシトらしいちぐはぐさだった。
「どう生きるかは、お前が決めろ」
「……」
シエスは何も答えない。でも少し驚いたように、ナシトを見上げたままでいる。
お前が決めろ、か。確かに、最後に決めるのはシエスだ。魔導師になることは、僕が最初に押し付けた生き方で、それ以外の生き方を望んでもいいはずだ。ナシトの突き放すような言い方が、少し羨ましい。甘ちゃんの僕には言えそうもない。
シエスの生き方は、シエスが決める。僕が為すべきなのは、選んだ道をシエスがきちんと進めるようにすること。傍にいること。それだけだ。
ナシトはそれだけ言って、僕らに背を向けた。また姿を消すつもりだろうか。その前に、言っておきたいことがあった。
最近は、ナシトと話す時間をうまく取れていない。避けられているとは、思いたくなかった。
「ナシト」
僕の呼びかけに、ナシトが止まる。こちらは向かずに、ただ立ち尽くしている。
「シエスのこと、ありがとう。……けど、どうして最近、姿を見せてくれないんだい」
「……」
「あの時、フリエルさんに呼ばれた時も、どうして姿を見せなかったんだ?」
ナシトのことだ、いつものように不気味に笑って誤魔化すだけかもしれない。それでも良かった。
でも、普段とは何か違う。そのことが気にかかる。ナシトはこのところ、あまりにも頻繁に、消えすぎている。
聞きたいことは沢山ある。シエスのこと、魔との半種のこと。ナシトが話したがらないのは特にこの二つだ。地底都市に滞在していた時、何度直接部屋を訪ねても、ナシトは姿をくらませていた。
「話したくないなら、それでもいい。でも、もう少し、傍にいてくれないか」
非難するような響きにならないよう気を付けながら、真っ直ぐにナシトを見る。シエスはぽかんとしたまま、僕を見ている。ナシトは、振り向く気配はなかった。
「……ロージャ。お前は、俺を、信じるべきではない」
「どうして?」
「……」
ナシトは答えない。拒絶、ではないだろう。ナシトはいつだって、僕らに理由など説明しない。これがいつも通りだ。顔は見えないけれど、あの気味の悪い笑顔を浮かべているかもしれない。
話したくないなら、それでもよかった。
シエスの魔導については、できればもっとよく話し合って解決策を探りたいが、まずはシエスが魔導とどう向き合うかを見守るのが先だ。シエスが前を向いたら、魔導の取り戻し方を探ればいい。『果て』の欠片は気になるけれど、今のところはシエスが苦しむ気配もない。『果て』へは着実に近付いている。まだ、大丈夫だろう。
半種については、然程興味はない。いや、個人としては、ナシトの生い立ちについて聞いてみたいとは思っているけど、ナシトが何者だろうと、別によかった。魔物だろうとなんだろうと、ナシトは仲間だ。
どちらも、話したくないならそれでもいい。でも、信じるなというのは、無理な話だ。
「信じるさ」
短く言い切る。ナシトの背は、揺れることもなくそのままだった。
「君が何を隠していても。君がどこの誰であろうと。君は仲間だ。僕もシエスも、そう信じてる」
僕の言葉に合わせて、シエスが横でしっかりと頷いた。嬉しくなる。惑っていても、シエスはシエスのままだ。
「だから、何か僕らに手伝えるなら。いつでも言ってくれ。君はシエスを導いた。今度は僕らが、その恩を返す番だろ? 僕らなら、力になれる」
言い切る。ナシトの黒いローブが、風に揺れた。風など吹くはずのない地底なのに。ナシトの魔導だろうか。
「……強くなったな。歪みなど、踏み越えたか」
ナシトのつぶやく声。意味はよく分からない。
「いずれ話す。それまで俺を、信じるな」
それだけ言うと、ナシトは忽然と姿を消した。目の前にいたはずなのに、僕の瞬きに合わせて何処かへと気配を溶かしてしまった。魔導なのか何なのか、相変わらず、すごい早業だ。
ふと見ると、シエスは僕をまた見上げていた。眼には、僕を気遣うような色が混じっている。
大丈夫だよと返すつもりで、シエスの頭を撫でる。シエスは一つ息をついて、気配を緩めてくれた。
信じるな、か。無理な話だ。仲間を疑うなんて、僕にはできそうもない。
それからすぐに、僕らはまた歩き始めた。
代わり映えのない坑道にガエウスはすっかり飽きたようで、後ろからは愚痴めいた何かがぎゃあぎゃあと聞こえてくる。従者として僕ら以外に唯一ついてきたドワーフのカカフは、油断なくルナ=ドゥアリの背後を守っている。
「まあ、お主らがいれば百人力、儂なぞおらんでも問題なかろうが、のう。お主らにはお主らの目的があるんじゃろ? 耳長の森で、爺さまのお守りだけに縛りつける訳にもいかんじゃろて」
出発する時、カカフはそう言って豪快に笑っていた。無理を言って同行させてもらっているのはこちらなのに。ドワーフの皆には本当に、感謝しかない。
坑道はかなり狭くなってきた。僕が手を伸ばせば、天井に触れられそうなほどだ。息苦しさも増して、四方の土が迫ってきているような、押し潰されるような錯覚まで感じる。
横幅は、人二人がなんとか並んで歩けるほどしかない。僕は少し前に出て、先頭のフリエルさんの隣へ出た。一番後ろはガエウスが守っている。僕は万が一に備えて、前の警戒を担う。
「おや、ロジオン。どうしたのかね、そんなに気配を尖らせて」
フリエルさんの声だった。魔導の光を前に放ちながら、おかしげに僕の方を見ていた。
「魔物などいないさ。此処ら一帯は、我らとドワーフとの共同管理地。強力な魔導を巡らせて、虫一匹紛れ込めぬ」
「ええ。気配は何もないのですが。つい、日頃の癖で」
共同管理地。仲が悪いと聞く割に、そうした場所もあるのか。僕は、エルフのことをほとんど何も知らない。
僕らには、会合の目的は伝えられていない。ドワーフの長曰く、余計なことは知らない方がいい、とのことだった。それだけ重要かつ秘密の会合、ということだろう。両種族の長が話し合う場だ。おそらくは政治の絡む話だろう。一介の冒険者でしかない僕らが首を突っ込むべき世界ではない。そう思いつつ、少し不安は残る。
そんな秘密の会合に、余所者の人間を同行させる。何の条件も無しに、エルフがそれを認めるだろうか。何の意図もなく、僕らを森へ招き入れるだろうか?
「流石、一流の冒険者ということかな。なに、もうじき着くだろう。気を張る必要はないよ」
フリエルさんの言葉に、少し気配を緩めることで答える。けれど構えた盾は下ろさない。まあ、念には念をというやつだ。此処は狭く、戦いにくい。例えば、ケルキダ=デェダのような土を潜る魔物に奇襲されれば、対処は難しくなる。警戒しておくに越したことはない。
「なるほど。噂通り、良い戦士だ。その強さに敬意を表して、一つ、忠告させてもらおうか」
「……?」
忠告? 一体何のことだろう。フリエルさんは僕を見つめている。相変わらず、感情の読めない瞳。先程より、芝居めいた雰囲気が少し増している。
「ナシト――あの影には気を付けたまえ。彼から伸びる魔は、君ら仲間の他に、何処かへ一つ、繋がっているようだ。私にも辿れない、遠い遠い何処かへ」
フリエルさんの言葉は、よく分からなかった。ナシトが、何処かへと繋がっている。それが何を意味しているのか。
「それは一体、どういう――」
「さて、到着だ。忠告は一つ、一度きり。これ以上は、勘付かれてしまうよ」
詳しく聞こうとして、フリエルさんは大袈裟に笑って会話を打ち切った。一歩前へ出て、光を上空へ放つ。
僕らは狭い坑道を抜けて、開けた地へ出ていた。かつて潜った『大空洞』よりは狭く、けれど同じくらい不自然な空洞。その四方、地面にも壁にも天井にも、円形の何かが淡く輝いている。
「……あれは、魔導陣?」
シエスがつぶやく。陣から放たれる光は、眩さを増している。陣の大きさは途方もない。僕らの視界は、すぐに光で埋め尽くされた。
「おそらくは、そうでしょう。大きさは、規格外ですが。これほどの魔導が、こんな場所に……」
ルシャが答える。眩さに眉をしかめながら、声は驚きに満ちていた。
ガエウスが僕らの後ろで、楽しげに笑うのが聞こえた。きっとその眼は魔導陣に負けず劣らず輝いているだろう。
「なるほど、既に準備は万端と見える。流石は我らが古き長、読みが鋭い。さて、我ら森の子の秘儀が一つ、『転移』――最初に飛び込む勇者は、誰かな?」
フリエルさんはこちらを振り返って、手を広げている。話が急すぎて、僕とシエス、ルシャは三人とも立ち尽くしたままだ。おそらくは、あの魔導陣がエルフの森へ繋がっているのだと思うけれど。
エルフにしか起動できない魔導。別の空間へと繋がる『転移』。推測だけれど、エルフの森の場所を明かさずに守るには、これ以上ない手だ。
どうしたものか、とりあえずルナ=ドゥアリの意向を伺おうと思って、横を見た瞬間。
僕とルシャの間を、獣のような気配が駆け抜けた。
「ロージャっ!先行くぜっ」
案の定、ガエウスだった。退屈に耐えかねたのだろう、見たこともない規模の魔導陣へ、欠片の躊躇もなく飛び込んでいく。
「ガエウスっ! 何してるっ」
「馬鹿野郎っ、ここまで来て、飛び込まねえなんざありえねえだろ!さっさと来いよ!」
がははと笑う声を置き去りにして、ガエウスはあっという間に魔導陣の中心へ辿り着いた。瞬間、魔導陣がさらに強く、輝き始める。
「ほら、ロジオン。僕らも行こう。滅多に見れないエルフの大魔導だ。彼がひとり占めでは、勿体無いよ」
なぜかルナ=ドゥアリに急かされる。本当に安全なのか気になるものの、ドワーフの長はこの魔導に慣れているようだ。フリエルさんと彼を信じるしかないか。
「……ルシャ、シエス、行こう。ナシトも、ちゃんとついてきてっ」
走り出しながら皆を呼ぶ。シエスの手を取って抱き上げる。シエスは一瞬きょとんとして、すぐに両腕を僕の首に回してくれた。
ルシャは僕の隣を走る。その顔はどこか不満げだった。
「……シエスっ、帰りは私ですからねっ」
「……?」
何言ってるんだ、ルシャ。慌ただしい真っ只中なのに、一瞬、気が抜けかけて。
すぐに光に呑まれた。視界が歪む。シエスを片手で抱え直しながら、隣のルシャの手も掴む。触れていれば、はぐれずにいられるだろうか。
耳の奥で轟音が響く。眩しさに思わず目を閉じても、光の奔流が瞼を貫いていく。不思議と頭は痛くない。魔素酔いするような魔導ではないらしかった。
地を蹴る感覚がなくなって、天地がひっくり返る。腕の中で、シエスがぎゅうと抱きつくのを感じた。ルシャの手も、僕の手をしっかりと握って離さない。
二人の熱を感じながら、何処かへ落ちていくような、浮かび上がっていくような、不思議な感覚に身を任せて、どれくらい経っただろうか。
唐突に、光の奔流から弾き飛ばされる。景色が収束していく。下へ引っ張られる感覚と共に、腰に硬い何かがぶつかる。同時に、僕の上へ柔らかなものが降り落ちてくる。
「きゃあっ」
可愛らしい声。ルシャのものだった。ルシャが僕の上に覆い被さっている。重くはないけれど、顔にルシャの柔らかな何かが押し付けられて、息苦しい。
僕らはどうやら、何処かの地面に落ちたようだった。
「……ルシャ、おもい」
シエスも苦しげだった。ルシャと僕に挟まれて、いつになく苦々しい声を漏らしている。
「す、すみません……」
ルシャに怪我はないようで、すぐに僕らの上から降りた。シエスも立ち上がる。僕は地面に倒れたまま、まずは周囲を見回すと。
僕らは薄暗い建物の中にいた。仄かに魔導陣のものらしき光の残滓が見える。すると、ここは『転移』の先ということか。
そして僕の前には、フリエルさんとルナ=ドゥアリと、カカフ。ガエウスもナシトも無事に来ていた。良かった。ガエウスが僕らを見下ろしてにやにやと笑っているのが、少し癪だけど。
立ち上がる。改めて見回すと、僕ら以外の気配があった。僕を見つめる、複数の視線。
「……これは、驚いた」
その一人が、つぶやいた。流暢な王国語だった。何かがおかしい。視線の方を見やると、見覚えのある、純白の鎧が目に入る。あれはたしか、王立軍の。
「どうして『守り手』が、貴方が此処に?」
白い鎧に身を包んだ一団と、彼らに守られるようにして立つ、初老の文官らしき人影。
戸惑いを口にしているのは、その先頭に立つ、茶髪の青年だった。彼の顔には、どうしてだろう、ひどく見覚えがある。魔導学校で僕が指導した数少ない少年に、驚くほどよく似ている。彼はたしか、魔導の名家の生まれで――
「…………レーリク?」
僕の隣で、シエスが懐かしい名前を口にした。青年は、驚きに一段と目を見開いて。
僕はただ、王立軍が僕の目の前にいる理由を、動揺した頭で必死に考えるだけしかできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます