第104話 妖婆

 帝都に戻って、ログネダさんと別れて、宿で力尽きてしまって。それからまた、数日が経った。

 僕らは今、森の中にいる。『リビの森』と呼ばれる帝都近郊のダンジョン。とある依頼を受けて、標的となる魔物を探しているところだった。


「大量発生してんじゃなかったのかよ。まだ一匹も見当たんねえぞ」


 ガエウスのつまらなさそうな声。僕らを囲む木々は鬱蒼と茂っているけれど、『サルニルカ島』の奥部ほどの暗さではない。木漏れ日の差すごく普通の森の中を、僕らは歩いている。


「まだ入ったばかりじゃないか」


「依頼書にゃあ、森中にうじゃうじゃいるって書いてあっただろうが。依頼人、騙しやがったんじゃねえだろうなっ」


「文字通りに溢れるほどうじゃうじゃいるなら、もっと重い依頼になってるはずだろ。村の人は、怯えてるんだ。それくらい仰々しい書き方にもなるさ」


 ガエウスがぎゃあぎゃあと騒ぎ始めるのを諌めながら、歩く。既に鎧は身に纏ってある。盾を手に、前へ進む。

 隣にはいつもと違って、僕と似た重々しい鎧が二つ。エトトとオトトが、歩調を合わせて僕の横を歩いている。目が合うと、こくりと頷いてきた。僕へ頷く時までもほとんど二人同時で、相変わらず不思議な双子だった。


「なに。私は焦らされた方が燃える性質でな。直にまた、ガエウス様の神業を間近で見られると思えば、この程度のお預け、むしろ甘美な時間とさえ――」


「お前にゃあ聞いてねえ」


「なんとっ」


 後ろでガエウスとマナイさんが騒ぐのも、いつの間にかいつものことと思えるようになってしまった。つい笑ってしまう。

 今日は『詩と良酒』と共に依頼を受けている。依頼は単純で、増えすぎた魔物の討伐だ。魔物の群れはシエスの魔導で消し飛ばすのが普段の僕らのやり方だけれど、今回は森のダンジョンだから範囲魔導は使いにくい。そうなると手数を増やすのが次善の策だから、帝都で唯一の知り合いである『詩と良酒』に協働を相談してみたという次第だった。マナイさんたちは快く受けてくれた。今回はただ依頼をこなす他にも目的があったから、マナイさんたちがいてくれるのは、心強い。


「にいさン。騒ぐのは、だめ。気付かレる」


 さらに後ろのクルカさんがたしなめる。そういえば、また王国語が上手くなったような気がするな。


「無駄。マナイが黙っても、ガエウスはいつもこう」


「……そうナの?」


「そうですよ。一番歳上なのに、一番落ち着きがないのがガエウスですから」


 振り向いて見ると、クルカさんを挟んで、シエスとルシャがうんうんと頷いていた。


「んだァ?お前らにだけは言われたかねえな。お前らだっていつも、ロージャロージャうるせえだろうが」


「なっ。それは……そうかも、しれませんが」


「私とルシャはロージャといても、うるさくない。ガエウスは、声が大きい」


「屁理屈言うんじゃねえっ」


「屁理屈なのは、そっち」


 シエスがつっかかって、ガエウスがまた騒ぐ。これもいつものこと。騒ぎに巻き込まれないように、前へ向き直る。きっと僕の後ろでは、ルシャが困ったように笑っているだろう。


 そんないつも通りの緩さに、気が抜けかけたところで、ふと森の奥に何かを感じた。目を向ける。姿は見えないが、明らかに隠しきれない異臭と、刺々しく下卑た視線。気配は、ひとつではない。


「ようやくかよ」


 ガエウスの声は変わっていた。喉の奥で獰猛に笑う、狩人の声。それを合図に皆の気配も、鋭くなっていた。


「よし。手筈通りに行こう。……武運を」


 それだけ言って、前へ出る。一歩踏み出した瞬間に、後ろの気配はまとめて消えていた。ナシトの魔導。

 走りながら、前を見る。気配が増えていた。無数の人影のようなものが、森の茂みに身を隠している。二十はいるだろうか。いや、もっと増えるだろう。まずは、おびき出す。


Этотоエトト! Ототоオトト! Дёрепв前へ!」


 数日の学習でなんとか僅かに使えるようになった帝国語で、横を走る双子へ叫ぶ。エトトとオトトは同時に頷いて、僕より一歩前に跳んで、立ち止まる。僕はその後ろ、彼らの背を守れる位置で止まった。

 その瞬間に、茂みから魔物が一匹、姿を現した。丸く折れ曲がった背と、長く伸びた鈎鼻。骨の浮き出た細い脚と、長い爪が擦れて鳴る手。醜い老婆に良く似た魔物――ヤガーが、僕らの前で立ち止まり、嗤うように何ごとか吠えた。

 一匹目の声に応じるかのように、茂みから次々と妖婆が現れて、甲高い声で鳴く。耳障りな音が森中に響く。この声は、聴きすぎると感覚に異常をきたすと聞いたことがある。けれど、この程度。長時間聴かなければ、ただ不快なだけだ。

 ヤガーたちに、襲いかかってくる様子はまだない。もっと僕らへ注意を引く必要がある。

 今日はいつもと違って、僕の後ろにシエスとルシャはいない。僕はふたりを、直接は守らない。普段と違う戦いを、今日は自ら試すつもりだった。傍で守れないなら、僕らはできる限りのヤガーを引きつけておくしかない。

 内心の僅かな不安を押し殺して、手斧を取る。『力』を腕に込める。構えた盾の陰から横振りに斧を投げつけると、斧は回りながら飛んで、一匹のヤガーの頭へ吸い込まれた。頭が爆ぜる。斧はそのままその奥の茂みに飛び、隠れていた数匹の身体を喰い破って、赤黒い血を撒き散らした。それからすぐに、地を抉る轟音。

 それが戦闘の合図だった。茂みから、襤褸ぼろを纏った妖婆が数えきれないほど溢れ出す。奇声を発しながら、知性の見えない眼を滾らせて、僕らへ殺到する。盾を構えて、迎え撃つ。

 そこへ、矢が雨のように降り注いだ。


「Этото, Отото! Окьлот дёрепв иртомс前だけを見ていろ!」


 どこからかマナイさんの声。彼の矢は、双子の横から迫ろうとしたヤガーたちを射抜いていた。指示を出された二人は、前から襲い来る敵のみに盾を向けている。

 僕は、僕自身に迫る個体と、双子の背を狙う個体を受け持つ。がむしゃらな爪の一撃を盾で防いで、すぐに盾を横に振るう。それだけで、ヤガーは簡単に引き千切れて動かなくなった。鎚へ持ち換えるまでもない。


「ロージャっ!こんな雑魚に俺の矢は、要らねえんじゃねえかっ?」


 後ろからの声に一瞬だけ振り向くと、僕の背には既に妖婆の死骸が何体も転がっていた。眉間か脳髄を、矢で穿たれている。相変わらず正確無比なガエウスの矢。面倒だと愚痴をこぼす割には楽しそうな声だった。


「数が多いんだ!そのまま、頼むよっ」


 こちらも声だけで返す。返事はないけれど、後ろからは矢が風を切る音が絶え間なく聞こえる。それが答えのつもりだろう。相変わらず、素直じゃない。

 思いながら、盾でヤガーを防ぎながら、潰す。この魔物は魔導を扱えない。ただ群れて森に住み着き、時に村を襲う、大した知能を持たない魔物。姿形は人にひどく似ているものの、エルフやドワーフとは違って亜人とは認められていない。村に忍び込んで子どもを攫うことも多いから、ただ忌み嫌われている魔物だ。

 正面の敵は、まだ絶える様子はない。けれど蹴り飛ばすだけで死ぬ魔物に、そこまで怯える意味もないだろう。前のエトトとオトトも、マナイさんとの連携で危なげなくヤガーの群れをさばいている。となると、気になるのは目の前の魔物ではなかった。


「ルシャ!そちらは、無事っ?」


 盾を振りながら、かなり離れたところにいるルシャへ声をかける。今回の依頼は、実はルシャの要望だった。彼女が、あることを試したいと言って、今僕らはその、新たな陣形を試している。


「はいっ!この程度なら、私ひとりでも、大丈夫ですっ」


 ちらと見ると、少し遠くで舞うように剣を振るうルシャが見えた。時に木々まで足場にして跳び回りながら、シエスとナシトと、クルカさんを守りながら、淡々とヤガーの首を刎ねている。

 一瞬見えたシエスの眼にも、不安の色はなかった。ぼんやりと、少しだけつまらなさそうに、ルシャの舞う様を見ていた。


 今回は、ルシャがシエスたちを守る役回りだった。僕は守るべきふたりを守らずに、さらに前に出て積極的に敵の殲滅へ回る。一瞬で駆けつけられる距離より遠くへふたりを置く陣形を、提案された当初は少しだけ、躊躇ってしまったのだけれど。


「ロージャ。私たちはもっと、強くならなくては。個としてだけではなく、皆で。……私にも、背を預けてほしいのです」


 そう言って僕を見つめたルシャを思い出す。

 強くなりたいと望むのは僕だけではない。皆といたいと願うのも、僕ひとりではない。そのことが分かっているからか、ルシャが危険に身を晒すことも、以前よりは受け入れられた。それに僕は皆を、何よりも信じている。なら、僕が攻めに回る戦い方ももっと慣れていかなければ。とは思っても、結局こうして危険度の低そうな依頼から始めているのが、僕らしいと皆は笑っていたけれど。

 皆で強くなる。どんな窮地にも対応できるように、連携の幅を広げておく。そうすれば、僕らはもっと、遠くへ行ける。

 意識を目の前へと戻す。頭に満ちかけた物思いを、振り払う。ルシャは大丈夫だ。今回は魔導も使わずに切り抜けられる弱い相手だ。今は目の前に集中する。そう思い直して、未だ絶え間なく襲い来るヤガーを、盾ですり潰し続けた。




 それからしばらくして、何事もなく森中全てのヤガーを殲滅した後で。僕らは逃げたヤガーがいないかの確認も兼ねて、森を手分けしてぐるりと見て回っていた。

 今、僕のすぐ隣にはシエスがいる。杖でとつとつと地を突きながら、てこてこと歩いている。少しばかり不満げな無表情だった。


「何もしてない」


 魔導をひとつも使わずに終わってしまったことが不満だったようだ。


「まあ、今回は敵も弱かったしね。シエスが頑張りすぎると、この森自体が消し飛んでしまうからさ」


「もう加減できる。ルシャばかり、ずるい」


 珍しく、分かりやすくぶうたれている。シエスも、僕たちと一緒に強くなると望んでいる。確かに、今日のやり方は少しばかり、シエスに過保護すぎたかもしれないな。

 反省しつつ、シエスの髪をそっと撫でる。指の間を髪がさらさらと流れていく。この感触が、僕は好きだった。木漏れ日に淡く輝く銀髪を撫でながら眺めていると、手の下でシエスが僕を見上げていた。僅かにむくれていて、じとっとした眼をしている。


「撫でても、ごまかされない」


「……ごめんよ。これからはもっと色んなことを、試していくから。次はシエスにも、すごい魔導をお願いするよ」


「ん。約束」


「ああ」


 約束だと示すように頭をぽんと押して、撫でる手を離した。すぐにシエスの手が伸びてきて、僕の空いた手を取って、握る。横顔はいつもの無表情に戻っていた。ふたりで、しばらく何も話さずに歩く。風に揺れて鳴る葉の音が心地良かった。

 少しして、歩く先にヤガーの死骸がひとつ見えた。先程まとめて埋めそこねた一体だろう。ガエウスの矢が首元に突き立っている。近付いて、矢を引き抜く。やじりの血を拭っていると、シエスが杖で、動かなくなった妖婆をつついていた。


「……ヒトみたい」


「ん?ああ、ヤガーは、世界でいちばんヒトに近い魔物、らしいよ。繁殖力も高くて、王国にもたくさん棲み着いている」


「みんな、おばあさんなの?」


 特徴的な鈎鼻を杖でつつきながら、シエスが尋ねる。確かに、ヤガーはみな老婆の顔をしている。


「オスもいるはずだよ。顔はみんな同じだけどね。どうしておばあさん顔なのかは、知らないなあ」


「……変な魔物」


 シエスのつぶやきに、笑ってしまう。よくよく考えると、確かにそうだ。昔から、おとぎ話でも頻繁に出てくる魔物だったから、ヤガーの顔なんて気にすることもなくなっていたけれど、老婆が溢れて襲ってくるなんて異様な光景には違いない。

 笑ったついでに、ひとつ冗談を思いついた。


「そういえば、シエスは知らないかな。ヤガーは子どもを攫うんだ。シエスも狙われてしまうかもしれないよ。ヤガーは夜ふかしする子が好きだからね」


 シエスがよく、夜遅くまで起きて魔導の勉強をしていることを、僕は知っている。

 早く寝ない子には、ヤガーが来るよ。攫われて、鍋で煮られて食べられて、骨を飾られてしまうよ。ヤガーの小屋に。

 母さんにそう言われて怒られたことも思い出す。幼い僕はそんな使い古された脅しにも簡単に怯えて、すぐに寝台へ潜り込んでいたっけ。妖婆が恐ろしいのはおとぎ話の中だけで、知性の無いヤガーが鍋で料理なんてできるはずがないことくらい、少し調べれば分かることだったのに。

 ……父さんと母さんは、元気だろうか。ふと、余計なことまで思い出してしまう。村を飛び出した僕を、どう思っているだろうか。もう会うことは、ないだろうな。僕の居場所は、もうあの村ではないから。


「……もう子どもじゃない」


 逸れかけた思考を、シエスの声が遮る。見ると、シエスがまたむくれていた。子どもらしさが僅かに滲む無表情を見て、笑い出してしまいそうになるのを必死にこらえる。


「冗談だよ。シエスは頑張ってる。もう立派な魔導師だ。子どもじゃないさ」


「ん。背も、伸びてる。ロージャの顔、近くなった」


 それは全然気付いていなかったけれど、ただ頷いておく。

 僕としてはむしろ、もっと子どもっぽく振る舞ってくれてもいいと思っているけれど。シエスが大人らしくありたいと望んでいるなら、それでいい。シエスが望むままに生きてくれているなら、僕にはそれだけで十分だった。

 ふと前を見るともう木々は疎らだった。いつの間にか、森の出口近くまで歩いてきていた。陽の光も木漏れ日からまとまった日差しに変わっていて、日差しの向こうには皆の姿が見えた。


「行こうか。皆が待ってる」


「ん。帰る。今日は、新しい魔導を教わる」


「ナシトから?それなら、なおさら早く帰らないとね」


 シエスはこくりと頷いて、少しだけ早足になってすたすたと歩いていく。早く帰りたいのが良く伝わってくる。もうあれだけ強力な魔導を扱えるのに、シエスは本当に、勉強熱心だ。

 それでも手は離そうとしないのが嬉しかった。僕はぐいぐいと引っ張られながら、『リビの森』を抜けた。




 ダンジョンから帝都に戻って、夕方。

 ギルドで依頼達成を報告して、宿へと続く道を歩く。

『サルニルカ島』の共同依頼については、あれからギルドからは何も告げられていなかった。依頼達成の報酬を受け取って、それだけだった。ただ、依頼主である帝国軍からは「見た全て、起きた全ては他言無用」という言付だけがあった。ログネダさんとはあの日別れて以来、会う機会は無かった。

 あの依頼を受ける前と後で、何も変わっていないようにも見える。けれど、ギルドの受付員は僕らを見る度に、僅かに緊張した雰囲気を醸すようになった。そのことに、ログネダさんの言葉を思い出してしまう。帝国の動向には、気を配らなければならない。

 ログネダさんのことも気にかかる。でも今は早く雑役税を納めきって、帝都を抜けるべきだろう。これ以上、帝国軍で溢れた帝都にいるのは得策ではない。僕は僕ら自身のことを優先しなければ。ログネダさんのことは、私は大丈夫と言った、彼女の言葉を信じるしかない。

 雑役税は、もうすぐで納め終わる。帝都を出られる日は近い。けれど、肝心の目的地であるエルフの森については、今のところ何の手がかりも見つけられていなかった。


 マナイさんたちと別れて、帝都の街を歩く。

 歩く道でも、無意識の内に気配を探ってしまう。街中で監視されている気配はないものの、どこか疑心暗鬼になっている自分がいる。

 シエスとその胸の欠片に変わった様子はないことだけが、今の救いだった。シエスは無事だから、少なくともまだ焦らずにいられる。

 今日は依頼をひとつ終えた。帝都を出るためにできることを着実にこなしている。明日以降も情報を集めて、依頼を受けて。前に進んでいることは確かだ。

 そう思いつつ、どうしてか晴れない僅かな不安に蓋をして、拠点にしている宿に辿り着くと、宿の入り口に人影が見えた。フードを被っている、線の細い影が、こちらを向く。


「……貴女は」


 隣でルシャがつぶやく。声に応じたのか、彼女はフードを取った。金の髪がこぼれ出す。露わになった長い耳は、かつてとは違い僅かに先が下を向いていて、力なく見えた。

 目が合う。


「……もう僕らへ近付くなと、伝えたはずだ。ルルエファルネ」


「……ええ。無礼なのは、承知の上。すぐに、消えるわ」


 僕らを待っていたらしいエルフ――ルルエファルネの声は、暗かった。


「けれど。……どうしても伝えておきたいことが、あるの」


 声からも眼からも、かつての威勢は消え失せていた。同時に、僕への嫌悪も、ほとんど感じられなかった。僕はただ、警戒だけを返す。

 ルルエファルネの思い詰めた瞳が、僕を見つめている。夕陽に照らされた彼女の姿は一枚の絵画のようで、でもそれを美しいとは、思わなかった。


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