第112話 善意
地底なのに、日の光が差している。僕らが辿り着いたドワーフの街アルマーゼは不思議な形をしていて、僕とシエスはそれをぽかんと眺めてしまっていた。
「お主ら。いつまで間抜けな面しとるんじゃい」
カフ=カカフの声。流石に呆れたような響きだった。
「すみません。でも見たことのない光景で。あの光は……地上をくり抜いたんですか? ここはかなり、地下深くなはずなのに」
「先祖が大地を吹き飛ばして、大穴を開けたと聞いとる。我らがアルマは、四方を山に囲まれた小さな盆地の下にあってな。穴を開けといても誰も入って来れないと考えたんじゃろ」
簡単に言うけれど、僕らの頭上に開いた大穴はこれまでに見たことがないほどの大きさで、その縁は近くのもの以外、霞んで良く見えないほどだ。ひたすらに現実味がない。
道中の話からすれば、地下には僕らの通ってきた道以外にも無数の地下道があるようで、僕らの足元にこれだけ広大な世界が広がっているなんて、僕は想像もしていなかった。そのことにただ、圧倒されてしまっている。
この景色について、まだいくつか聞きたいことがある。けれどカフ=カカフは、ほれ、行くぞ、と言ってまたずんずんと歩き出してしまった。僕らは思ったより長いこと頭上を見上げてしまっていたようだった。
「シエス。行こうか」
ドワーフの長のところまで案内をしてくれるという彼から離れる訳にはいかない。呼びかけると、シエスは見上げるのを止めて、僕の横へ一歩寄って僕の手を取った。
「……夜、また見たい」
「ああ。時間が許せば、ね。きっと星が綺麗だよ」
僕の言葉に、シエスは普段より勢い良く、こくりと頷いた。
水晶の海も地下から見る空も、シエスは特に気に入ったようで、無表情もいつもより僅かに楽しげに見えた。仲間との合流が最優先ではあるけれど、差し迫る危険がないのなら、シエスの見たい景色は何だって見せてあげたい。……ルシャが拗ねてしまうかな。やっぱり、皆で一緒に見るのが一番だな。
思考が緩みかけて、カフ=カカフの背中がすっかり小さくなっていることに気付いて、慌てて歩き出した。
まずは、長と話してみよう。仲間との合流、この地底都市を襲った魔物、そしてできれば、エルフの森の手がかり。お願いしたいこと、聞いてみたいことは沢山ある。ドワーフの長が僕らへ友好的であることを願おう。そうでなければ、後は交渉あるのみ。
僕らが依頼を受けた冒険者ではないと気付いても、カフ=カカフが長のところまで僕らを案内するのには、勿論ほとんどが善意によるものなのだろうけど、恐らくは何か別の意図もある。彼らが僕らの存在に何か価値を感じているならば、交渉の余地もあるだろう。
地下に落ちてからは予期せぬ展開の連続で、不安は晴れない。でもシエスを守れるのは今、自分だけだ。そのことを、もうあまり重圧だとは思わなかった。
ドワーフの長が住むという屋敷は、想像よりずっと質素だった。地底都市中に立ち並んでいた普通の家屋とほとんど見分けがつかない大きさで、カフ=カカフに言われなければ、通り過ぎてしまうところだった。
通された部屋も華美ではなく、使用人らしき人影もほとんど見当たらない。ただ住人の背丈に合わせてか天井が低く、変に動くと僕の頭が天井を擦ってしまいそうで少し怖かった。
慎重に身じろぎしながら待っていると、カフ=カカフと並んで小柄な老人が部屋へ入ってきた。恐らくは彼が長なのだろう。僕がすぐに膝を折って、頭を下げると。
「これはまた。大きいねえ。私の家では窮屈すぎたかな?」
長の発した流暢な王国語と、穏やかな口調に思わず顔を上げてしまった。ドワーフはみんな、カフ=カカフのように豪快な感じと思っていた。良く見ると、口元には良く切り揃えられた髭が見えるけれど、カフ=カカフのものほど鬱蒼とはしていない。優しくて品の良い雰囲気だ。
「よく来たね、ご客人。話はカカフから簡単に聞いたよ。大仰な挨拶は要らない。私はドゥアリ。ルナ=ドゥアリだ」
長が笑って、僕に向けて手を差し出した。向き合ってみると、その眼も面白いものを見るように穏やかに笑っていた。こちらの驚きと、変な思い込みを見透かされてしまっただろうか。努めて平静を装いながら、僕も手を伸ばして長の、ルナ=ドゥアリの手を握り返す。
「魔物の対処でお忙しいところ、申し訳ありません。我々二人は地上を旅していた冒険者で、ロジオンと、シェストリアと言います」
僕の紹介に合わせて、シエスが僕の隣で会釈をした。かつてよりずっと、自然な仕草。
「こちらこそ、私たちのゴタゴタに巻き込んでしまって、すまないね」
「いえ。慣れない地底で迷っていたところを、カフ=カカフに助けて頂きました。アルマーゼまで案内までして頂いて、なんとお礼をすればよいものか」
「なに。カカフは昔から世話焼きだからね。これいくらいで礼は要らないだろう。君たちが落ちてきたのも我々の不手際が原因なのだし、本当なら仲間と合流するところまで手伝わせたいところなのだけれど。知っての通り、今はあまり余裕が無い」
先手を打たれてしまっただろうか。無条件で仲間との合流を支援してくれる雰囲気ではなさそうだ。
ただ、この人からはあまり、交渉という雰囲気は感じない。長の表情は変わらず穏やかで、でも口調には少しばかり、苦笑するような、疲れたような響きがあった。言葉通り、僕らを利用するというより、助けてやりたいがどうしようもない、といった雰囲気。良い人なのか、それとも交渉上手なのか。
「なにせ街自体が襲われかねない状況だからね。あの魔物は土を潜って魔導の護りも食い破るから、何処にでも現れる。我々は能天気だから、街の空気はいつも通りだけれど、ね」
「……私が口を出す話でもないのかもしれませんが。ギルドに依頼を出したと聞きました。冒険者の当てはあるのですか」
「芳しくはないね。まあ、ギルドなどそんなものさ。あそこはいつも、我らとのことになると帝国にお伺いを立てないと動き出せない。待っていても、質の良い冒険者が来るかは分からない。所詮、ただの依頼に過ぎないからね」
ドワーフたちと帝国との関係を、僕はほとんど良く知らない。ルナ=ドゥアリの皮肉っぽい口調と、かつてマナイさんが言っていた帝国の他民族への扱いを鑑みるに、良好な関係とは思えないものの。
「ギルドが動かないならば、帝国軍に支援を頼ることは、できないのですか」
無知と捉えられるのを承知で、尋ねてみる。
「それも考えた。けれど、我らは帝国に属している訳ではないからね。我らの土地がこんな不便な山奥だから、帝国も放っておいているのさ。特段仲が良い訳でもない国の軍を頼るというのは、少し気が引けてしまってね」
不便な山奥というのは、本当だろう。けれどカフ=カカフと話していた限りでは、彼らには豊富な鉱石と加工の技術がある。そんなドワーフたちを、強欲な帝国が放置しておくとも思えない。僕の理解の及ばない何か――ドワーフにしか扱えない加工技術や、巧みな商売などで、自治を守っているように思える。
ルナ=ドゥアリは変わらずにこちらを見ている。口調は少しばかり投げやりでも、眼は楽しげなままだ。僕が何を言うのか、待っているような。経験だけ見ても、情報量の差からしても、どう考えても彼の方が有利な状況。でも嫌な気はしない。
どうすれば仲間と合流するのを助けてもらえるか。どうすれば、より多くの情報を引き出せるか。自分なりの提案を、口にする。
「一つ、提案があります。僕らの――」
「ええい、まどろっこしい! 爺さまよ、何をだらだらと、やっとるんじゃい!」
僕の言葉を遮ったのは、カフ=カカフだった。
「おやおや。ここからが面白いところだったのに」
「ぬぁにが面白いじゃ! そんな余裕が無いと言ったのはお主じゃろがい! そういう腹の読み合いは、あの耳長とだけやっておけばええんじゃい!」
カフ=カカフらしい怒号に僕も苦笑しかけて。エルフを連想する言葉が彼の口から出たことに気付くのが一瞬遅れた。
耳長。間違いなくエルフのことだろう。彼らには、エルフとの繋がりがあるのだろうか。
「君の言う通りだけどね、カカフ。そこのお兄さんが、何か交渉したそうだったから。客人の願いにはとことん付き合うのが、我らの流儀だろう?」
「ぬぁんじゃと! おい、ロジオン! 言いたいことがあるならはっきり言えい! 何をビビっとる!」
ビビっている訳ではないと思うけれども。でも、確かに、善意で僕らと接してくれているらしい彼らとのやり取りを、交渉と考えるのは彼らに失礼なのかもしれない。けれどその善意を信じるには、僕には何も――
「だいたいお主は、とんでもなく強いじゃろう⁉ 何をそんなに怯えとるんじゃ! 下手に出る意味が、分からんわ!」
カフ=カカフの言葉に、一瞬言葉を失う。僕が、強い? 強いのに、怯えている?
「おや。君は、出会ったばかりの客人をえらく信じているんだね」
「眼を見れば分かるわい。視線はぶれんし芯がある! わしらの動きから一瞬も眼を逸らさん! まさしく戦士の眼、
カフ=カカフが、なぜか僕を賞賛している。そのことにどうしようもなく戸惑ってしまう。どうして、彼は出会って半日も経たない僕の強さを、こうまで信じているのだろう。
「なるほどね。でも、カカフ。ヒトは慎重な生き物だよ。根拠のない自信は我々の美徳さ。それを押し付けるのは、感心しないな」
「だから、そういう問答をしとる場合じゃなかろうと――」
「まあ、それもその通りだ。なら単刀直入にいこう。僕らは、カカフの信じる君たちを、ケルキダ=デェダの討伐に雇いたい。もうギルドを待っている時間はないんだ」
ルナ=ドゥアリの言葉は、急に強くなっていた。
「条件は、君らに任せよう。報酬なら言い値で良い。その代わり、今ここで決めてくれ。受けるか、否か」
有無を言わせぬ語気で言い放って、長はにかりと笑った。似ても似つかないと思っていたけれど、彼もカフ=カカフと同じ、剛毅の人なのだろう。
「受けなくても、心配しなくていい。その時は仲間のところまで送り届けるよ。余裕は無いけれど、我々には魔物の襲撃より不義理をなすことの方が怖いからね」
「……どうして、僕らを?」
「信用するのか、という意味かな? 私はカカフを信じている。彼は優れた戦士だ。そのカカフが、君の強さを信じている。それ以上の理由なんて、要らないさ」
分からない。彼らは、疑いようもなく自らを、自らの判断を信じている。彼らなりの自信をもって、まだその眼で見たこともないはずの僕の力を、強さを信じている。
僕はそんな彼らの、心の強さが羨ましかった。彼らから感じた善意を信じきれずに、交渉に持ち込んで利を見せて、安全を取ろうとした自分が恥ずかしかった。彼らは交渉など求めていないという、僕の判断を、僕は疑った。
僕のやり方は間違いではない。僕は最善と信じたことを為している。でもきっと、思い切りが足りない。何が最善か、いつも迷っている。彼らの言葉でこうも簡単に揺れているのが何よりの証拠だ。
これが、自信か。僕に足りないもの。彼らほど気持ち良く、自分のあり方を信じられたら。
どう答えるべきか。また迷いかけて。
隣で動く気配がして、見るとシエスが僕を見上げていた。シエスは僕の手を引いて、普段通りの眼差し。何も言わないけれど、言いたいことはなんとなく伝わってくる。
シエスは誰よりも僕を信じている。僕がどんな選択をしても、僕についてきてくれる。そのことはもう心から信じている。
だから僕は、仲間のために。僕の判断で危機に陥るなら、その時は僕が、何もかも守ってみせる。それが僕の生き方だろう。
迷うな。信じろよ、ロジオン。そう念じて、口を開く。
「報酬は要りません。ただ、二つ条件があります」
「聞かせてもらえるかな」
「ケルキダ=デェダの討伐には、仲間が必要です。彼らとの合流を最優先に。合流でき次第、すぐに討伐に向かいます」
これは必須だ。僕は何よりも、仲間たちを信じている。彼らがいなければ、僕の力なんて大した意味もない。
「なるほど。道理だね。それは約束しよう。それで、もう一つは?」
「討伐の後で、エルフのことを教えてください。貴方の知る限りを」
「……それは、なぜかな」
理由を言うべきか。逡巡しかけて。彼らの善意を信じてみたくなった。
「僕らは『果て』を目指しています。絶対に辿り着く。『果て』への門は、エルフが知ると聞きました。だから僕らは、エルフの森へ行きたい」
「……」
初めて、僕の言葉にルナ=ドゥアリが黙った。やはり、彼はエルフについて何か知っているようだった。だからこそ、ここは譲れない。僕が言葉を重ねようとした時。
見知らぬ気配が、部屋に近付いてきていた。
そのことに僕が気付くのと同時に、一人のドワーフが勢い良く扉を開けて、なだれ込んだ。聞いたこともない言葉、恐らくはドワーフの言葉で、何かを喚き立てている。
彼の叫びに、カフ=カカフの纏う空気が変わった。
「迷ってる暇はなさそうじゃぞ、爺さま。『赤坑道』に、ケルキダ=デェダが現れおった」
カフ=カカフの真剣な声にも、長は動かない。けれど次の言葉に動揺したのは、僕だった。
「……人間のパーティも一緒らしい。数は、三人」
そのパーティが皆だとは限らない。でも僕の頭の中には、ルシャの戦う姿と、ガエウスの獰猛な笑みが浮かんでしまって、駄目だった。
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