第118話 見えない
それから、一夜が明けて。
僕はカフ=カカフと並んで、長の屋敷を訪れていた。他の皆はカフ=カカフの用意してくれた仮の宿でまだ休んでいる。
僕らが『赤坑道』から地底都市アルマーゼへ戻った頃には、もう深夜だった。僕は宿で少しだけ眠ってから此処へ来た。
シエスは、今はルシャについてもらっている。帰り道もシエスはいつもの無表情ではなく、明らかに落ち込んだまま下を向いていた。夜更けのアルマーゼは、頭上の大穴、遠い空に満天の星が見えて綺麗だったけれど、シエスは少しも気付いていないようだった。見たいと、言っていたはずなのに。励ます方法を考えないと。
「……事の顛末は、だいたいそんなところじゃな。ロジオンはわしらを救った。わしの見立て通り、正しく勇士じゃったわい」
「なるほど。ありがとう、カカフ。帝国軍が来ていたということは、帝都のギルドはまた帝国に屈したみたいだね。全く」
僕らの目の前には、ドワーフの長であるルナ=ドゥアリが立っている。カフ=カカフから『赤坑道』で起きた一連の出来事を聞いた後も、その表情は凪いだように穏やかだった。
「ロジオンくん。まずは礼を言わせてほしい。『外れ種』を討伐し、母なるアルマを救った勇士に感謝を」
「いえ。役に立てたのならなによりです。それにこちらも、おかげで無事に仲間と合流できました」
「それは良かった。けれど、仲間の子が大変だったそうじゃないか。その子は、今はもう大丈夫なのかな?」
ルナ=ドゥアリの眼を見る。そこには探るような色なんて無かった。純粋にこちらを心配してくれている。
カフ=カカフも、共に過ごした時間は僅かでも、豪快で気の良い人だ。彼らが余所者であるはずの僕らへ向けるものは、どうしてか温かい。こんなに外と隔絶した地に住んでいるのが不思議に思えるくらい、彼らは僕らに優しい。優しすぎると言ってもいいほどだった。
「ええ。魔導を暴走させてしまって、今も落ち込んではいますが。怪我はありません。……ありがとうございます」
「どうして礼を言うのかな。我らは何もしていないよ」
「え、いや。……普通の依頼主は、冒険者がどうなろうと気にかけることなどありませんから。善意には、感謝を。いつもそうありたいと思っていますので」
「なるほどね。薄々勘付いてはいたけれど。君は、僕らに良く似ている」
「……?」
「いや、こちらの話だよ。気にしないでいい」
ルナ=ドゥアリは朗らかに笑っていた。似ている、という彼の言をうまく理解できずに戸惑っている僕に、カフ=カカフまでが声をあげて笑った。
「『同じものを返せ』、じゃよ。大昔からわしらが大事にしとる、先祖の教えじゃ。わしらは必ず恩に報いる。人にも大地にも、貰ったもんはきちんと返すんじゃい」
「まあ、そういうことだ。我らにとっては中々に大切なものでね。そして、君はこの街を救った訳だ。私はそれに報いるつもりだよ」
報いる、とは。僕は討伐に向かう前、ルナ=ドゥアリときちんと依頼の報酬について合意をしていない。そもそも、僕にとっては仲間と合流できただけでも、依頼を受けた意味は十分あった。
「エルフの森について。本音を言うと相当に難しいのだけれど、何とかしてみよう。少し時間を貰えるかな。君たちが其処へ辿り着けるように、手を回してみるよ」
「……それは」
「驚くことでもないだろう? 君が提案したことだ。君はそれに見合うだけのものを示してくれた。返さなければ、先祖に面目が立たないさ」
エルフの森への行き方を教えてくれる。願ってもない話だった。なにせ僕らには何も手がかりが無かったのだから。思わぬところで道が開けた。
けれど僕は、嬉しいはずなのに、戸惑いの方が大きかった。
「ありがとう、ございます」
「まあ、耳長と会っても何にもならんと思うがのう。奴らはわしら以上の引きこもりじゃぞ。三度の飯より秘密が大好きの、陰気な奴らよ」
「こら、カカフ。彼らを嫌うのは止めるんだと言ったはずだよ」
「爺さまよ、そればっかりは頷けんのう。奴らはわしらを馬鹿にしとる。ならわしも先祖の言いつけ通り、同じものを返すだけじゃい」
むすりとするカフ=カカフと呆れるように肩をすくめるルナ=ドゥアリ。僕は何か言うべきなのに、何と返せばいいのか分からずにいる。
依頼を受けて、その礼に報酬を貰う。それだけだ。いつも通りのやり取りと然程変わらないはずなのに。でも今回は、何か違う気がした。
依頼を達成したこと。それ自体に加えて、僕の中の何かに、礼を言われている気がした。
「なんにせよ、今しばらくは休んでおくといい。我らは君たち勇士の滞在を歓迎するよ。アルマーゼの素晴らしさ、余すところなく見て行ってほしい」
「そりゃあいい。ちょうど星流れの時期じゃったろ。あれを見んとアルマーゼは語れんわい。おお、そうじゃ、ロジオンお主、『赤坑道』で鎚を失くしておったの。後で街一番の鍛冶屋に連れてってやるわ。わしの弟に、とびっきりの鎚を打たせちゃる」
「それは名案だ。宜しく頼むよ、カカフ。他にも必要なものがあれば、全て揃えてやるといい」
「おうよ、任された!」
戸惑う僕をよそに、二人は話を進めていた。僕が間抜けな顔をしていたのだろうか、ルナ=ドゥアリは一瞬可笑しそうに表情を崩して、けれどすぐに真っ直ぐ僕を見つめた。
「……難しく考えなくていいのさ。君は強い。どんな相手にもまず善意を向けるなんて、皆に出来ることじゃない。我らはそれに、返したいだけだよ。同じものを」
善意。そんなことはない。僕はこのドワーフの長と出会った時、警戒していたはずだ。彼から思いやりを感じた後でさえ、信じてもよいのか迷っていた。
そんな僕に、ルナ=ドゥアリがまた笑う。
「さあ。今日はここまでだ。二人とも、報告ありがとう。後は私に任せておいてほしい。落ち込んでいる子もいるんだろう? 君を待っているんじゃないかな」
確かに、ルナ=ドゥアリの言う通りだった。今は僕自身のことなんて考えている場合じゃない。消沈しているシエスのこと。半魔であると打ち明けて、なのにそれ以上のことを何も語ってくれないナシトのこと。彼らと良く話す方がずっと大切だ。
「ありがとうございます。エルフの森の件、どうかよろしくお願いします」
ルナ=ドゥアリへ一礼する。長は頷いて、ひらひらと手を振っていた。
そうして、カフ=カカフと共に長の部屋を出た、別れ際。こちらを見つめる、長と目が合った。小さなつぶやきが聞こえる。
「悩めよ、若者。そのうちに誇れるさ。救ったものも、何もかも、さ」
きっと僕に向けた言葉だろう。僕は誇れるのだろうか。自分の生き方を、彼らのように臆面もなく。
仲間を守ると決めていても、それが僕だと信じていても、それでも僕は迷ってばかりだ。ガエウスのようにはなれやしない。僕は弱い。そんな自分でも、誇ってもいいのだろうか。分からない。自分を信じるには、自分の生き方を誇るには、どうすればいいのだろう。
屋敷を出ても、ルナ=ドゥアリの言葉は僕の中に深く残って、消えなかった。
カフ=カカフとも別れて、一人で宿に戻る。仲間たちの気配を感じて、一旦自分のことを考えるのを止めた。僕の弱さなんて後回しだ。
宿は地底都市の一角に立つ大きめの一軒家をまるごと借りている。中心部、天に開いた大穴の真下にもほど近い。しばらくは此処に滞在することになるだろう。
宿に着いて、扉を開くと。
「ああ、ロージャ。おかえりなさい」
丁度近くにいたらしいルシャが歩み寄ってきた。服の袖を肘までまくっていて、手元は濡れているようだった。部屋の中には何か、甘くて柔らかい香りが漂っていた。知っている香りだ。
「ただいま。……これは、リヌイ、かな?」
「ええ。先程、ドワーフの方々が訪ねてきて、何も言わず食材だけ置いて行ってしまったので。とりあえず、朝食を作ろうと思いまして」
たしか、先程の帰り道、カフ=カカフが言っていたな。食べるものは心配するなとかなんとか。見ると、かまどらしきものの傍にこんもりと積まれた食材の山が見えた。
「ドワーフの街は初めてですけれど。何というか、可愛らしい方々ですね。先程の方々は王国語も帝国語も分からないようでした。だから無口で。小さくて、ちょこちょこと動いて、何だかシエスが沢山いるみたいでした」
「それは、シエスが聞いたらむくれそうだなあ」
「ふふっ。ですね」
ルシャはいたずらっぽく笑って、かまどの前に戻った。
「少し待っていてくださいね。もうできますから」
そう言うと同時に、卵と小麦の甘い匂いがまた立ち上る。
リヌイ。王国で広く食べられている焼き物。僕の好物でもある。魔導都市で二人一緒に食べて以来、ルシャはすっかりこの料理を気に入ったらしかった。冒険に出ていない時、シエスと二人で生地を焼いて、果物を巻いて楽しげに頬張るルシャの姿を良く見かけた。
だからだろうか。一人で円い生地と向き合う彼女は、暗くはないけれど、今を楽しんではいない。いつもよりほんの少しだけ寂しげに見えた気がした。
僕は立ったまま、ルシャに尋ねた。
「他の皆は?」
「ガエウスは、酒場でしょうね。ナシトは分かりません。この家の何処かにはいると思うのですが。……シエスは、上で寝ています。夜、泣いていたみたいです」
甘い匂いが少し遠のく。
「独りにして、と言われてしまいました。私では、駄目みたいです。……力になれないことなんて、使徒だった頃からよくあることだったのに。こんなに辛いのは、初めてです」
そう言って、ルシャは笑ってみせた。やっぱり、寂しげだった。そうしてまた俯いて、手元で音を立てるリヌイをじっと見つめている。
僕は思わず、彼女へ近寄っていた。手を伸ばして、横顔に触れる。涙の跡は無くても、頬は冷たかった。
「大丈夫、だよ。シエスは強い子だから」
深く傷付いているだろうシエスとどう向き合えば彼女を励ませるのか、僕にはまだ分からない。でもルシャの俯いた姿を見ていると、どうしてだろう、僕が支えるんだと、そう思えた。シエスもルシャも、僕が支える。それは、僕にしか出来ないことだ。
「ええ。信じていますよ。シエスも、貴方も。だから私も、大丈夫です」
ルシャは料理の手を止めずに、目だけで僕を見て、微笑んでみせた。指で頬を撫でると、目元をまた一つ綻ばせてくれた。それだけで僕も嬉しくなる。ルシャの気持ちを軽くできたなら、嬉しい。
ただ、いつもと違ってシエスが此処にいないことだけが、寂しかった。そしてこの気持ちはきっと、ルシャも同じだ。
「さあ、シエスを起こしてきてください。リヌイを食べればきっと元気も出るはずです。シエスはああ見えて意外に食いしん坊で、単純ですから」
「ああ。行ってくるよ」
ルシャから手を離す。離しながら、落ち着いてみると。なんだか子どもを起こしに行く夫婦みたいなやり取りだったなと、不意に思ってしまった。急に気恥ずかしくなって、顔中が熱くなる。階段へ向かう歩みが少し早足になってしまうのを止められなかった。
「……ふふっ」
背から聞こえてきたルシャの嬉しそうな息遣いに、彼女の憂いはひとまず拭えた気がして、ほっとしたけれど。恥ずかしくて、振り返ることは出来なかった。
階段を上ると、すぐにシエスの眠る部屋が見つかった。扉は半ば開いていた。音を立てないように近付いて、中を覗く。毛布に包まっているのだろう。寝台の上に、毛布からこぼれた銀の髪が僅かだけ見えた。
そしてその寝台の傍らに、異様に背の高い黒い影が立っていた。シエスを上から、じいと見下ろすように直立している、影。僕には、見慣れた黒に見えた。
「……ナシト?」
声をかけた瞬間、締め切っているはずの部屋の中で、緩い風が吹いた。その一瞬に、黒い影は消えていた。部屋にはシエスの寝息だけが聞こえる。
間違い無い。あれはナシトだった。シエスの傍にいてくれたのだろうか。なら消える必要なんて無かったのに。
ナシト。魔物とヒトの子だという、僕らの仲間。別に半魔に対して思うところは無い。それにナシトはナシトだ。僕はもう、彼がどういう男なのか知っているつもりだった。信じるに値する、僕の仲間だ。僕にはそれだけで十分。
「……んぅ」
シエスの微睡む声。丁度起きかけのようだ。部屋に入って、声をかける。目元は泣き腫らして、真っ赤だった。
「シエス、おはよう。朝だよ」
努めて明るい声を出す。シエスは緩く目を開けて、僕を見上げた。
「ロージャ? ……っ」
「ああ。僕だよ。下でルシャが待ってる。朝食に――」
「…………みえない」
「え?」
シエスは朝に強くない。寝惚けた目を擦りながら朝食を食べていることもよくあるくらいだ。なのに、今は。無造作に毛布を跳ね除けて、寝台の上でもう身を起こしていた。その眼は部屋の上あたりを見ている。首を振って、部屋中を見回している。
「見えない。……星が、見えない」
星。すぐに気付く。久しぶりに聞く言葉だった。夜空の星ではない。僕と出会った頃のシエスが唯一信じていたもの。シエスにしか見えない星。
「魔素が、ない。見えない。……どうして、こんなに、暗いの」
シエスの肩が震え始めた。いつもの無表情は何処にも無い。シエスは、出会った頃に似た感情の抜け落ちた顔で、真っ白な顔色で。眼には大粒の涙が溢れて、頬へと零れ始めていた。
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