第123話 高き木々の子ら

「……ロージャ。貴方も貴方です。貴方がいながら、どうしてあんなことに」


 ルシャがこちらを向いた。僕をじいと見据えている。隣に座る彼女は明らかにむすりとした雰囲気をまとっていた。


「誰も巻き込まずに済んだのは、良かったですが。貴方まで、街の真ん中で鎚を振り回すなんて。夢でも見ているのかと思いました」


「……ごめん」


「この街の皆さんは私たちに好意的ですし、その、少し変わった方々だから良かったですが、これが聖都や帝都だったなら、二人ともすぐに都市軍に取り押さえられて、即刻追放されていたところですよ」


「……その通りだね。ごめん」


 僕はただ謝るしかない。僕自身、あの時はどうかしていたと思っている。ルシャの顔を見るのがなんとなく怖くて、下を向いたままでいる。

 ルシャに怒られるのは、初めてではない。でもなんだか、初めてきちんと、叱られている気がした。



 エルフとの会合に同行してもよいという、突然の知らせ。その詳細を聞くために、僕らはそのままドワーフの長、ルナ=ドゥアリの後について彼の屋敷まで来ていた。

 今は、エルフの使いを呼びに屋敷の何処かへと消えた長を待っているところだ。傍にはルシャとシエス、ガエウスがいる。先程まで、ルシャはガエウスをしばらく叱っていた。彼にはいつも通り、何一つ響いてはいない様子だったけれど。

 それと、姿は見えないけれど、おそらくナシトも来ているだろう。これまでもこういう場には必ず、影に潜んでいた。僕が叱られる様を気味悪く笑っているだろうか。


 まだルナ=ドゥアリが戻ってくる様子はない。代わりにルシャがまた口を開く気配がした。

 文句はない。僕はもっと叱られるべきだ。顔を伏せたまま、ルシャの声を待つ。


「……いえ、その、暴れたのはガエウスなので、貴方が悪い訳ではないことは、分かっているのですが」


 聞こえたのは予想外に穏やかな声だった。ガエウスを叱っている時は一貫して怒り調子だったのに。急速に落ち着いてきている。

 ちらと顔を上げる。ルシャの表情は、もうあまりむすりとはしていなかった。琥珀色の眼にはむしろ、少しの動揺が見えるほど。まさか、叱りすぎてしまったと思っているのだろうか。まだ二言三言しか言われていないのに? ……優しすぎる。

 でも、馬鹿をやったのはガエウスだけじゃない。僕も同じだ。ルシャは怒って当然なんだ。仲間として、もっときつく言ってほしい。


「……でも、手合わせを提案したのは僕だ。僕が始めたことだ。僕も、馬鹿だったよ」


「貴方が言ったのは、あくまで鍛錬の範囲で、でしょう? 本気の魔導有りの手合わせなんて、貴方が提案するはずありません」


 それは、そうだけど。

 何かがおかしい。僕がルシャに庇われている。


「ただ、ガエウスが言うことを聞かないなら、貴方は無理にでも手を止めて逃げるべきだったのです。……もし貴方までガエウスのようになってしまったら、私たちはおしまいです。そのことだけは、気を付けてください。ね?」


「ああ。もちろん、気を付けるよ」


 話の流れに困惑しつつ答えると、ルシャは安心したように微笑んだ。声はもういつもの、優しい響きに戻っていた。


「おいおい、ちょっと待てよ、ルシャ」


 それに勘付いたのか、ガエウスが横から口を挟んだ。僕にだけ甘いルシャに、文句を言うつもりなのか、口を開いて――


「ロージャが俺みてえになんなら、そりゃあもっと過激な冒険ができるってことだろうが! 何が悪いんだよっ」


 違った。そもそもガエウスが、そんなことを気にする訳もなかった。

 もうめちゃくちゃだ。


「もう十分に過激ですっ」


「そりゃお前が弱えからだろっ」


「それは……そうだとしても、ロージャが貴方ほど粗野になるのは、困りますっ」


 もはやなんだかよく分からない。ルシャはぎゃあぎゃあとうるさいガエウスを恨めしげに見やって、すぐにまた僕へ向き直った。


「と、とにかく、ロージャ、貴方は私たちの要なのですから。ガエウスに合わせて付き合いすぎないでくださいね」


「あ、ああ」


「馬鹿言え、俺が付き合ってやってンだよっ」


 ガエウスの叫びは当然のように無視しながら、ルシャは満足したように一つ笑った。それからはもう僕を叱ることもなく、いつもの様子に戻ってしまった。

 ……いいのだろうか。もちろん、反省はしているつもりだけれど。

 ふと横を、ルシャの座る方と反対を見ると、シエスがこちらを見ていた。僕というよりは、ルシャを見ている。いつもよりは少しだけ元気のない無表情。


「……ルシャ、怒るの、へた」


「えっ、そ、そんなことっ」


「……ロージャと喧嘩もしたいって、まえは言って――」


「シエスっ」


 唐突に動揺するルシャ。シエスが落ち込みから抜け出ていないのは、やっぱり少し引っかかるけれど、普段に近いやり取りに安心する。

 例のごとくあたふたとし始めたルシャを尻目に、シエスは僕の方を向いた。


「……ロージャ、楽しそうだった」


 ぼそりとしたつぶやき。先程のことだろうか。やっぱりシエスは鋭い。僕がはしゃいでいたことも、きちんと見抜いていたようだった。


「ああ。本音を言えば、少し、楽しかった。だから止められなかったんだ。僕も馬鹿だったのは、本当だよ」


 シエスだけに聞こえるように、耳元でつぶやく。

 背を追い続けるだけだったガエウスと、向き合えるのが嬉しかった。手加減はまだされていても、以前よりもずっと、気配を追えた。僕は少しずつでも、強くなっている。そう思えた。


「……ロージャは」


 シエスは僕を見つめている。声が重く沈んでいくように聞こえた。


「……?」


 シエスにしては不自然な間が空いて、僕は促すように首を傾げてしまった。分かりやすく思い詰めた眼が、僕を見ている。


「……こわく、ないの。ガエウスに、鎚を振るっても」


 小さく言ってから、すぐに目を逸らした。シエスらしくない躊躇いを感じる。

 でも僕はなんだか笑いそうになってしまった。シエスからの、躊躇いがちな問いかけ。俯くシエス。懐かしいな。

 出会った頃を思い出す。名前も知らない村で、まだ表情の硬いシエスから問われたこと。人を殺した時の気持ちを、偉そうに語ってみせたこと。あの頃は、僕もシエスも諦めて、惑っていた。だから偶然、寄り添えた。

 でも今は違う。シエスの憂いを正面から受け止めて、それでも僕は笑い飛ばせるはずだ。今の僕なら。

 そう思って、わざと顔を離した。シエスが顔を上げて、僕を追う。縋るような視線を感じる。それを片目で見ながら、笑ってみせる。


「シエスも、ガエウスにぶつけようとしたことあるじゃないか。魔導の雷」


 あからさまに茶化してみせると、シエスは僅かに眼を見開いて、驚きながら一瞬だけ固まった。


「……あれは、ガエウスのせい」


 不満そうな声。


「それでもさ。本気の魔導だっただろう」


「本気なら、かわされなかった」


 手加減していたのか。あの疾さで。

 シエスと初めて一緒に、護衛対象としてではなくパーティとしてダンジョンへ向かった日の朝に、ガエウスはシエスを茶化して、シエスは割と怒っていた。魔導を放つとは流石に思っていなくて、僕も驚いたけど。

 思い出して少し笑うと、シエスは少しだけむっとした。その変化さえ嬉しくなる。

 今度はきちんとシエスの方を向いて、続ける。


「あの時と同じだよ。怖くないさ。信じているからね。ガエウスの強さも、自分の力も」


「……」


「僕の鎚もシエスの魔導も、ガエウスなら避ける。そうだろう? 僕らはそう信じてる」


 シエスは何も答えないけれど、目は逸らさずに僕を見ていた。


「僕は少し未熟だから、この間の、シエスの魔導を受け損なっちゃったけど。次は、上手くやるさ」


 僕らしくない強気な言葉だとは分かっている。本音を言えば、シエスの本気の魔導――星すら降り落とすほどの圧倒的な力を、受け止める自信はほとんどない。

 でも、シエスが前を向くためなら。シエスのためなら、できる気がする。僕はそういう、馬鹿で単純な男だ。

 それからまた一瞬間が空いて、シエスがほんの少しだけ、何か言いたげな顔をした、その時。


「やや、待たせたね」


 部屋にルナ=ドゥアリが戻ってきていた。

 ドワーフの長を無視して会話を続ける訳にもいかない。僕はシエスの頭を一つ撫でて立ち上がり、正面へ歩いてきた長と向き合った。


「ああ、立たなくてもよいのに。頭が天井にすれすれじゃないか。うちの土壁は硬いんだ、いくら君でも、ぶつければ痛いはずだよ」


 長に促されて、また座り直す。忙しない僕を、隣でルシャが少しだけ笑っていた。

 確かに、僕はほとんど屋根に頭突きしかけるところだった。それくらい、この家は背が低い。そういえば、僕より大きいナシトはどうやってこの家に忍び込んでいるだろうか。


「すまないね。……ああ、ロジオンだけでなく君にもこの家は窮屈そうだ。そろそろ引っ越しを考えた方が良さそうだね。さあ、フリエル、狭いだろうが入ってくれ」


 ルナ=ドゥアリは部屋の入り口を見ながら、手招きをした。手の先を見ると、丁度エルフの使いらしき人影が部屋へ入ってくるところだった。

 ルルエファルネと同じように耳長の、見たこともないほど美しい金の髪の青年。僕よりも長身らしい彼は、いくらか背を曲げながら入ってきた。その所作さえ不思議と優雅に見える。


「光栄だよ、ドゥアリ。こうして君の屋敷に招かれるのが、ここ数年来の夢だったんだ」


「これはまた、お得意の嫌味かな」


「嫌味なものか。恥ずかしながら、森に籠もる我らに、君らの家の造りを知る者は少ないのでね。好奇心から、いつかお邪魔したいと思っていたのだ。本心だよ」


 儚げに見える風貌とは裏腹な低い声で、フリエルと呼ばれた青年は朗らかに笑った。僕らの方はまだ向かずにいる。


「小さく素朴な君らのことだ、背の高い家に住むはずはないと思っていた。私は正しく、君らを評していたようだ。いや、実を言えば想像を超えて背が低い家だが。つまり君らは、私の思う以上に質素で慎ましいということかな」


やかましいね。この家は私の趣味だよ。やっぱり嫌味じゃないか」


 婉曲ながら毒を含んだ言い回しに、ルナ=ドゥアリは呆れながらも嬉しげに笑っている。二人は親しい関係なのだろうか。以前のカカフの様子からは、ドワーフとエルフは険悪な仲と想像していたけれど。


「さて、紹介が遅れたね。ロジオン、こちらが森からの使い、フリエルだ。君と僕を連れて行く案内人だよ。……あれ、フリエル、君の正式な名は、なんだったかな」


「フリエルで構わない。真名は、ヒトには長すぎる。呼べない名などに価値は無いよ。狭い家の方が余程ましだ」


 フリエルと名乗る青年は、また長の家を小馬鹿にしつつ、こちらへ手を差し伸べた。その後ろで、ルナ=ドゥアリはまた呆れたように肩を竦めていた。

 改めて席から立つ。この手は、握手だろう。エルフも出会った時は手を握り合うのだろうか。それとも彼が博識で、ヒトの文化に合わせているだけか。


「ご丁寧に、ありがとうございます。私はロジオンといいます。冒険者です」


 森から離れても掟に従っていたルルエファルネを思い出し、恐らくは後者だろうと思いつつ手を握り返すと、フリエルさんは涼しげに笑った。


「……ドワーフの長にヒトの子の従者とは、我らの長がなんと言うか見物だな。なに、私にも考えがある。無事に森へ到れるよう、手は尽くそう」


 状況はまだよく分かっていないものの、彼が今回、僕らをエルフの森へ行くことを認めてくれた人なのだろう。人となりは掴めなくとも、機会を与えてくれたことにまず感謝しなくては。


「この度は、お世話になります。宜しくお願いします」


 そう思い、謝意を声に込めつつ眼を見る。

 見上げたフリエルさんの眼は、よく分からない色をしていた。物理的な色も、込められた感情も、判別しがたい。

 僕は僅かに動揺してしまった。何を考えているのか、眼からは全く分からない。そんな相手に会うのは、最近では久しぶりな気がする。

 悪い人ではなさそうだけれど、少しだけ、違和感を覚えてしまう。これは、なんだろう。


「それじゃあ、私から今後について説明をしておこう。実はもう出立まであまり時間がないからね」


 目を離すとほぼ同時に、ルナ=ドゥアリの軽口めいた声が聞こえて、違和感はすぐに消えた。

 同時に、あまりに簡素な自己紹介しかしていないことを思い出した。流石に失礼だろう。慌てて口を開く。


「あの、少し待ってください、ルナ=ドゥアリ。まずは、仲間の紹介を――」


「いや、心配はいらない。もう存じているよ」


 僕の声を遮ったのは、目の前のフリエルさんだった。僕らを、知っている?


「シェストリアに、ルシャ=シェムシャハル。『守り手』の二姫、氷と光。ロートリウス卿……は言わずもがな、か。彼を知らぬ帝国の民などいないよ。エルフとて例外ではない」


 フリエルさんは静かに語りながら、皆の名を口にする度にその方へ優雅な会釈を見せた。

 シエスとルシャは少しぎこちなく立ち上がって、それに礼を返す。ガエウスは、つまらなさそうに欠伸をするだけだった。


「率いるのは、ロジオン。『守り手』の盾。君らは、王国に名を馳せる気鋭の一団。耳だけは立派な我らだ、その勇名、知らぬ訳がないさ」


 どこか芝居めいた言い回しで、僕らを語るフリエルさん。嘲るような雰囲気はない。けれど、彼の表現のせいだろうか、吟遊詩人の詩のような仰々しさささえ感じてしまうほどで、語られているのが自分たちだということさえ忘れてしまいそうになる。

 なんと返せばよいのか、反応に困る。


「驚いたな。フリエル、知っていたのか。それならそうと先に言っておいてくれれば、もっと早く準備を進められたのに」


 ルナ=ドゥアリも知らなかったようだ。


「それでは、こうして驚く皆の様を見れなかっただろう。長く生きていると、こうした興が、殊の外大事になるのでね。……という訳だ、互いを良く知るのは道中でも良いだろう。今は、ドゥアリの語るのを聞くとしよう」


 フリエルさんはまた朗らかに、立ち上がった僕らを椅子へと促して。

 ぴたりと動きを止めた。そして少しだけ、これまでとは違う声で、笑った。


「ああ、失礼した。私としたことが、うたうのを一人、忘れていたか。それにしても、存外に素行が悪いのだな。隠れて覗き見るとは、趣味が悪い」


 声は部屋の一点へ向けられている。部屋の片隅。そこに気配はほとんど感じられない。けれど。


「――ナシト。『守り手』の影。その濁り、なるほど、半種だったか」


 ガエウスすら読み違えるナシトの存在を、フリエルさんは確りと捉えているようだった。そして、魔との半種という事実さえ。

 彼は僕らのことを、どこまで知っているのだろう。


「出てくるといい。話をするのは対面でなくては」


 ナシトは姿を現さない。

 代わりに、風が緩く吹いた気がした。部屋の窓は一つも開いていない。

 フリエルさんの笑みに変化はない。ナシトのそれのように気味が悪い訳でもない。けれどどこか、濁っているような気がした。


「なに、我ら高き木々の子も、根は半種のようなものだ。蔑みはしないさ。少なくとも、私は、ね」

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