第111話 地下道
初めて見るドワーフと、正面で向き合う。周囲を埋め尽くす一面の青水晶といい、一日前の景色とあまりに違う目の前の光景に、僕は一瞬、自分がどこにいるのか良く分からなくなった。
このドワーフはどうやら戦士のようだった。重々しい鎧を身に纏って、兜の下は髪なのか眉毛なのか
初対面の人をあまりじろじろと観察するのも悪い。僕の腰にしがみついて離れないシエスはひとまずそのままにして、僕は目の前のドワーフに挨拶をすることにした。
「ええと、王国語でも良いですか? 僕らは冒険者で、名前は――」
「冒険者じゃて⁉ もしやお主ら、ケルキダ=デェダの討伐に来おったんか?」
「ケルキダ?」
「なんじゃ、最近のぎるどは優秀じゃのう! なら、こっちじゃい! 案内しちゃる!」
壮年に見えるドワーフはそう言うと、くるりと跳ぶように振り返って、ずんずんと歩き始めてしまった。僕らの事情どころか、まだ名前さえ伝えられていない。
ぽかんとしているうちに、小さな彼はあっという間に先へ進んでいた。青水晶を足場にして、飛び跳ねるように歩いている。
「
前へ跳びながら振り向いて、僕らへ叫ぶドワーフの声はやたらと陽気だった。僕らへの警戒もすっかり薄れている。突如現れた僕らに、信用できる要素なんて何もないはずなのに。
ついていくべきだろうか。あの雰囲気だと、罠であるようには思えないけれど、仲間とはぐれている以上いつもより慎重になるべきなのは間違いない。そう思っていたものの。
「……行かないの?」
シエスはいつの間にか僕の横に戻って、こちらを見上げていた。シエスの眼は、前を行くドワーフというよりは目の前の青水晶の海を見つめている。いつもより少しだけ、眼が輝いているようにも見えた。たしかに、あの中からの景色も、きっと絶景だろう。
「まあ、悪い人じゃなさそうだ。行ってみようか」
「ん」
僕はシエスの期待するような眼に負けて、考えるのをやめた。なるようになるさ。ルシャたちは僕らを探してくれている。ガエウスもいるのだし、早晩合流できるだろう。それまでシエス一人を守るくらい、難しいことじゃない。それくらいは、できるさ。
そう頭を切り替えて、踏み出しかけて、ふと思う。もしかすると、こういう楽観を自信と言うのかな。なら僕にも、自信は芽生えているということなのかな。
くいと手を引かれて、我に返る。すぐに前へ歩き出した。我慢しきれなくなったのか、シエスが僕よりも半歩前に出たかと思うと、僕から手を離して、浮き上がった。そのまま広がる水晶の海へ飛び込んで、突き出した青水晶の間をゆっくりと飛び始めた。
僕から離れすぎない距離を飛ぶその姿は、いつになく素直に楽しそうで、僕も嬉しくなる。浮かぶシエスは、銀の髪もお気に入りの白いローブも青く照らされていて、この景色に劣らず綺麗だった。
僕は水晶を踏み割ってしまわないように、大きめのものを選んで進みながら、すっかり小さくなったドワーフの背を追った。勿論、時々シエスを見上げては手を振った。僕もあんな風に飛べたら、もっとこの景色を楽しめるのかもしれないけれど、楽しそうなシエスを眺めているだけでも僕には十分すぎるほど幸せな時間だから、文句は無い。
僕が水晶の海を抜ける頃に、シエスは僕の隣に戻ってきた。ふわりと降り立って、すぐに僕の手を取る。
「ロージャ、真っ青」
声は珍しく上気していた。
「シエスもだよ」
笑って返す。シエスは自分を見下ろすと、ローブをぺたぺたと触って、その青色を確かめ始めた。そんなことをしても色は変わらないと思うけど、まあ、楽しそうだからいいか。
ふと前を見ると、僕らの前を行っていたドワーフが立ち止まっていた。僕らを待っていてくれたようだった。
「思ったんじゃが、お主ら本当に冒険者か? いや、立ち居振る舞いからして確かに強いんじゃろうが。お嬢ちゃんなぞ、びょんびょん飛び回っとったし。ただ、二人だけというのが、ちとな」
彼もようやく、僕らの奇妙さに気付いてくれたみたいだ。
「説明しますよ。僕らは、突然地下に落ちて、ここに迷い込んでしまったんです」
落ちて、と言った瞬間に訝しげに光ったドワーフの眼を見返しながら、僕は事情の説明を始めた。
シエスはその間も、ちらちらと振り返っては後ろの青水晶の光を眩しげに見つめていた。
「……だいたいは、分かったぞ。お主らも、ケルキダ=デェダの被害者じゃったという訳かい」
地下道を並んで歩きながら、壮年のドワーフ――カフ=カカフがつぶやいた。
先程初めて知ったのだけれど、ドワーフを呼ぶ時に、さんとか様とか、敬称は要らないそうだ。なんでも初めの『カフ』の部分が敬称の意味も兼ねるらしい。名前であり敬称でもあり、というのは王国や帝国にはない独特な文化で、興味深い。
「早とちりして悪かったのう。まあ、いずれにせよ迷子なら、遅かれ早かれ我らが『アルマーゼ』に辿り着いていたじゃろて。全ての洞穴は母なるアルマへ通じると言うしの。わしゃ一度言ったことは引っ込めん。いずれにせよ連れて行ってやるわい」
カフ=カカフの話には、良く分からない名前が良く出てくる。王国語に無い響きの語なので、恐らくはドワーフの人々の言葉なのだと思うけど。
「その、アルマーゼ、というのは?」
「なんじゃい、知らんのか。我らの住む街の名よ。お主ら風に言うと、地下都市とか地底都市とか、そんな感じじゃい。王国語は味気無くてかなわん。お主らも、街の名前くらいしっかり考えんか」
なぜだか怒られた。
「なんだか、すみません。それで、ドワーフの方々は、みなそこに?」
「そうじゃな。たまに地上へ出ていく者もおるが、大体はそこに住んどる。ちょくちょく交易で上へも出るが、わしらには、地上の風はちと合わんでな。このあたりは石も水晶も湧き出るように採れる。離れる理由も見つからんわ」
そう言うと、カフ=カカフはぐははと笑った。ずんずんと進む歩き方といい、豪快な人だ。背には僕のものよりさらに無骨な鎚を背負っていて、良く似合っている。彼もきっと重戦士だろう。
僕にも少しずつ、状況が呑み込めてきた。僕らはドワーフの街へ通じる地底の洞穴に落ちて、ある調査に来ていたカフ=カカフと偶然出会った。彼の人柄のおかげで僕らも妙な不審者扱いされずに済んでいるのは、まさに不幸中の幸いというものだろう。
「普段なら、迷子は拘束して連れてくんじゃがな。いかんせん今は、そんな余裕もない。牢のある洞穴はもうあやつに食い潰されてしまっとる」
カフ=カカフの声が少し沈む。
「……緊急事態、と言っていましたね。それは、ケルキダ=デェダとかいうもののせいなのですか? それは、魔物の名、でしょうか」
「その通りよ。土喰い、水晶喰いのケルキ。その『外れ種』、一際大きく獰猛なケルキダ=デェダ。それが突如現れて、この辺りの石採り場を食い荒らしとる。あやつのせいで、わしらは商売あがったりじゃい」
ケルキダ=デェダ。聞いたことがない。王国語で別の名称があるのかもしれないが、地底の化物なんて僕の記憶にはない。どんな姿形をしているのかすら見当がつかない。
「幸い、さっきの
「討伐、しないの?」
僕の隣で黙々と歩いていたシエスが口を開いた。昨日から歩き通しだから、瞼が少し重そうだ。カフ=カカフが振り返って、顔中の毛の下からじろりと、シエスを睨んだ。けれどシエスは気にした風もない無表情だ。人見知りなのか図太いのか、相変わらず良く分からない。
「ふん、生意気な娘っ子め。できるならとうにやっとるわい。魔導が得意でもないわしらでは、すぐ地中に潜るあやつとは相性が悪い。だから長が帝国のぎるどに依頼を出して、冒険者を募っておったんじゃが」
そこで一旦、カフ=カカフは言葉を切った。立ち止まって、足元をしげしげと見つめている。覗いてみると、彼の立つあたりから地面に二本の溝が真っ直ぐ走っている。その溝は僕らの進む先、シエスの光が届かない先まで伸びていて、何かを導く線のように見えた。
「ここは無事そうじゃな。乗ってくぞい」
乗る? 何のことだろう。
言葉の意味を考えかけた一瞬、カフ=カカフが自分の腰辺りを二度、叩いた。空気が僅かに揺れる。次の瞬間には、僕らの眼前に少し大きめの貨車のようなものが現れていた。なんの前触れもなく。貨車は、恐らくは土か鉱石を運ぶために使われているものだろう。鉄か何かでできていて、重々しくがっしりとしている。
「……『
シエスがつぶやく。すると、これは僕の鎧や鎚に付与されたものと同じ魔導か。武具を呼び出すのと同じように、貨車を呼び出せてもおかしくはないか。
「魔導も味気無い名前じゃな。王国には、
カフ=カカフは呆れるようにつぶやきながら、両手で貨車を押して車輪を溝に合わせた。そのままいそいそと貨車の縁をよじ登って、中へ乗り込んでいく。
「ほれ。何しとるんじゃ。お主らも早く乗れ」
「それに、乗るんですか?」
「ぬぁに言っとる。当たり前じゃろ。アルマーゼまでは歩いても一日はかからんが、早く着いた方がいいに決まっとる。お主らも早く仲間と合流したいんなら、アルマーゼで待つなり伝言するなりした方がずっといいじゃろ!」
確かに、そこまで離れていないなら、ここにいて仲間が来るのを待つより街にいた方がいいだろう。でも、これに乗るのは何か、嫌な予感がする。
けれど他にどうしようもない。ほれ早く、と再度急かされて、仕方なくシエスを抱き上げて、一緒に貨車へと乗り込んだ。大きめとはいえ、三人で乗り込むと少々狭い。
「わしが進路をいじるから、お主らは前に座って、祈っとれ」
「い、祈る? どういう意味で――」
「こっからは街まで下り坂じゃい。走り出すと速度は変えられんし、止められん。車輪が外れる時は外れるし、放り出されて死ぬ時ゃ死ぬ。そんだけじゃ」
そう言って、彼はまたぐははと笑った。
背筋に嫌な汗が流れる。この人、豪快というよりは何か、ガエウスに近いような。そう思っているうちに、貨車は大きな音を立てて、動き出していた。
「シエス、こっちへ」
まだ貨車の進みは緩やかだ。今のうちに、僕の前に座ったシエスのお腹へ右腕を回して、緩く抱いておく。万が一脱輪して放り出された時に、シエスと離れ離れになると困る。
「ん。楽しみ」
僕の緊張とは裏腹に、シエスは僕の胸へ寄りかかって、まったりとしていた。緊張感の欠片もない。僕を信頼してくれているからなのだろうけど、僕としては余計に緊張してしまう。
貨車が速度を上げていく。地下道の傾斜は想像よりずっと急だった。溝を走る車輪の音がやけにうるさい。車輪が弾け飛んでしまわないか不安になる。徐々に頬に当たる風がきつくなってきた。景色が後ろへと流れ去っていく。シエスの光の届かない前方は完全な暗闇で、何も見えないのがまた恐ろしい。
「カフ=カカフ! ちょっと、速すぎやしませんか!」
風に負けないように叫ぶ。自分の声が普段よりやたらと情けなく聞こえた。
「急いどるんじゃ! 速い方がええんじゃい! 男ならどっしり構えとれ!」
「……何も見えない。水晶は、ないの?」
「ただの地下道に、石が生えとる訳なかろ! 待っとれ、
銀髪をはためかせながらもいつもの調子で会話するシエスに、笑ってしまう。けれど貨車は荒ぶる速度に呑まれて、もう明らかに制御を失っている。風が頬に痛い。眼を開けているのも辛くなってきた。
突然、ふわりと身体が宙に浮いた。貨車が小石を踏んで跳ねたのか、空を飛んでいた。シエスを抱く腕に力を込めてしまう。数瞬の後で、貨車は奇跡的に溝に戻ってまたガタガタと、無理矢理に坂を走り抜けた。無意識に止めてしまっていた息を吐く。生きた心地がしない。
不思議なもので、普段は『力』を脚に込めて、これより速く走っているはずなのに、自分で止まることができないというだけで、僕は不安になっている。放り出されても、シエスと僕の身を守ることくらいは難なく出来ると信じてもいるのに、軋む音をたてて震える貨車に僕は分かりやすく怯えている。僕は本当に、変わらないな。
「ほれ、もう着くぞっ! 良く見てろい!」
カフ=カカフの声に、シエスが反応した。僕の腕の中で何事かつぶやくと、貨車の前で新たに光の玉が生まれた。貨車よりも速く前方へ飛んでいく。シエスは、街の光景にも期待しているのだろう。もう僕よりずっとこの冒険を楽しんでいる。
「光はもう要らんぞ! アルマーゼは、地底の光!」
地底の光。浪漫だなんだと言うだけあって、このドワーフは詩的な表現が好きみたいだ。
下り坂が緩やかに終わって、平坦な道を走り始めた貨車が、少しずつ速度を落としていく。暴れる車輪の音が消えてから、ずっと真っ暗闇だった前方が明るくなりつつあるのに気付いた。地下道の終わりが近い。地下道の出口のようなものも見えた。そこから先は、光で満ちているようだった。
そして緩やかに、僕らを乗せた貨車が地下道を抜けて、光の中へするりと入った。そこでようやく貨車は止まった。
空気が一気に澄んだ。温い風を頭上に感じて、思わず上を見上げる。奇妙な光景だった。地底にいるはずなのに、空が見える。遠いけれど魔導ではない、本物の空。日が地下に差している。
視線を少し落とすと、今度は無数の家々が見えた。僕らのいるところを最下層として、階段状というかすり鉢状というか、段々に建物が並んでいる。まるで街全体が巨大な闘技場のようで、びっしりと立ち並んだ家々は観客として、最下層にいる僕らを見下ろしているかのようだった。街中には、人々の喧騒と、
これが、地底の光。地底都市・アルマーゼ。想像の何倍も大きく、堂々たる威容の、ドワーフの街。
「……空があんなに、遠い」
シエスは僕の横で目いっぱい空を見上げて、手も空へ伸ばして、水晶の海を見た時と同じくらい驚いているようだった。
「我らが母なるアルマへようこそ、風変わりなご客人。……ってとこかの!」
呆けた顔で空を見上げる僕らへ、カフ=カカフは
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